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無住地帯

鈴木啓久1

旧百十七師団・師団長・中将


このあたり一円の道路には,青々とした柳の並木が行儀よく並んでいる.数本の高い煙筒から黒々とした煙が盛んに吐き出されている. 三つの巻上機がヒッキリなしにガラガラと廻っている. そこから少し離れた処には二つ三つピラミッド型をした小高いボタ山のところどころから,ブスブスと自然発火の煙を上げている.山の下にはコンモリとしたかなり広い森の中には,開濼2*開灤*(かいらん)炭鉱の支配人の邸宅が,一際目立って豪奢な構えをしている.

ここは開濼(かいらん)炭鉱の中心である唐山3だ.

会社の門には小ザッパリとした服装をして挙銃で武装した開濼炭鉱特別警察隊」の警官が立っている.

日本軍歩兵団司令部の命令で,日産一一万屯の出炭量を要求された会社側では,労働者を三交代として,名目だけは八時間制をとっているように見せかけてはいるが,実際にはこの莫大な量を出す050ために,一0時間以上の坑内作業も強制した. 炭鉱労働者は僅かばかりの小麦粉を「えさ」にして,骨の髄(ずい)までシャブラれている. 労働者の着物は石炭や垢で真黒によごれピカピカと光っている.ただ服の下や膝の皺あたりに,僅かに原色の藍色が窺われるに過ぎない. そして尻の部分でも,膝の辺でも所きらわず大小の布でつづられているが,それでもチョイチョイ肌が見えている.年中風呂にもはいれない労働者達は,真黒な顔と手をして,白いのはただ歯ばかりである. 「今度の中秋節も休んではならないんだそうだ」などと,小声で話をしながら,炭鉱警察官を尻目にかけて出たり入ったりしている.

これらの情景を一目で眺められる煉瓦造りの二階の窓は,心地よげに開けはなされている.歩兵団司令部のひろびろとした部屋だ. たった今,一切の通行人を止めて厳重な警戒をした中を通り抜けて来た岡村4方面軍司令官がわたし[歩兵団長鈴木と対座し,悠々と煙草をくゆらしながらソファーに埋まっている. 歩兵団司令部の周囲は,常と異なってものものしく多くの着剣の兵士達に警戒されている.

統御力がある,人をそらさないで人使いの上手だと言われる岡村は,部隊の功績は全部兵団長一人がやったものであるかのように「今年の四月の討伐で,君は魯家峪5(ロカキョウ)で八路車の秘密陣地を徹底的に粉砕して非常な戦果をあげてくれたから,この地区の治安が大変よくなったというではないか.御苦労だったなあ,一層奮闘を頼むよ」と賞め上げた.

「いいや,全くの偶然だったのです」といいながらわたしはいかにも得意だった.

051「それにしてもその後は,この地区の治安が大変よくなったのは確かだ」 「ところが,それも表面だけで,実際はなかなかそうは参りません」 「それは一体どういうことかな?大体魯家峪の陣地は八路軍の冀東6(きとう)地区における重大な根拠地であったろう,これが潰れたのだから八路軍にとっては大打撃であったに違いないじゃないか?」

魯家峪(ロカキョウ)を失ったことは,八路軍にとっては確かに大きな打撃でしょうが,しかしこんな陣地が一つ位潰されたからとて,八路軍は弱くなったのではありません.むしろあの陣地を潰したために彼等は分割して山地方面にはいり,又一方では地下工作に相当な力をつくしてかえって実力を増したと見るべきであります.せんだっても,豊潤7唐山の重要道路で,白昼連絡バスが襲撃されて,連絡兵一名が戦死し,連絡書類が取られたり,玉田8豊潤間でも同様の事故があり,又その外の自動車道にも地雷の埋設も少くないのであります.もっとも,以前のように,八路軍の大きな動きは表面には見えないので,この地区が一見いかにも白くなったようには見えますが,一皮むけば実は真赤になっているのです.それなら彼等の根拠地はどこなのか?と問われましても,私はただ『山地方面』だと申し上げるほかありません.しかし私としてはこの『山地方面』に徹底的に打撃を与えねばならぬと思っています」と,これはわたしの本音だった.

