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生地獄
防疫給水部の仮称にかくれて

渡辺泰長1

憲兵・陸軍上等兵


王道楽土五族協和(おうどうらくどごぞくきょうわ)を宣伝する満洲国ができて以来,皇軍と称する日本軍は,中国の東北2(トンペイ)で何をしたか?私は憲兵としてみずから参加し,執行した,人道上許すべからざる行為を想起するとき,慚愧(ざんき)と戦慄(せんりつ)を覚えるものであります.

それは,一九三四年十一月九日,当時奉天3(ほうてん)憲兵隊長憲兵中佐三浦三郎4(みうらさぶろう)「軍秘密工作」に参加せよと命令を受けた私は,その翌日四平5(しへい)に派遣されることになりました. 明くる十日,四平駅前植判(うえはん)旅館に集合,特別派遣編成隊長憲兵大佐馬場亀格6(ばばきかく)[当時新京7憲兵隊長兼任],分隊長憲兵少佐星実敏8(ほしさねとし)[当時新京域内憲兵分隊長兼任],班長田中9准尉(たなかじゅんい)[当時関東10軍憲兵司令部付兼任]その他各隊から選ばれた軍曹一,伍長一,上等兵四名で,私は上等兵の最古参でありました.

午後六時過ぎ,大広間に集まった私たちにたいし鬼の中の鬼として,憲兵からも毛虫のように嫌われていた,また拷問の悲鳴を聞かないと,三度の飯がうまくないという馬場大佐が出て来て,

034「お前たちに今から秘密任務をあたえる.仕事は極秘だ.たとえ憲兵を辞(や)めても,この仕事の内容を漏(も)らしてはならない.もし秘密を漏らせば,いつなんどきでも軍法会議で厳重に処罰する.わかったか.」と,彼は威厳を見せて命令すると,分隊長の星に何やら命じてそそくさと室を出て行った.

憲兵をやめても軍法会議?私は胸がどきどきと鳴り始めた. 馬場の出て行くのを見送った星は,私たちを一瞥(いちべつ)すると,

「おい,この工作は,功績上申書には書けないぞ.しかしお前たちの身分については,何分のご沙汰があるはずじゃ.こまかいことは,班長から聞け.」というと,彼は室から出て行った.

田中の説明によると,「軍秘密工作」内容は,つぎのような恐るべき事実であった.

日本陸軍省直轄陸軍化学試験所満洲派遣部隊は,関東軍防疫給水部の仮称にかくれ,石井11細菌部隊の前身として,四平郊外西方約一キロの地点にある,元中学校の校舎を略奪して居坐(いすわ)り,十重二十重(とえはたえ)の高圧電流鉄条網を張りめぐらし,その中で,非人道的な毒ガスと高圧電流虐殺試験に中国人民を"いけにえ"にして行く罪行であった. 私たちの憲兵の任務というのは,この試験のいけにえにするため,ここに送られてくる中国人民を監視し,実験の手助けをすることであった.

田中はその夜,出発にあたって,

「今から駅に行って材料を受領に行くのだが,材料にする人間は,何本とかぞえるのだ.わかったか.」と念を押した.

私たちは準備されていた二台のトラックに分乗すると,駅前広場を通り,貨物倉庫に向かった.035貨物倉庫前には一両の鉄製有蓋貨車が,闇の中にとまっており,二十数名の守備兵が周囲を警戒していた.守備隊輸送指揮官と田中が,何事か打ち合わせを終わると,一人の兵士が扉を縛った鉄線をねじ切ってぐーっと開けた.貨車の中は真っ暗で何がはいっているかわからなかったが,二人の守備兵が入口の前に来て銃剣を突きつけながら,

「コラッ,一人ずつ外へ出ろっ.」と,暗がりの貨車の中に向かって怒鳴りつけた.しかし,貨車の中は静まりかえって何の反響もない.

