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放火
母子もろとも農家を焼く

鈴木良雄1

歩兵・陸軍一等兵


一九四一年九月,独立歩兵第四十三大隊が莱蕪2県地区を討伐したときのことだった.なだらかな山々に囲(かこ)まれ,箱庭のように美しく見える部落茶葉口3(さようこう)には,静かに朝食の煙りが立ちこめていた. 部落に接した野菜畑では,もう人びとはせっせと鍬(くわ)を打ちふっている. 木々の梢(こずえ)では小鳥がさえずり,御飯の仕度でもできたのか,婦人や子供たちの呼び合う戸が谷間にこだまして,遠一く近く山びこになって聞こえてくる.

突然,「部落掃蕩,火をつけろ.」という大隊長中佐山内静雄4(やまのうちしずお)の命令が伝わるや,道端や畑の中で,小銃を抱いたままごろんと横になっていた兵隊たちは,いっせいに立ちあがった.彼らは,昨夜一晩じゅう歩き回った疲れなど忘れてしまったかのように,血刀をさげ,銃剣をきらめかして,われ先にと部落に襲いかかって行った.

数分前まで,なにごともなく和(なご)やかだった部落に,日本兵の怒声がひびく. 塀や扉を叩き壊す音.

けたたましく鳴きたてる鶏の声.荷物を背負って山に退避する人びとの群れ………. 村には大混乱が巻きおこった.

093そのとき部落の中央の家から真っ赤な炎が燃えあがり,つづいて二ヵ所,三ヵ所. 炎と黒煙は龍巻きのように燃えあがり,猛火は家々を包み,部落全体は一瞬にして火の海と化してしまった.パチパチ,パチパチ,パチパチ,高梁(コウリャン)殻や木の節がはねる音. 人を射ち殺す銃声. 女や子供たちの救いを求める悲鳴.阿鼻叫喚(あびきょうかん)は怒りとなって,周(まわ)りの山々をふるわせ,静かだった村,美しかった村はたちまちにしてこの世の生地獄と変わってしまった.一00戸あまりの家が一軒残らず焼き払われ,逃げおくれた婦人や子供,老人や病人,数十人の人たちが,家もろともに焼き殺され,あるいは刺し殺されてしまった.

屋根は落ち,燃える物はすべて焼きつくされ,土塀と石で作った家の壁だけが残され,めらめらめらと,地上をはうような下火の中から,人肉の焼ける異臭がただようてきた.もう村には人影一つ見あたらない. 廃嘘と化した村を見ていた大隊長は,大激戦でもして勝ち誇ったかのように,一周を怒らして前進命令をくだした. 兵隊たちは,幾つもマメをでかした足にびっこを引きながら,谷あいの道を,長蛇の列をなして,また南へ向かって歩き出した.

やがて半道[半里]も歩いたか,小さな峠を越したときのことだった. 私たちが歩いている道路から,五,六00メートル離れた山の中腹に,小さな農家が五,六軒立ちならんでいた.これを見た大隊長は,

「おい初年兵,誰か行ってあの家を焼いて来い.」と馬上から命令した.

部隊長からほめられるのはこのときだと思った私は,094いいだ

鈴木をやらしてください.」と,真っ先に飛び出した. 分隊長の飯田5伍長から選ばれた,私以下三名の初年兵は,はじめての手柄(てがら)を立てようと,喜び勇んで駆け出した. 南に面してカギ形になった質素な家の軒には,きれいに吊るされたトウモロコシが,太陽の光を沿びて真っ黄色に輝いている.庭にすえられた石臼(いしうす)では,つい先刻まで仕事をしていたのであろう,高梁の粉がひきかけてある.

ふいに侵入した私たちに驚いた一人の老婆は,おどおどしながら,なにか分からない中国語で,私たちに話しかけた.

家の入口のそばで,頭に赤いリボンをつけた五,六歳の少女が,鶏に餌をやっては,楽しそうに遊んでいる………. 労働を愛し生活の中で幸福を求めているこんな美しい姿を見ても,そのときの私には,かえって醜(みにく)いものにしか見えなかった.