「それなら,君としては,これに対してどうする積りなのか?」

「今のわたしの兵力の掩護(えんご)の下で十分に思いきった剔抉(えきけつ*てきけつ*)を行なって,八路軍に少しでも関係を持つ者は,容赦なく処断し,地下組織を壊滅してしまうことが第一で,次には,治安地区の住民に対して物資052や救恤品(きゅうじゅつひん)をふんだんに与えて,八路軍とはっきりした一線をかくした差別待遇を行ない,八路軍と治安地区の住民とを分離することが,絶対に必要だと思います」

岡村は「それも一つの案ではあるだろうが,方面軍としても,この点については尚研究して見ようと思っている」といい,たいして賛成した風でもなかった.そして「いずれにしても,この地区は日本の大陸政策上大切なところだから,治安に関してはこの上ともしっかり努力してもらわねばならない」と附け加えた.

「なにぶん,長城9線附近の山地内には相当数の住民がいるので八路軍の根拠地とはいえないにしても,彼等が隠れることが出来ることが確かなのです.このへんのことも何とかしなければならないと思っています」

約一時間程会談した後に岡村は宿舎に帰っていった.

この日の夕刻,各辻々や小路の入口附近には武装した兵士が立った.やがて機関銃で武装されたトラックに,前後を守られた一台の自動車がK料亭の玄関に横付けになった. 岡村方面軍司令官だ. 岡村は悠々と車から下り立ち,後からついて来た副官に軍刀と帽子とを渡して,女たちに案内されて一室に入って来た.そこにはすでに今夜岡村から招待を受けた高級将校達が雑談に耽(ふ)けっていた.

間もなく芸妓大勢を混えて酒宴が始まった.酒のまわるにつれて席も乱れサンザめいていった. 岡村の前には入れ変り立ち変りに将校達が盃をもらいにいった.そのたびごとに岡村は,それらの将校達の功績などを賞めちぎった.賞められた連中も岡村の機嫌をとるような話をしている. 岡村は「男053などは多少遊ぶ位のことは大した瑾(きす*きん*)ではないよ」などと言いながら,芸妓たちに「フザケ」ちらし,豪飲を続けるのであった.

わたしは「電話です」と言われ,一寸席を立ったが,間もなく帰って来て岡村に「只今豊潤からの電話でX村に出しであった一小隊が八路軍から襲撃を受けたが,これに大打撃を与えて撃退ました.当方の損害は戦死兵一,軽傷一で,たいしたことでありませんでした」 岡村は別に気にも止めた風もなく「ウム,そうか」といったのみで豪快らしい態度で,二,三将校の席を回ってから,私の前にドッカとあぐらを下して「マア一杯」と酒をすすめ「近頃治安軍[日本軍の手先となった中国軍]はどうかネェ,何というても彼等は中国人だよ,中国人の心理や習慣をよく弁(わき)まえているよ,この点をよく利用することが大切なんだよ.この点をよく利用するか,しないかによって,骨を折っても効果が一向あがらないか,あるいは骨を折らずに効果をあげるかという別れ途なんだからナア.そのへんの"こつ"を十分に心得ていなければならないぞ」と,わたしに注意を与えた.其の後は,愚にもつかない世間話や,女たちにフザケ回っている中に夜は更けていった.この間料亭の外には,剣つき鉄砲を持った兵士達が絶えず警戒のためグルグル回っていたことはいうまでもない.


ここは天津10のいわゆる「日本租界」である. 二階建の門には,二人の兵士が厳めしく立っている. 内部は洋室と日本座敷とを混えて優に三家族も住める.この建物は師団長一人が住む家だ. 大きな一室054の壁には西洋風の風景と草花との大きな油画がかけられ,天井から大きなシャンデリヤが三つさがって夜も昼も煌(こう)々と室中を照らしている.

