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15

 

第3部 焼き,殺し,奪う

焼き,殺し,その灰をけちらして進む
宜昌1作戦


162 湖北2省の隨3県から浙江4の流れに沿って西に行くと,ちょうどこの河で分けたように,河の南は広びろとした緑の畑が見渡す限り続いていた.もう一寸にも伸びた麦が,春風にそよそよと小波のように西に向かって押しよせていく.だが河の北は,段々畑の岡が続いて,真っ黄色に菜の花に埋まっている.その中にちょうど寝ころんだ駱駝(らくだ)のように,二つのコブのある山がある.これが有名な滾山5である.と言っても,特別風光が美しいというわけでもない.日本軍が一九三八年の十月武漢6を占領してから,この山は武漢第一線陣地となったし,また華中に日本軍がとぐろを巻くためにも,重要な拠点となったのである.

この山のうねうねとまわりくねった道を登って行くと,中腹からはちまきをしたように,屋根形底鉄と,幾重にも鉄条網がはりめぐらしてある.その中に紺の布切綿くずが針金にひっかかり,無数の163白骨が入り交じって雨風にさらされている.

それは昨年一九三九年十二月,武漢を奪還するために押しよせた抗日軍と,これを妨害した日本軍の戦争の跡なのである.

頭上近く登ると,杭の上に十幾つかの頭蓋骨がのせられてある.くぼんだ眼こうに……肉こそのこっていないが,黒い影が生きたものの目を思わせるようである.

日がすっかり暮れた滾山正面[西方]に,筆頭山7,尖山8,風洞山9,仙人砦と10,抗日軍の陣地が大波の如く連なり,その抗日陣地のあちこちから,信号燈がキラキラと右に左に点滅すると,徐家店11から浙江を結ぶ山々から,それに応えるように,パルチザンの火がボーッと盛り上がったかと思うと,すぐ闇にすい込まれて行く.

その時下の方から「オーイオーイ」と叫ぶ声が聞こえた.

「何か,どこの部隊だ……」

「三九師団だ!今から登るからたのむぞー」 「よーし」 その声が消えると,またぶきみな静けさに帰った.……


……やがてバリケードを開ける音がした.

「参謀の山崎12大尉殿が一応連絡にこられたのです」

「ハッ」,バリケードを開けた下士官がかしこまって敬礼する中を,参謀肩章を光らした山崎が,164二個小隊に守られて入って行った.

参謀が小哨長の部屋に入って行くと,兵隊達はてんでにそこに座り込んだ.

トーチカから飛び出した兵隊が,名古屋13と広島14なまりで珍しそうに話しだした.

「オーイ三九師団ってどこだかな」 広島の五師団だい」 「そうかい.じゃあ新設だな」 「チェッ」

その頃,新設師団というと戦歴がないので,古い師団は馬鹿にしていた.

「何言うんだ.これでも冬期攻勢には,お前の所を救援して助けてやったんだぜ」

「フフフフ……まあいばるない」…… 「ところでどの位あつまったんだ」 「ウン,何でも,今度でっかい作戦だぜ.お前の所の三師団ゃ,それに六師団,一三師団,三九師団,その外に,混成族団を重砲山砲等で,一0数台集まるというのだ」

「それにな」と,顔の長い伍長が口を出した.

南京15から戦車が一個聯隊来ているんだ.内の師団だけでも,五,六十個車輌いるぜ」 「そういえば隼もさかんに飛んでいるからのお[註・航空兵団]

一九四0年四月,こうして夜を日についで部隊が集結を始めた.それは抗日軍が首都を重慶16においてから,日本の速戦即決の企てがみじんに砕かれたため,あわてた日本軍は,長期の戦争に備えるため,占領地域を拡大して,さらに資源を掠奪しようとした.

武漢を中心とした湖北の穀倉[米,棉,油]特に,東洋一の大冶17鉄鉱は,今後の作戦を続ける,のにどうしても必要であった.それは何と言っても揚子江18という大きな河によって思うままに日本に165運び去る事ができるからである.

宜昌をとれ」 大本営の命令がとんだ. 南京にいた総司令官大将西尾寿造19が漢口20に姿を現し,十一軍司令官中将岡部和一郎21は,応城22に督戦のために出ばってきた.

こうして宜昌侵攻の体勢は整えられ,突破点の一つとして滾山が選ばれたのである.

今度の作戦は長々数百里にわたる長期の侵攻であるため,どうしても物資を補給する大都市と道路が必要であった.

そのために選ばれたのが,浙江を出て唐県鎮23,棗陽24,襄陽25に通ずる大公路と都市であった. 襄陽からは襄宜公路が襄陽宜昌間の道路]がつながっているからである.

突然滾山の右手で銃声が起こった. 徐家店に二三三聯隊が侵入したのだ.娘々廟 附近でも二三三聯隊が家を焼いているのか,一すじの火柱が天をこがしている.

今三九師団を主力とする野戦重砲と戦車独立山砲等四万近くがここに集結し,息をひそめて一斉に抗日地域に向かって襲いかかろうとしているのだ.


一言も言うな

集結が終わると各部隊長は,我こそ功名を挙げんものと,おろかにも血まなこになって,将校の指揮する斥候を派遣して,抗日軍の一線に侵入して情報を集めるためにやっきとなった.

二三一聯隊の横山26大佐も先任聯隊長の面目にかけてもと,一大隊長の吉満27少佐に斥候を派遣するように166命じた.功名を一人占めしようとしていた吉満は,得たりとばかり兵隊から成り上がった一中隊長の梅野28大尉にこの任務を与えた.だが……もう正面の筆頭山の頂上が夕やけに消えようとするのにまだ帰って来ない.後をふり向くと滾山の戦闘司令所で小さなともしびがチカッと光ると,またスッと消えた.もう家の中で待ち切れなくなった吉満少佐,煙草をがちがちかみながら外に出ると,楡の木の下に持ち出させた朱塗の机の上にドカンと腰を下ろすと,またガブガブと酒を飲みだした.

「おい梅野はまだ帰らんか」 「ハァまだ帰られません」 「一体どうしたんだ」.油切ったゴリラのような面をした吉満の顔がますます赤くなった.……

ちょうどこの時,三中隊の二反田29上等兵は初年兵の中祖30,木島31,渡辺32などを連れて本部に連絡にやって来たが,テカテカとローソクの光に照らしだされている吉満の顔を見つけると,軒下にかくれた.

「大隊長殿,大隊長殿」,伝令がとんできた.よほど待ちかねていたと見えて,思わず腰をうかした. 「そうか,梅野33が帰ったか」…… その声も消えぬうちに,梅野大尉が浅黒い馬面をのぞかせると,チョビひげを動かした.

「ひやァ全くてこずらしましたよ」 梅野は無遠慮に盃を子にとった. 吉満少佐は梅野大尉から一応報告を聞くと《ようしうまい具合に戦車路を見つけて我が大隊だけでも一番につつ込んでやろう》と思いながら,少佐の襟章をグイと前につき出し,目の前にひきすえられた六人の農民を見た.

「ふん奴ら」 ぶあつい口唇がゆがんだと思うと,うす笑いを浮かべ頬の筋肉をピクピクさせながら,一人一人の顔を見た.

167後手に縛りあげた男,頬骨の高い黒いひげの中にグッと口をひきしめているのを見ると,こいつなかなか強情そうだと思いながら,後にいる二人の婦人に目をつけた.一人は三十近く,一人は二十をちょっと過ぎたばかり. 「この女どもどちらがこの男の女房かな」

「オイ梅野大尉殿,殺された男の女房はどっちだ」と尋ねた.

「ああ,その大きい子供を抱いている断髪の方です」

「フウンじゃあ束髪の色の白い方がこやつのかかあだな」と,ジロジロ見ながら盃を口に持っていった. 梅野大尉は,油ぎった吉満の顔を見ながら《大助[大隊長]甘く見ているな,俺があれだけ締めていたのに》と思いながら,《まあいい,こんな時でなけりゃ,ウイスキーなんぞ手に入らんからのお……》と盃をぺロペロとなめた.そこに情報係の今田34軍曹がやって来た.

ヂーヂー,蠟燭がとけてあたりがパッと明るくなると,照らし出された男の青黒い顔,右ひたいに黒い血のあとがついて,肩から白い襦袢が諸肌を脱いだように破れている.背中は紫色にはれあがり,血の色か皮膚の色かわからない.木がゆるゆると揺れると,油汗がだらだらと流れた.一番後にいる老婆のショボシヨボした目が警戒するように光っている.

それらをジッと見まわすと,《こいつらなんぼ強情でも,俺にかかっちゃ》吉満は自信たっぷりに……いまに向かって「オイ筆頭山陣地の戦車の侵入路を調べるんじゃ,いいかまず牛車の侵入路があるか……どうかを吐かせろ」もともと右につりあげた口をその上ねじ曲げていった.

昔警察をやっていた通訳喜多村35上等兵が,「そいつはお手の者」と言わぬばかりに顎をつき出すと,168三尺位の竹ムチをグイと男の頭に突きつけ,重々しい口調で「オイ牛車の通る路があるか?」と中国語でたずねると「知らない」.頬をいが粟で叩きつけられたように,とびあがった彼は,「何……なんじゃ,百姓のくせに牛車の通る道がわからん」……とあわてた.

喜多村なめられるな」 まわりから野次がとんだ. 「フ,フ」 吉満は盃を口に持っていって酒がないのに気がつくと,「酒を持って来い」と怒鳴った.

今田は……「よし,いわんつもりだな……*」*と天秤棒を持ち出すと,左足を前に出し鉄棒をふるように構えたかと思うと,ブンとうなりを上げて男の肩先を殴りつけた. 「ウーン」 その声が消えぬうちに,またもや振りあげた棒の下を転げ込むようにとびついた束髪の女が,男をかばうように立ちふさがった.その時六つ位の男の子が「ウハーッ」と泣きながら小さなはだしの足でかけ出すと,父の足に抱きついた. 「エイ,こいつらじやましゃがるか」と,喜多村が女の髪を鷲づかみにして「こっちへきやがれ」とズルズルと引っぱった. 「お前たちわし伜のを一体どうしようってんだ」 老婆が叫んだ. 「エイ,こいつらじゃまする気だな.よし皆縛ってしまえ」

このさまを見た二反田は,木島や中祖の肩を後からおし出し「オイ俺らも手伝うんだ」と飛び出すと,てんでに後手に縛りあげた木島は一生懸命になって老婆の手をつかんだが,力を入れると腕が折れそうな気がして,おどおどした. 「ヤイ何をぐずぐずしていやがるんだ」 側に二反田がとんでくると老婆の腕を力いっぱいねじあげた.

「よし今度はこっちを殴って見せしめじゃ」 今田はこめかみの下の青筋をむくむくと動かすと169天秤榛を持ち直し,ゴツンと男の頭を叩いた.

「オイ言わなけりゃ,どんな目に合うか,よくそこから見ておれ」 と天秤棒を頭より高く振り上げると,かけごえもろとも振り下ろした. 「一ツ」 「ドスン」 ぶきみな肉の音がひびく.女は夫に聞かせまいとするのか,歯をくいしばり体をきゅっとそらして,痛みをこらえた. 「フフフ,強情な奴だ.こらえられるものならこらえてみろ」 「ドスン」……

「何をするんだ.鬼奴ら」 断髪の女と老婆が,同じように叫んだ. 「母ちゃん,母ちゃん」 二人の子供がワッと泣き出すと,足をパタバタ動かして母に近よらんとした. ……だが,女はギリギリと歯を喰いしばったまま,うめきすらあげず前につんのめった. 「なんてなんてむごいことをしゃがるんだ,畜生ッ」 老婆はもう白くなった髪をふりみだして,腸をさくような声で叫んだ.断髪の女はジツと突きさすような目で吉満をにらみつけたまま動かない.なぐった今田が追いつめられたようにやっと「強情な奴め」と息をもらすと,チラッと吉満の方を見た. 吉満は一人の女農夫に射すくめられたように口をへの字に曲げていたが,今田と目が合うと胸をそらして「よしッいわなけりゃ子供をやれ」とどなった.

喜多村はローソクの火を持つと,片手で子供の顔をグイと持ち上げた.小さな黒い目に一ぱいたまった涙がポロポロと流れると,「母ちゃん母ちゃん」二人は声をそろえて母を呼んだ.幾筋も幾筋も涙のすじが蠟燭の光を受けて,キラキラと光っては散って行った.

これを見た喜多村は,フフフと口もとにざんにんな笑いを浮かべると「子供を殺してもいいかッ」170とほえた.その瞬間,今まで死んだように伏せていた小さい子の母親が,紫色に腫れ上がり目のつぶれた顔をグッと起こすと,何か叫ばんとしたが,声より先に血の固まりがパッと噴き出すと前につんのめった.

「ウ,ウ,こいつ奴よくもよくも俺の嫁を殺したな」 老婆は転がりながら束髪の女の側に寄って行った.二人の子供も,断髪の女も一斉に走りよった.だが老婆は嫁を抱きかかえてやることのできないまどろこしさに,嫁の顔に我が顔を押しつけると「鬼子奴,鬼子奴」と身をもだえた.

