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一人を倒せば,二人三人と倒される恐怖
戦う民兵

金子安次1

莒南2の山にかぶさった雪は,まだとけきれず,まばらに白く点々と,美しい斑点のように浮き上がって見えている.

一九四二年二月中旬,莒南盆地にほど近い山東3省新泰4県内のある部落に宿営した四十四大隊の私は,部落の各家屋から,あらいざらいにかっぱらってきた小麦粉と干柿で, 「今日は一つ干柿で柿鰻頭でも作って小隊長や分隊長に一点とるか!」と,ねじり鉢巻きで両手を真っ白にしながら作っていると,不意に近くで砲声が鳴り響いた.

家がガタガタとゆすぶられ,私ははっとして,相手に「おい今のは俺の所の砲らしいなぁ」と聞いた. 「どうもそうらしいが,敵の銃声は少しも聞こえないし,あやしいぞ」 「なんにしても宿営してから出動するのはおっくうだぜ」と話し合っていたが,案の定,出動がかかった.

086少しの兵力を留守に残して,小隊は全員が出動することになったので,私はあたふたと文句を言いながら,服装を整えて,重機関銃を持って家屋を飛び出した.この附近は,東西南北どこを見ても山ばかりで,ちょうど私の大隊が宿営している部落の前に海抜四百メートル余りの岩山があって,その岩山の頂上を目標に,部落の突端に山砲一門を引っ張り出して,その傍らに大隊長国井栄一5がずんぐりした体を座らせて,眼鏡に目をそそいでいる.

小銃隊と私の小隊は,その山の前を流れている幅五十メートルもある河を渡って,山に登り始めながら,各中隊は逐次その山を包囲していった.相手がいるのか,いないのか,一発の弾丸も飛んでこないので,私たちは少し安心した気持ちで,姿勢を大きくして登っていた.

不意にパンッ!と突き刺すような銃声がすると,私の身体は本能的に岩蔭に身をかくしたが,私から十メートル位右の方に離れて,同じように,のこのこ登ってきた小銃隊の兵隊の一人が「ウーン」と悲痛な叫びをあげて,あおむけにバッタリと倒れた. 「やられたっ」 隣にいた同年兵の飯田6が呟くと,私は亀の子のように首を縮めた.

「畜生,生意気なことをやりやがる」と,分隊長の鯨井7が一人で力んでいたけれども,彼もなかなか岩蔭から出ようとはしなかった.このようにして,やっとこすっとこ中腹にたどりついて,じっとゴツゴツした頭角を現している姿を見ると,何か相手の目の前に,自分の姿がさらけ出されているように,寒気がする.恐ろしさが首筋を,ひやりと走っていった.

ここで,今までの情況を小隊長に聞くと,こうだつた.

087部隊が部落に宿営したが,部落には子供や老人が一人といないどころか,犬一匹もいない.こんな所から情報が思うように上がらず,戦果をあせった部隊長は,必ず部落民は山にかくれているに違いないと判断し,第一中隊と第三中隊に命令を出して,日の前の山を剔抉することを命じた.

一中隊と三中隊は右と左に分かれて山の剔抉にかかったが,三中隊の方が先に山の頂上に着こうとした時に,意外な反撃を受けて,一名の戦死者と三名の重傷者を出した.中隊長が声をからして,早く山を占領するようにと叫んだが,どうしても頂上には登ることはできなかった.

一中隊はこの点早く勘づいたので,この損害から逃げることはできたが,やはり,どうしても頂上には登ることができず,いったん中腹まで退いて,次の攻撃態勢をとるという始末であった.そして,大隊本部に連絡して山砲で射撃したが,その結果は,余り変わらず,ついに大隊全部で,この山を攻撃することになったのであった.

包囲が完全に終わった時に,大隊長は通訳に命じて, 「お前たちがいるこの山は,今日本軍が完全に包囲している.もし,お前たちがおとなしく降伏したなら,お前たちの命は助けてやるが,最後まで反抗するならば,日本軍は総攻撃するだろう.降伏するならば,白旗を振れっ」と,山の下から怒鳴ったが,山からきた返事は「日本の犬ども登ってきたかったら登ってこい」というだけであった.