もったいらしく煙草をくゆらしながら,大きなからだを深くソファーに埋めている原田11師団長は「ボーイ」と呼んで,コーヒーをはこばせながら,わたしに向って,

「今日君に来てもらったのは,実は君の意見を聞いたり,又君に示したりしたいことができたからだ.実は昨日岡村方面軍司令官から呼ばれて,北京12にいって来た.軍司令官の話によると,君の地区は八路軍の勢力は表面的には静かに見えるが,一皮むけば,真ッ赤だというではないか.若しも君の意見の通りだとすれば,あの地区の性質上そのまま放って置くわけにはいかないのだ.そこで,君は今後どうすればよいと思っているのか?」

「一つには地下組織を根本的に破壊してしまうことです.これがためには全面的に,特に山地方面の剔抉を徹底的にやって,少しでも八路軍に関係ある者は容赦(ようしゃ)なく処断することです」

「ウム,そんな生やさしいことではだめだ.だから方面軍の方では思いきって八路軍地を粉砕するために,長城線から二乃至四粁以内に,『無住地帯』をつくり,そこには住民が住んだり,又は耕作したりすることを一切禁じ,又交通も大々的に制限する方法をとるというのだ.師団としても,これを実施しようと考えているのだが,君の意見はどうか?」

「方面軍や師団の企図であるとすれば,わたしとしては必ずご意図に添(そ)うように実施致しましょう.が,しかし,どうせこの作業を実行するならば,その範囲が二粁以内では,極めて不徹底なものになる055と以います.というのは,二粁以内には,たいして住民は住んでいません.従って,住民のおらないところでは,八路軍が根拠地としても価値は少いです.四粁附近迄になると相当大きな部落もあるし,根拠地となったら相当有力な根拠地となるでしょう」とわたしは述べた.

「それでは四粁以内としよう」

「それは何時までに完成するのですか?」

「遅くも来月半ばまでには終りたいと思っている.南方の戦争は,相当激烈になってきているから,いつ師団は南方に使用されないとも限らない.だから急いで粛正を終らねばならないのだ」


部厚な絨(じゅう)たんの敷きつめられた歩兵団司令部の広い一室の真中に,上等な煙草,菓子,果物,コーヒーなどを置いたテーブルを囲んで,部下の連隊長田浦13と小野14の報告を聞いていたわたしは,つぎのようにいい渡した.

「君達の報告を聞いていると,各方面に毎日のように剔抉をしておって,そのたび毎(ごと)に八路軍通信員何名を捕えたとか,工作員何名を逮捕して処分したとかいうて,八路軍の組織を次ぎ次ぎと破壊して,どの部落も全くの治安地区になっているようだが,しかし粛正したその部落には,いつも数日後には八路軍の情報があり,破壊した筈の連絡站には,むしろ,通信器材や地雷などまで持ちこんだもっと有効な連絡に,なっているではないか.」

056「だから,わしの見るところでは,むしろ,治安が悪くなったと思う.又実際に管内の情況をよくみたまえ.第一連隊方面では,先頃豊潤街道のバスが襲撃され,最も治安地区だというていた,しかも,鉄道線路に近い林西15の北側,いわば,警備隊の目と鼻の間で,トラックが襲撃されたり,又,玉田街道が一晩の内に寸断されたり,地雷事件があったり遵化16(じゅんか)の山寄りの方では,小隊分遣隊はおろか,中隊分遣隊までが,擾乱射撃を受けている.第三連隊方面では,撫寧17(ぶねい)の南で第三中隊が伏撃を受け,建営の東昌18のX村でも一小隊が伏撃を受け,いずれも相当な損害を出している,という事故頻発ではないか.また,四月下旬豊潤地区の討伐で,王官営19魯家峪では,近頃にない戦果をあげたことは確かだが,しかし,僅か二ヵ月後の七月には,四月下旬当時よりも更に大部隊の八路軍が,同じ豊潤地区に現われたばかりでなく,この部隊のために,玉田北方の山地では伏撃を受け,ずい分ひどい損害を受けたではないか.」

「成る程,七月以後は,八路軍の大部隊は見えない.だからといって,管内の情況を綜合して見たならば,君達が考えているように,治安がよくなった,と見るのは誤りである.最近,八路軍の大部隊が見えないので,油断が出てきて,各隊の積極性が,麻痺しているからだ.したがって,各隊の剔抉なども,殆んどが形式的となっているのではないか.」