まわりを囲んだ兵隊がざわざわとさわぎ出した.だが木島はくちびるを紫色にしたまま顔を上げることもできなかった.その耳もとで「こいつら反抗するな.オイッ,子供をこの石の上にのせろ」目を吊り上げた今田が,気狂のように叫ぶと,山本一等兵が小さい子供の丸々とした紅葉のような手を,毛むくじゃらな手でひんにぎると,石の上に押しつけた.何をされるかも知らず,子供はもう声も出ない.ただ,母を呼ぶ小さな目に涙が一ぱい溢れていた.

今田は兵隊から銃をひったくると,子供の子の上にのせて吉満の顔をジッと見た. 「フーッ」とはき出した煙の中から,いつも機嫌がよい時の,右唇をつんとはねあげた顔を見ると……,勝ち誇ったように「オイ命が欲しかったらおとなしく答えるんだ.そしたらすぐ帰してやるんだぞ」…… その今田の声がまだ終わらぬうちに,吊り下げられ,ダラリと下がった血だるまになった男の目がカッと開いて,「鬼子,こやつらは東洋鬼子だ,けだものだ.一言も,一言も言うんじゃないぞ!」 腸をしぼるような声で叫んだ.

171「畜生ッ」 逆上した今田のかんしゃく筋が引きつると「エイッ」詰めた息を一度に吐き出すような,気合もろとも打ち下ろした,鈍い音が銃尾の下でしたと思うと,五ツの指がくだけた.子供の「ギヤッ」とひときわ高い呻き声が,あたりの空気をひきさいた.

「アッ」 断髪の女の声も老婆の声も同時だった.まわりにいた兵隊も,グッと息をのんだ.その中をどうしてハネ起きたのか,断髪の女が子供の側にかけつけると,殺された母にかわって子供を抱きかかえようとした.だが悲しくも,子は後にくくられ,ふりきることもできない.小さな子供は目が見えないのか,血にまみれた手を抱くようにして身もだえると「母ちゃん」と一声,女のふところに顔をすり寄せた.

こぶしをふるわせて怒った老婆は「鬼めら,こんな小さい子供をいったいどうしようというんだ」 ポタポタと落ちる涙の顔を振り向いて伜の顔を見た.

男のランランたる眼光がそれを受けた. 「フフフ,エエ度胸だ」 軍刀をにぎりしめた吉満がこめかみをピクピクけいれんさせながら,椅子をけっとばして立った.

《鬼の吉満が腹を立てたぞ今に何かやるぞ》…… まわりを囲んだ兵隊の間にざわめきが起こったが,すぐ息をのんだ.一秒,二秒,吉満は男の前に一歩を踏み出した. 「クソオッ」と狼が吠えたように軍刀を引き抜いた吉満は,ブラ下がった農民の肩から斜めに切りつけた. 「鬼奴ら」,骨をさすようなうめきとともに血しぶきが吉満の面にとびちった.

「ウワッ」と,女も子供も老婆も一つの火のかたまりとなると,男の体にとびついていった.鬼の172吉満が青くなって,タジタジとよろけるように下がったが,最後の足でやっとふみとどまると,ブツブツと顔をなでながら, 「こらッ全部突き殺せ,早くやるんだ!」 赤く染まった軍刀をめちゃくちゃに振り回しながらわめいた.…… 伜にとびついた老婆,父に抱きついた子供,断髪の女も子供も,ふき出る血を浴びながら,ジッと吉満の方ににじり寄ってくるのだ.……

その時,スッーと谷聞をまぜる一陣の風が楡の木をゆすると,狂うように燃えていた蠟燭の火がふっと消えた.あたりは真っ黒になった. 「火だ,火を早くつけんか!」,うわずった吉満の声が,閣の中をわめき続けた.


虫一匹残すこと相ならん

滾山の麓で農民が殺されたとき,ザクザク歩哨の足音が戦闘司令所になっている幕舎のまわりを,きまった速さで数えるように歩いていた.

五十メートル離れた所に重機関銃をすえつけて警戒している射手の姿も,夕闇にもう見えなくなってきた.

この滾山の陣地から抗日軍の筆頭山まで,直距離約千五百メートル……昼間から最後の陣地偵察が終わったので,各部隊長は宴会を始め,鬼の神崎36,蛇の岩田37,情知らずの 卯三郎 と兵隊の間で有名な,第三九師団二三三聯隊長神崎哲次郎,野砲第三九聯隊長岩田,輜重聯隊の中川卯三郎38等各聯隊長級が酒をくらって,赤い顔で今帰って行ったばかりである.

幕舎の中では,正面の大机の前に座ったせむしのような小男が一人,目をつむって何を考えている173のか,それとも寝ているのか,じっと動かずにいる.この小男が三九師団長村上啓作39である.彼と机をはさんで,これはまた大男の専田40参謀長が座っている.彼は八の字に太い口ひげをひねりながら,地図とにらみあっていたが,赤くなった頬がだらりとゆるんでいる.その腰掛の下に,十数本のウイスキーの空瓶が放り出され,カニの缶詰の空缶が散らばっている.

「オイ,まだ聯隊から情報はこんか」,突然専田が咳きながら,そばに立っている山崎参謀の方を見た.

「ハア,二三一聯隊の将校斥候が農民六名を逮捕してきたので,今,吉満少佐が直接戦車路を取り調べると言ってきたところです」

青びょうたんの山崎参謀はいらだたしそうにそう答えると,また机の上に広げた地図のうえに乗りだすようにもたれかかり,色鉛筆をごとごと叩きながらのぞきこんでいた.

専田山崎!」「明日は総攻撃じゃぞ」 最前から机にうずくまっていた村上がたまりかねたように背をのばすと,眼鏡ごしにきめつけた.

「ハッ閣下,各聯隊に厳命し,極力情報をあげさして探しているんですが,何しろこの附近の情況ときたら,特別抗日意識が強いので」 「馬鹿それをやるんじゃ」 「ハッ」 山崎参謀は,各聯隊に伝えるためにあたふたと外に出て行った.そのうしろ姿を見送ると,村上は,スリーキヤツスル[煙草の名]に火をつけ,「オイ」と専田参謀長の方をふりむいた. 専田,今度ばかりは何といっても新設の我が師団にとって,緊揮一番の作戦じゃ.皇国の興廃ばかりでなく,師団の面目を発揚する時じゃ」

174ことばの後半分の方に特別語気を強めておいて,村上は更に続けた. 「それにこの成果いかんは,貴公の将来にも関する問題じゃ,とにかく抗日地域を徹底的に灰にするんじゃ,虫一匹も残すことは相ならん」と酒くさい息をふき出した.

「ハッ」 専田は座ったまま最敬礼すると,「いや,誠に閣下の武勲にあずかりたいと思います」 いつも参謀肩章にものを言わせて,いばり散らしている参謀長もこのような時にはまるでバッタのようにペコペコと頭を下げた.

そこへあたふたと山崎参謀がとびこんで来ると「閣下,吉満の奴,捕らえて来た農民がどうしても言わんといって叩き斬ってしまいました」 「何斬った.大馬鹿者が,戦車の侵入路はどうするんだ」 村上は見る見る青筋を浮かべると,グワンと机を叩いて立ち上がった.

外は風になったか,麓から吹き上げる風がパタパタと天幕をゆすり,今まで遠くつらなっていた野営のかがり火が,「フッフッ」とかき消すように消えると,あたりは真っ黒なぶきみな夜に変わった.


次郎店41の女戦士

「いよいよ明日は総攻撃か!」,ひとりごとをいいながらむっくりと起き上がった太田42一等兵は,太い溜息をつきながら頭をかかえた.チロチロ燃える焚火がさまざまな影を土壁に写している.

「皆なよく寝とるなあ,家の事は気にならんのだろうか」…… 太田は不思議でならなかった.部屋の隅に目のふちを青くはらした木島,中祖,渡辺が眠っている.

175《奴らそういえば今日も分隊長の西島43軍曹から殴られていたっけ,……大隊長の前でのあのざまは何だ……,無理もない.まだ戦地へ来たばっかりじゃねえか!……だがあの女はなんて気の強い女だろう.ちょうど俺の女房と同じ位の歳,あいつは本当に気の弱い奴だった.それに二人の子供……召集令状……皇国のために一死報国を祈る,万才万才……旗…… 旗……好色そうな町長の顔……くるくると頭の中をまわる.俺ぁ死にたくない,死んでたまるもんかい》

太田は頭をかきむしった.傍らの木島が寝がえりをうった.一つ星のあごがかすかに動いた.俺にもあんな年があったのだろうか. 太田は若い木島がねたましくなった. 木島は夢を見ているのだ.


……揚柳が風に揺れている.緑色の澄み切った水面を幾百のアヒルがすべるように泳いで行く.

紋鳥が一羽とんで来て,水牛の背にとまるとピョンと頭に飛び上がりしきりに虫をついばみ始めた.見渡す限り菜の花畑が連なり,その中を白い道がどこまでも続いている. 「広いなあ!」 木島はワクワクする胸を押さえながら,こんなに広い畑を力一杯耕すなんて,中国に戦争をやりに来てよかった.……

お父もう五反畠なんぞ 山田 の日那に叩きかえしてしまやぁいいんだよ…… 白い道を誰かがこちらにやって来る. 「清や」…… ああ,おっかあだ!,妹もいる,……菊子44,呼ぼうとしたが,声が出ない. ,待って,菊子 振りかえった妹,……ああ,あの女だ……

木島の顔が急にひきつけたようにゆがむと,ふるえながら苦しそうな呻きを上げ始めた. 「オイ木島,どうしたんだ木島 太田が揺すり起こした. 「アッ,古兵殿」 目をさました木島がきょろきょろ176あたりを見まわしながら,「アー,あの次郎店の女が,また」 木島はおびえるように焚火の辺ににじりょった.

次郎店の女というのはこうだ.


それは師団が黄陂45を出発して,この作戦のため浙江に集結中のつい数月前の事である.

木島は広島の十一聯隊で三カ月の訓練を受けて,華中46派遣の三九師団二三一聯隊の三中隊に入ったのは四月の初めで,中国に渡って早々この作戦に引っぱり出された.

師団長村上は各聯隊に浙江に集結を命ずるとともに「二三一聯隊は次郎店附近の新四軍根拠地を徹底して掃蕩すべし……」と命令を下した.この命令に基づいて四月二十二日聯隊はわざわざ道を河口鎮47から山岳地帯に入り,ズタズタに切れた山合の一本道を,新四軍の根拠地と言われた次郎店に襲いかからんとしていた.

もう陽は西の山に傾いていた. 松林48を出ると広い盆地に百戸ばかりの部落が見える. 「あれが次郎店だぞ」,堆土に伏せた路上斥候の西島が双眼鏡をのぞいてこう言うと,すぐ後で西山49上等兵が本隊にむかつて次郎店が見えたよ」と手を丸くふって合図をした.

次郎店は赤土の半分崩れかかった土壁にかこまれ,その三十メートル位下を,幅五メートル位の小川が流れている.

今年の一月冬期攻勢反撃作戦の帰り,京漢線50の揚家塞51からこの道を掃蕩して帰った時,この部落に177も火をつけたばかりだが,もうあちこちに新しいかやぶきが目立って見える.

木島は松の木影からのぞいて見た.新四軍の根拠地と言うからには,鉄条網やトーチカが……,だがどう見ても普通の部落としか思えない.

「フーン,おるぞおるぞ.こんどは皆殺しだ」 西島は中隊が接近したので,もう占領したような気で一息に坂をかけおりようとした時,「パンパン」突然小銃の射撃を受けた.紺色の服がチラッと動く. 「敵は小勢だぞ」 大勢を頼みに突き抜けようとするが,…… だがこの斜面を下らんことには突撃できない.出ようとすると「パン」ととんでくる.

「アッ」擲弾筒の落合52一等兵が胸を打ち抜かれてひっくり返った.弾の数は少ないが弾着が正確なのだ「狙撃されるな」「狙撃されるな」言い合わしたようにしり込みをする.大隊長吉満はこれを見ると,金歯をむき出してとんできた. 「何だーッ,この位の敵に恐れるんか,出ろ出ろ前へ出ろ」と軍刀のつかを叩いて,後ろの土饅頭のかげからがなりたてた.

やっと機関銃が六銃ならんで一勢射撃を始めた.敵がどっちから射っているかはさっぱり解らないが,ただめくらめっぽうに怪しいと思う所を撃ち続けた.しかし新四軍は右に左に巧みに姿を現し狙撃を続けた. 「やられた」 あちこちに呻きが続いた 「頑張れなぁー奴ら大した人数でもないじゃないか」 西島軍曹がいらいらしながら二反田の方を振り向いた. 「うん奴らみな女,子供を逃すまでは,どんな事があっても引かんのだ.まあちょっとまて,今に奴らあひとりでに逃げるよ」九・一八事変に満州であばれた召集兵の二反田は,いつも共産軍と戦闘するというと,身ぶるいして出ようとはし178なかった.

一時間もすると,だんだん銃声が下火になってきた. 「突撃だあ」 班長の西島がとび出した. 木島も班長に遅れては,と引っぱられるようにとび出した.ヒザ坊主がガクガクとして,何辺も転びそうになった.今までどこにこれだけの兵隊がいたのかと思う程,あちこちから皆とび出してきた.

河を越して赤土のダラダラ坂を登ると,すぐ前の家にモミを引く石臼がある, 「おやあそこに死んどるぞ」,よし小銃でもあったらとってやろう,と木島は勇気をふるってかけ出した. "あ,女の兵隊だ"西島班長殿,女ー,女です」 木島はせき込んで叫んだ. 「何女だ」 西島がとんで来た. 二反田も太田も乗松もとんで来た.

