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皇軍の家庭第五中隊
日本軍隊暗黒面

高橋正鋭1

歩兵・陸軍曹長


第五十三旅団独立歩兵四十二大隊五中隊は,第五十九師団が成立した日,一九四二年四月八日,山東省(さんとうしょう)徳県(とくけん)の四十二大隊本部前で編成された.編成式の後,中隊長福田博2(ふくだひろし)中尉は,

「われわれ軍人は,天皇陛下の股肱(ここう)として皇威を宣揚し……….」 軍刀を前に立て,そっくりかえるほど胸を張って訓示をした.

「今日,五中隊は編成を終わった.中隊は軍隊中の家庭である.幹部は兵を子弟として愛護し,兵は幹部を父兄として尊敬し,たがいに信頼し,一致協力もって聖戦を遂行せよ.」 眼鏡(めがね)をきらりと光らせて訓示を終わると,ゆうゆうと隊長室にはいって行った.

福田中尉は一年志願の幹部候補生で召集され,逗子3(ずし)中学の配属将校だったが,特別志願をして第三十二師団二百十一連隊将校から,新しく中隊長になって来たのだ.

四月末「軍一二号作戦」に参加した五中隊は,作戦が終わって武城県城(ぶじょうけんじょう)の民家にはいって一日休養した.久し振りに街に入ったノンベーの塙4(はなわ)上等兵,黒向*向黒5(こうぐろ)上等兵など,五,六人,白酎(パイチュウ)をひっかけて"おだ"をあげていた.

137「おい,いくら満期前で御身大切でもよ,こんなことははじめてだぜ.」

草柳6(くさやなぎ)一等兵は雑嚢(ざつのう)を逆さにして振って見せた.しばらくがやがや話していたが,いつのまにか幹部に対する不満に話が進んで来た.

「兵隊は三十二師団から来た粒選(つぶえ)りだによ,将校が擬制弾揃(ぎせいだんそろ)いでよ,軍紀軍紀と,こうるさくて何もできやせん.」

「将校が擬制弾なら下士官は何だ,7(なまず)の野郎,がみがみ言うことは三人前だが,なんと昨日なんぞ,一発弾丸が飛んで来たら,きじみたいに堆土の中に頭突っ込みやがった.」

「班長さんの目王*目玉*は田螺(たにし)に似てる,か.口は鰐口(わにぐち)どじょうひげ.鯰さんとはよう言うた.」

向黒がおどけた口調で歌いだすと,みんなげらげら笑い出した.

「貴様ら,昼間から何騒いでいやがる.」 怒鳴り声に皆が振り向くと,うわさすればかげとやらで,例の鯰軍曹,駆け込んで来た勢いで,「パンパン」と皆の横面(よこづら)をどやしつけた.

「貴様ら,三年兵面(づら)するのは早いや,真昼間からチャンチュー飲みやがって,上官の悪口ほざくやつはこうしてくれる.」

木魚(もくぎょ)が暴(あば)れ出しでもしたように,顔いっぱいの大口を開けてがなると,めちゃくちゃに皆を殴り出した. 「がーっ.」 目から火花が出て,思わず向黒は鼻柱を押さえた.その指のあいだから赤いしずくが糸を引いて土間に落ちた.

「くそっ,やりやがったな畜生.」(かん)[オンドル]の上に飛びあがった向黒は,いきなり小銃をとると138「ガチャン」[と弾丸を]装填(ぞうてん)した.彼のけんまくにびっくりした鯰は,泡を食って室を飛び出した.血相変えて追いかけようとした向黒に,「待て,向黒,満期が遅れらあ.」 塙が銃床を摑んで引きもどした.うらめしそうに鯰の後を見送っていた向黒は,

「野郎,鉄砲弾丸(てっぽうだま)は前からばっかりとんで来ると思っていると大間違いだぞ.よくおぼえておけ.」 大声で怒鳴ると炕の上へごろり横になった.

それから四,五日後,中隊は館陶県(かんとうけん)に移動した.その日,福田中尉は全員を整列させて,武城での事件を発表した後,

向黒上等兵は上官を侮辱し,暴行を加えたかどにより,軍法会議に送り処断すべきであるが,本人の将来を考慮し,いっさい処罰を加えない.」と,「慈愛」を示し,「本事件は中隊長以下全員で責任を取る.よって中隊は,本日以降禁酒する.」と宣言した.

