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敵前で年々と逃走切る高級将校たち
「精鋭」軍の末路

小島隆男1


「チェッ,とうとうあわてふためいて逃げて行きやがった」 私は班長2少佐の机の上のガラクタを力まかせに払い落とすと,回転椅子にふんぞり返った.

「クソッ!!いまいましい,いつもいばり散らして,軍紀がどうの風紀がこうのといっていたくせに,ソ連3と戦争が始まったとわかったらこのザマだ!」 私はそう思うと,あきれかえって腹の虫が湧きかえり,六月以来二カ月余の生活が次々に頭の中に浮かんでくるのだった.

初めて関東軍へきた時 ―― 五月三十目だった. 山東から転属して関東軍司令部の門を通り,軍司令官のいる建物と,医務室をはさんで建っているこの関東軍特殊情報隊へきた時は,まだ夏服ではうすら寒かった. 「北辺の護り精鋭関東軍」の直轄部隊,しかもその司令部へきて,私は得意満面になった.

102高級司令部だから,中隊と違って下士官や兵隊は「素質」の良い者ばかりいて暴れる心配もないし,お偉方がたくさんいるので,うまくやれば進級も早いし,それになんといっても山東のように,夜になっても八路軍に驚かされることもなく,枕を高くしてねむれる…….

七月上旬,将校の図上作戦術があった時,隊長小松三己雄4少将は最後の日にこういって結んだ.

「余の情況判断によれば,現在ソ連軍が攻撃してくるという根拠はある.しかしまた,攻撃してこないという根拠もある.要は一つにスターリン5の人格にかかっている……,いずれにせよ,国境の兵力がいかに手薄になったとはいえ,頑強な陣地であるから,三ヵ月は絶対大丈夫である.さらに余の意見を述べるならば,ソ軍の攻撃は秋以降ではないかと予測される.それは穀物の収穫時であり,作戦には有利であるからである」

私は山東の作戦を思い出し,なるほど収穫の時は食い物には心配はないし,さすがに隊長はなかなかいい所へ目をつける,と感心もしたし「三ヵ月は大丈夫」と聞いてますますそれを信じこんだ.

また七月中旬,元ドイツ駐在武官6少将が欧州から日本へ逃げかえる途中,特殊情報隊へ来て,将校を集めこういった.

ヒットラー7ドイツ軍が一九四一年,一挙にモスクワ8レニングラード9附近まで電撃戦ができたのは,関東軍の特殊情報隊の暗号書をヒットラーに渡したので,ソ連軍の暗号を解くことができたためである」,なるほど憲兵や軍司令部の将校でさえ一歩も立ち入りを許可しないのももっともだと考えて,ここでもひどく得意になったものだった.

103私はその頃もう仕事は多少覚えたし,時には骨休めに上官の眼を盗んで三階のラジオ傍受室へ行って,ニューヨーク10やホノルル11の電波を捉え,ジャズを聞いて楽しむゆとりができていた.

ところが口では大きなことをいっていたが,実は南方へ,だいぶん抜かれて骨抜きにされた関東軍を何とかしようと,在郷軍人を大あわてに召集して大編成改正を始めていたのである.

軍司令部の前では召集したばかりの年寄り将校を集めて敬礼の練習を行い,一通り教え込むと,帯剣一本の兵隊をつけてどんどん国境へ追いたてて行った.

七月にはひと月もかかって軍司令部の地下作戦室を,一トン爆弾に耐えられるように,こっそり大工事を行った.

八月上旬になって,そのあわてぶりはいよいよ本格的になった. それはまず,ソ連軍が暗号を一部変更したので解くことが困難になってきた.これが不安の第一. それに解けた暗号の中から「西部国境にはソ連軍の機械化部隊が終結している」ことがわかった.それが不安の第二. そのうえ北部国境部隊では「兵隊のマホルカ[煙草]を戦時定量に切りかえるべし」の命令が解けた. その時,隊長小松はあわてて軍司令部へ飛んでいった.そして帰ってきて昼食の時に将校集会所で,縁無しの眼鏡を鼻にはさむと髭をひねりながら「今日の情報を軍司令部がいかに判断し,処置を執るかが問題だ!日ソ開戦の準備とみるか!その判定は正に見ものだ!」と,いつもとは違って力のない声で話した.

半月ほど前,私が軍刀を忘れて,マントをひっかけ部屋を出ようとするのを運悪く隊長小松に見つかって「軍人の魂を忘れるなどとはもってのほかだ,皇軍将校の恥辱も甚だしい.将校集会所の出入りを104一週間禁止する」一気に破鐘のような声でどなりつけられた時とはまったく変わっていた.

