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5

陰謀
衛河の決壊

難波博1

歩兵・陸軍少尉


瀋陽2(しんよう)奉天3(ぼうてん)参観によって中国の発展が物凄い勢いで社会主義に向かっていることをこの目で見た私は,その後,新しい気持で画報や,『人民中国』に心を惹(ひ)かれるようになっていた.ある日,私は奇麗(きれい)な表紙のついた『人民中国』を読んでいると万里(ばんり)の長城4(ちょうじょう)と並んで,世界にその名を知られている中国古代の三大工事の一つ[である]大運河5のことが載っているのを見て,ハッと胸を締めつけられる思いで本を置いた.

それは十三年前………荒れはてて川舟がやっと通れるぐらいの運河に,今………天津6(てんしん)から臨清7(りんせい)まで四九0キロの間を,立派な汽船が通っているということで,びっくりしたのはもちろんだったが,当時,旅団情報主任少尉であった私が,雨期を利用してその運河の堤防を決壊し,甚大な被害を中国人民に与えたことを,まざまざと思い出したからであった.

七世紀の初めに随(ずい)の煬帝8(ようだい)によって計画され,数万の中国人民の尊い生命を犠牲にして開鑿(かいさく)した067二,五00キロの長さにわたるこの大運河は,暦代の皇帝の支配の道具にされていた.けれども,それでも蜿蜒(えんえん)とつづく流域の田畑をうるおし,農民の生活を豊かにしたばかりでなく,農産物や工芸品,鉱産物を交流して,人びとに幸福をもたらし,歩かなければどこへも行けなかった人びとを速くまで旅行させて来た.

だが,私たち日本軍が中国を侵略してからは,この川を利用して,農民が汗水たらして作った棉花や穀物を奪いとったばかりでなく,部隊が「討伐」や軍事輸送に使うためのものとなり,中国人民は自分の国で自分たちの川を自由に旅行することもできなくなってしまった.そのうえ中国の人びとは,日本軍の弾薬や棉花を積んだ船を,千三百年前皇帝の船を曳(ひ)いたように,肩をすりむき,血の出る裸足(はだし)で曳かなければならなかった.そして,ところどころ五十九師団の堤防決壊によって,一00万人以上の人びとが直接水害を受けたのであった.

私たちの駐屯していた山東9省徳県10(さんとうしょうとくけん)や臨清では,この大運河を南運河11(みなみうんが)といい,衛河12(えいが)とも呼んでいた. 衛河は川幅三~四0メートルの川だったけれども,やっぱり運河だけに,日ごろは少量の黄色く濁(にご)った水が澱(よど)み,ごみが浮いている川であった.

一九四三年八月………いつやむとなく,毎日毎日降りつづく雨に,その衛河の水は一寸一すふくれ上がって行った.

徳県の臨清の水路輸送隊は,毎日の水量を泰安13(たいあん)の師団司令部に報告し,私は,何度も増水状況の068偵察に出かけた.もうそのころは,いつの間にか堤防すれすれになった濁流が,白波を立て渦を巻いて徳県人道橋(じんどうぱし)を揺り動かしていた.

そんな現状の中に,あわただしく師団の折田14(おりた)参謀が視察にやって来て,旅団長田坂八十八15(たさかやそはち)と顔をつき合わせて相談してからは………,人道橋付近で土嚢つみに狩り出されていた住民が今まで以上に日本兵の銃剣に追いまくられるのが目立って来た.堤防のもっとも弱い箇所が,濁流に横っ腹を見せて走っている津浦16線」(しんぽせん)鉄橋の上流五~六00メートルのこの付近だったからである.

津浦線およびその要域を確保すること.」 これは旅団長の頭の中にこびりついた師団の重要任務であったことは言うまでもなく,私とても,津浦線が流されたらたいへんなことになるということは,骨の髄まで浸(し)みこんでいた.

