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抗日軍兵士の壮絶な最期
師長の死

貝沼一郎1


[略歴]

一九一六年六月十三日新潟2県の東北方よりの一寒村に中農の長男として生まれ,同地の県立中学校を卒業した後, 家業の農業に従事.

一九三七年選外志願兵として,仙台3野砲兵第二聯隊に入隊.同年四月第二師団とともに中国の東北に侵略. 一九三八年六月関東憲兵隊教習隊に入隊.八年間の長年月にわたり東北の各地に路蟠踞.


がちゃん,ぎーとぶきみに軋る音とともに,留置場の扉は開かれた.薄暗いじめじめした部屋,体臭と糞の臭いの混じったような,一種異様な悪臭の中から,急ぎもあわてもせず,一歩一歩がっちりした足取りで,師長は歩いてくる.

当時,日本憲兵の中でも,人民弾圧にかけては鬼といわれた分隊長古屋治郎吉4より「今日匪賊を斬るから斬ってこい」と,お茶飲み話でもするようにいわれ,恐ろしいやら好奇心やらで,胸をわくわくさせた私は「こら早く出ろ」と,どなりこんだ.

師長は長い間の虐待と,言語に絶した鬼畜の拷問のため,体は見る影もなく憔悴し,頬は青黒くふくれあがり,髪はぼうぼうとのび,髭は顔一面埋め尽くしておった.しかし,日本帝国主義に対する怒りと憎しみは,火の玉となり,全身を燃えたぎっているかのようであった.

071この師長の闘魂に,たじたじと後ずさりした私は,素早く腰の拳銃を突きつけ「こら座れ」「座らんか」と,どなった. 師長は眉一つ動かさず,悠然と座った.

ちょぼ髭をはやした上村正男5軍曹が,そっと忍びよるように,私の背後から現れ,煙草をつき出した.

「そんな物に騙されるものか」 「貴様たちのやる事は百も承知だ」 というふうに,師長は眉をびくっと動かし,無造作に取り,火をつけた. すうと一息吸い込み,ふうと上村軍曹の顔めがけて,煙を吐きかけた.

思わぬ反抗に,上村軍曹はさっと顔をそむけた.狼狽した顔を七面鳥のように赤くしたとたん「馬鹿野郎」と,拳を振り上げたが,ぐうと投げ捨てるようにおろした. そして猫なで声で「なにか食いたい物はないか」と,執念深くくい下がっていった.

師長は,黙って座ったまま上村軍曹をじっとみつめておったが,余りにも幼稚な卑劣な手段で偽瞞しようとする鬼子の行為に対し,むしょうに腹がたつたかのように,青黒くふくれあがった顔を二,三回ぴくぴくけいれんさせたが,さりげない風に「白酒と餃子が食いたい」といった.

師長の前に白酒と餃子が運ばれた.

アルコールの臭いと餃子の何ともいえない臭いが,腹一杯食べておる私でさえ咽喉から手が出そうである.それだのに,長い間一日に握り飯二個と漬物一片,それすらも与えなかった事がたびたびあり,毎日ひもじい思いをしておられた師長,すぐ飛びつくかと思っておったが,一瞥を与えただけで072あった.

案に相違した師長の反抗にもかかわらず,上野6軍曹はしょうこりもなく「さぁ呑め」と誘った. 一口,二口,師長は無造作に呑みほした. 何か考えておるかのように,ちょいちょい箸を止め,また思い出したように呑み,呑んでは食べた.

師長の衰弱しきった顔に,ほんのりと赤味が帯びた.にたっとほくそえんだ上村軍曹は「どうだ旨いだろう」「お前が抗日聯軍の事を話したら,通匪者の事をいったら,お前を助けてやろう,どうか」と,狡猾にも騙そうとした.

この聞くに耐え難き侮辱した言葉に,限りない憤怒を燃やしているかのように,体をこきざみに震わし,口唇るように睨みつけた.

この様子に,騙す事ができないと知った上村軍曹の額に,大きい青筋が一本にゅうと立った.瞬間「こら」というや否や,飛び上がるようにして,師長の左頬を平手で殴りつけた. 師長はぐうと歯をかみしめ,胸を張り,拳を震わし,怒りに燃えた眼で,ぐうっと睨みつけた.いきり立った上村軍曹は続けざまに殴ったが,大きい眼は殴れば殴るほど,闘志を弱めるどころか,ますます生気を帯び,憎しみを強めるだけであった.そして何物にも恐れぬという不屈の闘魂が,体中に満ち溢れておった.


その夕方,師長とその部下二名を乗せた貨物自動車は,上村軍曹指揮の下に,木下治男7上等兵,美馬義一8上等兵と私の三名の鬼子に警戒され,県城西北方約六キロの山麓に運ばれた.