「ウーン,出ないか,出ないと射ち殺すぞ.」と言いながら銃の槓桿(こうかん)をガチャガチャさせて嚇(おどか)したが,誰一人も出てこなかった.あせった二名の守備兵は,真っ暗な貨車の中へ飛び込んだかと思うと,麻縄で後手に縛りあげ,数珠(じゅず)つなぎにした中国人の群れを引っ張り出して来た.

田中は入口にたって,一本-二本と小声でかぞえる.

「よしっ.これで三0本異状なし.車に積め.」田中は部下の憲兵に命令した.

縛りあげた麻縄が,ボロボロの綿衣の破れ目から,体に深く食いこんでいるのが,夜の目にも見えた.

「オイッ,寺内12(てらうち).」 私は寺内上等兵を呼んで,腕と足をつかみ,丸太ン棒でも積み込むように,つぎつぎとトラックの中に放(ほう)りこんでいった. 腹や顔がトラックの底板にあたるたびに「ウウーン」と呻(うめ)き中には気絶する. これを高尾13(たかお)伍長が上にいて,材木でも積み重ねるように,端から二名ずつ積んで行く.

036「オイ,一五本だ.」 高尾の声を合図に,上から大きなシートを被(かぶ)せ,私はその上にどっかりと腰をおろした.

「オイ,寺内ッ.何をやっているんだ.」

私は彼に早くシートの上にあがって腰をおろすことを命じた.闇の中に銃を探していた寺内が急いで飛び乗ると,まもなくトラックは動き出した.


今にも降りそうなどんより曇った底冷えのする夜空をついて,二台のトラックは西へ西へと走る.

試験場に着いたころは,チラチラと冬を告げる小雪が落ち始めていた.

積みこまれた人びとは,意識をよみがえらせていた.にわか作りの小狭い留置場は,湿気で冷えこんでいた. 私たちは,ここでも生きた人びとを品物のように部屋の中に押しこんだのである. いや押しこんだというよりも,積み重ねたと言ったほうが適切であろう.

明くる日,私は朝飯を終えると,廊下で田中と立話をしている二人[の]白装束を見た. 一人は五十に近い,背虫(せむし)[傴僂]の安達14(あだち)という試験場長で,他の一人は副官の軍医であった.

いよいよ始まるぞ,どんなことをやるのか見たいものだという好奇心が,私の全身を流れる.相談がまとまったのか,田中は私のところまで来ると,「一本出せ.」と,小声で命じた.

こうして,午前午後一名ずつ連れ出されて行かれた.連れて行くのは二名の下士官で,上等兵は,037試験現場に出入することを,田中から厳(きび)しくとめられていた. 今日で四日目,またもそのつぎの二名が引っ張り出されるときが来た.

その朝,私は留置場の鍵を開けると,監禁されていた人びとは,おびえたように奥の方へと後ずさりして重なり合っていた.右端の一人が動いた. 私はその中国人の襟首をつかまえてずるずると引っ張り出した. 「立てっ.」 腰を蹴った.痛さをこらえ,彼は無言のまま起(たち)あがると,

「オイ,日本鬼子(イーベンクイツ)奴,おれをどうするというのだ.」 落ちつき払った,腹の底から鋭い怒りのこもった叫び声が,留置場にひびいた.

私は驚いてたじろいだ.しかし私は,目の前の田中の手前,ここでぶざまを見せてはたいへんだと考えると,

「何をぬかすかッ.」 後手にがんじがらめにしている横合から,泥靴で腹をしたたか蹴った. 「ああっ.」 その中国人は廊下の中ごろまでよろめいた.

「おい急げ.」 私は野獣のように飛びついて,白布でさらに目隠しをし,後から腰を押し立てて,軍医の案内する方に引ったてていった.

留置場を出ると,外は真っ白に雪が積もり,通路だけが除雪されている.どす黒い煉瓦建て(れんがだて)の平屋が幾棟も並び,その周囲は二メートル半もあると思われる煉瓦塀に囲まれ,煉瓦塀の上には,二千ないし三千ボルトの高圧電線が張られている.全敷地は一千坪もあるであろう. 私は中国人を目隠ししたまま,建物の間を縫って追い立てて行った.


