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水責め,意気責め,あらゆる拷問が……
屈服されぬ人民

石原勝夫1


東北2にとぐろをまいていた関東3憲兵隊は,戦況の悪化に伴って民心動向,特に中国朝鮮人民の反戦抗日民族独立運動を弾圧するため,特務活動に躍起となり,何とかして戦況を挽回しようとしていた.

私がのさばっていた東部国境,老黒山4憲兵分隊でも主力を特務活動にあて,分隊長木戸三郎5少尉は自ら特務服を着込み,罵声をはり上げ,部下の特務工作を叱咤督励していた.

特に,木戸少尉は,老黒山にとぐろをまいていた兵器廠,貨物廠,燃料廠に軍曹以下回名を派遣し,部隊の行う各野戦部隊に対する補給業務を円滑にし,侵略戦争を遂行するため,部隊で奴役している約一五00名の中国供出労工の反戦抗日民族独立運動を弾圧していた.私は派遣憲兵主任として,三名の部下憲兵を指揮し,特務七名を使用,もっぱら特務工作を行っていた.

私が兵器廠に潜伏させた特務から「部隊で働いている王保国6という供出労工が,ある晩宿舎の外で141涼んでいる時,同僚に対し,俺の親戚張世民7[仮名]は,今鞍山8の昭和製鋼で働いている.彼は以前八路軍に入っていた,と洩らした」との情報を受け取ったのは,鞍山昭和製鋼が爆撃された直前だった.

「日本の国策会社,あの大きな昭和製鋼……八路軍の地下工作……これはうまくいったら司令官賞だ」 私は雀躍して喜んだ.私の頭の中には一瞬数万の中国労働者の中で抗日運動を組織している張世民以干数十,数百の人々を逮捕弾圧し,賞状をもらい,曹長に抜擢進級する「英雄的」な自分の姿が浮かんだ.

私は特務を督励し,情報を蒐集,いわゆる証拠がためをやると,同年九月兵器廠で王保国を逮捕した.

彼は四月労工として狩り出された病人某の身代わりになり「彼が労工で働かされたら死んでしまう」と,妻や子の止めるのも振り切って,労工になった,偽牡丹江9省帽児山に住んでいた純朴な農民だった.

私は労働を愛し,隣人の命を救うため,奴隷労働の中に自己を投じたこの美しい心の持ち主,王保国に,一カ月近く殴打や水責め拷問を行い,無理矢理に前記言動を認めさせた.


その年の十月,老黒山はもう雪で真っ白だった.私が張世民逮捕のためはるばる出張した鞍山は暖かく,まだ雪はなかった.

鞍山昭和製鋼,ここでは日本軍国主義者が発動した「大東亜戦争遂行」のため銑鉄,鋼鉄,圧延142その他各種の軍需資材を夜を日についで作っていた.三万人以上の中国労働者が日本植民者の鞭と罵倒を受け,怒りと憎しみの中で働いていた.

七月に受けたB29の爆撃の跡が,あそこにもここにも復旧されぬまま残っていた.私を案内した日本人は,工場の中央にたてまつった天照大神のほこらに爆撃が当たらなかった,と得々として説明し「日本は神の加護があるし,必ず勝ちますよ」といった.私はこの日本人は仲々よい思想をもっている,と大いに気をよくしていたものだった.

直撃弾が命中し,ひいていた馬車もろとも数十討も離れた高圧線の上にはね上げられ死んだ中国労働者,一片の肉塊さえ残さず,体が裂け手足をもぎとられた幾百の中国労働者のことなど,私の念頭には全くなかった.

私が鞍山憲兵分隊から昭和製鋼に派遣されている憲兵の力を借りて,張世民が溶鉱炉の労働者で,夜勤だということを探り出したのは夕方近かった.手筈をととのえて,私は溶鉱炉に通ずる道路で待ち伏せしていた.昭和製鋼の中心部門だといわれる溶鉱炉,本来これは中国人民の財産であり,生産される銑鉄は中国人民の物質生活を豊かにするため固されるべきであり,ここで働く人々は,目を輝かせ,希望と喜びの仲に仕事場に来るべきであった.しかし,来る労働者も来る労働者も,顔は暗くやせ衰えボロボロの着物を着,足どりも重かった.

生活-ただそのためにのみ民族の魂に責められつつ,他に売るものもない労働を売る人々,だがこれらの人々ははたして無力だったろうか?否,だった.これらの人々の胸底には,赤く焼ける143溶鉱炉の火よりも,もっと強烈な憎しみと反抗の炎が燃え上がっていたのだ.

「どいつが張世民か?」 うの目たかの目でキョロキョロあたりを見張っていた私を,傍らの日本人が「あれですよ」とこづいた.