こうして五中隊は禁酒中隊となった.だが中隊では,酒保用も糧秣(りょうまつ)用も,酒は毎月欠かさず本部から受け取っていた.そして倉庫には,月末になると酒もビールも残っていなかった.しかしこれはけっしてふしぎなことではなかった.衛門前の食堂では,夜十二時過ぎまでも幹部連中はさわいでいたし,隊長や浅野8(あさの)准尉,箕輪9(みのわ)曹長らは,歩哨の前を酒くさい息を吐きながら帰って来た.こうしたなかで,呑み助の中には,当番室を偵察する者もいた.

「おや,酒くさいな,剣持10,貴様,当番室なんかにもぐり込みやがって,おさがりをやっているんだなあ.」

139夕食後,ぶらっと隊長室にやって来た金子11兵長は,同年兵の剣持上等兵をなじった.

「馬鹿言い[え],酒なんかあるもんか.」 剣持の言うのを後に聞きながら,金子は鼻をぴくぴくさせながら,戸棚をガタピシいわせて掻き回したが,当番室には何も置いてなかった.ちょうどこのころ「幹部集会所」-福田中尉,浅野准尉,箕輪曹長に炊事の神田軍曹などは,何回も浅野准尉の室に集まって神田軍曹の作った特別料理で会食していた.-では,兵隊たちがそばにもよりつけないような料理を並べて,会食していた. 福田中尉は,明日箕輪曹長を本部に出張させるためにスキ焼鍋なつつきながら,前渡金支払伝票にハンを押していた.

「おい箕輪これはどっちがほんとうかい.代弁所の請求は五七0円になっているのに,支払は八五0円になっているがのう.」

「は,隊長殿,請求書のほうはこれです.」 紙ばさみをひっくり返していた箕輪は別の紙を出して福田に渡した.すると浅野准尉が,「隊長殿,そりゃ箕輪のやりくりですよ.自家用会食費や出張費の元ですよ,はは……….」とつけ足した.

このように兵隊の給与費は,半分近く削り取られるので,毎日ナッパ汁ばかり食わされていた.兵隊たちはだまっていなかった.彼らは脱柵(だっさく)で幹部に抗議し始めた.毎晩のように脱柵事件が続出したしかし一人として,捕まる者はなかった.隊長始め幹部連中は,大童(おおわらわ)になって,脱柵防止策をこうじた結果,編(あ)み出したのが軍紀訓練と称する銃剣術だった.

九月のはじめから,毎日営庭からは一種の悲鳴に似た声がひっきりなしに聞こえていた.兵隊たち140は二組に分けられ,二時間近くもたがいに突き合わされたあげく,後の時間は,腕自慢の浅野准尉,箕輪曹長の二人で兵隊を一人ずつ相手にしては,くたくたになるまで突きまくった.

兵隊たちは,また新手の戦術サボをやり出した.頭が痛い,腹が痛いと言う兵隊がふえて,半分も出なくなってしまった.

こんな所へ休暇で日本に帰っていた菊谷12(きくや)軍曹が戻って来た. 菊谷は,隊長に兵隊がサボっているから一つ気合のかかった所でよりをもどしてやれと言われ,木銃を持って兵室を見回った.皆が剣術に出てしまった後,草柳と鈴木13が花札(はなぶた)「六百(ろっぴゃく)をやっている所を見つけた彼は,

「この野郎ども,剣術サボって,花,やってるとはなにごとだ」 怒鳴るが早いか,二人の胸倉を,ぽんぽんと,木銃で力いっぱいに突きとばした.はずみをくって草柳はひつくりかえると,寝台の角にいやというほど頭をぶっつけた.

「くそ野郎,そんなに剣術やりたけりゃ,野戦の剣術を教えてやらあ.」言うが早いか,草柳は壁にかけてあった剣を引っこ抜くと,菊谷に飛びかかった. 菊谷が逃げ出す後を,草柳はいつまでも追っかけた.こんなことがあって,人事係准尉の浅野は,私的制裁ではどうにもならぬので,脱柵を捕(とら)えて軍法会議に送って見せしめにすることを福田中尉に進言した.