038

第一試験場と書いた小さい木札のさがった平屋の大建物にはいって行った.そこには,白装束の軍医が,目ばかりきょろきょろさせている. やがて背虫の安達の指揮によって,これらの軍医は,それぞれ配置についた.

「オイッ,憲兵.そいつを天幕(てんまく)の中に縛りつけて来い.」

殺気だった背虫の声だ.私は,講堂の中央に五メートル四方の二重天幕の中に,被害者をむりやりに押し込んだ. 二名の軍医は,これを手伝ってくれた. 天幕の中央には一五センチ大の丸太ン棒が備えつけてある.また,そこには,真新しい麻縄が,むぞうさに置かれていた. 私は,軍医といっしょに,難なく柱に縛りつけ白布の目隠しを取って外へ出ると,すぐ天幕の扉が閉じられた.

この入口の傍(そば)に高く積まれた毒ガスのはいった鉄管………その一本の鉄管の口栓が,いま一人の軍医の手によって開けられようとしている.懐中時計と手帳を手にした他の軍医らは,幕舎の窓ガラスに,ダニのように体をすり寄せた.

「よしっ.」 背虫の声だ. ガス係りの軍医の手が動いた.鉄管のガスは,まるで毒蛇のようにゴム管をゆるがし,不気味(ぶきみ)な音を立てて幕舎の中へ襲いかかっていった.

一分-二分,ガラス窓から,縛りつけておいた中国人の様子(ようす)を覗(のぞ)いてみた. 彼は目をつぶった. 幕舎内が異様なガスの煙でおおわれた瞬間,彼は縛りつけられた丸太ン棒が,折れるばかりに039苦しみもがき始めた.

幕舎のどこからか,毒ガスがもれて来る.私は「あっ.」と目をつぶった. 確(たし)かに催涙ガスだ.幕舎の中から非痛な叫び声がかすかに聞こえてくる! 五分三十秒,彼はついに首をがくりと前に垂れてしまった. これを見た背虫の安達は,ガス停止とどなった.係りの軍医は,ガス栓を閉じると,返す手で送風モーターにスイッチを入れた. モーターがうなり出すと,幕舎内のガスは五分も経(た)たぬ間に外へ吐き出されていった.

「オイ,中から引っぱり出して来い.」

背虫の命令で,私は中へ飛びこもうとしたとたん,べつの軍医が,「おい待て.」といって,防毒面を出してくれた. 私はそれを被(かぶ)って中へはいった.

首を垂れた中国人は,まだかすかに呼吸をしていた.麻縄は,腕や股(もも)の筋肉にくいこみ,血まみれになっていてなかなか解けない. やっとのことで解き終わった瞬間,彼はばったりと倒れた.

私は後手に縛っている麻縄を両肩にかけ,ずるずる引きずりながら幕舎の外に引き出すと,軍医どもは血に飢えた狼のように群がりよった.目,鼻,口,胸,心臓などに懐中電燈を照らしたり,聴診器をいそがしくあて,しばしすると軍医長は,自分のメモを覗(のぞ)きながら傍(そば)に仁王立ちに立っている背虫に,なにごとかささやいた. 話を終えた軍医長は,他の軍医などに人口呼吸を命じた.三人ほど入れかわりやったが,意識はかえらなかった.

このとき「第二ッ.」安達はどなった.またもこの瀕死(ひんし)の彼を幕舎の中に入れ,別種の毒ガス試験040をしようというのだ. 「第二―.」というのは窒息ガスであった. このガスは二分と経(た)たぬまに,彼の生命を奪っていった.

「何をぐずぐずしているかッ,解剖室へ早く運べ.」 背虫にどなられた軍医どもは,担架(たんか)の上に死体を蹴ころがすと,二人で裏口から運び去っていった.


