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誰がおらあに字を教えてくれたのか

松本国三1

歩兵・陸軍兵長


おらあ,今一日一日明るくなり希望を持つことができるようになった.昔,おらあなんにもわからんかった.借金の二百円証文を読むこともできず,幾らと書いてあるかもわからず,おらあの親爺の太い右ひとさし指で押した"指問"[指紋]の跡が証文に残り,ただヘイヘイと,親子で頭をさげるよりほかに道はなかった.

おらあは貧乏な漁師の息子に生まれて,子供のころから舟に乗り,親子三人で沖に出て魚を取って,その日その日の生活をしていた.雨の日も風の日も,また大"じけ"の日も,舟が波の上に,浮かんどる日は漁をした.

難儀をして取った魚を売って,一家楽しゅう暮らそうと思って,町の市場や仲買人に売ったが,安く買いたたかれ,「安い」と文句を言うと,それじゃ買ってやらんと言うので,仕方なく売った.それでもやらんと,家中かつえるようになるんで,一生懸命漁をした.

猫の手も借りたい貧乏なおらあの家じゃあ,子供のおらあでも頼りにしていた.こんなんで,行きたかった学校にも,一日も行くことができんかった.近所の,おらあと同じぐらいの子供が,楽しそうに212学校へ行っているのを見ると,おらあも行きてえなあと思い,寂しゅうでしょうがなかった.そんで家にいるのも嫌んなって,おじ[叔父]が尾道2(おのみち)の造船所で働いていたんで,おらあも工場に行って働こうと思うて,おじに工場の働き口を聞いてもらったら,工場じゃ字の知らねえ読めねえ人間はだめめじゃと言うて,おじがおらあに言うて来て,「国,お前(え)えは一人前の漁師になるんじゃ.」と言った.

おらあは行きてえ工場にも行くことができねえようになり,おらあはほんとうに町に育ったものがうらやましかった.だけんど,おらあが学校に行かんでも,誰もとがめるものはおらんかった.そればっかりか,ヘイヘイと,ただ一言うことを聞いて精出しおったのを喜んでいた.いま思うと,ほんとうに馬鹿なおらあだったと,つくづく思う.そりゃあおらあは学校に行くことができんかったし,あの古い社会じゃあ,おらあを学校に行かしてくれんかった.

おらあいま,おらあをこんなにした世の中を憎らしくてたまらん.本を読むことも,字を書くこともわからず,"親聞"[新聞]を見ることもできんかった.幸福ということを書くこともできんかったし,どんな暮らしが幸福か,"かいもく"わからんかった.だもんで,戦争がどんなもんか一ツもわからんかった.だから人様(ひとさま)が戦争へさ行ったら生活がよくなるちゅうんで,おらあとうとう戦争に行って悪いことをしてしまった.

おらあは「天皇のためだ,日本のためだ.」と信じこまされ,中国に渡って一ヵ月もたたないうちに,ある日,中国の農民の人たち三名,古い兵隊が仮標(かひょう)に縛りつけ,そこで農民の人たちが苦しんでおりました.中隊長はおらあに,

213「あの中国人を殺してしまえ,中国人を殺すことが日本の国のためになり,お父さんやお母さんのためであり,またお前も上等兵になれるぞ.」と言うた.それがおらあほんとうであると考え,おらあは,中国の農民三名を,銃剣でもって,何の罪とが[科]のねえ,おらあの親爺(おやじ)のような人を殺してしまったのです.なんという悪いことをしてしまったのでしょう.おらあ,いま胸が苦しゅうなる思いがする.

おらあは兵隊の中でも馬鹿にされ,「お前(え)えは使い道がねえから中隊の馬当番兵だ.」と,そうして作戦にゃいつも引っぱり出された.中隊の馬当番兵に五年四ヵ月間おらあは使われ,馬のように,奴隷のように使われ,人間を殺すことが何ともないようになってしまった.

おらあは,ほんとうに済まんことをした.おらあは,口でものを言っておったが,人間でなく盲になっとった.悪いという字も良いという字もわからんかった.おらあみたいなもんがよけいおって,盲にされて,戦争に行ってしもうて,みんな悪いことをした.とんでもない「神の国」がほんとうに憎うなった.