「また,一方では,君らは,ただ下級者にまかせっ放しで,点検もぜず,第一線の剔抉も,監督が不十分であるからだ,と思う.このように事故が多いにもかかわらず,その反対に,一向に戦果もあげられていないではないか.こんな状態では,わたしがいつもいう『日本の大陸政策』の重要地点を057担当するという重い責任が,負えないということになるのだ.そこで,今迄のようなやり方では,到底だめだと思うから,こんどは,思い切った方法で徹底的に八路軍を殲滅しようと思っているのだ.しかし,今のところ,もちろんどこに八路軍の根拠があるというのではないが,とにかく,長城線寄りの山地方面は,満洲方面との連絡もあるし,そこに住民を置くということは,彼等に根拠地を与えることになるのだ.そこで,遵化(ジュンカ)遷安20(センアン)両県の長城に接したところで,長城から四粁以内の住民を,ことごとく追っぱらってしまうことに決定したのだ.君達は早く帰って県顧問に命じて,その実施にぬかりのないようにして貰わねばならないのだ」

いい渡しおわったわたしは,ここで,歩兵団の命令を渡した.この歩兵団命令には,九月X日より開始して,二0日以内に住民の立ち退きを完了すること. この期間内に,この圏内にある家屋などは,一切完全に焼き払うこと. 二十日過ぎたならば,どんな理由があっても,この圏内で耕作したり出入したりすることを,厳禁すること.この地区を一時通過するものは,必ず軍の許可証を持つこと. これらの命令に従わず,又は反抗するものは,厳重に処分すること. などが詳細に示されであった.

二人の連隊長は,急いで帰って行った.そして,すぐに県の日本人顧問を呼びつけて,歩兵団の命令を伝え,「この命令を確実に実施せよ」と,厳重に伝達したのであった.


数日の後,わたくしは二人の連隊長,田浦と小野とを呼んで,『無住地帯』工作の情況の報告を受け た.058両連隊長は,

「山の中には,思ったより多くの住民地があった.工作は大体終った」と報告したが,小野は「自分の管内に参詣人の非常に多いXX高地の『娘々廟』一つだけは廟主が『決して八路軍は泊めない』というので許した」と報告した. 私は「そんなものこそ,八路軍の利用物となるのではないか,焼いてしまえ」と叱りつけ,更に「その後点検したか?」と尋ねた. 両連隊長共に「まだ点検はしていない」という.

「一体君達のやり方は,ややもすれば,命令しっぱなしで不徹底な場合が非常に多い.不徹底な仕事をするならしないのと同じことだ.時としてはかえって害になることさえある.急いで点検したまえ.そして一度点検しただけで満足せず,その後も引続き剔抉をゆるがせにしてはならない.実はわたくしはX日に第一線の情況を視察した.どの道もどの道も大きな荷物を持った人間の行列が,どこまでも続いていて,あの山の中にあんなに,大勢の人が住んでいたとは思わなかった.あの辺をきれいに整理したら,八路軍の根拠地を作ることは出来まい.そうすれば今年の七月玉田北方山地で伏撃されたようなことは起るまい.とに角,早く帰って急いで,後点検をし給え.」 連隊長は急いで帰って行った.

それから数日経つと第一線連隊から続々と点検の情況について報告してきた.

「農民の一名が刈り残しであった粟や高粱を取りに来ていたから,追い払って粟と高梁とを焼いてきた」

「XX村の谷に煙を発見して行って見ると,老婆を混えて一家五人の者が無住地帯だなどとは一向知らぬと平気な顔をしていた.すぐに家を焼いて立ち退けといっても肯(き)かなかったから其の家を焼こうとしたら,059若い男が反抗したので銃殺して家を焼き外の四人は追い払ってきた」

「同じ村の北の谷には三軒ほど人が住んでいる形跡も立派にあったが,方々を探して見ても人影は見当らなかった.家は全部焼き払ってきた」

馬蘭峪21の南方で,若い男が,身分証明書も通行証も持たずに歩いていたのを見て訊問したが,何も知らぬというが怪しいから遷安に連行して調査中だ」

「XX村で三,四人が山の方に逃げて行くのを見たので射撃した.確かに一名は射殺したと思った.しかし追せきして見たが,遂に足跡を失った.なお明日もこの附近一帯を剔抉する予定だ」

わたくしはこれと同様な多くの報告を見て点検の効果はあがっていると喜んだ.そしてその翌日も第一線運隊からの報告は,次ぎ次ぎと歩兵団司令部に到着するのであった.