私が初年兵教官当時,警備区域の鉄道が破壊され,列車が転覆したときなど,大隊長五十君直彦17(いそきみなおひこ)が何ヵ月も将校や兵隊の外出禁止を言いつけて「匪賊(ひぞく)を捕えるまでは討伐をやめない,といってあわてたのも,また蜿蜓(えんえん)とつながる天津から浦口18(ほこう)までの鉄道沿線遮断壕を,中国人民の恨みの中に,墓を掘りくずし,家を倒してむりやりに作りあげたのも,みんな鉄道を守るためであった.

それは満洲から南支19にいたるまでの軍事輸送や,山東で言えば博山20(はくざん),溜川21(りゅうせん),華豊22(かほう),新泰23(しんたい)などの石炭や,金嶺鎮24(きんれいちん)の鉄,南定25(なんてい)の礬土頁岩(ばんどけつがん)[石油のとれる岩]などの地下資源を略奪し,日本に持ち帰らなかったならば,戦争をつづけることができなかったし,穀倉と言われた山東の農産物を運び出すために,戦争屋にとってはなくてはならぬ生命の綱の役目をはたしている鉄道だったからである.

069その鉄道が,いま危機に瀕(ひん)している.この鉄道が流されたら,旅団長や師団長の地位も,それといっしょに流されてしまうことは,火を見るよりも明らかなことであった.

折田参謀が帰ってからまもなく,私は旅団長室に呼ばれて行った.

津浦線と徳県を守るために衛河を決壊する.お前はその地点を選定せよ.」というのであった.

決壊個所は,もちろん左岸にきまっていた.右岸の館陶26(かんとう),臨清(りんせい),恩県27(おんけん),武城28(ぶじょうけん)などには,日本軍の陣地が横たわり,偽政府を配置して,この地区からは棉花や小麦など思いにまかせて取りあげることができたドル箱であったのに反して,左岸は手をつけることがむずかしい解放された地区だったからである.

左岸は,右岸とはまったく趣きがちがったところで,農民は八路軍(はちろぐん)にまもられて,地主を追い出し,誰にも軽蔑されず,自分たちの作ったものは自分たちに収め,自分の土地や家畜を持って,だんだんと幸福な生活を築きあげ,祭や,月に一度はめいめいが作ったものや,家畜,布地から衣服類まで持ちより,欲しいものを買い,若い男女は楽しそうに肩を並べて歩き,年寄りはそれを見て楽しむといった,美しい心の持主たちの豊かな生活が営まれていた.だから,ときどき人殺しと物盗りに日本軍がやって来ると,みんな力を合せて戦っていた.

私はこの解放区には,なかなか攻め入ることができないのをよく知っていた. 邱29(きゅうけん)というところに一個小隊つれて駐屯していたときも,毎日二,000名の八路軍の包囲下にあって,県城(けんじょう)に釘づけに070なっていたし,高村30(こうそん)の一個中隊も,付近がやっと歩けるだけで,とても思うようには略奪や討伐もできなかった.師団随一の猛者(もさ)として,自他ともに認めていた広瀬31部隊を,この地区に対抗して配置しても,どうすることもできないぐらい侵略を防ぐ力は強まっていた.

「ちょうどいい………日ごろではとてもできることではない!この衛河の増水を利用して八路地区に水を流し込んで,八路も農民も一挙にやっつければ………,徳県津浦線は守れるし,一石二鳥の名案と言うもんじゃよ,ハッハッハッ.」

旅団長の高笑いがガンガンと部屋中ひびき渡った.

「ハァ,よくわかりました.」

私も「なんと名案だろう.」と快哉(かいさい)を叫びたい気持になっていた.