こうして関東軍は大あわてにあわててソ連軍の攻撃に備えて,各兵団に対戦車攻撃の訓練を命ずるとともに,全満至るところで中国人民を狩りたて,家を破壊し,土地を奪い新たな防御陣地を作り始めたのである.それと同時に全満の憲兵や警察を総動員して,今までより一層残酷に「経済の統制」を強化し,また,一層残酷に「不逞分子」と称して中国の抗日愛国者を投獄して虐殺していったのである.

その後,アメリカのラジオは,原爆を投下したことを盛んに宣伝し始めた.こうした中に一九四五年八月九日がきたのである.


未明突然,空襲警報が鳴った. 「日ソ開戦か?」 私は咄嗟にそう考えたので,大急ぎで身支度をすると,薄暗い街を司令部へ飛んで行った. 陰気くさい特殊情報隊へつくと,高級副官越智12少佐が入口でウロウロしていた.そこへ参謀の藤井13少佐が顔面を硬直させ,あわてて駈け込んでくるや「オイッ!国境ではソ連軍と激戦中だ.いよいよ始まったぞ.できたての部隊は兵隊の頭数だけで銃も満足にないんで困ったぜ」と,越智にいいすてながら,二階へ駈け上がって行った.そのうち高級将校や高等文官,軍属達があわてふためいてぞくぞくと集まってきた.

昨日まで,高級車を料亭に横づけにして,芸妓を相手に,豪傑笑いを響かせ,酒保から酒,煙草はもちろん,好きな物を勝手放題持ち出していた高級将校,昨日まで女房や娘のパラソルや浴衣を眼の105色変えて買いあさっていた家族持ちの大尉や軍属,誰も彼も日ソ開戦と知って落ち着きもなく,あわてふためいている.

やがて夜の明け時も過ぎた. ソ連軍の戦車や,航空部隊の無線を傍受し,方向を探知すると「強固な国境陣地」がソ連軍の攻撃に鎧袖一触(がいしゅういっしょく)にくずれ落ちて,破竹の勢いで,進撃してくるありさまが手にとるようにわかってきた.

将校集合の命令が出た.三,四十名の将校のうち,ちょうど会議のため,国境地区の出張所からきていた隊長連中-木村14少佐達がズラリと最前列にならんだ. 盛合15中佐は青ざめた顔をしていた.隊長小松は軍刀を握り,急ぎ足で入ってきた.

「いよいよ最後の御奉公のときだ.突然で何の準備もできないが,貴官達の武運を祈って別れの乾杯をする」

私にも盃が配られた.前の方で誰かが「閣下の御健康をお祈りします」というのが聞こえた. そして水盃で乾杯して,終わると隊長はあわてて出て行った.それからは,どこへ消えてしまったのか,全く姿を見せなかった.

そして北部国境のソ連軍の暗号の中から「対日宣戦を布告す.兵隊に至るまで徹底せしむべし」の命令が解けて,いよいよ開戦と確定したら,誰もろくろく口をきかなくなってしまった.

そのうえ「この調子だと四,五日したら新京16は戦場になる」と将校までがいい出した. 香川17大尉は私に「この暗号は重要だから,もう一度暗号書を照らし合わせよう!」とうわずった声で106怒鳴りつけて,自分は机の中をガラガラひっかきまわし始めた.

不安な夜が明けた. ソ連軍は刻一刻前進してきた.部隊を前線に輸送するので駅はごったがえしているとの報せがあった. だが関東軍の最後の息の根の止まる時は近づいてきた.

前線向け増援部隊の軍用列車がまだ出発していないのに,もう十一時には一番目の「家族避難列車」を準備した. 「在留邦人は間に合わないから」といって,真っ先に軍司令部の将校の家族を乗せて逃げる準備をはじめた.

だいたい,平素から「精鋭な関東軍」を宣伝され,最後には「軍と運命を共にせよ」と教えられていた日本人だった. そのうえラジオでは「軍艦マーチ」「愛国行進曲」で,関東軍報道部の「戦果」放送をきかされて,あくまで軍を信じ,戦況も知らず,安心しきっていた矢先なのだから,とても一時間や二時間で避難することは困難な状態なのだ.狡猾な彼等は百も承知で,勝手な口実をつけて,まず自分違の家族を「安全地帯」へ逃がしたのだった.

将校は下士官や兵隊をひっぱって家族の荷物整理にとんで行くし,給仕は馬車で荷物運びに追いたてられるし,次級副官兵藤18大尉はトラックで家族を集めてまわるし,それに手回しよく兵藤はそのまま家族と一緒に行方をくらました.

誰もかれも大きな行李を馬車に積んだ.特に欲ばりの盛合中佐は二つもかかえこんでいる.