だが,何れの報告も前日の報告とほぼ同様で,仮小屋は次から次へと造られているし,人のいる気配はありありとわかる.こんなことでは『無住地帯』設置の目的は達せられない.

わたくしは第一線運隊長に電話して,各地区とも剔抉を一層厳密にするよう厳命した.

其の後も毎日の様に剔抉の成果を報ずる報告は歩兵団長の机の上に堆(うず)高く積まれるのであった.

この報告の一つ一つは,わたくしの功績として極めて満足感をもって読んだものである.だがこの報告の一枚一枚は,わたくしの重い罪が盛られておりその報告書の積み重なった山こそは,わたくしの滔天(とうてん)の罪を積んだ堆(うず)高い山であった.


060

わたくしは運隊長の報告を基礎として,『無住地帯』実施の情況を師団長に報告してから,

「こんな風ですから『無住地帯』の徹底を期すためには単に地上からの視察だけでなく上空より視察してその不十分な処を是正(ぜせい)せねばならぬと思いますので,飛行機を出して貰いたいのです」

「ウム,それはよかろう,俺も一緒に視察して見よう」 原田[師団長]は即座に同意した.

翌日,わたくしは原田と一緒に飛行機を天津から飛ばして,唐山方面に向った.途中機首を少し南に向け塘沽22の上空から下を見ると真白な小山が無数に点在している.

「あれは塘沽の塩だ.年々およそ六百万屯ほどは日本に運ばれて,日本の工業用塩として使われているのだ」という原田の説明を聞きながら鉄道に沿って北上すると,下にはマッチ箱のように見える汽車が,ひっきりなしに,北に,南に走っている.機首をやや東に向けると茫々(ほうぼう)とした渤海23(ぼつかい)の岸に出た. この附近には非常に広々としたアルカリ地帯がある.

原田は「こんな地域も,日本の大陸政策が成功すれば,日本の移民が随分沢山入れると思う」と侵略者の気持を露骨に表わして話すのであった.

飛行機の機首を北の方に向けた.眼下一帯には肥沃な,そして大小無数の村落が散在している冀東(きとう)平野が繰りひろげられている. 平野のやや東寄りの中央には熱河24の山々から源を発し,満々と水を湛え,厖大な発電力と灌漑力とを抱いている濼河25*灤河*が,大きく又小さくうねり,くねって東へ東へとだんだん061幅を広げて行き白布でも伸ばしたように流れて渤海に入って行く.

飛行機は山海関26の上空あたりから機首を西に転じた.この辺一帯は美しい大森林と嶮しい山とが入りまじって,でこぼことしている. 山の頂上には巨大な白い百足虫(むかで)でもはっているかのような万里の長城が,どこまでもずうッと続いている.飛行機はなおも長城線に沿って,西に飛び,南に折れるなどして暫く飛ぶ中に遷安県の北部地区に来た.この辺から青々としたきれいな森の中に赤黒い焼け跡が点々と見えだした. 「この辺からだなあ,『無住地帯』は」と私は思いながら地図を広げた. 飛行機は遵化(ジュンカ)県の上空へと入った.

下方を見ると,森の中に随分沢山な赤黒くなった焼跡が見える.多くの場所は村の火が森林に入ったらしく,その附近の森が,長方形や随円形や色々の形の焼跡を造り,その焼跡には,黒こげにされた木だけが乱雑に立っている. 「随分村落はあったんだなあ,しかし唯焼跡だけで,一軒の家も見えないで,これは成功した」と私は考えながら,よくよく注意して見ると,森の中から淡い紫色や白色の煙がちょろちょろと,ここ,かしこの数ヵ所から立ち上っているのが眼についた. 「まだ人が残っているぞ,剔抉はまだ不十分なんだな」と地図と対照して煙の出る地点を確かめた.

機首を南に転じ,平野の中央を南下し,開濼炭鉱の上空をかすめた.