うつぶした若い女の戦士,肩にかけた弾ノウが血に染まり,軍服が破れ,こぶしを固く握っている.

「ウン女か……」 西島が口を曲げていった. 「オイこいつを裸にして物入を探すんだ」 西島にいわれて,木島と中祖は瞬間ぼう然としてつつ立っていた. 「早くせんか,何しとるかー」 西島がどなりつけた. 木島と中祖がとびかかろうとした時,今まで死んでいると思っていたこの戦士の目がギロッと開いた.とたんに,こちらもにらみつけた. 木島と中祖がよろよろと二,三歩後に引き下がった.

「オイ何をグズグズしとるか,早くするんだ」.主人におこられた犬のように,二人が西島の顔色を見ながらとびかからんとした時,戦士のまなこは,ますますきつく,鋭く輝いた.

戦争が初めての木島と中祖には,どうしても勇気が出ず,足が一歩も前に進まなかった. 「こらー何をぐずぐずしとるか,そんな事で弾の中がくぐれるか」. 木島,中祖を押しのけた西島は「オイ179貴様らは良く見とるんだ,野戦に来て人を殺す事くらいができないようじゃ,一人前の兵隊になれはしないぞ……」と叫んで,腰の帯剣を引き抜いた.

戦士の眼はぱっちりと聞き,射抜くように西島に向けられた.その憎しみの眼はリンとして光った.

「こ奴,女のくせになかなか生意気だ.オイ初年兵は良く見ておくんだ……」 西島の目が三角につり上がったかと思うと,戦士にとびかかってずぶりと背中に突きさした.戦士の身体がぐったりとして固くにぎっていたこぶしの中から,砂がボロボロと落ちて行った. 西島は物入から小刀を取り出した.そして戦士のズボンをプリプリと切り裂いてしまった. 「オイ初年兵達は良く見とるんだ」と,厚いくちびるをべろりとなめたと思うと,戦士の太モモの肉をグサリと切り取った. 「オイこれを布に包んで持って行くんだ」と,木島の前につき出した. 木島,中祖たちは,あまりの事にただあっけに取られて,なんと言って良いか,その言葉すら出なかった.

はるか北方の高い山からパンパンと絶えまなく銃声が聞こえたが,すっかり止んだ.夕陽が西の山に入り,あたりはすっかり暗くなって行った.


横山部隊は,小川を渡って次郎店の部隊に入り,宿営した.陽がとっぷり暮れた次郎店の部落では,バタンバタンと扉を壊す音,壁を壊す音,部屋の中でガヤガヤとドラ声が聞こえてくる.

木島は茶をわかした水筒を持って,西島軍曹のいる部屋に入って行った「班長殿木島二等兵は,お茶をわかして参りました!」 陽焼けと,もともと真黒い顔をしたのが,酒のために赤黒くなった西島180軍曹が,スキ焼を食べながら酒を飲んでいた.

「オイ木島,これを食べんか,これは非常にうまいぞ」 「ハ,ハイ……」 真っ青になった顔,ブルブルふるえている木島.

……木島は,これを聞いて身の毛がよだち,わきの下からタラタラと汗が流れ出した.それはこのすき焼がなんであるか良くわかっているからである. 「オイ食べてみるが良い,こんなうまいもんはないよ」 西山上等兵が横から口を出した. 中祖や渡辺も入って来ている. 「何をグズグズしてるんだ.早く食わんか」 西島にどなりつけられて「ハ,ハイ班長殿,じ,自分が食うんであります」と初年兵の渡辺が前に出た.扉を開けて外に出た木島は,ゲロゲロと夕食を残らず吐き出した.


「オイ木島,お前には姉や妹がいるか」 「ハイ古兵殿,妹がいるんであります」 太田に言われて,寝ぼけ顔をした木島が答えた. 「お前も野戦に来て間がないから恐ろしいだろうな,もっと勇気を出して頑張るんだよ.まだ若いからなあ……」 「ハイ,古兵殿,そうであります」 「わしは妻も子供もいるから良いが,お前はまだ若いから……命だけは……命あっての物種だ,弾の来る所では注意するんだ.西島の奴,大きな事を言って威張っているが,弾が来たら穴の中に入って出やしないんだ」 人並でない身体の弱い召集兵の太田は,西島が寝ている所では強い所を見せた. 「見ろあいつの顔を」 太田に言われて木島が西島の方を振り向くと,西島は今日も大酒を飲んで赤黒い面を焚火にテカテカさせながら,あついくちびるからよだれを流し,うわばみのようないびきをかいていた.

181ガ夕,ガ夕,ガタ荒々しい足音がしたと思うと,「ギーガタン」と戸をはね開けて,二反田上等兵が入って来た. 「何だお前ら起きとったのか.寝んと明日つかれるぞ」 「ウン,木島がな,次郎店の夢を見てうなされたんで起こしてやったんだ」 「そうか,あいつ」 二反田は西島の方を見ながら,どっかりと腰を下ろすと,続けて, 「から威張りくさって,兵隊の前にゃいやに強う出やがるが,ああいう奴は臆病者のおたんこなすだ」と,ハキ出すように言って煙草に火をつけた. 「上等兵殿,木島は立哨します」 「おう気をつけろ」 木島はふるえる足を踏みしめるようにして外に出た.

四月の末とは言え,背筋にしみとおるような風が吹いていた.風の度に前の木影がおそいかかるように揺れている. 木島はブルブルと身をふるわせた.前の谷に戦車が牛の糞をつくねたように,にぶく光っていた.


血の滾山

各部隊が血眼になって探したにもかかわらず,依然として戦車の侵入路は解らなかった.だがこれを肉弾で補おうとした師団長村上啓作は,各部隊に攻撃命令を下した.こうして五月一日の夜は嵐をはらんで明けた.午前七時になると観測球が,悪魔の使いのようにスルスルと上がった. 「おいあれを見ろ」 鉄帽をまぶかにかぶった兵隊が,青白く引きつった顔をして指さしながら,この気球に生命の安全を期待するように「うまく観測してくれよ」……とつぶやいた.

ドドドド重砲陣地が山をゆるがして,一斉に火を吐いた.

182滾山の正面にある土塁にまかれた筆頭山陣地を初め,尖山,風洞山と連なる抗日軍陣地の山々が噴き上がる無数の土柱と,黄色いタコ入道のようにむくむくと湧き上がる毒煙に包まれて行った.

「毒ガス弾だ」 「防毒面をかぶれー」 後から声が伝わってくると,みんな慌てて防毒面をかむった.

雷のような砲声が数刻続いた.ガスと砲煙がうずまく陣地……南にいる十三師団の方向から二十数機の爆撃機がとんできて,筆頭山陣地に爆撃を始めた.防毒面をぬいで生きかえったように見ている目の前でドカンドカン,ダンダン土煙の中に土塁が崩れる.緑の草山が見る見るうちに黒茶色に変わった.

今まで砲塔だけのぞかせて射撃していた戦車が,急にキャタピラの音を立てて動き出した. 「突撃,突撃だぞ」 おいたてるような声に,今まで岩かげにかくれていた人影がもくもくと動きだした.二三一聯隊は,右を三大隊左は第一大隊がれての戦 車輌の尻にへばりついて,土ぐものようにはいよっていた.

鹿砦を通りぬけたが銃声一発しない…… 「うんあれだけ撃てばのう」 二反田上等兵が後を向いてつぶやいた. 木島は血ばしった目をギョロギョロさしてうなづいた 西島の奴,俺ぁ臆病だと言いやがった.だが俺ぁ戦争が恐いんじゃない.見てろ今日こそ俺ぁ手柄を立ててやるから》 木島は二反田の後をおそるおそるついて行った.

その二十メートル位後で,「この野郎陣地にぁ虫けら一匹もおらんちゅうに,そのざまは何じゃ」 目をむいた西島が岩かげにしゃがんでいた太田の肩を,軍靴でけとばした.それでも太田はまだ動こうとも183せずに,一心に銃眼を見つめていた.

崩れた土塁まで後五十メートル.急に戦車がピタリと釘づけになった. 「アッ戦車壕だ」

ダダダー,突如今まで静かだった抗日軍の陣地が一斉に火を吐いてきた.同時に二線陣地からもマキシム重機関銃が火の雨のように撃ってきた.威張っていた西島が,そのとたん岩影にへばりついた. 森岡一等兵も岩の間にさかとんぼのように頭を突っ込むと「成田不動」のお守りを抱いて,ぶるぶるとふるえていた.泡食って,どこに逃げてよいか解らなくなった一中隊長の梅野大尉が,うろうろする間もなく「アッ」とあごを射ち抜かれ,軍刀を放りっぱなしで蛙のように叩きつけられた. 木島も夢中で地面に頭をすりつけた.

「パチパチ」 まるで耳もとで叩きつけるような音に,身動きもできなかった.ウン,中田が伏せたままの姿勢で,頭を撃ち抜かれて死んだ.…… あちこちに悲鳴が上がり出した.

「お,おっ母」 誰かが叫んだ. 木島も叫んだ…… 「おっ母,おらぁおらぁ」 木島は,しきりに爪で穴を掘った「俺ぁ死にたくない……」 その時,前にいた戦車がグワッと天も裂けるような音を立てると,ズルズルと谷に向かってすべり出した.それは"くぬぎ""なら"という戦車である. "くぬぎ"が戦車壕に慌てて引き返そうとした時,土塁から五,六名の戦士が手榴弾を束にしておどり出た.慌てた"くぬぎ"は,くるっと急回転した瞬間,右にいた"なら"にぶつかったのだ.あっという間もなく,物すごい音を立て,"なら"がズルズルと谷にすべり落ち,途中からゴロンゴロンと転がり落ちると,谷間に腹を上にしてひっくり返ったまま暫くキャタピラをガチャガチャさせていたが,184急に白い煙を吐くと,パッと焔に変わった.

一方,三中隊長の細田中尉は,真青い唇をピクピクふるわせながら,顔を赤土にすりつけ,声ばかりは「前へ前へ」とがなり立てていたが,側にかくれている柴田を見ると,伏せたまま「オイ,なぜ突撃せんか」と,軍刀を振り上げた. 「ハイッ」と柴田がかけ出そうと頭を上げた瞬間,ブスッと音を立て,物も言わずひつくりかえった.


この頃,五百メートルの山かげから双眼鏡を手にして,一・三大隊の様子を見ていた聯隊長の横山は,急に地震にあった猿のように,右に左にとびまわりながら,「通信兵,通信兵戦闘司令所の参謀長を呼びだせ」……と,電話機にかじりついた. 「もし,アア駄目です.ハァ,突撃不成功です.もう一度砲の援護を」 うわずったしわがれ声が電線を伝って行った.

こうしてまた二度目の砲撃が始まった.聯隊はその間を利用して,やっとこ百メートル退却した.この時,北を攻撃している徐家店の二三三聯隊も,また盛んに射ち出し始めた.…… 激しい砲撃がつづき,一線二線陣地とも数百発のガス弾におおわれた.しかし陣地からは絶え間なく射撃が続いた.こうしてガスを使って,やっと聯隊は一・三大隊を交えて,筆頭山の土塁陣地にはりついていった.


黄色に染まった太陽がもう真上から西にそれていた. 細田中尉もこの時,アタリをキョロキョロしながらとび込んでくると,まず目の前の胸を射ぬかれ,歯を食いしばっている戦士の姿を見つけると,185彼は大上段に振りかぶって,エイと斬りつけ,一万二万こうして軍刀に血をなすりつけると,これを見よと言わんばかりに血刀を振り上げて,「突撃だー.皆殺せ,皆殺せえ」とわめき出した.その側を,あちこち見まわしていた木島が,銃砲弾のように走りぬけて行った.

壕の中には濡れタオルでマスクをしている者,眼を赤くはらし,手榴弾を固く抱きしめ,血を吐いて倒れている若い戦士,担架の柄を握ったまま倒れている看護婦,……みんな毒ガスでやられたのだ.ホスゲンの悪臭がつんと鼻を刺す. 「オイ,まだガスが残っているぞお」. 二反田が大声でどなった.その時,木島は夢中になって,あちこち目を皿のようにしてとびまわった. 《一梃でも小銃を取ろう.そうしたら西島も俺をひきょう者と言わんだろう》


陣地を占領したとなると,皆急に強くなった. 「エイ,オウ」 あちこちで負傷兵を突き刺す叫び声が聞こえる.殺された戦士を,また外の兵隊が突いた.それに入り交じって,パンパンと銃声,第三機関銃の真田少尉は拳銃で負傷者の頭を一人二人と数えながら射って歩いた.こちらでは,目を吊り上げ,耳まで口が裂けたかと思われる高橋曹長が,ハッハッと大きな息をしながら,今まで何人斬ったのか,血刀をさげて立っていた. 木島と田中が銃剣を提げて走りかかると,「オイ,待てお前ら,度胸をつけるんじゃ,あれを突け」 二人の負傷兵を指した.見ると二人とも若い木島と同じ位の年だった.屑を撃ち抜かれているのか,上衣が血に染まっていた 《よおし,今日こそ俺も敵を突いて,一人前になるんだ》 と思うと,木島と田中が我先にとかけ出した.