大尉級は下士官や兵隊に「何を慌てているんだ,落ち着いて早く暗号を解け!」と威圧的に命じておきながら,自分達は班長の所へ行ったり,戻ったり,ウロウロしたりで落ち着きなくおびえきって107いるばかりである.

私も荷物をまとめに宿舎へ帰った.もう最後だと思ったので,頭のてっぺんから足の先まで,全部新しい被服に着替えた. そして,いずれは山の中へ逃げるであろうと考え,行李の中に靴,靴下をあるだけ放りこみそれでも大急ぎでとってかえした.

「解読班」 随一の腕を持っていると自惚れている倣慢な大尉相当の宮崎19通訳が,私のところへきて,小島,これから寒くなるから冬ズボンが欲しいが,ないか?」という. 「宿舎の押し入れに捨ててきました」とこたえたら,喜んで頭を下げて,さっそく給仕にとりに行かせた.

いつもニヤニヤしてズルがしこい大和田20大尉は,家から帰ってきても垢だらけのシャツを着ていたので,私が「もう最後ですよ……新しいシャツを着たらどうですか」といったら 「それもそうだ」とはじめて気がついたように,自分のからだを眺めまわし,やはり給仕にどなりつけて,今彼自身が捨ててきたばかりのシャツを家までとりにやらせる始末だった.


やがて部隊の命令が出た. 「暗号解読班」では約七十名のうちから私が残留班長となり,二名の軍属,二名の兵隊,それに一名の給仕を残した. 「経理」では横川21中尉,「庶務」でも若手の将校が残った. 二,三十名いたがほとんど独身者ばかりだった. 任務は,本隊が軍司令部とともに通化へ到着するまでのソ連軍の情報蒐集と,残された書類の焼却,器具の破壊,そして任務が終わってから可能ならば本隊に追及することだった.

108ロシア語専門の将校,軍属,下士官,兵隊ばかり二,三十名をかき集めたもので,司令部だけでも百名以上はいるのに,山東から来てまだ二ヵ月しかたたない私を,独身で戦闘の経験があるというので残したのだ.

開戦当時の最も大切な時だった.国境の日本軍は四散して,山の中へ逃げこみ中国人民を襲ってやっと食いつないでいて,連絡も切れてしまっていた. それに国境の町,黒河,孫呉22,海拉爾,東安,その他各地で次々に陣地,倉庫,兵舎,重要施設を爆破,放火して,街もろとも焼き払って逃げている頃だった.私は最後にはふさわしい,やり甲斐のある仕事だと思いながらも,あと二,三日遅れては,新京からだって無事には逃げられないので,独身者ばかり残したのかと思うと癪にさわった.

しかしながら,その時の私は「将校や高等文官が山ほどいる中では中尉は下積みだ.この際でも鶏口となるも牛尾となるなかれだ」と考えて,羽根がのばせることを内心喜んだ.

こうして,私の「鶏口」の生活が始まった.

がらんとしてどの部屋も泥だらけだった.机の上には茶碗が放りだされ,平素は一枚も建物より持ち出すことは禁ぜられていた通信紙が四散し,国境地帯のソ連軍陣地の作戦用大型地図は散らばたっまま風にめくられ,書棚の回りには十数冊のロシア語辞典がちらばり,タイプライターの活字がひっくりかえって,まったくふた目とみられない乱雑ぶりだ.それにヒットラーに渡した」という暗号書 ― 取り扱いを口やかましく注意していた最も大切な暗号書ー は,紙屑同様に机の上に放りだされていた.私は「おい!!一切の書類を全部外の広場へだして燃やせ」と兵隊にどなりつけた.

109「重要書類らしいのから焼けよ」 そうつけたしはしたが,どれが重要書類なのか兵隊と給仕にはわかるはずもない. 彼らがのろのろと仕事にかかるのを見て,私は回転椅子から立ち上がり,階下へ行って大ハンマーを持ってきた.そして,うっぷんを晴らすために,まだおしろい臭いタイピストの部屋に入って,数台並んでいるロシア語のタイプライターを次々に力一杯たたき壊し,活字をもみくちゃにひねりつぶし,電話器を一撃で粉々に打ちくだいた.

戻ってくると,再び回転椅子に腰を下ろした.庭で書類を焼く火の手があがり,間もなく横川中尉が入ってきた.

「おい小島,軍司令部の接待用を見つけてきたぜ」 そういいながら,模様入りの銀紙にくるまり,分厚いセロハンで包装された,見たこともない煙草や菓子を机の上に投げ出した.

「こいつはすばらしい.まるで俺達を接待するためにおいたようなものだぜ,アッハッハ」 私は愉快になった.