「無住地帯は大体完了したようだ.こうして,この山地一帯に人が住まないとなれば,八路軍も根拠地とすることが出来まい.」 原田の満足そうな話をきき,わたしは今度の成功を悦びながら,飛行機は間もなく天津に着いた.

062私は翌日,早速,二人の連隊長をよんで「昨日わたしと師団長が飛行機で,『無住地帯』を視察した.大体は出来てはいるが,君達の剔抉はまだ不充分だ.まだまだ住民が残っているぞ」と図上で煙の上った位置を示し, 「もう一段と剔抉を厳密にして,徹底的にやらねばだめだ」と厳しく指示をして,連隊長を帰した.

連隊長は,毎日毎日剔抉を厳密にして,残っている家は焼き払い,反抗する者は屠殺し,反抗しない者は満洲国へ送って使役したのであった.


美しく茂っていたあの森は,今はところどころが大きく赤黒くただれで醜い山はだをあらわし,何の風情(ふぜい)もなく,真黒に焦がされた枯木が,乱雑につっ立っているだけになった. あれほど多かった小鳥も,どこへやら姿を消してしまって,やさしい声も絶えてしまった.

農家はもはや一軒もなく,ありし平和な村は赤黒い焼けた土と変った.同じ色となった土台石や,黒こげになった木材,そして半分焼け落ちて,頭がぎざぎざとなり,黒くいぶされた石壁は,恨みを抱いたままさびしく立っている.

心持のよいささやきをなしながら,村の真中やぐるりを,流れていたきれいだった小川は,焼焦(やけこげ)になった材木や,ぼろ布や,木の葉やで埋められ,せきとめられて,あっちこっちに溢れ,元の平和なささやきは,日本鬼子[日木軍のこと]を憎むのろいの声と変ってしまった.

063あの美しい花を咲かせ,うまい実を結んだたくさんの果樹は,さんざんに焼き枯らされてしまった. が,中にはなお生きものとしての本能により,自己の生命を守らんとして,黒くいぶされた葉が,しっかりと小枝をつかんで,ひらひらと秋風にゆられている.

畑には,ここかしとに半ば焼かれた,粟の積み重ねが,半ばくずされて散乱している.

丈の高い高梁は,あずき色の実をたっぷりとつけて,折られた幹にぶら下ったまま,ほったらかされている.

住民は勿論,一人も住んではおらず,人声のないさびしい無表情の土地となった.あれほどたくさんおった家畜は,豚の子一匹も見えなくなった. 暁になると夜明けを教えてくれる,やさしい鶏の声も一切聞くことが出来なくなった.

こうしてこの土地は,無気味な沈黙のうちに憤怒と恨みを包んだ土地と変ってしまった.

これは,歩兵団が『無住地帯』の工作の命令を下してから,僅かに二十日間の間に変化した冀東地区の姿だ.

この間,約六四0平方粁の土地は,中国人民の農民の手から強奪せられ,約十万の中国人民が,寒さと飢餓のみが待つ路頭にほうり出され,一万数千戸の中国人民の家は焼き払われ,日本鬼子共のこの蛮行に対し抗議した約二百人の中国人民は,憤怒の眦(まなじり)を決して日本鬼子をにらみながら,むごたらしく屠殺されてしまったのだ.

日本軍国主義が行なった侵略戦争を,忠実に行なったわたしのただ一片の命令で,たった二十日間064の間に,そうだ,たった二十日の間にだ.


わたしはこのような惨虐,非道な弾圧を次から次へとやったのである.しかし,中国人民は少しもひるまなかった.一人の通信員を捕えれば二人となり,二人の工作員を処分すれば次には四人となり,こちらを弾圧すれば,あちらが反抗する.あちらを弾圧すれば,又こちらが反抗するという風に,何か強い紐ででもしめつけられるような中国人民の不屈な闘争はわたしをしていらいらさせた.そして更に徹底した惨酷な濼抉*剔抉*を行なえば更に倍の力をもってはね返してきた.

そこで,『無住地帯』を作って八路軍の根拠地を覆滅してその活動を抑えようとしたが,その目的を達することを得なかったのみか,八路軍を中心とする中国人民の抗日組織とその力とは次第に広さを増しますます深さを加えて行くのであった.