かくして,午前午後二回にわたる悪虐無慚な蛮行は,十日もつづいておこなわれ,中国人民の尊い生命を奪っていったのだ.しかし血に飢えた日本帝国主義者どもは,けっしてこれだけでは満足しなかった. 第一試験が終わるや否(いな)や,またも三0名の中国人民を,トラックで駅から運んで来た.

いよいよ第二試験が開始された.場内の真ん中ごろにある一つの黒煉瓦平屋建物は,二つに仕切られ,長さ一メートル五0センチ,幅一メートル,高さ七0センチほどの鉄製の箱が,二0も準備され,その中に生きた人びとを一人ずつ仰向けに入れこみ,金鎖(かねぐすり)で縛り,身動き一つできないようにしかけていた.

毎日のように,二人三人と,この箱に入れこまれた.

「おい,これは腕だ.これは胴腹だ……….」 安達は,逐一,軍医に命令していた.

腕と言わず,頭,顔,胸,足と言わず,太い注射器が,数人の軍医によって,所きらわず041突き刺されて行く.

ううむ,痛え,ち,ちくしよう鬼子(クイツ)奴,殺すなら早く殺せ. 血を吐く絶叫,焼かれるような苦しみに鉄の箱が動く.

軍医どもは,時間が来ると箱の蓋を開いては,注射した局部の検査を始めた.熟したざくろのように皮膚はただれ,肉ははみ出,顔の形もとどめず,寸秒の間に腐って行く肉体. 二日,三日,一週間もこの殺人箱で,美しい中国人民の生きた肉体を腐らしていったのである.

「おい,そこへ憲兵ははいっちゃいかん.」

後から軍医長の声だ.解剖室. いま私はこの室にはいろうとしたのだ. ちょうど昼ごろだった. 私は左に折れて,他の建物を一回りして,またもこの前にやって来た. 解剖をやっていた軍医どもは昼食に行って誰もいなかったのを幸いに,扉を開けて中にはいった.

仮死の状態になった中国人を,荒板で作った,名ばかりの手術台に上げ,麻縄で縛り上げ,まるで伐採に使う鋸や斧で,注射した局部の肉体を,薪でも割るように引き割っている.辺(あた)りは,文字通り血の海だ. 肉,骨が飛散し,手,足,頭がばらばらに散らばっている. 室の右角には,直径三0センチ大のブリキ罐が,幾百も重ねられ,その中には切りとった人肉を入れ,罐詰にしているのだ.奥の手術台には,第二試験場から運んで来たばかりの中国人の,かすかなうめき声が聞こえる. こうして第二試験は二週間もつづいた.


042

その明くる朝二時ごろ,けたたましく非常ベルが鳴りひびいた.

「どうした,こんなとき非常とは.」 私は不安におののきながら飛び起きた.膝頭ががくがくふるえ,口がどもり,どうしても,ものが言えない.

「どうした.」田中の声だ.

このとき試験場から一人の軍医が転げるように飛びこんで来た.

「おおう,憲兵……….一本,箱から逃げたんだ.腕に注射を三日前に打ったやつ,おれの外套や防寒靴をはいて逃げやがった.」と,田中に泣きすがった. 田中はわなわなとふるえ出し,歯ぎしりを始めたかと思ふと,

「うーん,いよいよ国際法だ.それっ,何をぐずぐずしている.おれたちの首が吹っ飛ぶぞ.探し出すんだ.雪を掻き分けても捕えないうちは帰っちゃならん.」

田中のアワを食った体(てい)は,たとえようもなかった.

外は三0センチほども雪がつもっていた.そのうえ,零下二0度もあろう寒さに,夜来からの強い北風は,まだやまなかった.

第二試験場の中央に置かれた鉄箱は,大きく蓋(ふた)を開け,鎖は,ぷっつりちぎられていた. 室の前に大きな足跡は東のほうへ. 私は足跡を尋ねて追った.