部屋に帰った私は,自分にこのような大きな任務を与えられたことに内心誇らしさを感じ,早速,軍用地図を持ち出して来て,煙草をくゆらせながら決壊地点を探しにかかった.七世紀の初め中国人民の祖先によって作られた偉大な衛河は,私にとっては図上の一本の線にしか過ぎず,歴史以来耕され,いまやっと自分の手にもどった土地になり,いま正(まさ)に粟(あわ)や高梁(コウリャン)の黄金のうねりがうねっている畑も,私にとっては図上の平地に過ぎなかった.私はその線と平地を見くらべ,なんとか解放区へ水を流し込む一番よい地点をと,ただ土地の高低のみを探し求め,とうとう館陶と臨清の中間,千塚鎮32(チェンジュンチェン)付近を決定した.

「ここを決壊すれば濁流はこの凹地を伝って曲集33(きょくしゅう)の飛地,館陶邱県方向へ流れ,八路地区を071かならずやっつけることができます.」

旅団長室にふたたびやって来た私は,得意気(とくいげ)に言うと,

「よろしい!その通りすぐ電報を打て!」

旅団長はいとも無造作に答え,私が起案した電報にゆっくり花押(かおう)を書いた.

臨清からは折り返し『部隊は旅団命令にもとづき雨中を衝(つ)いてすでに行動を開始せり.』と電報を打って来た.こうして魔の手はすでにその日のうちに,何も知らない平和住民の上にのびて行った.それは八月下旬のことであった.

雨はまだ降りつづいていた.けれども,衛河の水はこれでだんだん引いて行くであろう.」 私はすっかり安心して,退庁すると夕飯も食わずに浴衣に着かえ,雨傘(あまがさ)をさして料亭丸山(まるやま)へ酒と女を求めて出掛けて行った.


やっと雨はあがり,流れ雲が飛ぶように東に走っていた.旅団が命令した決壊だけでは,怒り狂った衛河の濁流をすぐ静めることはできなかった.それから一~二日後,臨清県衛河堤防上にある大橋(たいきょう)分哨の警戒壕の中に溜った雨水と衛河の濁流は,一夜のうちに一メートルばかりの堤を切り崩してしまった.

次の日の朝,突然広瀬部隊にけたたましい非常呼集(ひじょうこしゅう)のラッパが鳴りひびいて,兵隊は円監(えんぴ)を持って072大橋分哨を目がけて走り出して行った.もう村人たちは分哨脇の決壊口を防ぎとめようとして,県命に土嚢を積み,緊張した顔付で,ひしめき合っていた.あわてていた兵隊たちは,ハアハア息をはずませながら,ものも言わずに農民の手助けを始めた.

「馬鹿野郎!そんなところは放(ほう)っとけ.一00メートル上流を切るんだ.早く行かんか!」

いきなり広瀬に怒鳴られた兵隊は,目をぱちぱちさせていたが,それでもすぐ上流目がけて飛び出して行った.分哨から一00メートルのあいだは,堤に高台の畑がつづいて頑強な堤防代りになっていた.その上流を切れば,"分哨はおのずから救える"これが広瀬のずるい考えだった.

旅団命令によって一度決壊した広瀬にとっては,もう何度決壊しても同じことだったのだ.兵隊は小島34少尉にせき立てられて,やわらかくふやけた堤に,いっせいにザクッザクッと円匙を突きさし始めた.

「アイヤ大人(ターレン)………危い!!そんなことをしたらおれたちはいったいどうなるんだ!!」

農民たちはおさまらなかった.いままで堤防修理に来たとばかり思っていた日本兵が,それとは逆に堤防を切り始めたのだ.

「危い!!大人よせ!!やめてくれ!!」

人びとは思わず怒声をあげて,押し寄せて来た.

「馬鹿野郎!!手向かうと命がねえぞ!!」

誰かが円匙(えんぴ)を振りあげて先頭の二~三人を殴り付けた.

073「呀呀(アイヤ).」 悲痛な叫びといっしょにばったり倒れた男の顔から,タラタラと真っ赤な血が流れ,提防を染めて行った.

「どけ,邪魔立てするとみんな射ち殺すぞ.」

小島は兵隊に銃をつきつけさせ農民を威嚇した.そして叫んだ.

「追っ払え,貴様らあ,あんなやつらにかまわず掘るんだ.」……… 兵隊は舌うちしながら円匙を使い始めた.