老婆が何を言おうが,相手にもしない私は,庭に積んである粟殻(あわがら)を一把引き抜くと,手早くマッチをすって火をつけた. 驚いた老婆は,私のそばに走り寄ると,手を合わせて家だけは焼かないでくれと哀願した.だが火をつけることにばかり夢中になっている私に,老婆の気持など分かるはずがなかった.

「うるさい婆あだ.」

「おれの知ったことじゃねえ,部隊長の命令なんだ.」

「文句があるなら部隊長のところへ行け.」……… 私たちが手に手に藁束(わらたば)を持って家に火をつけようとしたとき,老婆は私の前に立ちふさがり,片手で小さな胸をおさえながら,また子供のほうを指さしながら,095必死になって救いを求めた. しかし逆上していた私は「じゃまだ.」と,床尾板[小銃の台尻]で老婆の胸を突きとばした.

「アッ.」と言って仰向(あおむ)けに倒れる老婆に,「お婆ちゃん.」ととりすがった少女の,悲しそうな瞳が,私の顔を見すえた.

「チェッ,小憎らしい餓鬼(がき)め.」

私たち三人は,火のついた藁束をたいまつのようにふりかざして,家の周りじゅうから軒づたいに点火した.火はパチパチ音を立てて燃え広がって行く……….

いつのまに,どこから駆けつけたのか,五十歳ぐらいの老婆が二人,屋根にのぼって何か大声で叫びながら火を消し始めた.十一,二歳の女の子と,七,八歳の男の子が四,五名,わずかばかり溜めてある水ガメの水を小さなカメで運んでは,梯子(はしご)をよじのぼり,屋根の上の老婆に渡している.老婆や子供たちが幾ら懸命になって消しとめようとしても,乾き切った藁屋根に燃えうつった火は,ごうごうと音をたてて燃えひろがって行く. これを見た三人の日本兵は,「アッハッハ,馬鹿なやつらだ.」と声をそろえて笑った.……… 戦争に負けたち家ぐらい焼かれるのはあたり前だ.私はつづいてつぎの家に点火した.

三軒目の家にうつった私は,コの字形になった家の一角に目をひかれた.それは,わりあいに新しい建物で,入口の扉には菱形(ひしがた)に切った赤い紙に,喜と書いた字がツガイのように二つ並べて昨られ,その両側には幸福と書いた字が貼られている.

096ちょっときれいな家を見れば,真っ先に飛びこんで獲物を探していた私は,何かないかと,その真新しい家に飛びこんだ. 「アッ.」 私はびっくりして立ちすくんだ. 山東6省一帯では,どこへ行っても見られるように,それはきれいに飾られた新夫婦の部屋.天井は真っ白い紙で貼られ,壁にも模様のついた色紙が貼られている. はだかでえんこしているキューピーさんのようなまるまる太った子供の絵が,両手をひろげて笑いかけている.明かるいきれいな部屋の中で,二十四,五歳と思われる若い婦人が,花模様の布団にくるまって寝ているのでした.

「支那人のくせに.」……… 私は,燃えるような嫉妬と獣欲にかられ,ググッと二,三歩近づいた瞬間,ふたたびぎくっとして立ちすくんでしまった.

「おぎゃあ,おぎゃあ.」という赤ん坊の泣き声に私は自分の耳をうたぐるように聞きいった………. 力つきたように蒼白な婦人の顔,なおもつづく赤ん坊の泣き声………. それはいま,出産したばかりの婦人だった.

「産後の女か」………瞬間,私の脳裡には,姉がお産したときのことがちらついた.男の子が生まれて喜んだ母の顔,貧しい生活の中にも産後だけはだいじにしなければと,姉のそばにつきっきりで世話してやった母の姿……….

表へ飛び出した私は,どうしようかとしばらく躊躇した.だが,そんなことは知らない二人の仲間はもう他の二棟の家に点火している.