043「ああっ.」 アンペラ仕切りの柱をよじのぼって,二メートル半の煉瓦塀へ,その上の高圧電線を乗りこえて………,脱出しているのだ.

安達と田中は,二匹の狼のように,雪の上で吼(ほ)え狂った. 地元の守備兵と憲兵警察を動員したが,見あたらなかった.

その夜おそく,安達の部屋には馬場と星,守備隊の大隊長らの青ざめた顔が並んだ.国際法を前におのれの首を守ろうとする責任のなすり合いが,醜く繰りひろげられている. 深夜になり軍司令部の参謀,がやって来て,ようやくのこと,なんとか話が落ちついたようだ.それは,この場から,いっさいのものを湮滅(いんめつ)していち早く逃げ去ろうというのであった.

留置場内には,まだ二0名の中国人が監禁されていた.


解剖室の裏には,雪を払いのけた小庭が準備された.そこには二台の発電装置を持ったトラックがあり,その傍(そば)には親指大の高圧電線が,十数本も引きこまれ,大小数十のスイッチがいかめしく据(す)えつけてあった.

午前八時,いま柳沢15(やなぎさわ)と高尾(たかお)が,後手に縛りあげ白布で目隠しした中国人の両肩を押さえ,引っ張つて来た. 背虫の安達は,さっきから田中に厳重警戒を指示していた.いつにない物凄い警戒振りだ. 五日~―六日のあいだに,留置場にはいっている二0名の中国平和人民の生命を,この残虐きわまる044非人道的手段をもって奪い去り,この場から逃げ去ろうとするのだ.

生地獄,首魁(しゅかい)背虫の安達は,いつものあわて方ではなかった.聴診器のかわりに,抜身(ぬきみ)の小型挙銃を右手に,この殺人試験を指揮するという,うろたえ方だった.

「開始っ.」 高台にあがったこの狂人,背虫の号令がひびいた.

「おい,佐藤16上等兵始めたぞ.」 私は,背虫の顔から目を離さなかった. 柳沢と高尾から中国人を受け取り,いま五千ボルトの焼けきっている鉄条網を目の前に,三0メートルの距離から,しだいに接近して行った.その両側には,幾つもの電流を通じた鉄板が,地面に浅く埋められている.

「こらっ,真っ直ぐに行け.」 私は彼の肩をぐっと押した. 「こら急げ!」 私は背虫の顔を見ると気が気でなかった.

一歩―二歩,ぎしりぎしりと落ちつき払った足並は,初めから変わりなかった. 鉄条網まで,あと五メートル. あっと声がした瞬間,彼は地面に坐(すわ)り込んだ. 鉄条網の端からは,ぶうぶうと火花が吹きはじめた. 電気はうなりをあげて鉄条網を流れている.

「この野郎,度胸(どきょう)のないやつだ.往生際(おうじょうぎわ)の悪いやつだな.」と,私は背虫に聞こえるように,大声を張りあげどなりながら腰の辺(あた)りを蹴りあげた.このとき田中が,準備していた丸太ン棒を持って来てくれた.私はこの棒を受け取るなり,「これでも食らえっ.」と言いながら,ところかまわず殴(なぐ)りつけた.

「おい立てっ,立たぬか.」 つづけざまにどなった.

045くちびるをきっと締め,悲壮な顔が見えたかと思うと,やがて彼はおもむろに立ちあがった. 私はやれやれと思い,ようやく生きている気持になって背虫の顔を見た.

「前だ.」 背虫は挙銃を前に振った.

「おい,真ッ直ぐだっ.」 私は彼の後から言った.

あと一メートル………. 私と佐藤は,彼らを手放して後へさがった.一歩-二歩………,あっ,あと半歩……….

左の膝が前にあがった.その瞬間,前にのめった. 五千ボルトの高圧電流が肉体を通り,右足の踵から地面にぶうぶうと火花をはき始めている. あっと息をのんだつぎの瞬間,背後から「止め.」という背虫の声がした. 電気のスイッチがきゅっとはずされたとたん,彼は後にばったりと倒れ,後頭部をしたたか打った.