073その頃から降り出した雪は,みるみるうちに段々畑の沃地を覆い,白一面の中に茶褐色の高粱穀が幾条にも果てしなく走っている.上村軍曹を先頭にした鬼どもは,素足で,ところどころ皮膚が見える夏の着物を北抗日聯軍の方々を,軍刀でこじり,足で蹴とばし「こん畜生早く歩け」「この死にぞこないめ」と,聞くに耐えられない罵言をあびせ,高梁殻を踏みつけ,蹴とばしながら追いたてた.

師長は長い留置場での虐待と,言語に絶した拷問のため,体は憔悴し,そのうえ寒さのため歩行が困難になり,ちょっとの事につまずき,よろめきながらも,農民が我が子のように丹精して作った農作物,たとえば高梁殻であっても,踏み荒らすのは心もとないという心情からだろう,懸命によろめく体を引きしめ,重い足を引きずるようにして進む姿に,私はごうをにやし「こん畜生とぼけていやがる.早く歩け」「往生ぎわの悪い奴だ」とののしり,軍刀でこずき,足で蹴とばした. 師長はぐっと歯を噛みしめ,憎悪の眼を向けるだけで,顔色一つ変えず,急ぎもあわてもせず,悠々と歩いた.

先頭の上村軍曹は立ち止まった. 木下も美馬も止まった.私も師長を追い立て,正座させようとした. 師長はちらっと私に憎悪の一瞥を投げ与え,泰然自若として座った.

上村軍曹は「いうてもいわなくても殺すのだが,もしいったらもっけの幸いだ」といわんばかりの顔つきで,師長に近寄った. 「どうだいわんか」 「今いうたら助けてやろう」 「いわなかったらこれだぞ」,と自分の首筋を手で叩きながら,にくにくしげにいった.

師長は衰弱と寒さのため,血の気の引いた青黒い顔に,落ちくぼんだ両眼があたりを威圧するように鋭く光っている.祖国を熱愛し,民族を解放する崇高な事業のために,最後まで挺身する烈々たる

074闘魂がみなぎっているのだ. 師長の顔にみるみるうちに血の気がわき,眼は憤怒に燃え,枯木のような体がしゃんとなり,堅く結んだ口唇が,大きく開かれた.

とたん,腹腸にしみこむような威厳のある声で「日本鬼子」と腹の底からの罵声を浴びせた.

ぐうと握りしめておった捕縄がぴんと張った.その反動でよろよろと前のめりになった私は「危ない」と夢中で捕縄をはなし,ぐうとふみとどまりながら,手にはしっかり拳銃を握りしめていた.

この死を超越した日本帝国主義に対する凄まじい気魄に,私は眼に見えない何ものかが背後から襲いかかるような,不安な気持ちに駆られ,ここにおるのが恐ろしくなった.

美馬上等兵は震える手で兵士の方に眼かくしをした時,畑の溝に座っておった師長は,今鬼子に殺されようとしている兵士の方に体をよせ,心をよせ「節を曲げてはならない」「最後まで闘え」と励ました. 「なにをいっておるのだ.こん畜生」と蹴とばした. 美馬上等兵は蒼白な顔をし,眼は恐怖に恐れおののき,体をこきざみに震わし,さっと日本刀を振り上げた.異様な空気がただよった.

「どうした美馬 「恐ろしいのか」 悪魔のような上村軍曹の声が静寂を破った. 美馬上等兵の日本刀は,部下の兵士の首筋に斬りおろされた. 「うん」 腹腸をたち切られるような呻きとともに,兵士はどっと前に倒れた. その首筋は大きくガグーと口を開け,鮮血か泉のようにふき出た.

蒼白になった美馬上等兵は,日本刀を手にしたまま夢遊病者のように突っ立っている.血を見て逆上した私は,古参の上等兵がなす処なくぼう然としてる姿を見るや「いくじなし」「それでもお前は憲兵か」「人間はこうして斬るんだ」と美馬上等兵の日本刀をうむもいわさず奪い取り,片手で断末魔075の苦しみにもがいておられた兵士の方の髭の毛をワシづかみにして引きすり起こし,さっと斬りつけた.

眼の前で今生死をともに誓った部下である同志の一人が,日本鬼子のために非業の最後を遂げたのを見た師長は,怒りと憎しみに腹腸がにえくりかえっているかのように,眼を吊り上げ,体をこきざみに震わし,今にも飛びつき,噛み殺さずにはおかないとばかり,鬼どもをぐうとくい入るように睨みつけた.

逆上した私も,凄まじい闘魂と怒りのまなざしに「恐ろしい」……冷水がさつと背筋を流れた.