186じつとにらみつけている顔をさけるようにして突いて行った. 「ドカン」,瞬間真っ黒い煙がふき上がったと思うと,目の前が真っ黒になってぶつ倒れた. 木島木島 ハッとしてキョロキョロとあたりを見まわすと,田中が胸を押さえてうなっていた. 「オイ,大丈夫か,オイ田中,どうしたんだ」…… 高橋が田中をだき起こしたが 「オイ木島,衛生兵を呼べ」と,どなりつけた. 木島が衛生兵を連れて来ると,高橋は先程の戦士を目茶苦茶に斬りつけていた.

「オイ,木島,お前は運が良かったぞ,もう一メートル近よっていたらお前もお陀仏だ」 「曹長殿どうしたんですか」 「ウン,こいつら殺されると思ってお前らを道づれに自爆したんだ」 木島はズーンと背中に冷水をかけられたような気がした. 《今まで映画や本で見た,日本軍の勇敢さと中国兵のだらしなさ……だが今日の戦争は実際にどうであったろうか.……青くなってふるえていた中隊長,戦車にも屈せぬ中国兵の勇敢さ,ガスだ!,ガスがなかったら落ちる陣地じゃない》…… 初年兵木島にもその事が身にしみるように考えられた.

木島,高橋に呼ばれて,初めて我に返った 「お前,小西と一緒に田中を繃帯所に送ってやれ,西島には俺が言う」 高橋はこう言うと,後も見ずにすたすたと壕をとび越して走って行った.


まだあちこちで盛んに兵隊が入り乱れて何かを叫んでいた.その頃,三大隊も一大隊とともに陣地に突入して,さんざん負傷兵を殺したが,大隊長楠畑が「捕虜にせよ」と命令してから,負傷兵とガスに倒れた戦士を集め出した.歯を食いしばり,血みどろになった戦士が集められた.

187一人として満足な体をした者はいなかった.こうして三十名余の戦士が窪地の菜畑の中に集められた. 「おい若い女の兵隊が二人いるぞ」 真っ黒い土だらけの顔を血で染めた兵隊がまわりを囲んだ. 細田はまだ兵隊に血刀を見せようと,納めようともせずに提げていた.そこへ指揮班長の杉原軍曹がとんで来ると 「中隊長殿現在解っている我が中隊の戦死傷者は七名です」 「何七名か,この山を占領するには,その位は小さいもんだ」 彼はこう言いながら向こうから来る吉満を見ると,泥棒猫のように岩の間をのそのそ出て行った.

吉満が山からのそのそと帰って来ると,ぐいと兵隊の間からアゴを突き出して菜畑の戦士をジロジロとながめていたが 「オイ,そのアマ,俺がたたき斬ってやる,……連れて来い」と,赤土に汚れたヒゲ面をしゃくって,指揮班の伝令に言った.

一人は肩を撃ちぬかれ,一人は足を撃たれていた. 「大隊長殿,足をやられているから歩けません」

「馬鹿引きずって来い」 吉満が怒鳴り返した.二人の兵隊がそのば声に女を引っぱり出そうとすると,近くにいた戦士が「何するんだ」とかばった.…… 「こいつじゃまするか!」…… とび出した西山が,その頬をグワンと殴りつけた.二,三人が「殺すぞー」と銃剣をつきつけた.これに勢いを得て,ズルズルと引きずり出した. 「鬼の吉満がまた斬る」 兵隊がざわざわとまわりに人垣を作った.

吉満の前に引きずられた二人の女は,傷ついた身体を片手で支えながら,じっと皆の顔を見た.黒いすみきった目が,かえって兵隊の馬鹿さわぎをピタリと静めた.まだ二十歳になるかならぬか,188あれだけの砲弾の中でびくともせず闘い抜いた女,…… 女は静かに髪をなぜ上げた.右肩を撃たれた女は,左手で髪をなおした.皆声をひそめてその姿を見た.姿を整えると,一人の女戦士が後に向かって 「同志達我々の仇は必ず取ってくれ,日本帝国主義打倒」 「そうだーッ」 男の群から強い叫びが起こった.

吉満にはその言葉がわからなかった.だがそれは吉満の心をますますいらだたせた.彼は心の動揺を押しかくして,軍刀を引き抜いた.昨日斬った血刀で彼はまた斬るというのだ.…… 「工,イッ」 続けざまだった. 「アッ」 その叫びは後の兵隊の中からだった.傷ついた身体をすりよせるようにして,ある者は拳を振り上げ,ある者はまばたきもせず,女の顔を一心に心にきざむように見ていた.

音もなく流れ出る血,その首,吉満は口をねじ曲げて青い顔を引きつらせていた.

「大隊長殿,見事な斬れ昧ですなぁ」 おべっかつかいの細田中尉が蛇のような目を細めて出て来た. 「フフフ」 吉満はやっと我に返った.そこへ副官森大尉を連れた横山大佐がやって来た.兵隊が集まっているので何事かとのぞいて見ると,そこに吉満が血刀を提げて立っていた. 《コヤツまたやったな》と,今度は斬られた女の方を見ながら…… 吉満,女を斬ったんか」…… 吉満は何にも答えず,プイと横を向いた所へ「聯隊長殿,捕虜はどいつもこいつも一人も役に立つのはいません,処分しましょうか」と,第三大隊長楠畑少佐が走りよってきた.気に入りの楠畑の声を聞くと,やっと機嫌を直して,…… 「オー御苦労だったのう……そうか,貴公の好きなようにやれー」と,口ヒゲをだらりと下げて笑って見せた.

189突然側から戦車中隊長の松村大尉が眼をつり上げ,勢い込んで「聯隊長殿,私にやらせて下さい」と叫んだ. 横山は困ったような顔で楠畑少佐の方を振り向いた.彼の日がうなづくのを見ると,「ウンそれもよかろう」と,戦車の方をじろりと見た.

松村が駈け出して指揮車らしい先頭の車にとび乗ると,天蓋から上半身を出して,「オイこの捕虜を今から轢き殺す,後に続けえ」と吠えた.ガタガタガタガタキャタピラの音がみるみる大きくなって,五台の戦車が窪地に向かって虎のように襲いかかった. 「アッ」 力つきて横になっていた戦士の群が一瞬ざわめき,互いにかばい合い,右に左にいざりより,戦車をさけんとした.だがみんな自由のきかぬ負傷者ばかりだ.それも轢き殺す気で戦車がのしかかっていくのだ.一人二人三人,戦車が次々に頭を踏みつぶし,身体を踏みちぎり,首をくだいて,悪魔のように狂いまわった.ガタガタまわるキャタピラに食い込んだ肉のかたまりが血しぶきをとばし,車上の日の丸を点々として染めていった.

その時だった,今まで互いにかばい合いながら,さけようとした負傷者の中から,タオルで左腕を肩からつり下げた子供のような若々しい青年が,さっと立ち上がると,射るような目で車上の松村をにらみつけた. 「打倒日本鬼子!」 叫びとともに右拳を高く振りあげ,戦車めがけてぶつかって行った. "グワッ"キャタピラがその青年を呑みこんだ.とび散る血が菜の花を染めた.生き残った人々も拳を振りあげ,「打倒日本鬼子」,と弾丸のように口々に叫びながら,戦車にぶつかっていった.その叫びは,キャタピラの音よりも高く,高く谷間にこだました.


190すぐ楽にしてやるぞ

こうして虐殺を行っている一方,高橋曹長に命ぜられた木島は,和島衛生兵と一緒に田中を担架に乗せて,赤土のハゲた山道を歩いた.あちらから一組,こちらから一組,だんだん集まって担架の列が続いていった.後の方で銃声がまだ続いている.

二三二聯隊が攻撃している徐家店の方は,まだ砲声が空をゆるがしていた.繃帯所は山一ツ越した一キロメートル位のところにあった.山合の畑の中に二,三カ所天幕があったが,ほとんど陽なたに放り出してあった. 「衛生兵殿,水,水を……」 「ウウッ……」 むし暑い陽に照らされて,あちらでもこちらでも負傷者の血の匂いとうめき声が聞こえてくる.その中を衛生兵が走っていた.

小島衛生兵が衛生軍曹を見つけると,「どこにおいたら良いですか」と恐る恐るたずねた. 「ウン」 彼は患者をのぞき込んで,二等兵だと判ると「そこへおいておけ」と指さした.そこは畑の真中で,陽がガンガンに照りつけていた. "ズシン"と担架をおくと,田中は胸に針を刺すような痛みに気を取り戻して,かすかに目を開けた.

「オイ田中 木島が走りよると,彼は小さい声で土色に変わった唇を動かした.

「ここはどこだ」 「ウンここはナァ,軍医殿もおられるし,すぐ手当してもらえるからなナア」 木島ははげますように言ってやった.そこへ,あたふたと軍医畑がやってきた.そして天幕の陽陰をのぞき込むと梅野大尉殿御苦労でした.命に別状ありません.飛行機で漢口にさげるようにに*に*連絡しますから」……と,ていねいに破傷風血清を注射した.

191天幕の出口で木島と小西を見ると,…… 「オイお前ら何をしているんだ,患者をおいたらすぐ帰るんだ」……と,どなりつけた. 「ハイ」 木島と小西は田中,早う元気になれよ」と言い残して帰った.

その後ろ姿をジッと見つめていた田中は,焼かれるような痛さをこらえて,「軍医殿」と呼びかけた.軍医畑は,田中が二等兵だと見ると,急につめたい態度に変わった.

「何じゃ」 「自分は自分は助かるでしょうか」 「国に母が一人,母が一人残っているんです」 その声はかすれていた. 「馬鹿野郎,それが皇国の軍人か,天皇に相すまんと思わんか」 吐き捨てるように怒鳴りつけたままさっさといってしまった. 田中は湧き出る涙をぐっとかみしめた.ブンブン金蝿が群がりよってきた.

その横で井出軍医が三中隊の坂本少尉の尻の傷を手当していた.

将校の手当がひと通り終わると,畑は救護所の天幕に井出を呼んで,「こう患者が多くては,野戦病院も手がまわらん.自隊で処置するようにとの軍医部長殿のお達しだ.判っているだろうな」と,なぞのように井出に言った.

「ハッ解っています」 井出は薬のうから赤い横線の入った注射器をとり出した.

「オイ,すぐ楽にしてやるぞ」 手当がしてもらえると聞いて喜び,苦しみも痛みもこらえて,うめきをもらすまいとする重傷者の間を,次々と注射をしてまわった.

田中も,山口も,東も,山田 も,静かに冷たくなっていった.

192「兵営は苦楽を共にし,死生も同じゅうする軍人の家庭である」 だが,将軍は……兵は……

またしても住民の上に白い銃剣がおどりかかって行く. "死ぬるのは誰か?"滾山の戦闘は,死の道に踏みこんだ思いをさせた.

右一線徐家店附近にいた二三三聯隊も,松林の抗日軍陣地をやっと攻撃すると,丘陵を越えながら,高城に向かって五月の太陽のカンカン照りつける中をゾロゾロと麦を踏みにじりながら歩いて行った.

二三一聯隊は本道を通って棗陽に行くのだ. 唐県鎮,興隆集を過ぎて,いよいよ明日は棗陽に着くらしい. 木島は目をくぼませ,重い背嚢をずり上げ,ずり上げ,やっと歩いていた.死にかかった大蛇のように,麦畑の中をのたうちまわって行く.この隊伍の中を,赤毛の馬にまたがったやせた小男,聯隊長横山大佐が馬蹄で兵隊に黄塵を浴びせながら副官を呼んだ.ギョロリと後ろを向いた口ひげが,砂ぼこりで垂れ下がっている.

「ハハッ!」 森副官は横山の顔色をうかがった.

「大沢[二三二聯隊]の所では,何べんとも警備地から兵隊を補充せん事にゃ今度の作戦は困難だ,と言うとる……」

横山の言葉に「ハ,ハァ」と相槌を打った森は,その事だったのか,とほっとした. 横山は続けた.

「まあ……こっちは七十名ばかりだからな,小さいもんじゃ」 全くそうだといわぬばかりに,上体を前に傾けた森副官は,「ハァ,とにかく大した事はありません」と横山に口調を合わせた. 横山が前193の方を見ると,二十メートルばかり前の道の端に五,六名の兵隊が周りをとり囲み,その中に倒れている兵隊を靴でさかんに蹴りつけている将校がいた.

「オイ!歩け,歩けんのか!貴様それでも皇軍の兵隊か!」 額に青筋を立て,怒鳴り散らしている.女学校の先生だったという三中隊長の細田中尉だ.馬の上からこれを見た横山は,ひげを捻じり上げた.

細田中尉,どうしたんじゃ」 「ハッ,喝病(えつびょう)で……喝病[日射病]であります」 びっくりした細田は猫のような目をグルグルさせると,不動の姿勢で答えた.傍らにいた人食分隊長の西島が, 「ヤイヤイ貴様,この位の事でなんじゃ」と一輪車を引っぱるように太田一等兵の足を持ち,頭がゴトゴ卜石にぶつかるのもかまわず,麦畑の中に引きずりこんだ.

細田中尉,兵によく気合いを入れるんじゃ!」 横山はジロッとこれを見ると,馬の防暑帽を直しながら,いちべつを残して通り過ぎた. 二反田上等兵は西山木島をつれて残れ!済んだら……早く追及するんだぞ!」 細田は面倒くさそうに西島を促すと,部隊を追って行った.