「えい,かまうもんか.おれはあの女を殺そうというのじゃねえんだ.ただ家に火をつけるだけなんだ.097命が惜しければ勝手に逃げ出すだろう.」 私はたいまつを持って軒下に火をうつそうとした.

そのとき,どこから出て来たのか,六十過ぎた白髪の老婆が,前に立ちふさがり,わなわなと両手をふるわせ,この家だけは焼かないでくれと何べんも頭をさげ,………私を殺してもいいから嫁と子供ただけは助けてくれと,目にいっぱいの涙を溜めて救いを求めるのでした.

「おらあ知らねえ,部隊長の命令だ.」

「火をつけさえすれば,それでいいんだ.」

手を伸ばして火をうつそうとする私に老婆はすがりついて来た.だが正気を失っていた私は,「うるさい,おいぽれめ.」と,しこたま老婆の腰をけりあげた. よろよろッとよろめぎ倒れる老婆を見むきもせず,屋根裏めがけて点火した.

「畜生,人でなしめ.私は百姓なのに何の罪があるのだ.」

老婆は叫びながら,ころげるように家の中にはいって行った.神に祈るのか,救いを求めるのか,老婆の悲痛な叫びが,………激しくなった赤ん坊の泣き声が,私の心臓をえぐるように聞こえてくる.援の毛をふり乱した老婆は,ふたたび入口に立って救いを求めて絶叫している.

「婆あめ.」 私は夢中で老婆を突きとばした.ぱったり仰向けに倒れた老婆は,両拳(こぶし)を握りしめ,あらんかぎりの力をしぼって,「私は百姓だ.」と言いつづけた. 背筋に冷や水をかけられたように恐ろしくなった私は,「えい,どうにでもなれ.」と火のついた藁束を,つづけざまに入口めがけて投げこんだ. 「これでもか.」 つづいて高梁殻を投げこんだ. 入口からはもうもうたる煙がふき出し,家の中は098一寸先も見えなくなった. 煙にむせたのか,老婆の叫びもだんだん聞こえなくなって来た. 「ざまを見やがれ.」 私は,部厚い入口の扉をビシャッとしめきった. 見る見るうちに家全体は悪魔のような炎につつまれてしまった.

ああ,この老婆は,私のおふくろと同じように,土にまみれて働き長年苦労をしつづけて,ようやく息子に嫁をもらい,初孫の顔をおがんで喜んでいたやさしいお婆さんだったのです.それなのに,私は,この美しい,お婆さんの人間として当然の願いを,「うるさい.」の一言で踏みにじり,何の罪もない三人を,残酷にも焼き殺してしまった.

このようなことは,私の行くところ,日本軍の行くところ,どこでも茶飯事(さはんじ)のように行われたのだ.

そのときから人間性の一片すら失った私は,全山東省にわたって虐殺,拷問,強姦などありとあらゆる蛮行(ばんこう)を犯した. いまその罪深い行為を思うとき,ただ慚愧に堪えません.

戦争………戦争こそ,この世の地獄です.


略歴

私は農村の貧しい精米業者の子供として生まれ,小学校八年を卒業し, 家業を手伝っていましたが, 一九四0年十二月,中国に侵略し,独立混成第十旅団独立歩兵第四十三大隊に入隊しました. 一九四一年九月,大隊討伐に参加し,山東省莱蕪県茶葉口付近において,私が一等兵のときおこなった罪業です.

 

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1 Suzuki Yoshio, 歩兵・陸軍一等兵, hat später viele Artikel verfaßt und an dem Film Riben Guizi mitgewirkt
2 Laiwu, Kreis in Shandong, nach 2-07 vielleicht auch: Regierungsbezirk 地区 Laiwuxiang 莱蕪県
3 Cha-xie/ye/she-kou, Siedlung 部落 in Laiwu
4 Yamanouchi Shizuo, Oberstleutnant, 大隊長
5 Iida, 伍長
6 Shandong, chinesische Provinz