「ううっ.」と,最後の悲痛な叫び声をあげたかと思うと,口から青白い泡を吹き出し始めた.数名の軍医どもが群がりよって,脈をとったり,聴診器をあてたり,両限に懐中電燈を照らし,検査をはじめた. しばらくして,

「第一回終了,つぎは一万ボルト準備.」 挙銃を手に,狂いたける背虫の声だった.

「おい憲兵,お前たちが二人で,これを火葬場に持って行けっ.」と検査を終わった軍医長が私に命じた.


046

その日の夕刻から,毎日試験場には人を焼く異様な臭気がただよった.生ける人間をガスの中に,あるいはガス注射で半殺しにし,そのうえ,鋸と斧で肉を切り取り,その後は火葬場にすてられて行った人. そして,いままた電気の無慚な実験に供され,まだ意識があるのに,証拠湮滅(りんめつ)のために生きながら火葬にされて行く人びと.

ここの火葬設備. 釜煉瓦鉄製煙突は,すべて移動式にできており,東京17から特別に送られて来たものだった.ここには,五十歳あまりの,白痴のような日本人軍属が一人いた. 私たち上等兵四名は,電気試験が始まると,火葬場にこの軍属の手伝いをさせられた. 鉄製の担架(たんか)に縛られ,ウメキをあげている人が担架もろとも釜の中に入れられた. 私は仲間の寺内上等兵とともに,二人の人を釜の中に入れると,上蓋を締めた.準備は終わった.

ウン,ウーンと,苦しみもだえる悲痛な声が釜の中から聞こえる.釜の側にある大型ドラム罐には,小型の電気モーターが取り付けられていた. 軍属の手がスイッチにふれたと思うと,ドラム罐の重油が,粉霧となって,釜の中へ異様な音を立てて散ってゆく.

私は,釜の横あいの穴から,この様子を眺めていた.釜の中には,万斛(ばんこく)の涙をのんで,もがき苦しむの被害者の姿がのたうっている. 粉霧ガスが充満されたと見た瞬間,軍属の手からマッチが点じられた.中では,この殺人鬼に対する怒りと憎しみの絶叫を残して,見る間(ま)に人影は火炎に包まれて047しまった. ボロボロの綿衣がまたたくまに焼け,皮膚(ひふ)から肉へ,重油の粉霧の濃度が増され,ウナリを立てる火炎は,肉から骨へ,二人の人体を焼きつくし,なおあきたらず,あたりの耐火煉瓦をなめてゆく.

このさまを,ニタニタ笑って見つめていた,白痴のような軍属の手が,ふたたびスイッチにかかると,モーターが止まり,釜(かま)の蓋が開けられた.

ウウン,ウーン,釜の側には,まだ二名,人間が担架のまま重ねられている.低い,うめきに似た親を呼ぶのかそれとも兄弟か子供の名か,うめきにまじってかすかに人の名を呼んでいる.

私は,興奮しきってふるえていた.そいつも焼くのか. 二度火葬をつづけた. この世の地獄,生きた人間の釜焼きは,数分にして終わった. 蓋の開いた釜の中へ円匙(えんぴ)を突っ込んだ私は,釜掃除を始めた. すくいあげた骨が,付近の炭殻山に投げ捨てられ,砕け散っていった.

四平郊外に殺人工場をたてた日本帝国主義は,その機密が人びとの前に暴露(ばくろ)されるのを恐れ,その後間もなく,場内試験場を跡形もなく湮滅(りんめつ)すると逃げ去りました.


ああ,なんという残忍非道.聖戦を称え八紘一宇(はっこういちう)を口にする戦争のかげに,なんたる蛮行がかくされていることか. 人間の良心の一片もない鬼,これが皇軍の実態なのだ.