道路より一段低い麦畑は,蒸し風呂のように暑かった. 「水はないかなあ……」 二反田が座りこんだ.そう言われると,初年兵の木島は嫌でも水をさがさねばならず,足の裏いっぱいにできた血豆を引きずりながら部落の方へ歩いて行った.

太田は白い目をむき出して右に左にのたうちまわった.だが,それもだんだん弱くなって,ただ194何かをつかもうとするように,指先をかすかに動かしていた. 二反田は太田を涼しくしてやろうと胸を広げたが,もうあづり糞をしていた. "ごりゃ助からんぞ" 二反田が頭をかしげている所へ,やっとの事で小さい水筒二本に湯のような水を持って,木島が帰ってきた.

「これだけじゃ砂地に小便,何の足しにもならんわい」 二反田がつぶやきながら,太田の顔にかけた.かすかに太田の唇がモクモクッと動いたが,もう白目を吊り上げていた.手のほどこしようもなくなった三人は,仰向けに引つくり返ったまま,道路を行く部隊を見ていた.

その顔も塩をふき,熱病にかかったように赤くなった顔を突出して,よろよろとついて行き,歩き続けている.

暫く歩兵部隊が続いた.その後を野砲がガタガタ砂煙を巻き上げながらやってきた.その中にギイギイと音を立てながらどこで手に入れたか,幌をかけた一台の牛車が交じっている.牛車がちょうど前の窪地でぐらっと大きく揺れると,幌の中から縛られた姑娘がチラリと見えた.捕らえられた時の跡だろう.唇から血が流れ出ていた.

"アッ,女がいる" 木島が驚くと,牛車の側を歩いているムスビをつぶしたような顔の一等兵が,黄色いソッパをむいて,木島達の方を見るとニタリと笑った.

「チェッ,女をつれて行軍か,満州事変の事を思い出させやがる」 二反田が吐き出すように言った.

木島はふと雑のうの中にしまってあるサックの事を思い出した.

作戦出発の軍装検査の日「オイッ,これを持って行くんだ!」と西島分隊長が配った195恤兵品(じゅっベいひん)[慰問品]のゴムサック…… あの時二反田や森岡が, 「ホホお守りか,これを使わにゃあ男がすたる」と言いながら,懐中に大事にしまいこんだ姿が頭に浮かんできた.

"俺にもある" 木島の目は,牛車の後をくい入るように追っていた.

師団司令部の隊列がやってきた.東の方から爆音がだんだん近づき,複葉の連絡飛行隊が頭上すれすれに麦の穂をふるわせて通り過ぎた.

「オィ,何か落としたぜ」 大声で誰かが叫んだ.師団司令部の五~六人の兵隊が,二つの落下傘の落ちた方に走って行った. 「フン,また師団長用の富士山の水でも送って来たんだろうよ」 「アア,冷たい水がほしいのう」 通り過ぎる黄色い列の中から,次第次第にうらめしそうな声が流れた.

それに続く師団経理部の隊列は,兵隊よりも中国人の方が多い.四方から白い銃剣で固まれた三百人位の農民の列.額を流れる大つぶの汗,びっしょり濡れた着物,担った天秤が折れんばかりに肩にくいこみ,よろめく足をやっと踏みしめながら歩いている.

「あれが師団長の風呂桶,寝台,絹布団,酒,煙草,これじゃ戦争がやめられん訳さ」 通りすぎる荷物の一つ一つを見ながら,二反田があざけるようにいった.

あっちでもこっちでも"快走""快走"[早く行かんか,早く歩け]とどなり散らしている.長い列の中の五十歳位の一人の男が,よろめく足を踏みしめて,倒れるのをやっと支えて立ち上がった.

「快走」[歩かんか]やせぎすな一等兵の小男が,いきなり銃剣を背中に突きつけた.農民はよろよろとよろめき,くずれるように前に倒れると,動かなくなった. 「チェッ,またくたばった」 小男の196一等兵は右足を上げると軍靴でいきなり農民の頭を蹴りつけた. 「ウーン」 農民は拳を振るわせてガクリと首を地に垂れた.

小男の一等兵は,玉のような汗を流している若い農民を引き寄せると,「オイ,那[お前]と倒れた農民の荷物をとり担がそうとした.若い農民はよろよろと引き寄せられたが,急に歯をかみしめ,キッと兵隊をにらみつけたと思うと,いきなり荷物を投げ出し,反対側の麦畑の中を一目散に駈け出した.

"アッ" 小男の一等兵は,あわてて立射で引き金を引いた.

"パーン" 若い農民は麦畑の中へつんのめった.今までもくもくと歩いていた農民はこれを見ると,顔色を変え騒ぎ出した.後から飛んで来た上等兵が,「この馬鹿野郎」怒声とともに小男の一等兵の横面を殴りつけた. 「オイ,逃がして荷物をどうするんだ」 上等兵がかみつくように吠えると,さっきの倒れた五十歳位の老人の襟首をつかみ,力一杯引き起こしたが,老人はまたばったり倒れると,眼を固く閉じ,骨ばった腕を曲げたきり動こうとしなかった.

「オイ,起きろ」 小男の軍靴が頭を蹴った.しかしもうその農民は立ち上がる気力さえ失っており,唇は土色に変わっていた.顔をくねらすと,白い吊り上がった目でジッと小男をにらみつけた.小男の軍靴がまたとんだ.頭を,腹を,力一杯蹴りつけた.老人の身体が動いた.最後の力をふりしぼったように片腕をつき,身を起こしながら……「俺は……俺は……この仇を……」,体をわなわなさせ,血を吐くように叫んだ.

197重い荷物に体を曲げて歩いて行く中国人の一隊が,銃剣に追い立てられながらここまで来ると,足を止めジッとこっちを焼けつくように見つめた.突き刺す幾干の限,「クッソォー」小男は気が狂ったように老人の側に寄ると,銃剣をさかさにグッと持ち上げた.

「アッ殺すのだ!」 並居る農民の目がサッと変わった.瞬間,小男の白い銃剣が老人の背中から突き刺した.

「ウーン」 身をそらした一瞬,握りしめた太い拳を宙に浮かせて,老人の身体は前にたおれた.赤土にまみれ,色目も解らなくなった襦袢が,見る見る血に染まると,乾き切った道にしみて行った.それを一人ひとりの眼が焼けつけるように見ていた.

「快走!快走!」[早く行かんか,ぐすぐずするな] 銃を持った警戒兵が,パン,パンと二発射撃した.黄色い砂ぼこりの中を重い体を引きずりながら,また農民の隊列は動き出した.

この様子をじっと見ていた木島の脳裡に,ふと故郷の年老いた父の姿が思い出された.……"馬鹿な,俺は戦争に来とるんじゃないか.日本は東洋の平和のために戦っているんだ.日本が勝たなけりゃ,一体誰が平和を打ち立てるんだ.戦争だ,ナーニ"と打ち消した.


「軍医殿」 突然二反田が大声で飛び起き,小走りに道路にかけ上がった.師団衛生隊の関部隊だ.

「軍医殿,ここに喝病患者がおるんです.後へさげてもらえないですか」 二反田は助け舟とばかりていねいに頼んだ.チラッと畑の中の太田を見て軍医は,馬から下りようともせず口をひん曲げると, 198「チェッ,喝病,気合を入れろ,気合が足らんのだ!」と吐き捨てるように言い終わらぬうちに,パッカパッカパッカ,ほこりを立て,通りすぎて行った.

「畜生!あれが軍医か,日頃偉そうな事をぬかしてくその役にも立たん」 プリプリ怒った二反田は,そこへどっかと引つくり返った. 木島も,いまいましい奴だ,とぺッとつばを吐いた.それにしても,田中もああして殺されたんじゃないだろうか?太田さんだって子供があるのに……木島は中隊長の訓話を思い出した.

「皇軍の将兵は親子の情で結ばれている.中隊長は父だ,班長は母だ」と,だが俺は毎日その母に殴られている.黒ずんであざになった顔をおっ母が見たら,何と言うだろうか.…… そりゃ中国人は敵だからどんな事をしてもかまわんが,同じ日本人が,…… だがこれも戦争に勝つためにがまんしなければならないのだろうか…….

木島は思いつめたようにあたりの麦畑を眺めた.ここも木島の村と同じ麦畑だった.遠くの畑……近くの畑……,今殺された年寄りの男がちょうどお父位の年…….

「オイ,太田どうしたんだ!しょかりしろ!」 二反田がとびっくように太田の側にかけ寄った.

木島もはっとして走りよりのぞき込んだ. 太田は突然引きつけ出した.グッ,グッ,と歯をくいしばり,目を吊り上げた.だが直ぐに体中の力が一ぺんに抜けたようにだらっとなった.

「とうとう死んだか」 初めてこんな事に出くわして,木島はどうしてよいかわからず,突っ立っていた. 西山はその方を見ようとせず,次から次へと通りすぎる部隊を見ていた.

199「何だ喝病か,また死んだか」.他人事のように部隊は足を止めようともせず,通り過ぎて行った.

「オイ,早いとこ穴を掘って埋めるんだ.……後続部隊が切れるぞ!」 二反田にせかされて,木島と西島はハッとしたように麦畑を掘り出した.遺品を送ってやろうと,二反田は太田の物入れに手を入れると,中からどこでとったのか銀の指環と,一枚の写真が出てきた.その写真は太田の子供のだった.ちょうど二歳位の女の子がこちらを見てニッコリ笑っていた.

死体を埋めると最後尾の輜重(しちょう)隊についてフラフラ歩き出した.現役の西山上等兵は気が気でなく, 「上等兵殿,中隊長殿から今日中に追いつけと言われましたから少し急ぎましょう」 「冗談じゃねえ,これ以上急いだらこっちがお陀仏だ」 銃を天秤にした二反田は,真っ白く塩のふき出した顔の上をだらだら流れる汗を,手首に巻き付けた手拭いでぬぐいながら,急ごうともしなかった.

その日,とうとう木島等は中隊に追いつけなかった. 「追及は明日だ」 吐き捨てるように言った二反田について,輜重隊が宿営した部落はずれの柳の木に固まれた一軒家に,背のうのまま横になった頃は,部落の中は怒声と炊さんの煙で蜂の巣をついたように騒がしかった.

それがいつの間にか遠くで聞こえる銃砲声に変わり,木島が「オイ起きろ,追及だぞ」と西山から蹴りまくられて眼をさました時は,ひっかきまわされた部屋の中に薄暗い日が差し込み,西の方で雷の鳴るような砲声が轟いていた.

棗陽を攻撃しているんだ」,二反田は九・一八事変に出ただけに,部隊の動きをよく知っていた.

「さあ,今日はポツリポツリ中隊に追いつくかなあ……」,二反田と木島はよく話したが,西山200は一人で腹を立てたようにだまって歩いていた.

今日も焼けつくような太陽が照りつけていた.三叉路まで来ると,部隊は右と左に分かれて前進している. "中隊はどっちへ行ったんだろう"西山と木島も立ち止まった.

木島,あそこに道しるべがあるから見てこい」 二反田の声に,木島が走りだした. 「上等兵殿,こっちの方向です.〈さ〉と書いてありますよ」

〈さ〉とは,二三一聯隊の秘匿名なのである. 「そうか,じゃそっちだ」 二反田がのそのそとやってきた.遠くでは見えなかったが,そこにはまだ三十にもならぬ女が胸を突き刺され,その白い上衣が血に染まっていた.

「上等兵殿こんなことを……」 木島は二反田の顔を見ながら尋ねるように言った.

それは女のX部に青竹を突き刺し,その先に道を教える通信紙がつけであった. 「フン」 二反田は相変わらず驚くでもなくあごひげをさすっていた.

「ここに鍬がありますよ.こりゃあの畑で働いていたんですね」 「オイ木島,日本軍にさからえば男でも女でもこんなになるんだ!お前滾山じゃ少し軍人らしくなったかと思ったが,また戦争が嫌になったんか?」 西山が側からとがめるように言った. 「ハイ」 木島は表面おとなしく言ったものの,心の中では,"つるさい何てかたい奴だろう"と思った.

それから一里も行かないうちに,右側の畑の中に野砲の隊列が敷いであった.随分撃ったと見えて,小さい馬穴程もある薬莢(やっきょう)がゴロゴロ転がっている.先日のソッパの一等兵が目を201キョロキョロさせながら,鶏の毛をむしっていた.

木島は牛車の中にいた姑娘を思い出した.

「少し休もう」 二反田が座りこんだ.附近の長く伸びた麦も,砲車や部隊に滅茶滅茶に踏みつぶされ,あたりには農民の姿など全く見当たらなかった.

木島,水はないか聞いてみい!」 二反田が伸びたような顔つきでだるそうに言った.

木島が近づくと,そのソッパの一等兵がニタリと笑って先に口を切った. 「一線はもうとっくに棗陽に入ったよ.今頃奴等はうまくやっているよ」 羨ましそうに話しかけた. 木島が水の事を聞くと,気軽に,「ウン,俺も行こう」と立ち上がった.

五十メートルばかり行くと案外大きな池があった.手を差しのばすと,底の方は冷たかった. 木島が水を汲んで立ち上がると,二十メートル程さきに,髪を振り乱し,下半身水につかって女が死んでいた.首から背にかけて肌が真赤に染まっている. 木島は昨日の事を思い出して,そっとソッパの方を見ると「ホゥ,昨日の……」と指さした.その横に牛車がポカンと口をあけている.