鈴木久夫は賭博と脱柵の常習者だった. 十月のある晩,彼が脱柵した後,将校下士官全員で,入口から要所要所を押さえてしまい,とうとう彼は捕(つか)まった. 浅野准尉の室で,彼は隊長と准尉の尋問を受けたが,彼は悪びれずにこう言った.

141「自分を軍法会議に送るなら送ってください.自分は一人だけでは行きません.」 「貴様,何を言うか.」 あわてる准尉を尻目に,

「二重の支払伝票と,食堂の親爺とぐるになってヘロ[阿片麻薬,ヘロイン]を売る,これだけの材料があれば十分すぎます.」

平気で言ってのける彼には,もう手のつけようもなかった.

中助(ちゅうすけ)[中隊長]は食堂の給仕をはらませた.朝鮮人とぐるになって阿片(アヘン)を売っている.親爺(おやじ)が模範を示すんだから何やってもかまわん等々,もう中隊の中は指揮系統も上官もなかった.隊長の片腕だった炊事の神田軍曹は,神経衰弱で入院してしまい,予備さんの菊地14軍曹や金丸15軍曹は,三年兵と満期の話に花を咲かせるぐらいだし,菊谷軍曹は箕輪にはにらまれ,兵隊には一番恨(うら)まれていて,中隊の幹部のあいだは,まったくばらばらだった.

こんな状態を立て直すために,大隊本部では鈴木少尉,広直16曹長の二人を,新しく五中隊に配属させたが,かえって新旧の派を作っただけで,何の足しにもならなかった.そして,中隊は何かの衝撃があれば,ばらばらになる寸前まで来ていた.

そして,その年の瀬もせまった十二月二十四日,下士官以下二三名の転出人員差し出しの命令を受け取った.この機会に要注意者全部を払い出そう,そうすれば中隊は立て[直]る.これが隊長,准尉の腹だった.兵隊が騒ぐのを恐れた福田中尉は,出発の前日,金丸軍曹以下二三名の者に転属を言い渡した.

142「どこで働くもお国のためだ.誰かが行かなくてはならぬ.命令だ.今日は一つ盛大に歓送会で,お前らの労をねぎらい,前途をお祝いしよう.」 しかつめらしく,浅野は酒で彼らを釣ろうとした.

その晩,衛門前の食堂で,転属者の歓送会をしたが,塙らは,この機会を利用して,中隊長以下に反動をとった.十時過ぎまでには,将校も下士官もすっかり酔っぱらわされて,中隊に追いかえされてしまい,御目付役はふいになってしまった.そして十二時過ぎころには,向黒や塙ら六~七名が残るだけとなった.彼らはこのまま出発の時間をおくらせて,隊長以下に一泡ふかせるつもりで,とうとう翌日の出発時間十時を過ぎても,食堂から腰をあげようとしなかった.

十一時半ころ,日直将校代理日下寛文17(くさかひろたけ)曹長が出発のとくそくに行ったが,追いかえされて来た.事務室の中は,不安な空気がみなぎった.

「だだーん」 衛兵所付近で銃声がしたと思うと,衛兵司令佐藤18(さとう)兵長が,銃も持たずに青くなって駆けて来るのが見えた.その後から塙上等兵が銃を振り回しながら,ふらふらとやって来る.

「暴動」 福田中尉は真(ま)っ青(さお)になってしまった.肩章(けんしょう)のことなどもう彼の頭の中にはなかった.すっかり小ブルのインテリに立ちかえってしまった彼は,刀をひっ摑(つか)むと,裏門から一目散(いちもくきん)に逃げ出してしまった.こうなると,もう肩章は光らなかった.将校も下士官も,皆,思い思いの方向へちりぢりになって,塙を取り押さえようとする者は一人もいない.命あってのものだねだった.