村人はもう何も言わなかった.怒りと悲しみにわなわなふるえ,銃口を胸元に突きつけられながら兵隊をにらみつけた.重苦しい沈黙のうちに,濁流の音がゴーッと鳴っている.けれども円匙はあまりにも残虐に一寸一寸導いて,とうとう堤防上をサラサラと黄色い水が流れ出した.

「危い!畜生!」 呆然としていた村人は,はじかれたように飛びあがり,危急を知らせるために部落を目守がけて走り去った.右岸の家々からはハラハラした顔が幾つものぞき,この無謀な惨事を憎しげににらみ,堤防下の人びとの安否を気づかっていた.

堤防下には高さ四メートルの旧城壁に取り囲まれた畑の中に,四~五軒の家があった.見る見るうちに二メートル~四メートルと広がって行く決壊口から流れ出す濁流は,その城壁に遮(さえぎ)られて池のようにふくれ上がり,家はだんだんと水浸しになって行く.と突然,「メリメリダダダアン」と物凄い音がして,兵隊たちがぎょっとしていっせいに振り返って見ると,旧城壁の中央にあった城門が水にたえられなくて押し潰(つぶ)されてしまっていた.

074今まで溜(たま)っていた水は,城門から堰(せき)を切って済順35国道(さいじゅんこくどう)に沿って,すぐ前の部落に,あっと言う間(ま)に迫っていた.遠く近くの村々から,急にケタタマシイ銅鑼(どら)が鳴りひびき,いままで平和だった村が一瞬にして阿鼻叫喚(あびきょうかん)の巷(ちまた)に化した.旧城門外で遊んでいた五名の子供が,母親の名を呼びながら濁流に呑みこまれてしまい,子供を求めて狂気のように叫ぶ母親の悲痛な叫びが,手にとどくように堤防まで聞こえて来た.

「ウァッハッハッ,これぐらいやっておけば,もう堰止(せきと)めることもできまい.」

小島は,凄い笑いを浮かべて,二0メートルにもひろがっている決壊口の濁流を眺めながらつぶやくと,なおも伝わって来る悲惨な叫び声を後に,

「よしもう時間だ……….舟で引きあげよう.」と,部隊長広瀬の後を追って足を運び出した.

対岸の人びとは,決壊口が三0メートルから五0メートル~100メートルと,物凄い勢いで広がって行くのを見て,そして,手にとるように聞こえる同胞の血の叫びを聞いて,地団駄(じだんだ)を踏みながらも,どうすることもできなかった.

「なんとか助かってくれればよいが!!」と願っていたこれらの人びとの目の前で,今度は,「ドド………」 四メートルもある城壁が水けむりをあげて崩れ落ちた.すると,今まで気を揉(も)みながらも目に見えなかった村々が,忽燃(こつぜん)と現われた.

刈り取りまじかになっていた粟は,もう見えなかった.村々から荷物を負った老人や女,子供が,濁流に追っかけられ,必死になって逃れて行くのが見えた.だが,どこまでも濁流に追いつめられて,075とうとう見えなくなった.逃げ遅れて木に這いあがった者は,それっきりおりることもできなくなった.

何の予告もなく,ふいに決壊しただけに,野良(のら)に出て働いている若い人びとに帰る暇さえ与えず,子供や老人の被害は大きかった.その日は夜になってからも悲痛な叫び声が,水浸しになった家の中から,屋根の上から,曇った夜空をふるわしていた.


徳県はもうすっかり危険がなくなっていた.私は衛河のことはいつの間(ま)にか忘れて,酒と女にひたっていた.けれども解放区の人びとを殺害しようとしてやったことは,自分たちの身の上にも降りかかっていた.決壊地点から九0キロ下流の武城県(ぶじょうけん),武官寨36(ぶかんさい)と二十里堡37の駐屯隊の状況が不明になったと言うのである.旅団長はこの状況と衛河決壊の状況を飛行機で偵察して来るように私に言いつけた.