「あの女やろうとしたんだが,将校の奴とうとう手こずって叩き斬ったんだ……今日もなあ,またあそこに班長さんが代わりをつかまえに行ったんだ……」と一キロばかり離れた部落を指して,茶飯事のように言った.


夕方木島達三人は,やっとの事,棗陽郊外の部落で炊さんしている中隊に追いついた. 細田は202真赤な顔で,木影に机を持ち出して酒を飲んでいた.側に一等兵の獅子鼻の大男があんぐり口をあけて,よだれを流しながら鶏の足にかみついていた.

「また来たな……」 この男は細田の同郷で,広島の菊元という大地主のどら息子だが,二中隊へ召集で入って来てから,地方の権力を恩にきせて,細田の所へたびたび飲みに来ていたのだ. 二反田はそこへ報告に行った.

細田はうるさそうに,盃を持ったままにらみつけたきり返事もしない.側で一緒に飲んでいた西島が,「あの厄介者はとうとうくたばってしまったか」と相槌をうって,「オィ,何をぐずぐずしているんだ,すぐ出発だぞ,この間抜け奴!」と続けて叫んだ.

「何ニーィ,オイ西島,召集兵をなめたか.外の奴とちがって,満州事変に出た二反田はなめられんぞォ!」 日頃無口の二反田が青くなってビリビリ体をふるわして怒った. 西島は"これはしまった"と,これまた顔色を変えておどおどしている.

二反田何を言うんだ!」 細田中尉が叱りつけると, 「オイ,初年兵,酒を持って来い酒を……」 二反田はクルッとけつをまくって座りこんだ. 細田はさっと顔色を変えると,菊元をつれてこそこそと出て行った.

「チェッ,また地主の小伴と飲んでいやがる.兵隊の命よりゃ自分の出世が可愛いんだ.勝手な事をしやがると,フン,鉄砲玉は前からくるだけじゃねえからなあ……」 その後姿に浴びせかけるように二反田が怒鳴った. 細田が逃げると西島もその場からあわてて逃げ出した.

203木島は胸の中がスーッとした.ニタッと笑いながら,中祖から酒を貰うと二反田の所へ持って行った.


"勲功は将軍へ"

木島等が夕方部隊に追いつくと,直ぐ部隊は太平鎮に向けて出発した.夜を通して歩き続け,胡家店に着いた頃,霧のような雨が音もなく降ってきた.まだこ三三聯隊が太平鎮で戦闘していたが,師団は草店から棗陽に引き返す事になったので,二三一聯隊は草店にとまった.三師団が太平鎮の北一里に居るという無電が入ったからである.

草店は二百戸ばかりの部落で,東西南北に赤土の望楼がある.木立の多い道を通り抜けると,白壁に「抗戦到底」の大文字が血のような色で浮き出ている.馬上からジロリとこれを見た村上が眉をしかめた.少し行くとまた「日本の兵隊さん,何のために戦争するんですか?死ぬのは兵隊……勲功は将軍へ……」 同じ血の色の日本語の長い文が目を射た. 村上はみな読み終わろうとせず,顔色を変えて急に手綱を引っぱって馬を止めた.

「オイ!中村参謀すぐあれを消せ!兵に見せちゃいかん!」 額に青筋をたてて怒鳴った.続いて,「このあたりも,抗日意識が上がっている.今日から県城棗陽に宿営するが,各部隊の命令受領者を集めてよく徹底させよ」と命じた.

「ハッ,十分に準備します」 中村参謀は"師団長の御意図はみんなよく呑みこんでいます"とばかりに頭を下げて答えた.

204木立に固まれた大きな建物に陣取った師団長以下各幕僚達,その一角に中村参謀が各部隊命令受領の将校を集めた.

「この附近は抗日意識が非常に強い……」と言いながら,参謀は一枚のビラをとり出した.将校の目がそのビラに集中した. 「このような反戦ビラを兵に絶対見せてはならん!もし持ったり見せたりする者があったら処罰するんだ!」 しばらくの間を置いて,

「師団は棗陽を中心に数日間体勢を整える.そのため,附近を徹底して無人地帯にする!徹底してやるんだ!」 黒雲がグングン西へ流れて行った.

命令受領が終わると,師団直属部隊と二三一聯隊は,一斉に附近の部落を掃蕩しながら,棗陽に向かった.

木島は中隊から乗松や中祖と一緒に出たが,いつしか二反田,新谷と三人になった.もう数軒の家の中を捜しまわったが,何も珍しいものはなかった.

「何もかもよく持って逃げたもんだ」 カッパのように口のとがった新谷が,ブツブツ言った.その時,二反田が奥の方から「オーイ」と呼んだ. 「この家は大きい,何かあるぞ」 木島はあわてて,声の方に走った.薄暗い部屋の中には,十七,八歳位の一人の娘が蒼白な顔をして,拳を胸の所に握りしめ,全身を守るようにして歯をくいしばり,壁際に立っていた.その前に大手を拡げた二反田が,今にもとびつくようにじりじりと寄っていた.

「きれいな女だなあ」 木島が目を皿のようにしてポカッと見ていると,「オイ木島,お前表で番を205しろ!」 新谷にどなられて,ハッと我にかえるといまいましそうに表に出た.

パン,パン,三百メートル位前の部落から,こっちへ麦畑の中を転ぶように走ってくる農民がバッタリと倒れた.

「ピューッ」 跳弾が匡根の上をとぶ.

"危ない事をしやがるなあー.気をつけて射ちゃがれ……"ブツブツいいながら外に出たものの,また引き返すと,木島は戸に耳をあてて中の様子を伺った.ドターン,何か投げる音がした.絹を裂くような女の声に入り交じって,新谷のどす黒い声が聞こえる.

「チェッ,馬鹿らしい」 木島は隣の部屋に入ると,こそこそと戸棚の中を探し出した.部屋の角にある壷の中に二斗ばかりの米を見つけた.…… "どうしてやるかな……" 一粒の米も拾った昔がチラッと頭をかすめたが…… 直ぐ両手にひんにぎるとあたり一面にばらまいた. 「フン,ケチケチするな」 カメを突っ転がし,その上を泥靴で踏みにじっていると,突然"ギャッ"と異様な腸をえぐられるような叫びが木島の耳をえぐった.

「やったなー」バタバタととび出して,戸に耳をつけようとした鼻先へ,ガタンと戸を蹴りとばして新谷が出てきた.ひっかかれた爪の跡が顔に数本の紫の線を引いている.

「オイ二反田,あのシャンを他の者にやらすのは惜しいからのぉ……」 「ウン,シャンに生まれたのが因果だよ……」

「これでまたちょっとがまんして御奉公できるという訳さへへへ……」

206二反田と新谷がうす汚く笑った.

あの女はどうなったのだろう. 木島はねたましさと好奇心から部屋の中に入って行った.薄暗い部屋は血の海だった.少女の腹に突き刺された竹槍の根元から,まだ血が吹き出している.乱れた髪,まだ少女の体……

木島!何しとる」 二反田にどなられて我に返ると,木島は外にとび出した.

あちらの家も,こちらの家も,兵隊が出たり入ったりしている.

「オイ,あの部落にいるのが中隊かも知れんぞ,行こう」 三名は銃声のした部落に向かった.

その部落は郭庄という三十戸位の部落だった.中隊,だと思ったのは,師団司令部の護衛中隊が中村参謀直接の指揮の下で「掃蕩」中だった.

重機関銃を据えた部落の前の小高い堆土の横に,中村参謀と中隊長の西川中尉が双眼鏡を片手につっ立っている.小隊長の島田曹長が小隊を指揮し,一軒一軒扉を叩き割り,麦束の山に銃剣を突き刺し,探しまわっている.

「オイもっと徹底して探すんだ!まだまだかくれているんだ!」 馬面の島田が軍刀をギラギラさせながらどなりつけている.中庭には七名の老婆が座りされている.

「小隊長殿,ここにもいました」 一つ星の湯浅と太田が,やっと手柄を立てたと言わんばかりにとんきょうな声を上げながら二人の老婆に銃剣をつきつけ,引きずり出して来た.銃剣をキラキラさせ,眼だけ光らした黒い顔が,三人,五人と中庭に出て来た.

207「集合!」 島田のドラ声が部落を突き抜けて響いた.これをジッと見ていた中村参謀は,傍らに突っ立っている西川の方を向いた.

「オイ西川中尉,初年兵の刺突教育はまだ終わっていないな」

「ハッ」 石地蔵のように固くなった西川は,返事をするが早いか,島田曹長,島田曹長,初年兵を前に出せ」とどなった. 西川は前に出た.七,八名の初年兵を見まわすと,島田曹長,このババアらを初年兵に突かせろ!参謀殿も見ておられるぞ」 言い終わると,参謀の方を振り返った.初年兵の顔がスーッと青くなるとブルブルと手をふるわした.

"俺達はこの鬼奴らに殺される!" 集められた五人の老人の同じような深い額のしわが,六,七十年を働いて来た手が,かばうように四人の老婆に寄せられた.小さい体,しわの中にあるような目が,昨日まで孫をだいていた手が……互いにかばい合うようにしていたが,…… 「俺達は百姓なんだ,なんで俺達を殺さなけりゃならんのだ」 背の高い老人が叫んだ.一人の白髪の老人がつづけて,「お前らどんな事をしたら気が済むんだ,ほら,あんなにあんなに俺達の家を焼きやがって……」と,なんべんもなんべんも家の方を振り返った.老人の家は白い煙をあげ,炎がぺロペロと軒下をはっていた.

「……」 孫の名を叫ぶお婆さん…… 大地を叩いて呪う老婆…… それらには目もくれず,「今から刺突を行う,皇軍の本領だ!我と思わん者は前に出い!」と島田が怒鳴った.それに答えるように,千山で負傷兵を突いたという品川が,自慢気に前に出た.隣をチラッと盗み見た初年兵,湯浅,208太田,広兼,小笠と続いて,老人達の前に一人ずつ並んだ.銃を持った手がふるえている.横で見ていた木島は「何だ」とあざ笑った.

木島は滾山で負傷兵を突いた時の事を思い出した. "あの時は俺もそうだつた" だが今は,……

木島は思わず銃を握りしめた.

「構え銃」 一斉に白刃が老人達に突きつけられた.

「前!前!」 「後!後!」 島田の声があたりを震わせると,初年兵の足がパタパタ前後した.

「突け!」 島田の声と同時に,白いひげの老人がスックと立ち上がると,握りしめた右手が大きくふるえた.他の老人も老婆も一斉に立ち上がった.皆と同じように拳をふるわし,ジリジリジリ中ににじり寄った.眼は白刃をはね返すようだつた.

初年兵の剣が止まった. 「突け,突け,突かんかっ!」 刀を振りながら島田がどなった. 品川が老婆の胸をグサリと突いた. 「ウーン」 老人も老婆も歯がギリギリなり,初年兵にとびっくように見えた. 「突け,突け,突くんだーつ」 西川が初年兵の後から地だんだをふんでどなりつけた.

「エイッ」 突き出した星出の剣が老人にがっしりと握られた.真っ青な顔をした星出があわてて,引こうとしたが,岩に押さえつけられたように,引く事も突く事もできない. 星出の体がガクガクふるえ,「ウーン」悲鳴とも叫びともつかぬ声を上げた.後にいた古兵達がガヤガヤ騒ぎ出した.

「何をしているんだ」 島田が狼のような口をあけ,軍刀を振りかぶると老人の肩に斬りつけた. 「馬鹿者,こんな事で人間が殺せるか,そんな役に立たん奴は俺が殺してやる」 「突くんだ,突かんかッ!」

209島田が気が狂ったようにどなった.

「ウウーン,ウウーン」 うめいている老人,老婆の胸,腹に初年兵のふるえる銃剣がグサリグサリ突き刺さった.あたりは血の海になった.

木島の銃を持つ手は,いつしか汗でびっしょり濡れていた.

「止め!」 島田の声がどなるまで初年兵は気狂いのようになって老人,老婆の死体を突き刺していた.この日棗陽の夜は砲声のせぬ夜であったが,闇はヒシヒシと周りからおおいかぶさるように更けて行った.この空は前線の二三三聯隊がいつものように火をつけたのだろう,夜空が真っ赤に燃え続けている.石畳を巡察する足音も,地底のうめきのようにひびいた.

その奥では師団長村上啓作が,今夜も部屋の中に白い布を張りめぐらし,運ばせてきた折たたみ寝台と絹布団の上に大あぐらをかいて眼鏡ごしにジロッと周囲を見まわした.

民家の土壁がちょっとでも見えようものなら,カンカンに副官をどなりつける村上だった.

「フーン,よろしい……」

彼はやっと安心すると,日本から飛行機で送らせてきた水でたてさせた茶を左手に持つと,漢口の妾から送ってきた羊羹をつまんだ.


我的老百姓

部隊はやっと擲桃湖近くまでやってきた. 「オイッ,今日のやすみは早いぞ!」 あご[非常につかれて]210を出して歩いていたが「宿営地」近くなって来ると,二反田上等兵は急にホクソ笑みながら部下達に言った.五時!土地はまだヂリヂリと焼けていた…… 民家を強奪し「宿舎」が定められると,皆は背嚢をおっぽり出し,あちこち掠奪に出かけた.三キロ位の部落は,片っぱしから掠奪した.そしてその後はみんな火をつけて歩いた.

木島が侵入した家は,部屋が三つに分かれた家だった.