おらあは中国に来て不満もあったが,当局の人たちはほんとうに親切にしてくれ,何から何まで教えてくれました.過去学校に行ってないので,おらあは勉強したかった.そんで当局に要求をした.そうしたら,当局ではおらあに多くの本を買ってくれた.帳面も鉛筆もインキもぺンも万年筆まで買ってくれた.そしてイロハから習い始めた.班長さんは喜んで,毎日来て面倒を見てくれ,自分のことのように心配してくれた.こうして仲間から本に振ガナをつけてもらい,字を勉強して来ました.

214もう一つの方法は,部屋の人たちに本を読んでもろうて,おらあは勉強をしたのです.だから,おらあは二つの方法をもって勉強をしたのでありました.

おらあが勉強をするのに,管理所当局と部屋の人たちが,数知れない世話をしてくれました.それとほんとうに親兄弟のように優しゅうしてくれ,おらあに当局は五年間労働もさせず,またおらあに何の心配なく生活をあたえてくれ,自由に欲しい本を買ってくれました.だからおらあは,心配もせず字をならうことができたのであります.そうして,はじめて「借金」という字もわかり,証文という字もわかり,それがまたどんなもんであったかがわかるようになった.おらあは生まれてはじめて,おらあの字で書いた手紙を日本の妻んとこへ出すことができました.日本の軍隊にいたときも,書きてえと思ったが,それができんかった.

速く家内のもんと離れておっても,おらあの手で,おらあの気持を書いて手紙を出すことができんかった.おらあは寂しゅうてたまらんかった.家から来ても読むこともできんかった.いまおらあは,おらあの手で思ったことを書くことができるようになった.生まれてはじめて,おれの手で書いた手紙を,中国から家に出した.家内の者はみんな涙を流して喜んでくれた.忰から送って来た手紙も,妻の気持もわかるようになった.おらあは嬉しゅうでしょうがない.おらあは中国の人たちと話をすると,涙が出てたまらん.

いまおらあは本を読むことができるようになったし,字も書くこともできるようになった.新聞も読むこともできるようになったし,昔がどんな世の中で,いまはどんな世の中であるかがわかるよう215になった.むかしゃあ遊んで食って,銭を儲(もう)けることしか考えんかったものが,大将だったことなんか,むかしは一つも教えんかった.

そればかりかおらあを他国の中国に狩り出し,一生懸命,山や畑で真っ黒うなって働いていた中国の人たちを殺し,盗人(ぬすっと)をすることしか教えんかった.おらあにゃ,戦争なんかなんの徳[得]もなかった.

おらあ,いま何が人間のやることかがわかるようになった.これもみな,おらあが殺した中国の人びとの家族の方々から教えられ,もう二度とおらあ,あのためにならん戦争は真っ平ご免だ.そして中国のような,こんなよい世の中を作るために精出さねばならんことを知った.おらあほんとうに悪いことをした.おらあはほんとうに済まんことをした.いまおらあが自分の考えを,白い紙に書けるようになったことを考えると,おらあ何と言ってええか,言い現わしようのねえ,涙がこみあげて来てしようがねえ.おらあ戦争をせん世の中がどんなええもんかがわかった.そして中国の人たちこそ,おらあの明き盲(めくら)をあけてくれた恩人じゃ.それどころか,おらあの命も助けてもらったんじゃ.

おらあ,もっともっと字をおぼえ勉強をしよう.中国人民にもらったこの万年筆も,昔は見たこも使ったこともありゃしなかった.おらあこの万年筆で,何も彼もわかるようになった.おらあこの万年筆を,子供のうちから漕いだ舟のロやカイのように愛し,一生懸命勉強しよう.おらあいまほんとうに楽しい日々を送り,うれしゅうてたまらん.


216略歴

本籍地 広島3県尾道市古和町

出身階級 漁民

学歴 なし

職業 漁業

所属部隊 旧三十九師団二百三十二連隊一大隊二中隊

階級 兵長

被捕地年月日 東北4 四平5 一九四五年八月二十一日

 

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1 Matsumoto Kunizô, 歩兵・陸軍兵長
2 Onomichi, Ort in der Präfektur Hiroshima
3 Hiroshima, japanische Präfektur und Stadt
4 Dongbei -- die drei nordöstlichen Provinzen (遼寧省Liaoning・吉林省Jilin・黒竜江省Heilongjiang), d.h. die Mandschurei; auch: Dongsan東三.
5 Siping (chinesisch 四平市, Pinyin: Sìpíng Shì) ist eine bezirksfreie Stadt im westlichen Teil der nordostchinesischen Provinz Jilin. Siping ist der Sitz eines Apostolischen Vikariats der römisch-katholischen Kirche.