連日の酷使のため,目を充血させ,汗のしみたボロ服を肩にかつぎ,四,五人の労働者とともに,黙々と歩いて来る張世民,他の労働者より少し高く,骨太でズッシリとした重さを感じさせる.うてばガンと響くような感じのする彼「こいつは抵抗するかも知らぬぞ」,私は拳銃の安全装置をそっと外した.いざという時は,射ち殺す決心だった.私は日本人に命じ,彼を小室に誘い入れ,入ってくるなり,素早く手錠をかけた.

「何をするんだ」 彼はつきさすような目で,私をぐっと臨んだ.-何の理由があってこんなことをするんだ,この若造め!!-彼の目は憤りに燃え,層はピクピクけいれんしている.

私は待たしてあったトラックに彼を押し上げようとした.小さな包米鰻頭がボロ服から二つ三つころがり出た.夜食に彼の妻が作ってくれたものらしかった.彼は手錠のかかった手でそれを拾おうとした. 「いかん」 私は彼を突き飛ばすと,その包米鰻頭を泥靴で踏みつけた.妻の夫に対する愛情さえ目の前で踏みにじられた張世民の拳は,怒りのためブルブルふるえていた.

「どこに連れて行くんだ」 「うるさい」 私は頭からはねつけた.


八路軍地下工作員,私は張世民を自分の頭の中でそう決めこんでいた.同じ考えから,彼が過去144錦州10省蓋平県張瓦房11屯で農業をしていた時の同居者劉万山12[仮名]をも,彼の影響を受けていると判断した. 劉万山は本渓湖昭和製鋼で働いていた.私はきびすを返し,ただ「そうだろう」という考えだけで,本渓湖昭和製鋼の工場の中ではほこりにまみれて働いていた劉万山を逮捕した.年老いた父母,そして妻や子を養っていた劉万山,彼は瓦斯(ガス)工で三十五,六歳だった.鼻をさす瓦斯の中で,働き続けていた彼は,既に瓦斯中毒になっており,顔は真っ青だった.

私はすっかり有頂天になっていた.いつも「戦果」「戦果」とブツブツぬかしている木戸分隊長にもメンツが立つ,それにうまくいけば司令官賞……私は,得意満面奉天13駅」からニモツニケイコウスハルビン14マデムカヘタノムと分隊宛電報を打った.

そうだ,私は彼らを人間とは見ず,荷物と見たのだった.自分の領土に公然と押し込んだ強盗のため,食うもの着るものことごとくかっぱらわれ,苦しい生活を送る中華民族の一つの家庭,その生活を支えるたった一つの働き手,これを奪われた後の家族の嘆きや苦しみ,飢えに泣く子をかかえ愛する夫を失った妻の心情……私はこんなことなど爪の垢ほども考えなかった.そしてただ「勝利のスリル」に酔っていたのである.

私は奉天駅」売居で麻縄を買った.麻縄,それは旅行者が荷物をくくるために売っていた.しかし私は,買ったその麻縄で逮捕した人間,二人の中国労働者をがんじがらめに縛り上げた.手錠足錠だけでは,反抗されたり逃げられたりすると思ったからだ.

二名の左右の足に一つの足錠,左右の手に一つの手錠,そしてゆわえつけた麻縄の端をボックスの145脚に固く結びつけ,ふんぞり返って煙草をくわえていた私.私の前のボックスには,くの字に曲がり,呼吸も思うようにできず,苦しみのため油汗を流していた,何の罪もない中国の労働者が二名,北へ北へと送られていたのである. 「しゃべるな」,私は二人の視線が合う度ごとに我鳴りたてた.


「ご苦労だった,あせらんで計画的に調べるんだな」 私の逮捕てんまつの報告を聞いて,分隊長木戸少尉はすっかり相好をくずしていた.

南に面した老黒山憲兵分隊の拷問室,十月の鈍い光が,天井の「はり」から垂れ下がっている吊上拷問の麻縄,水責め,電気,殴打拷問の道具に反射し,陰惨な空気を作り出している.

憲兵軍曹の制服をつけ,椅子にふんぞり返った私の傍らには,通訳李東奎15が,残忍な笑みを浮かべ,竹刀をもって椅子に腰をかけている.既に数人の中国人民を撲り殺し,その残忍性を認められ,雇員になった通訳だ.

銑鉄労働者,太い眉,一文字に結んだ口,こめかみからあごにかけて濃い髭が生え,それが溶鉱炉の火に焼けて黄色くなっている. 「座れ!!」 私の前には数年来搾取と圧迫に抗し,数千度の灼熱と闘い,やがて来るべき幸福な明日のために,湧き上がる憤激を胸底に押さえ,忍従の生活を送ってきた中国の労働者張世民が,太い腕を組み,私を睨んで座っている.