「寝台の後にはよく酒がかくしてある」 そう思いながら,いつものようにここでも寝台の下にかがみこみ猫のような目を光らせながら,奥の方をのぞき込んだ. 「アア人間がいる!」 木島はちょっと目を見張った. 「女だ,姑娘だ.俺は今一人だ,まわりには誰もいない……ヤッテやろう……どうせいつ死ぬか解ったもんじゃない,それに皆ヤッテいるんだ,俺がヤッテなぜ悪いんだ」 木島はニヤリとすると,どら猫のような声で「来い!来い!」とよんで辺りを見まわした.


……床の上に髪をふり乱した女,かみしめた口からダラダラと血が流れていた,真っ青な顔,吊り上がった目……あんなに反抗した手も足も,もう動かなかった.

木島は女の死体を見下ろして突っ立っていたが,「これを誰か見たら」…… 彼は部屋を飛び出すと,刈り入れてあった麦束を夢中で入口に積み重ね,火をつけた.

パッと燃え始めた,火を見た.その炎の中にあの女の顔がぐるぐるまわってくる. ……木島の体はブルブルとふるえていた.

211その時西山がやって来た.おい!何かあったか? 木島は酒のはいったカメを持ち上げて見せたが,すぐまた火の方を夢中で見入った.見る見る強くなった火がゴーッと音を立てて,低い天井に燃え移った.

「オイお前顔を何でひっかいたんだ」 西山がのぞき込んだ. 木島は黙って顔をなでた.その手に血がついた.じっとそれを見つめると,目の下がヂリヂリと痛んだ.その時,突然家の中で死んだと思った女の叫びが「お母さん……畜生,鬼,鬼!」と血をしぼるように叫んだ.ギヨッとして立ちすくんだ木島の頭に,ザアッと軒が燃えくずれ,火の粉が一面にふりかかってきた. 木島ッ危ないッ」と西山が肩をグイッと引いた.

「あっ,女がいたんだろう!」 「うん婆が一人いた」 木島はとっさにうそをついた. 「何?婆あーッ」 先刻の叫びを聞いている西山は,ちょっとけげんな顔をしたが,すぐニタッと笑って言った. 「まあ何でもいいや」 西山もニヤッとして隣の家をふり向いた.

「仇だ,燃やせ,燃やせ,どいつもこいつも皆焼殺しだ」 師団長の命令を伝えた中隊長の口調をまねて,西山がわめいた.炎が完全に家を包んだ.見る見るうちに,巨大な火柱になってきて燃え上がった.白い煙,黒い煙,竹のはじける音,ボロ布の焼けるにおい,その火柱をつんざいて 「お母,お母,畜生,鬼,鬼,打死」 女の最後の叫びが,あたりを,ふるわして消えた.

木島ッ,早う持って帰らんと食べる間がないぞ」 「もう皆帰っているぞ」.見ると,鶏,酒,鶏卵,米,衣服,兵隊達が方々から掠奪した物資をしょいこんで帰って行く.まわりの村々は,どの家も,212もうもうとした黒い煙と血のような炎で包まれ,それが天空をこがし,いっぱいに広がって行った.

やっと帰って来ると,飲み助の二反田は,掠奪して来たカメにちょっと手を突っ込んでベロッとなめて見ると「ウーンこいつは上酒だ,今日は久し振りでゆっくり頂くかな」と,いつものくせで長いあごをつかんだ.飲みさえすれば機嫌のよいのを知っている中祖が「分隊長殿鶏の肉を刺身にしますぜ!」と,主人の自の色をうかがうように言うと,鶏をしめ上げた.あちらでもこちらでも,みんな掠奪してきたものを大釜でたき,山賊のようにまわりをとりかこむと,チビリチビリやり出した.

初年兵が傍らで料理に走りまわった.そこをバタバタとラッキョウ頭の軍曹がむこうへかけて行った. 「オイ,アイツは舟を誘い出した工兵中隊中で,たった一人残ったと行っていた江木だぜ」,酒の大分まわった高橋曹長が皆に説明した.続いて一人のやせ細った兵が,馬に引きずらるようにして通って行った. 「いったい何していやがるんだ」 大分あやしくなったロレツで,二反田が言った.

その時森岡一等兵が息をはずませて飛んできた. 「分隊長殿,今から工兵が人間を八ツ裂にするのですよ!」 「何ッ八ツ裂,面白い行って見ょう!」 およそ人間なら考えられぬ事を平気で考え出す. 高橋はもう立ち上がっていた.毛をむしりかけた鶏を放りっぱなしで木島も皆の後に続いた.そこはこの部落のはじで桑の木が四,五本ある草原だった.一人の農民が縛り上げられ,ぐるりを兵隊達が取りまいていた.傍らで先程の馬が草を食っていた.

ヤイヤイヤイ,先程の軍曹江木が,この四十歳位の男を前にして,青竹で頭をつきながら「こいつがなあ……俺が娘をつかまえようとするのを邪魔して逃がしてしまいやがったんだ」 彼は興奮しながら213あたりを見まわすと,「俺遠のしようとする事を邪魔しやがる奴は,どんな奴でも八ツ裂,火あぶり何でもやってやるんだッ」と叩きつけるように言う.縛られた男の額に食い入った数本のシワ,陽焼けした顔,まばらな鼻ひげ,節ばった指,丸く背をかがめて不安そうに,あたりを見まわした.

江木は続けてしゃべり続けた. 「だいたいこのやつらがいるから,おれの中隊なんぞ全滅したんだ!見ておれ!俺ぁ今からその仇をとってやるんだ!」 「ヤレ,ヤレ,ヤレッ!面白い!」 後から高橋曹長が酒くさい息をはいて喚いた.側で情報係の今田が落花生を物入れから出しては,ほおばりながらジロリジロリと農民を見た.

農民は心の底から太い息をついて,うるみをおびた目をギッとあけると,首をたてにふった「俺は百姓だ……俺が一体なんの悪い事をしたと言うんだ.俺は生まれてから五十年毎日畑を耕してきただ.俺には五人の子供がある.皆良く働いてきただ.お前らその百姓をあやしいとでも言うのか」 農民のにぎりしめた拳がぶるぶると怒りにふるえた. 「おお,家が焼ける.どいつが火をつけたんだ,畜生,畜生」 農民はとび上がり,北の方の部落を見た.もうもうと立ちのぼる黒煙が,西へ西へと広がっている.

「オイこいつを向こうにつれて行って,今後の見せしめに,あいつ等に見せてやろうじゃないか」 今田がこの草原の一番はし四十メートル位先の桑の木の下にいる一団の農民達の方へ,あごをしゃくった.

「フーンそりゃあよかろう」見物のかたまりが,ぞろぞろと動いて行った.

そこには遠く河口鎮のあたりからつれてきて,来る日も来る日も重い荷物を背負わせて,214めちゃくちゃに引きずりまわしてきた,五,六十名の農民達がいた.最初二00人位だったのが,途中皆使い殺して,もうこれだけになったのだ.これらは皆,野良で働いていた農民連だが,今はその時の見る影もなくやせて,骨と皮になっていた.その中には木島が捕らえた農民もいた.

「また何かある」 農民達は不安そうな目っきでザワザワとさわぎ出した.

「オイッよく見ておけッ!貴様らも日本軍に刃むかうとこれだぞ!」と,どなりつけた江木は,農民の片足を桑に,他の一方の足を馬にくくりつけた.アーッ見ていた農民の幾人かが立ち上がった.

「座れ,座れッ」 歩哨があわてて小銃をガチガチ鳴らして,ねらいをつけた.だが農民は,まばたきもせずに,農民の顔を見入る.先程の農民の顔を突き出すようにして,六十名余りいる人々は,顔をジッと見ている.たまりかねたように誰かが大声をあげた. 「だまれ何を言うんだ」 どいつが言ったんだ引きずり出せ.一斉に起こった…… パンパン…….警戒兵が空に向けてぶっぱなした.農民もやっと静かになった.…… だが先程叫んだ人間は,誰か解らなくなった.

すわれ,すわれ,すわらんか,木にくくりつけられた農民は,先程の農民の方に向くと,さもうれしそうに「謝々」と言った. 「伺言ったんかなあ」 急に変わった農民の態度に,木島は不審になった.…… 側にいた北村が,あいつ良く聞こえなかったが,必ず仇をとってやる,と言ったんだ,とまわりにこそこそ話した. 「フーンそうか,道理で,だがいったいどうして仇がとれるというんだ.この日本の武力に何をもって戦うんだ.馬鹿な事が,全く何も知らんのだなあ」 木島がそう思いながら,また農民の白くなったアゴヒゲを見た.

215だが両足をくくりつけられた農民は,すっと,そこに立っていた.その姿がだんだん大きくなるのに,木島は目を見張った. 「あの男が……」 兵隊違は言い知れぬ威圧を受けて,たじたじとなった.

「エイ,クソッ」 どんなけだものでも吠え得ないような声で,江木が吠えた.ヒヒヒーと,力まかせに尻を殴りつけた馬が,パァッとひずめをけり上げて駈け出した. 「鬼子ッ,けだものッ!」 ぞうふをえぐるような声…… 怒りの拳をにぎりしめ,わなわなとふるわせて見ていた農民達が総立ちになった.

なんとも言いようのないブツッと音がして,白い骨が飛び出して片足がさけた.ズボンをはいたまま血の跡がずるずると尾を引いた.

「たッ助けてェ」 たずなを持っていた一等兵が,狂える馬に引きづられながら,今にも死にそうな悲鳴を上げた.裂けた農民の半身から吹き出る血潮が,ドクドクとあたりを染めた.

「コラッ座れッ,座らんかッ打ち殺すぞッ」 兵隊が銃剣を構えて総立ちになって農民をおどし上げようとしたが,それは兵達自身の恐怖,臆病犬が尻込みしながら吠え立てる程のききめもなかった.憎しみと怒りで焼けつくような人々のまなざしが集まり,巨大な火の線となってまわりの兵隊をにらみすえた.ジリジリと迫って息苦しい威圧が,木島達の全身を襲った.手をふるわせ,足をがたがたさせながら,木島も二反田も高橋も,否,もう兵隊達の誰もが,一歩一歩後ずさりし始めた.


その夜,木島は一パイ酒によっぱらって,わらの中に頭を突っ込んで寝ていた.ひげむしゃな汚い216腹をむき出し,二反田の馬面が豚のように転げている.涼しい入口には西山が陣取り,一番奥には初年兵の渡辺と乗松が,エビのように転がって寝ている.ジリジリジリッ,戸棚の上に立てたローソクが燃え切ると,あたりは真っ黒になった.ただ豚のようなイビキが外にまで噴き出していた.歩哨の足音がことことと聞こえる.風もなくジワッとする空気が首すじを流れる. 中祖は,とろとろとねむけをもよおして腰を下ろした.何分たったか…… 月はまだ出ていなかった.

「歩哨,オイ歩哨」 「しまった杉本軍曹の声だ」 「ハッハイ」 中祖がとんで行くと,「オイ小隊をすぐ起こせ,出発だ,敵が来るぞ.小隊長にすぐ来るように言うんだ」 それだけ怒鳴ると部屋に飛び込んだ…… 中祖も向きをかえると部屋の中に飛び込むなり「起きろッ」と怒鳴った.

「アイタタタ」 西山が足をおさえて飛び上がった. 「何じゃ……」 「敵がくるんです.すぐ,出発です」 「何,敵だ……オーィ,俺の靴,片一方どっちだ」 「オーッ,こりゃあ俺んだ」 「小隊長殿集合」 「オーイ,早く火をつけろ」 豚小屋に火がついたように,四ツんばいで,頭をぶっつけながら,わめき出した.自分の物を探すのが一心で,火をつける者もいない.…… マッチだ,マッチだ,火をつけろ. 二反田がわめき立てた.

外では「ハ,早くしろ」「集合!集合」細田中尉のしわがれ声が,何ものかに追っかけられてでもいるように,あわただしい. 「オイッ,苦力を逃がすな.よく捕まえておけよ」と,誰かが怒鳴って歩いた.

「オーィ,一小隊はまだか何しておるんじゃ」 怒鳴りながらはいって来た高橋曹長が,入口の217小さなカメにつまづいて,ひっくり返った. 「チエッこんな所へなぜ置くんだ.二反田分隊の掌握はええか」 外も内も火事場のようにさわぎたて,やっと行軍隊形にはいった.馬上の吉満は,今出た部落を振り返ると,そこにはぶきみに静まり返った巨大な黒い影がのしかかってくるように思えた.

「副官,副官!部隊はどうしたんじゃ,なッ,なぜ焼かんのじゃ!」 「ハアッ大隊長殿,ナッ何しろ早く早く出なければなりませんで……ハア」 「馬鹿,あわてるんじゃない」 一刻も早く逃げなければ…… それが全部の気持ちであった.ぶっ続けで二日歩き通した.そして四日前の白河のところへ戻って来て,少しほっとした.

「早う,早うこの河を渡ってのがれねば……」 いつも部隊の最後尾をついて来る師団司令部は,こうなると真先に河を渡った. 吉満大隊は,各部隊が渡り終わるまでに警戒することになった.銃声がだんだん近くなる.抗日軍の大反撃が怒濤のように押しよせてきはじめたのだ.

「オイ前のやつらなぜのろのろしていやがるんだろう」 森岡は橋の方ばかり気にしながら,顔中汗をふいていた.小便がつまってくるようなもどかしさで,木島も,度々後を振り返っては見た.