「くそ匪賊がなんだ」 「なにが恐ろしいのだ」 「俺には斬る自信がある」と,自問自答したものの,やっぱり師長のまなざしが恐ろしかった.私は素早くポケットから布を取り出し,眼かくしをやろうとした.

既に祖国のために命を投げ出しておる師長は,ぐうと胸を張り,毅然として「いらない」「俺は恐ろしくない」と落ち着いた声でいった. 師長の視線がまたたきもせずゴオクイ山9にそそがれている.

人跡未踏といわれた完達山脈が,豊穣の勃利一帯の盆地を三方から抱きしめ,果てしなく,あるいは高く,あるいは低く,黒々として連なっている.その中に,ひときわ目立ってそびえ立つ泰山,その名はゴオクイ山!

真紅の赤旗をなびかせ,日本鬼子と不屈に闘っている東北抗日聯軍の老根拠地,ゴオクイ山!

ゴオクイ山こそ,中国人民の誇りに満ちた,輝かしい闘争の象徴であるかのように,その壮大な076勇姿をくっきりと示している!

それは東北三千万中国人民を決起せしめ,勝利の確信を与え,限りなく鼓舞激励しているのだ.西方の小高き岡の彼方より,もくもくと立ち登った黒煙は,北方に起伏して段々薄く流れていった.

「ぽー」と悲しげな汽笛が,あたりの山々にこだまして,余韻長く響いてきた.

「祖国解放の崇高な事業の半ばに,今自分は不幸にもこの鬼畜の日本帝国主義鬼子のために捕らわれ,殺されていく.たとえ日本帝国主義がどのように荒れくるおうとも,六億の中国人民は必ず日本帝国主義を打倒し,ゴオクイ山上にひるがえっている赤旗は,全中国に潮のようにひるがえり,鬼子に対する血の潔斎が,近き将来必ずくる事を,堅く信じておるかのように,顔色ひとつ変えず,泰然自若として座っている.*」


「こん畜生,なにをいっているんだ」 「往生ぎわの悪い奴だ」 こうしてくれる,と日本刀でぐうっと師長の頬をついた. 師長は噛みつくかのようにぐうっと体をおこした. 「この野郎ふざけるな」 私はどなりながら師長を蹴とばした. 師長はよろよろと倒れた. 師長の頬を伝わっておちる真っ赤な鮮血は,純白の雪を点々と赤く染めた.

「鬼子殺せ」 「この仇はきっと討つぞ」 恐ろしいばかりの形相に変わった師長は,絶叫しながらどっと倒れた.

私は全身のふるえを抑えながら「なにをとぼけておるのだ.この死にぞこないめ」と髪の毛を077ワシづかみにして引きすり起こした. 「抗日軍万歳」 「中間共産党万歳」 壮絶な師長の最後の叫びは,東北抗日聯軍の老根拠地ゴオク山にぶつかり,附近の山々にこだまして,全中国に響き渡っていった.

「どうした」と殺気をあおりたてる木下上等兵の罵声に続いて「早く斬ってしまえ」と追い立てる上村軍曹の声に,私は無我夢中で日本刀を打ちおろした.瞬間ごぼーと,何ともいえない不気味な音とともに,眼の前を真っ赤な鮮血が大きな円をえがいた. と同時に,師長の体は飛び上がるように前にぶっ倒れた. その前方には,両眼をかっと見開いた師長の首が,噛み殺さずにはおかないかのように,ぐうっと私を睨みつけている.

いつしか夕闇があたりをつつみ,ゴオクイ山より吹きよせる風雪に,ぴょうぴょうと悲しげに高梁殻が泣いている.

まるで英雄師長の死を悼み悲しむかのように.


証言 神奈川10県 貝沼一郎

私は,昭和三十一年中国人民に許されて,妻子のもとに帰ることができました. 農村では就職するところがないので,東京に出ましたが,そこでも職は見つかりませんでした.仕方なく,ボタン付けや靴下の刺繍などの内職を夜遅くまでしてしのぎました. 三度の食事を二度にすることもありました.

幸い友人の世話で就職ができ,苦しいながらも,[亡]妻と力を合わせてようやく一人娘を078育てあげて,その子にも結婚させることができました. そして今では,娘夫婦と孫と一緒に幸せな生活をしております.

このような幸せな生活に報いるために,私は自分に残された日々を,日中友好と戦争に反対し平和を守る運動に捧げる覚悟です.

1988-10]

 

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1 Kainuma Ichirô

2 Niigata, jap Präfektur
3 Sendai, japanische Stadt
4 Furuya Jirokichi

5 Kamimura Masao, Feldwebel
6 Ueno, Feldwebel
7 Kinoshita Haruo, Gefreiter
8 Mima Yoshikazu, Gefreiter
9 Kloster in/bei Harbin
10 Kanagawa, japanische Präfektur