真っ赤になった大隊長は,総攻撃の命令を下した.山砲が二門交互に射ち始め,それに呼応して,重機関銃が一斉に音を立てたが,かんじんの小銃隊は,うじ虫のように,登っているような格好はしているが,容易にはかどらないことおびただしい.

088相当長い時間かけて,頂上近くに登った頃,今まで沈黙していた相手が一斉に,小銃弾と手榴弾を雨のように浴びせてきた.

見ると黒い服を着た,頭に白い手拭いをかぶった民兵が立って,岩の上に右脚をかけ,岩蔭にかくれている小銃隊の中に,手榴弾を投げ続けているのだ. 「なんと豪胆な命知らずの人間なんだろう」と私が考えたとき,小銃隊の兵隊は,転がるように下に退いた.私が急いで機関銃をその方向に向けたけれども,もうその民兵の姿は,岩蔭に姿を消してしまっていた.兵隊は誰も頭をあげない.そればかりか,体を動かそうともしない.少しでも頭をあげたり体を動かそうものなら,小銃弾がとんでくる.体をかくすために,石にかじりつき,右手を石の頭角にのせただけでも狙撃されて,手がグチャグチャになった兵隊もあった.


中隊長がいくら後の方で「突撃だ,突撃しろっ」と叫んでも,兵隊は少しも進もうとはしない.

夕陽を受けてピカピカと重機関銃が黒光りを放っと,私の傍らにあった石が,かみつかれたようにピーンと石煙を吐いて,悲鳴をあげた.

「危ない,位置転換だ」と,分隊長の指示で,私たちは機関銃を必死に引きずって,約五メートル位の岩蔭に位置を換えた.砲弾を二十発余りも射ち込んだが,少しも効果があがらない.その証拠には,彼等の力がおとろえるどころか,こちらの方が不利になるような状態であった.小銃隊は,中隊長に怒鳴られて,やっと腰をあげて動き始めた.

089重機関銃はその方向に銃口を向けて,小銃隊の前進するために射撃した.小銃隊が頂上まで約十二,三メートル近くに接近したとき,また手榴弾が飛んでくると,兵隊の前進は止まってしまった.

ちょうどその時,さっきと同じように民兵の一人が立ち上がると,兵隊目がけて手榴弾を投げつけた.私はとっさに重機関銃の押し鉄をおすと,弾丸はその民兵の体に集中された.瞬間,民兵は棒立ちになった. 「しめた.当たった」 私は思わず押し鉄を離したが,民兵は容易に倒れようとしない.仁王立ちのまま,グッと射すように光る眼に,私は全身圧迫され,恐ろしさに,脇の下にべっとりと脂汗がにじみ出る.私はゴクリッと生唾をのみ下した.

民兵は大きな声で何か叫ぶと,右手にしっかりと握っていた手榴弾を,渾身の力をしぼって振りあげ,四,五人かたまっている小銃隊の中に投げこんだ.轟然たる爆音と黒い煙が,兵隊の発する悲鳴をよそに,むくむくと,夕闇近い冬空にはい上がっていった.

それを見てとると,民兵の体はのめるように,バッタリ倒れ,三一,四メートルゴロゴロ転げ落ちた.それを見た中隊長が「誰か彼奴の持っている兵器をとれっ」と叫んだのにつられて,一人の兵隊が僅かに胸をあげて,一メートルもはって近寄ったが,憤激の小銃弾は,彼の左胸を一瞬にしてえぐり,兵隊はそのままもう動かなくなってしまった.

その時だ,脇の方からもう一人の民兵が,ツツと素早く身をおどらせてくると,倒れている民兵の所に近寄ってきた.それ見た小銃隊の分隊長が,半身起こして,手榴弾を発火させて投げつけた.手榴弾は,その民兵から一メートル位左側の所で,シュシュ音をたてて煙をはいている.一秒,二秒,民兵は090それを知っているのか,知らないのか,民兵の死体をしっかりと右脇に抱えて,頂上にのぼろうと,力のこもった足にずれる小石が,バラバラと落ちてきた.

「飛んで火に入る夏の虫」と手榴弾の発火するのを,私は,今か,今かと待っていたが,突然,正面の岩蔭から,また一人の民兵が飛び出ると,いきなりその発火している手榴弾をつかむと,下の方を目がけて投げつけた.私ははっとして顔を伏せると,こだまを響かせて爆発した.このことは,まったく瞬間的なできごとであった.