銃声を聞いて食堂から向黒と草柳が出て来て,塙といっしょになって事務室にはいったころは,兵営の中は,どこも皆人っ子一人いなかった.酒の勢いが手伝って,彼らはもう階級に縛られて143いなかった.酔いどれの集まりとなって,怒鳴ったり,わめいたり,手当りしだいにぶち壊(こわ)して歩いた.無線機も交換機もガラス戸も戸棚も満足なものが,一つもなくなるまで壊(こわ)してしまうと,三人は,ふらふら街へ出た.こうして三時間あまり,発砲したり,叩きこわしたりして,疲れて兵舎にもどって来た.兵舎の中には転属する者だけが,いつのまにか集まって来ていた.

「おい,もういい加減にして出かけようか.」 金子兵長がこう切り出すと,塙は,

「すっかり溜飲(りゅういん)がさがった.ぼつぼつ出かけるとしようか.」と応じて,支度(したく)をして皆自動車に乗った.

事務室を逃げ出した箕輪曹長は,城門にいる「保安隊」の寝台にもぐりこみ,虱(しらみ)だらけの布団をかぶって小さくなっていた. 菊谷軍曹は城外の望楼の中に逃げ込んでしまった.

福田中尉は大あわてに城門を飛び出すと,張官塞(ちょうかんそく)分屯隊に向かった.日頃(ひごろ),一個小隊の兵力と「保安隊」一00名に護衛されなければ,絶対に行かなかった二0キロの道を,一目散に走った.その後を,浅野准尉,日下曹長,広直曹長の三人がくっついて行った.

福田中尉は,張官塞につくと老百姓(ラオパイシン)を呼んで,館陶第五中隊に暴動勃発(ぼっぱつ)す,急援頼む.」と走り書きした電文を邱県鹿野隊に持たせてやった.この電報は,その日,夜十時,大隊本部に着いたが,十二軍の監督無線が傍受し,「皇軍」未曽有(みぞう)の大事件となった. 山東省内の各大隊でも,発砲事件や上官暴行はたくさんあったが,それらは皆,大隊あるいは中隊幹部が,自分の点数のさがることを恐れて公(おおや)けにしなかっただけだった.

144十二軍参謀は,直接この事件の取調べをして軍法会議に送った. 一九四三年二月二十二日館陶事件公判」済南(さいなん)十二軍臨時軍法会議法廷」でひらかれ,塙,向黒二人は,暴動首班として死刑,草柳には無期が宣告された.このほか関係者七名の兵隊には,合計十五年半の徒刑禁錮が宣告されたのに,将校と下士宮は,鈴木少尉と日下曹長のたった二人に合計二十二ヵ月の禁銅が言い渡されただけだった.こうして,館陶事件」は終末をつげたが,この「皇軍家庭」内の事件の結末は,下の者には苛酷(かこく)に,上の者には軽いことを,はっきり示した.


略歴

年齢 四十歳

本籍地 新潟19県東頸城20郡松代21村大字国沢

出身階級 農民

最終卒業学校 松代村尋常高等小学校

其の後の職業 農業

最後の部隊名 第五十九師団工兵隊第二中隊

職務階級 小隊長 曹長

被捕年月日 一九四五年八月二十三日

被捕場所 朝鮮咸鏡南道22咸興23市北郊朝陽面

 

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1 Takahashi Shôei, Hauptmann
2 Fukuda Hiroshi, Oberleutnant
3 Zushi, Stadt, Präfektur Kanagawa
4 Hanawa, Gefreiter
5 Kôguro, Gefreiter
6 Kusayanagi, Gefreiter
7 Namazu, Feldwebel
8 Asano, Oberfeldwebel
9 Minowa, 曹長
10 Kenmochi, Gefreiter
11 Kaneko, Obergefreiter
12 Kikuya, Feldwebel
13 Suzuki Hisao, Leutnant
14 Kikuchi, Feldwebel
15 Kanemaru, Feldwebel
16 Hironao, 曹長
17 Kusaka Hirotake, 曹長, 日直将校代理
18 Satô, Obergefreiter
19 Niigata, jap Präfektur
20 Higashikubiki, Landkreis, Präfektur Niigata
21 Matsudai, Dorf in Präfektur Niigata
22 Hamgyeong (Hamgyŏng, 함경) namdo, Provinz im heutigen Nordkorea
23 Hamheung (Hamhŭng, 함흥), Stadt im heutigen Nordkorea