済南38(さいなん)飛行場は焼けつくように暑かったのに,地上一,000メートルの上空は心地(ここち)よかった.私は豆つぶのような小さな人間や馬車を見て,はじめて乗る飛行機の快哉(かいさい)を味わいながら,のどかな景色に見とれていた.

「ここら辺ではありませんか?よく見てください.」

操縦士の声に,はっとわれにかえった私は,下の景色を見なおした.そう言われれば,県城(けんじょう)の城壁があり,その中に赤煉瓦の兵舎が立ち並び,兵隊がさかんに手を振っている.

「ここだ,ここだ.」 私は思わず叫んだ.そのときはもう衛河の真上に来ていた.ああ何と変わりはてた076姿であろう.一五0メートル決壊口からは,白波と渦の濁流がゴーッと河西39(かせい)地区に流れ込んでいた.

「写真を撮(と)りますから.」 偵察将校が私に叫んだ.

高度六00メートルから急旋回にはいった.堤防と濁流が,サーッと目の前に迫って来てはスーッと遠ざかって行った.私は目が回って苦しかったが,それでも,戦友が中国人の生首(なまくび)を写真に撮って誇らし気に持っていたように,私もこの写真ができたら,一枚もらって手柄話の種にしようと,苦痛も忘れて白い濁流を眺めていた.

飛行機が衛河に沿って武城県におりるために,やっと水平飛行に戻ると,一,000メートルの上空から眺める一望千里の平野は,巨大な湖に変わり,点々と散在する数十の村々が,青々とした木々を揺るがし,島のように浮かんでいた.湖の底には,まるで海部でも揺らめいているように,農作物が,真夏の太陽にすき通されていて,私は「美しい景色だ.」と,何かしら神秘めいた美しさを感じた.

私が飛んだ九0キロの間は,まったくそのような湖と島であった.それは,私の生まれた瀬戸内海40(せっとないかい)より,もっともっと広いようにさえ思えた.私はこんな静かな湖を,舟を漕いで村から村へ遊びに行くことは,きっと楽しいことだとさえ思っていた……….

だが地上は生地獄であった……… 私は,何と良心を失った人間だったのであろうか?水は館陶(かんとう),臨清(りんせい),曲集(きょくちゅう),邱県(きゅうけん),武城(ぶじょう),清河41(せいが),威県(いけん)などの七ヵ県を襲い,一00万以上の無辜(むこ)の住民が,親を失い077子を失って,寝る家も食べるものもなく苦しんでいたのに……….

二十里堡の分遣隊は,もちろん全滅していた……….水に囲まれた陣地の上を,幾ら飛行機で旋回しても,人影一つ見ることはできなかった.


水は,一ヵ月もかかってやっとひいたが,田畑は見る影もなく洗い流され,人びとは泥沼に出て死んだ魚を食い,上流の台地の棉の実を摘んで食べていた.

高村分遣隊も水に囲まれ,ろくろく食べ物もなかったので,うまいご馳走でもと思って,附近の村々へ略奪に出かけて行った.けれども,よく吠えついた犬のなき声すらなかった.村は死んだように静かだった……….

足をぬかるみにとられながら,近づいた部落の,崩れかかった土塀には,痩せ細った老婆が,空(うつろ)な目をして遠くのほうを眺め,くずれるように寄りかかっていた.その足もとには,死んだ子供を抱いた母親が悶(もた)え苦しみ,泥まみれの顔がブルブルと痙攣(けいれん)するたびに,紫色の唇(くちびる)を伝わって,黄色い汚物が気味悪く流れ出した.そして,じめじめに湿(しめ)っている腰の回りにたかっている蝿が,バアッと飛び立って行った.門の中からも岬(うめ)き声が聞こえて来る.

「コレ"ダ"(ラ)だ!」誰かが叫ぶと,兵隊はみんな真っ青な顔を見合わぜた.