私は,いま当時を回想して戦慄(せんりつ)を覚えるとともに,心から懺悔(ざんげ)の念にかりたてられる.私は,いま戦争を憎しむ. 誰のために,なんのために他国にまで押し渡り,罪もない人びとを無漸に虐殺してゆかねばならなかったのか? ただ天皇の名においてのみ,人類史上稀(まれ)に見るこの鬼畜の行為も,048良心の呵責(かしャく)も受けずに成し得たのだ.

平和なるべき人間社会,幸福なるべき人間社会,今日,真に平和な幸福な人間生活がソ同盟に中国に繰りひろげられ,築かれているのを見るとき,私は心から戦争を憎しむ.私は,いま戦争の恐怖が人びとの上に二度おおい被(かぶ)さり,戦争屋どもによって,原爆がもてあそばれているのを知るとき,黙視することはできない.私は叫ぶ,私の歩いた戦争の道を見てくださいと.


略歴

私は一九0九年七月十日宮城18県五反百姓の次男に生れ,農蚕学校を卒業後実家において農業に従事していましたが,徴兵を機に憲兵を志願し,一九三一年四月,中国東北に侵略,奉天,大連19,旅順20,四平,長春21など各地に駐屯し,炎天の罪業を犯し,一九四五年八月十五日,日本帝国主義の敗戦により,ソ同盟の捕虜となり,一九五0年第二次大戦の戦犯として中国に移管され被害者中国人民の人道主義的寛大政策の中に生活しているものであります.私は敗戦時憲兵少尉四平憲兵隊栴河口憲兵分隊長の職にありました.

 

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1 Watanabe Yasunaga, 憲兵・陸軍上等兵 Pseudonym
2 Dongbei -- die drei nordöstlichen Provinzen (遼寧省Liaoning・吉林省Jilin・黒竜江省Heilongjiang), d.h. die Mandschurei; auch: Dongsan東三.
3 Fengtian, früherer Name der Provinz Liaoning, wurde unter japanischer Herrschaft wiederbelebt, nach 1945 abgeschafft.
4 Miura Saburô, 憲兵隊長憲兵中佐 von Fengtian
5 Siping (chinesisch 四平市, Pinyin: Sìpíng Shì) ist eine bezirksfreie Stadt im westlichen Teil der nordostchinesischen Provinz Jilin. Siping ist der Sitz eines Apostolischen Vikariats der römisch-katholischen Kirche.
6 Baba Kikaku, Oberst der Kempeitai, 特別派遣編成隊長, 新京憲兵隊長兼任
7 Xinjing, Hauptstadt der Mandschurei (1932-1945); siehe 長春 Changchun
8 Hoshi Sanetoshi, Abteilungsführer, 新京域内憲兵分隊長兼任
9 Tanaka, Oberfeldwebel, 班長 (also mit 1 identisch?), 関東Guandong軍憲兵司令部付兼任
10 Guandong, alte Provinz
11 Ishii Shirô, 1892-1959; Generalleutnant in der Einheit 731, verantwortlich für bakteriologische Experimente und Menschenversuche.
12 Terauchi, Gefreiter
13 Takao, 伍長
14 Adachi, 試験場長
15 Yanagi Sawa
16 Satô, Gefreiter
17 Tôkyô
18 Miyagi, japanische Präfektur
19 Dalian (jap. Dairen), früher Lüda oder Lüta; eine Hafenstadt in Liaoning
20 Lushun --- Lüshunkou, im Westen auch unter der kolonialen Bezeichnung Port Arthur bekannt, ist ein Stadtbezirk der chinesischen Hafenstadt Dalian am Gelben Meer. Bis 1950 eine eigenständige Stadt.
21 Changchun, Hauptstadt der Provinz Jilin; seit 1932 Hauptstadt der von den Japanern besetzten Mandschurei; zu dieser Zeit hieß die Stadt Hsingking (新京; Pinyin Xīnjīng; jap. Shinkyō)