「それに小島,これからどうなるかわからないので,司令部の名前で銀行から二十万円借りてきておいたから大丈夫だ.軍属の料理人を残して行ったからうまいものが食えるぜ!!」 横川は手柄顔でしゃべった. 「食うよりいのちの方が大切だったんだなぁ!!」と,私は心の中で彼等を嘲笑した.

夜になった. 書類は相変わらず真っ赤な炎となって燃えている.火の粉は不気味に舞い上がり,すぐ眼の前のひとの気配もない軍司令部の建物を赤く照らしだしている.

こういう状態が次の日も,また次の日も続いた.十三日がきて最後の避難列車が出ることになった.

110私は,どうやら仕事が片付いた折だったので「しめた」とその列車で新京を逃げることにした.

関東軍はソ連軍の攻撃を阻止するために鉄道の橋梁を次々に爆破して不通にした. 哈爾浜も斉斉哈爾23も牡丹江も「重要施設」を破壊し終わって,いよいよ南を爆破する時がきたのだ. それによってソ連軍の前進を阻止し,日本軍の退路を遮断し,断末魔の抵抗をしようというのが関東軍のたった一つ残された作戦だったのだ.

各地で中国人民が反抗しているという情報を聞いたので,私はポケットの中に拳銃をかたく握りしめ,自動車で駅に向かった.

街はずれの道路の両側では,兵隊が「タコツボ」式の穴を一生懸命掘っている.

日本人の女子供まで,夜を日についで大通りに戦車壕を掘っている.食べるものもなく,もちろん,置き去りにされて,無統制の中では逃げる術もなかったのだ.

大きな軍の建物が真っ黒な煙をあげて燃え始めた.けたたましい銃声は,蜂起した中国人民を射ち殺しているに違いなかった.

最後の列車に乗り遅れたら,もう前へも後へも動けなくなる.やがて新京は火の海となるであろうし,中国人民の反抗はますます強くなるであろうし,逃げるに逃げられず,進むに進めず,八方ふさがりになる.そして糧秣も弾薬もなくなる.

私は傍受と方向探知によって,西部国境のソ連軍機械化部隊が無人の境を行くように前進しているのを知っているので,今にも眼の前に現れるような気がして,不安はますますつのってきた.

111しかし,ラジオは「我が航空部隊は西部国境より前進中の機械化部隊を爆撃し敵戦車多数を撃破せり」と,関東軍報道部発表の「戦果」を,何回も何回もたった一枚の,とっておきのレコード「愛国行進曲」とともに盛んにがなりたてていた.

これが関東軍,しかも「精鋭」な関東軍の末路だった.


証言 埼玉24県 小島隆男

撫順戦犯管理所に抑留中,戦争の罪行を認めようともしなかった私にたいし,呉浩然25先生は,よく辛抱強く指導されて,私を人間らしい人間の姿に返してくれました.

先生は,昨年来日され,空港でテレビの取材を受けた時「私は日中友好のためにあの人達[私たち]の指導に情熱を捧げました.あの人達は過去侵略者であったからこそ,平和のためにどうすればよいか,一番よく知っている」と言われました.

八つ裂きにしても飽き足らぬ加害者である私を,被害者である中国人民は,処刑することなく寛大にも帰国を許されました.以来三十有余年が経ちますが,管理所でよく聞いた呉先生の言葉「真理は必ず勝つ」を,経験の中から確信することができました.

侵略戦争の責任を明確にしない限り,真の平和はなく,侵略戦争の実態を次代に伝えることこそが,私の任務だと思います.

[1988-10]

 

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1 Kojima Takao, Oberleutnant
2 Tomo, Major, 班長
 Die Sowjetunion
4 Komatsu Mikio, Generalmajor, 隊長
5 Stalin
6 Hayashi, Generalmajor, 元ドイツ駐在武官
7 Hitler
8 Moskau
9 Leningrad
10 New York
11 Honolulu
12 Ochi, Major
13 Fujii, Major
14 Kimura, Major
15 Moriai, Oberstleutnant
16 Xinjing, Hauptstadt der Mandschurei (1932-1945); siehe 長春 Changchun
17 Kagawa, Hauptmann
18 Hyôdô, Hauptmann
19 Miyazaki, Dolmetscher
20 Ôwata, Hauptmann
21 Yokogawa, Oberleutnant
22 Sunwu, 中国黒龍江Heilongjiang省黒河Heihe地級市の県の一つ
23 Qiqiha(e)r, große Stadt in Heilongjiang
24 Saitama, japanische Präfektur
25 Wu Haoran, "Umerziehungsoffizier" in Fushun