「小隊長殿,病人ばかりです.鶏も豚もいそうもありません.」 兵隊たちは,いつの間にか部落外に078出ていた.

「そんなバカなことがあるもんか,えっ,もっと探すんだ,もっと.」 小隊長は,今度は先頭に立って他の部落にはいって行った.

だがそこにも,すでに冷たくなった死体がゴロゴロ転がり,コレラに悶え苦しんでいる,死色をしたミイラのような人びとの姿しか見当たらなかった.死体の周りには蝿が群らがっていた.みんなは青い顔を見合わせて,さかんに唾(つば)を吐いた.まったくの生地獄だった.日本軍が撒(ま)いたコレラ………,がこの辺の部落にもどんどん広がっていたのだった.豊かで平和であった左岸は,今は生地獄に変わっていた.

部落の木の葉や腐った棉の実を食いつくした無数の人びとは,衛河の東岸へも食べ物を求めて彷徨(ほうこう)していた.着のみ着のままで寝る家もなく,道端のアカシヤの木の葉を食べながら溝の中に寝,飢えのために木にのぼる力さえなくなった人びとに,涙を拭いながら若者は木の葉を摘んだ.並木は見る見るうちに丸坊主になって行き,それらの人びとは,木の葉を求めて恩県へやっとたどりついた.途中で何人かの人は暑さと飢えのために死し,誰に葬むられることもできず,道端に転がされたままだった.生きることのできなくなった娘さんは,握(にぎ)り飯一つで身を売り,日本兵に強姦された.アカシヤの葉も,草の根も食べつくした人びとは,日本侵略者を,衛河を決壊した私を恨んで死んでいった.

私は旅団長と,その側を砂塵(さじん)をあげて自動車を突っ走らせていた.ほこりは餓死した人びとと,木に登って懸命に葉を摘んでいる人びとを覆い,旅団長は,それにちらっと視線を投げかけると,079「のう難波(なんば),漢民族は偉大なものだ.さすがに孔孟42(こうもう)以来の東洋道徳を持っておる.渇(かつ)するといえども盗泉(とうせん)を飲まずじゃ.他人の物も取らずに死んで行くのは見あげたもんじゃよ.ハッハッハ.」

八の字髭(ひげ)をゆらめかして,あざけり笑った……….私も声を合わせて笑いながら,痩せ細って死んでいる人の,硬直した脚を見つめていた.だが,被害はそればかりではなかった.

水浸しになった村々のうち,三万人近くの人びとは,住む家も食べるものも,耕す畑もなくなって懐しい故郷を出て,やっとのことで集めた旅費で満洲にやって来た.そのころは,もう冬が近づいていた.しかしそこで待っていたものは,やっぱり,飢えと寒さばかりであった.日本帝国主義のいるところ………,どこまで行っても,飢えと寒さはつきまとった.その人たちは知らぬ土地で,一人二人と死んでゆき,多くの人びとは,炭坑で死の強制労働にこき使われた.

こうして,戦争を遂行し拡大するために手段を選ばず,一石二鳥をねらった日本侵略者と,ただ立身出世を願い,酒が飲みたいばっかりに,中国人民を一人でも多く殺すことが,お国のためだと盲信していた空虚な私の陰謀は,平和を愛し,おたがいに尊敬し合い,幸福な村を築きつつあった,衛河左岸地区の一00万以上の人びとを,直接飢えと死に追い込み,二万人以上の尊い生命を奪ってしまったのです.


この恨みは,抗日の炎となって燃えあがり,物盗り,殺人強盗の日本侵略者は,正義の中国人民によって叩きつぶされてしまいました.そして勝利した中国人民は,私の決壊した衛河を,二度と誰にも破壊させないばかりでなく,どんな大雨が降っても,けっして崩れることのない大運河にして,美しい080汽船を走らせており,私が水攻めで流した田畑の上に,いまトラクターやコンバインが走っています.