音が消え,やっと顔を上げたとき,同じように顔を伏せていた分隊長は,音律のはげしい,ふるえ声で,たった一つの銀星にせきたてられるように,「射て,射てっ」と怒鳴った.私が銃口をその方向に動かしたとき,パンパンと五,六発の弾丸が,目の前で砂煙をあげると「やられた」と,かな切り声をあげた分隊長が,左手で右腕を握って,真っ青な,泣きそうな顔をして,「痛え,痛え」と呻き始めた.民兵は,死体をかかえて,実に悠然と頂上の岩蔭に姿を消していった.

小銃隊は,その民兵に一発の弾丸も射つことはできない.それは唖然としたよりも,一人相手を倒せば,二人,三人と倒されてゆく恐怖の意識が,私たちの戦闘意識を膠着させてしまったのだ.

突然,上から大きな石がゴロゴロと落ち始めた.みんなはさらに真っ青になった.戦友の死体どころか,自分の身体が危ない.重傷者や戦死者の死体を,そのままにほっぽり出して,やっとこ中腹の所まで逃げてきたのだった.とうとう,どの中隊もこの山を征服することはできなく,ただ多くの戦死者と負傷者が出ただけであって,しかも,ほっぽり出された負傷者の苦しい呻き声が,山の頂上近くに,091その右と左に聞こえてくる.大隊長は一人で,家の中で,わめき散らしていたが,その夜は私たちは包囲したまま,ガタガタとふるえながら,寒い夜営を過ごした.

朝,東の空が明るくなった頃,再び山砲を射ち出して攻撃を開始したけれど,不思議なことには,一発の抵抗もうけずに頂上に登ってみると,そこには一名の民兵の姿も見ることができなかった.いつ,どこから,日本軍の包囲をくぐっていったのか,中隊長も小隊長も分隊長も,どこに逃げたんだ,惜しいことをした,と言ったが,むしろホッとしたような表情であった.


昭和十八年七月の頃だと思います.場所は確か,山東省陽穀8県,部落の名称は分かりません.作戦中にこの部落に宿営した時に戦友と二人で女を探すために,家屋から家屋へと歩き回り,ある家屋に入った折に,物置に隠れていた十六,七になる少年を見つけ,半身を裸にして庭にあった棗の木に縛りつけました.母屋にいた母親らしい女の人が血の気を失った蒼白な顔で,私の脚元に膝まずき,額を地に擦りつけるようにして,その少年の命乞いに哀願したのですが,私と戦友は腹に二回,三回と銃剣で突き刺したのです.それを見ていた母親らしい女の人は,両手を上げて号泣したのです.

中国人民の寛大な政策によって私は日本に帰国を許され故郷に帰って妻を娶り,子を生み,その子が孫を生んだが,子や孫を見ている時に,折に触れ,時には夢の中に写り,大きな呷きに妻から起こされたことが度々ありました.

092幼さを残したあの少年の苦痛の顔,母親に救いを求める悲しそうな瞳,どうにもできない悲痛な母親の顔.私が生きている間は,あの情景は,私の体から消えることはできないのです.

ある著名な大学教授が,「初めて被害者から戦争の残酷な話を聞くと,感動を覚えるが,二回目に聞くと〔語り〕になる」と,言っておったが,別なある人は,「一度目に聞いた時には涙が流れ,二度目に聞いた時には涙は枯れ,三度目には怒りになった.」と.

戦争を知らない若い人たちはぜひ,私たち戦争犯罪者の話を聞いてもらいたい.書いた本を読んでもらいたい.価値のない人間の行為ではあるが,その内容には,私たちが惨殺した中国の人々の悲痛や悲しみゃ怒りが,平和への願望となって伝わってくることと思います.

現在,私の娘が中国に留学しております.そして多く中国の友人と和やかな交際をしていますが,その輸がもっと,もっと大きくなることを私は心から願っているのです. [1988・10]

 

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1 Kaneko Yasuji
2 Juna(n), Berg
3 Shandong, chinesische Provinz
4 Xintai, Kreis in Shandong, mit Kohlevorkommen
5 Kunii Eiichi, 大隊長
6 Iida
7 Kujirai, 分隊長
8 Yanggu, Kreis in Shandong