わたしは目には見えないが,決して断ち切ることの出来ない強い無気味な威力に抗してますます狂暴さを加えていった.

この無気味な威力こそは,不屈な,何ものをもってしても抑えることの出来ない,中国人民の日本帝国主義を打倒しようとする力であり,人民の軍隊八路軍の偉大な力であったのだ.

こうして,日本帝国主義軍隊がどんな手段や方法を尽くそうとも歴史の進展は逆行せしめることが出来ないばかりか,一瞬間たりとも停めることが出来なかった.

日本帝国主義軍隊が,どんなに中国人民の抗日組織を破壊しようとしても中国人民の力の前には何の効果もなく,破壊されたものはかえって日本帝国主義者の組織であった.

065日本帝国主義軍隊は,八路軍の根拠地を消滅しようとしたが,消滅されたものは八路軍の根拠地ではなくて,日本帝国主義軍隊の蟠踞地(ばんきょち)であった.

日本帝国主義軍隊は,中国人民の『無住地帯』を作ることは出来なかった. 人民は更にうつくしい,更に平和な,更に幸福な,そして溢れるような更に多くの中国人民の住む楽土を作りあげ,今では山は元通りに青々となり,きれいな小川は平和な歌をうたっている.そして帝国主義者を中国の土の中に永久に葬り去った. 帝国主義者の住む所のない土地を作りあげた. 中国人民の力で.

そうだ,そこには既に帝国主義者の一人の影すら見ることの出来ない,帝国主義者の『無住地帯』………働く人びとの楽園,中華人民共和国を作り上げているのだ.

 

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1 Suzuki Hiraku, Generalleutnant, früherer Kommandeur der 117. Division, 1956 in Shenyang zu 20 Jahren verurteilt
2 Richtig: 開灤 Kailuan (oder Gailuan? siehe Tangshan), Kohlenbergwerk 炭鉱
3 Tangshan Stadt in der chin. Prov. Hebei, Industriezentrum im Kohlenrevier Gailuan. Tangshan wurde am 28. Juli 1976 von einem mächtigen Erdbeben erschüttert und fast komplett zerstört
4 Okamura
5 Lujiayu, Kreis Zunhua in der Provinz Hebei
6 Jidong, Regierungsbezirk
7 Feng'run 1. Bezirk von Tangshan 2. Kreis in Hebei
8 Yutian, Kreis in Tangshan, auch Stadt
9 Changcheng ("Große Mauer"), auch: Kreis
10 Tianjin --- regierungsunmittelbare Stadt und Stadtregion in Hebei 河北 am Fluss Haihe
11 Harada, Divisionskommandeur
12 Beijing
13 Taura
14 Ono
15 Linxi, a county of Xingtai Prefecture, Hebei Province
16 Zunhua, Kreisfreie Stadt in Tangshan
17 Funing, Kreis der Stadt Qinhuangdao in Hebei
18 Dongchang, vereinfacht: 东昌. Bezirk der Kreisfreien Stadt Tonghua 通化 in Jilin
19 Wangguanying, Fengrun, Tangshan, Hebei
20 Qian'an, vereinfacht: 迁安, Kreisfreie Stadt in Tangshan
21 Malanyu, Gemeinde von Zunhua
22 Tanggu, Gebiet an der Bucht von Bohai bei Tianjin in der Prov. Hebei
23 Bohai, Bucht
24 Rehe, bekannt auch unter dem Namen Jehol; eine frühere Provinz der Inneren Mongolei, die 1933 von den Japanern der Mandschurei angegliedert worden war.
25 der Luanhe (Fluß) entspringt in Hebei, fließt zunächst nördlich in die Innere Mongolei, dann wieder südwestlich nach Hebei zurück und mündet in den Bohai-Golf
26 Shanhaiguan, auch Bahnstation --- is a part of the city of Qinhuangdao, in Hebei province ... It is a popular tourist destination, featuring the eastern end of the Great Wall. The "First Pass Under Heaven" is also a noticeable tourist attraction. The place where the wall itself meets the Pacific Ocean (at the Bohai Sea) has been nicknamed the "Old Dragon's Head."