社会はこんなにも発展したのに,けれども私の殺害した二万名以上の尊い生命はどんなことをしても,ふたたび甦(よみがえ)ってはこないのです.甚大な被害を受けた中国人民の苦痛は,一生涯けっして忘れることのできないものであります.

私はそのことを思うとき,慚愧(ざんき)の念で胸が一杯になるのです.私は,いま静かに過去を振り返って見るとき,日本帝国主義が発動した侵略戦争は,人類を消滅しようとした,ゆるすことのできない極悪非人道(ごくあくひじんどう)なものであり,その中において,人民の敵として罪を犯して来た私の歩んだ道の一切(いっさい)は,とりかえすことのできない厳重な誤りでありました.

人類の敵,戦争!!私はもうあんなむごたらしい戦争には,断固(だんこ)反対です.人民の愛する平和と幸福!!私は,美しい平和と幸福のためにのみ生命を捧げて戦います.これこそが私の犯した罪に対して,また人間としてとるべき唯一の道だと信じます.


略歴

一九三六年,山口43県柳井商業学校卒業後………銀行員として勤めていたが,一九四0年軍隊に入隊,一九四一年九月見習士官として中国山東省に侵略の第一歩を踏んで以来,第五十九師団司令部付中尉にいたる一九四五年七月まで,一貫して山東省においてあらゆる罪業を犯して来,八・一五,朝鮮咸興44において敗戦しました.

 

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1 Nanba Hiroshi, Unterleutnant
2 Shenyang, siehe Fengtian
3 Fengtian, früherer Name der Provinz Liaoning, wurde unter japanischer Herrschaft wiederbelebt, nach 1945 abgeschafft.
4 Changcheng ("Große Mauer"), auch: Kreis
5 Dayunhe, Großer Kanal, Kaiserkanal
6 Tianjin --- regierungsunmittelbare Stadt und Stadtregion in Hebei 河北 am Fluss Haihe
7 Linqing, Kreis in Shandong
8 Yangdi, Kaiser, Sui-Dynastie
9 Shandong, chinesische Provinz
10 Dexian, in Shandong
11 Nanyunhe, = 大運河 Dayunhe
12 Weihe, = 大運河 Dayunhe
13 Taian --- Stadt und Kreis, berühmt durch Taishan; Taianzhen 泰安鎮 Bahnstation
14 Orita, Stabsoffizier
15 Tasaka Yasohachi, Brigadekommandant 旅団長
16 Jinpu, Bahnlinie
17 Isokimi Naohiko, 大隊長
18 Pukou, nordwestlich gelegener Bezirk in Nanking, auf der anderen Seite des Yangtse
19 Nanzhi, Südchina
20 Bosan, Kreis in Shandong, mit Kohlevorkommen; Regierungsbezirk 博山西方
21 Liuchuan, in Shandong, mit Kohlevorkommen
22 Huafeng (Huali), in Shandong, mit Kohlevorkommen
23 Xintai, Kreis in Shandong, mit Kohlevorkommen
24 Jinlingzhen, in Shandong, mit Eisenvorkommen
25 Nanding, in Shandong, mit Alaunschiefervorkommen
26 Guantao (Guanyao), Kreis in Shandong
27 Enxian, in Shandong
28 Wucheng, Kreis in Dezou in Shandong
29 Qiu, Kreis in Shandong
30 Gaocun
31 Hirose
32 Qianzhongzhen
33 Quji, eine Enklave 飛地
34 Kojima, Leutnant
35 Jishun, Nationalstraße 国道
36 Wuguanzhai, in Hebei
37 Ershilipu, Ort in der Nähe von Dalian
38 Jinan (auch: Tsinan) ist die Hauptstadt der chinesischen Provinz Shandong.
39 Hexi, Regierungsbezirk
40 Setonaikai, japanische Inlandsee
41 Qinghe, Fluß
42 Konfuzius und Menzius
43 Yamaguchi, japanische Präfektur
44 Hamheung (Hamhŭng, 함흥), Stadt im heutigen Nordkorea