私ははたしてこの中国労働者張世民をひざまづかせることができたろうか?はたして彼は日本軍国主義の権力と暴力の前に屈服したであろうか?否,だった.気節りんぜん彼はいかなる拷問に対146しでも,不動の信念をもって不死身の抗争を続けた.


「仲々口を割らぬぞ」,私は最初できるだけおだやかに飯を食わないか,とか煙草はどうか,とすすめ 「君が正直にいいさえすれば,君の人格を尊重しよう」と誘惑した.しかし彼は,ぶっきら棒に「不要!!」というだけだった.

彼の眼はらんらんと輝いていた. 「来い!!若造,そんなテは分かりすぎる程分かっているんだ,中国の銑鉄労働者の俺が勝つか,小細工をこね回す貴様が勝つか」 私を睨む彼の眼は,私に対し明らかに決戦を挑んでいた.しかもそれは暴力に対する恐怖の一かけらさえなく,勝利の確信に燃えていた.

図太い奴だ…… 私は心の動きを押さえることができなかった.が,わざと平静を装い「正直にいえば釈放を約束しよう」と,さらに執拗に誘いかけた.しかし,これも何の反応もなかった. 「名前は」 「不知道!!」 「本籍は」 「不知道!!」 王保国という人間は」 「不知道!!」 劉万山は」 「不知道!!」 何回追求しても同じだった.

「こいつめ,なめてるな」 私は通訳に鉛筆二本を渡した.ふしくれだった張世民の親指,その最も痛い爪の生えぎわが二本の鉛筆で挟まれる. 「いえ!!」 「いわぬか!!」 通訳が大きな声で怒鳴る. 「みんな分かってるんだ.痛い目にあうだけ損じゃないか」 しかし彼は「我不知道!!」の一点ばりだった.彼の親指は骨にさえぎられ,もうそれ以上つぶれなかった.ゆがめた顔には油汗が浮いている. 147「鬼子!!今に見ろ!!」 彼は苦しめれば苦しめる程,ますます鋭く私を睨み返した.

「よし吊り上げろ」 私の命令で通訳は左右の親指を麻紐でくくりつけると「はり」から下がっている一方の紐にぶら下げた. 張世民の足先だけが僅かに床についている.私はその端を柱に縛りつけると,吊上がった彼の体を押したり引っぱったりした.その度二本の親指に全体重がかかる.紐が指に食い込む.肉が指頭による. 「ウーム」「ウーム」 彼の体は全身汗でびしょ濡れだった.しかし私がいくら押したり引っぱったりして苦しめても,私が得たものは「不知道!!」という吐きすてるような返事だけだった. 「止めろ」 ききめのないことを知った私は,彼を下ろすと,今度は革鞭でなぐった.彼の皮膚は破れ,血がたらたら流れた.

四,五固なぐった時だった.突然,彼は向きを変えると,すさまじい勢いで傍らの壁に頭をがんがんぶっつけた.猛烈な音とともに板が割れた.自殺!!私も通訳も慌てた. 「この野郎殺してたまるか」 私は漸く壁から彼を引き離した.すると今度は床板に猛烈に頭をぶっつけた.慌てふためいた私は,殺すまいとして懸命だった.もし殺してしまったら,せっかくの「功績」がフイになるからだ.この打算だけが,彼の死を恐れたたった一つの理由だった.

張世民の額は破れ,鼻の脇を通って流れる真っ赤な血は,ちぎれた夏衣にボトボト落ちた.壁も床板も飛び散った血で赤く染まった.

「畜生!!」 私がいかに歯ぎしりしてくやしがろうと,彼は慌てふためく私を嘲笑するように,平然としていた.そして隙を見ては,自ら生命を絶とうとしていた.彼は死をもって,彼の命より大切な148ものを毅然として守り続けたのである.額から流れ落ちる血を拭おうともせず,腕を組み,正に泰山のような重さで座っていた彼.鋭いつきさすような瞳は「どうだ鬼子,お前が劣等民族だと馬鹿にした中華民族の息子,銑鉄労働者の俺を,暴力と権力で屈服することはできまい.貴様から殺される前に自分で先に死んでやる.中国の労働者はな,貴様らと違って死ぬことなんか恐れはしないのだ.俺が死んでも生き残った中華民族は,必ず貴様ら日本の軍国主義者を地球上から抹殺するのだ.これが歴史の流れだ.七月鞍山爆撃のあのぶざまな格好を見ろ!!貴様等の敗北はもはや時間の問題なのだ」と嘲笑するかのごとく,私に注がれていた.

石原軍曹殿,こんな奴は初めてですね」 通訳がハアハア息をつきながらいった. 「馬鹿野郎,貴様のやり方が悪いからだ.ヨウチン塗ってたたきこんどけ,殺したら承知せんぞ」 私は通訳をどやしつけた.

私は既に十数名の中国人民に拷問を行った.しかし,審問の最初から「不知道!!」で押し通したのは張世民が初めてだった.拷問中少しでも苦しみを訴え,少しでも私のもくろみと符合した言葉をいうなら,私はそれをタネに,どんなことでもデッチ上げる腹だった.文章の書き方に筋が通り,いわゆる犯罪事実が列挙してあれば,例えそれらの人々がどのように善良な中国の農民であろうと,どのように平和を愛していた中国の労働者であろうと,死刑にし,無期懲役にするのは極めて簡単なことだったのだ.-この頭の中でデッチ上げる恐るべき陰謀によって,単に老黒山分隊だけでも中国人民数名を無残に殺害している-しかし,死をもって敢然と民族の利益を守り,自分の姓名さえ149知らぬで通す張世民を,投獄することはできなかった.投獄に必要な一片の書類,否,一つの文字すら書き得なかったのである.

その後私は何とかして「功績」をあげようとし,張世民に対し,気狂じみた各種の拷問を行った.

水責め拷問,電気拷問,あるいは,いわゆる情実をもってする懐柔工作,時には留置場の中に特務を潜伏させ,動静を探らせたりした.

しかし,水責めをやればこれを利用して死のうとし,口鼻からそそぎ込む水をどくどく飲み,潜伏させた特務は速やかに正体を見破られ,拷問された格好,苦しめられた格好をさせ,接近させても,頑としてはねつけられた.

こうして二十日間にわたった残忍陰険な方法は,総て失敗に終わった.のみならず,張世民の堅決な闘いに激励され,四名の被害者の中には,不言のうちに強固な団結が形造られ,王保国は敢然として前言を翻し,劉万山も張世民とは何ら面識なし」と頑強に否定し続けた.

聞こうとすれば鉄のごとく黙し,拷問を加えればそれを利用し,生命を絶とうとする.打たれようが,蹴られようが,彼こそ正に不死身だった.恐怖を知らぬ人問,それが中国労働者張世民だった.


私はもともと張世民が私の権力と暴力の前に屈服し,単に八路軍に入っていたということだけでもいいさえすれば,事実をデッチ上げ,有関者とともに投獄し,自己の「功績」を上げようとする恐るべきたくらみを持っていた.

150しかし,凶暴な日本軍国主義の必然的な敗北を既に視てとり,正義の抗争を続ける中国人民の輝かしい勝利を固く信じ,自ら死を決し,中華民族の解放のため侵略戦争に断固反対し,平和の到来を早めるため,徹頭徹尾黙秘権を行使し,真実を守り抜いた張世民を,ファシスト憲兵だった私も,遂に屈服させることはできなかった.

反対に屈服した者こそ,残忍非道,一片の人間的良心すら持たなかった私であり,日本軍国主義だったのだ.

釈放の日,列車が発車する時,張世民は私の方を向いて初めて微かに笑った.その微笑は,勝者の微笑だった.その微笑は屈服した私をあざけり笑う微笑だった,その微笑は,中国人民の勝利を高らかに誇る微笑だった.彼は彼の家へ彼を待ち続ける家族のもとへ,日本軍国主義に反対し,民族独立と平和のため闘う中華民族のふところで一切の帝国主義に反対し,恒久平和のため闘う全世界人民のもとへ,再び帰って行った.より激しいたたかいのために…….

 

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1 Ishihara Masao, Feldwebel (Pseudonym)
2 Dongbei -- die drei nordöstlichen Provinzen (遼寧省Liaoning・吉林省Jilin・黒竜江省Heilongjiang), d.h. die Mandschurei; auch: Dongsan東三.
3 Guandong, alte Provinz
4 Laoheishan, Berg in Heilongjiang
5 Kido Saburô, Leutnant
6 Wang Baoguo
7 Zhang Shimin (Pseudonym), Verwandter von Wang Baoguo
8 Ānshān (chin. 鞍山 Sattelberg“), bezirksfreie Stadt der Provinz Liaoning. In Anshan lagen die Showa-Stahlwerke 昭和製鋼 und die Benxihu-Kohlegruben 本渓湖炭.
9 Mudanjiang, bezirksfreie Stadt im Südosten der Provinz Heilongjiang
10 Jinzhou, Industriestadt in der Provinz Liaoning
11 Zhangwafang, Station in Gaiping, Jinzhou
12 Liu Wanshan (Moshan) (Pseudonym)
13 Fengtian, früherer Name der Provinz Liaoning, wurde unter japanischer Herrschaft wiederbelebt, nach 1945 abgeschafft.
14 meist ハルピン od.  ハルビン geschrieben: Harbin, Stadt nördlich von Xinjing, Hauptstadt der Provinz Heilongjiang
15 Li Dongkui, Dolmetscher