「なんてぐずなんだろう,早う渡らんと,ここから鉄砲ぶっぱなしてやろうか」 吉満大隊の兵隊は今下って来た方向に銃をむけて,パンパンパンと続けるようにぶっぱなした.大隊が渡り終わると,工兵隊は橋に油をぶつかけて火をつけた.橋は黒煙をあげて燃え上がった.兵隊は口々に命が助かったと,あんどした.ホッとした大隊は,橋が焼け落ちるのを見終わると,後も見ずに,聯隊へ追いつくために駈け足の行軍を行った.


218血の喝さ……燃えあがる焔

白河でめちゃくちゃに叩かれて逃げ帰った師団は,兵隊の士気を盛りかえすために,強姦,掠奪,やりほうだいの大休止を一週間もやって,やっと兵隊の士気を盛りかえしたつもりで,次期作戦……に移るために,忽樹湾に出た.

この部落は棗の木に囲まれて,南側に襄陽と漢水河畔宜城を結ぶ,幅四メートル位の道がある.いつ頃通ったのか,もう随分前だろう,牛車のわだちが深くくい込んでいる.その道のあちこちに,牛の死体が畳二枚敷もあるはらわたを出して,プンプンと臭い.どの家の入口にも,豚の頭,鶏の首が散乱し,引き裂かれて,綿のはみ出した布団や衣服がふみにじられ,粉や麦がひっくり返されている.その中から,まだ昼前だというのに,どの部落からも,どの家からも,酔いどれの肌えるドラ声が,照りつける陽を突き破って聞こえてくる.

「いよいよ漢水を渡るんだそうだ」 白河で,やっと生命拾いをして腰を伸ばしたと思ったのも束の間か」 「エイ畜生!いつおだぶつするか解らん.のんでくたばりゃ色目だけでも良いわい」.…… 兵隊にも将校にも,白河の恐ろしさが頭にこびりついて離れていなかった.

三中隊がある赤土の土壁を越えて出ると,そこから見える百五十メートルばかり離れた望楼のある家に,先程から将校が出たり入ったりしている.そこは三九師団の戦闘司令所だ.

この中には,相変わらず部屋に白布をはりめぐらしてある.師団長村上が朱塗の大机のまえにふんぞりかえって座り,その傍らに専田と中村が今日も地図をくい入るように見つめている.

219「閣下この附近は部落の近くに散兵隊の跡を見ません」 専田参謀長が航空写真と地図を合わせながら,机にのりだした. 宜城上流八十二キロのこの附近は,ちょうど両岸とも砂浜つづきです.……それに現在早急にここを渡れば……」 地図の上を指しながら,せき込んだ専田は,傍らの報告書を手にとり, 「今までの報告によりますと野砲各一門,普通弾九十発,その他,焼夷弾,ガス弾があります.……それに二三二聯隊はガス小隊だけで,各種赤筒窒息性ガス二百本を持っています.二三一,二三三はまだ報告をうけていませんが,だいたい同様ではないかと存じます.次期補給は荆門において,安隆道から受けることになっていますが,とにかくここで思い切って射ち込みます」とつづけた.

「ウン」 村上の眼がギョロリと眼鏡の奥で光ると「ガス,焼夷弾,これだけあれば……今度こそ皆殺しにしてやるぞ」といわんばかりに,頭を縦にふった.

先程から何か言いたそうにモジモジしていた中村参謀が,ここぞとばかり「閣下各部隊を今夕この線まで前進させては……」 地図を指しながら村上の顔色をチラッと見た.

「ウウーンよろしい!絶対にこららの行動を農民に知られではならん.徹底した企図秘匿,これが渡河奇襲の秘訣じゃ……」 村上が机を叩いて立ち上がった.今,部隊は漢水を渡らんとしている.

湖北の中心を南北に流れて,揚子江に注ぐこの河は別名,襄河とも言い,川辺をはさんで穀倉と言われる襄東,襄西の大平野をうるおしていた.

河幅はこの附近でも七~八百メートルもあるだろうか.大きな河で水運の要路にもなっていた.……220この三九師団の渡河に呼応して,三師団は軍の右翼として,北の襄陽[現在は襄樊]附近に渡河を準備し,一三師団は下流の沙洋鎮附近に渡河を準備していた.


気持が悪いから殺すんだ

昼すぎまでカンカン照りつけていたが,夕方になると灰色の雲が空一ぱいに流れてきた.渡河時聞がだんだん迫ってきた.師団の全大砲の射撃指揮所は,師団司令部の前であった.各野砲大隊山砲大隊など全部で六十門の砲がならんだ.右左あちこちの樹林を横切って,黄色い通信線がちょうどクモの巣のように指揮所に集まっている.

蛇の岩田と異名をつけられた野砲聯隊長岩田大佐が,前の麦畑の中で中村参謀と一緒に,部下の野村大隊長観測小隊長河上中尉,それに司令部の気象観測班長渡辺軍属を従えて,ガス弾を射つため最後の気象観測をやっている.

渡辺技手いいか,あと十分だぞ!」 側から中村参謀が時計を見ながら,いらだたしそうにせかしている. 「ハー,風向西南西,風速一メートル強です……絶好の機会です」.渡辺のうわついた言葉に,さも安心したように,参謀は司令部の方へ引き返して行った.

砲列の間を通り抜けで,歩兵の隊列が幾組も幾組も縦に並んで,河畔に向けて出ていった. 木島も中祖も……その中に足をひきずっていた.

河原に出た木島たちは八名で,砂浜に埋めであった折たたみ舟艇を掘り出し,かつぎ上げた. 212ザクザク砂をふむ音にも,ヒヤヒヤしながら,水際に急いだ.百メートル余りの砂浜が,何キロもあるように長く感じた.舟を河につけた.ポーンポーン,突然鈍い炸裂音が司令所の上に響き,信号弾が三つ青い尾をひいた. "砲撃開始だ!"

あちこちの大砲が一斉に血のような火をはき,まるで機関銃でも撃つように砲声がうなりをあげ出した.一抱えもある泥柳が,一発毎に枝も折れんばかりに波をうっている.

「ガス弾,続いて九十発撃て……」 「第一標定点右二分撃火弾十発……」 電話器を握った野村少佐のドラ声が,砲声の間にとぎれている…….

ダダダー激しい砲声で,エンジンの音も何もかも木島達にはさっぱり聞こえなかった.ただ夢中で舟底にうつぶしていた.グーッ,突然激しい衝撃にぶちあたった. 「下りろッ」…… 二反田に尻をなぐられて,木島はあわてて水の中に飛び込んだ.すぐ前に燃え上がる炎が砂浜を照らし出している.

部隊は大山宙右突端に上陸したのだ.河から吹き上げる風を背にして,ガスをよけながら,弾もこないのに,一心に穴を掘り続けた.


雷のような砲声が,二時間あまりも続き,ガス弾,焼夷弾とともに,数千発の砲弾が,対岸明王庖から大山届[廟]の一帯長さ千キロにわたって射ち込まれた.

陽はどっぷりと暮れ,対岸に射ち込んだ黄色いガスの煙も見えなくなり,ただ,めらめらとゆれる炎が,長い帯のように続き,漢水のドス黒い水にユラユラと映え,空を真っ赤な血の色に染めた.


222二三二聯隊が渡った下流宜城の方向からも激しい銃声が伝わってくる. 木島も中祖も森岡もみんな,あの白河の砂浜,胸をしめつけられ,砂にへばりついた死の恐怖が,今にも襲いかかってくるのではないかと,髪の毛が逆立ちそうになる思いであった.数キロの砂浜で,夜どおしザクザク砂を掘る音が続き,不気味に夜が白んできた.

空をこがすように焼け続けていた炎は,対岸数百軒の部落を,残らずなめつくしだんだん下火になってきた.

バラバラに散っていた各隊が互いに呼び合う「三中隊集合!」騒がしいざわめきの中に,指揮班長杉田軍曹のドラ声が響いた.みんなホッと安堵の胸をなで下ろして立ち上がった.


大隊はやっとの事で砂浜を横切って,岡に集結した. 漢水の堤に沿って荆門と襄陽[襄樊]を結ぶという,幅五メートルもある襄荆公路が南北に走っている.この道に沿って,見渡す限りの麦畑……点々と散在する農民部落……自につくすべてが焦土と化し,炎で泥柳が黄色に変わっている.

「これだけ麦があればのお……」 一面に真っ黒に焼けた麦畑の中で,木島と同じように,農村出の森岡が独言のようにつぶやいた.

ぶすぶすと燃え残りの柱がいぶっている間に,あっちにもこっちにも,住民の死体が横たわっている.子供を固く抱きしめてる事から女であることがはっきりする外,男女の見わけのつかない凄惨さである.

223「余り気持ちがよいもんじゃないのお」 また森岡がうそぶいた.

森岡,お前いつも意気地のない事ばかり言うが,本当の人殺しは今からだぞ」 傍らの西山が「中隊長の前でとんでもない事をいう奴だ」と言わんばかりに言葉はげしくきめつけた.中隊長細田は,やっぱり西山だという表情で,煙草に火をつけた.

森岡が《このはりきり上等兵奴が》と,日で応えて,顔をしかめた.

聯隊はこれから漢水の河畔に沿って,襄陽[襄樊]の方向に北上する事になった.

「上等兵殿,どうしたんですか……」 昨晩,河を渡ったら荆門の方向に南下するんだと聞かされていた木島は,不審に思って西山上等兵に尋ねた. 「馬鹿野郎,参謀じゃあるまいし,そんな事俺たちの知った事か!俺たち兵隊は,だまってただ牛のようについて行きゃあいいんだ!」 西山がぶつきら棒に答えた.


聯隊は,焼野ケ原の中の白い五メートル突道を北に沿って歩き出した.

「おい,アイツまだ息をしているぞ」 二反田の声に,森岡がふりむいた.見ると砲弾で枝の引き裂けた木の横に,四十歳近い農民が足を血みどろにして倒れ,部隊の通るのを見つめている.

森岡はそのするどい眼に射すくめられた. 「畜生!俺が殺してやろう」 森岡はつかつかと近づいて,いきなり小銃を頭につきつけ,パンと一発発射した. 「オイ,森岡もう気味が悪くないのか!」 西山の声に,「上等兵殿冗談じゃないですよ.気持ちが悪いから殺すんです.こいつらにこんな白い224眼でにらまれちゃあ,どんなにおっかない事か」 森岡がホッとしたように隊列に戻ってきた.

第一大隊を前衛に,聯隊が小河についた時,急に停止の師団命令がきた.小河は漢水べりの棗の木の多い約二百軒位の小さな町だ.茶店,薬屋,紙屋何でも一通りの商店が並んでいる.この町の中心に,聯隊が入った.

二反田分隊は大きな雑穀屋に陣どった.こそこそと,奥の小部屋をかきまわして,一斗も入る酒がめを引っぱり出すと,庭先の泥柳の下で酒盛を始めた.

山賊のように裸になった二反田が,髭むしゃなあごを突き出すと,乗松がアカにまみれた首筋から,ダラダラと汗を流しなが「一ばい」と,盃を差し出したが,大隊本部から帰った高橋を目ざとく見つけて「よお,小隊長殿」とのこのこと立ち上がって行った.

「おい明日の命令を言うぞ」 グッと一ぱいのみほすと,高橋はジロリと見た.二,三分隊長もよってきた. 「いいか,明日はまた今日来た道を引き返すんだ.それで,ここはどっちみち捨てるところだから家も何もかも徹底して焼くんだ.小隊はな,中隊の放火班だ.明日はかけまわるから,あご[苦しい大変だと言う意]だぞ,早くねろ」と言い残すと,酒のみたさにのどから手の出るような顔で,アタフタと帰って行った.


死んでも恨み殺す

翌朝出発準備を終えた聯隊が,小河の街はずれに集結し始めた.昼間の暑さを予告するように,225今日は朝からカンカンと照りつけ,掠奪したろばの悲しそうななき声がいやに耳をさす.

高橋曹長!三中隊はあの部落……機関銃と本部はこの部落……早くやるんだ,三十分後には出発だぞ!」 吉満が直接各中隊放火班をとなりつける声が,騒々しい集合時のざわめきを破って,われ鐘のように響いている.

各中隊の放火班が背嚢を投げ出し,クモの子のように四方に散って行くうちに,木島と中祖が高橋曹長の前を走りだしていた.その後を二反田,西山,渡辺が……続いていた.

木島はまず一番近い農家の藁屋根に麦束で火をつけた.土間にも庭先にも軒下にも,刈り入れたばかりの小麦の束がうず高く積んである.家の中には机,戸棚,鍬などそのままになっており,開け放された扉に「出門大吉」の真新しい赤い紙が眼を刺した.

パチパチと燃え上がる炎を尻目に,木島は続いて次々に火をつけて歩いた.四軒目の家は瓦屋根だった.

「こいつはやっかいだぞ!」 木島が立ち止まった時,中から"グウーム"低い呻きが伝わってきた.入口をふりむくと,西山が血のついた銃剣を握って飛び出してきた. 「あすこに藁をつんで火をつけろ!」. 西山は,奥の一室を指した.

銃剣を置き,山のように麦束を抱えて木島と中祖が土間に入ると,白髪頭の老人が横に倒れ,両手で血に染まった胸を押さえ,激しく苦悶している.脂汗のにじんだ額が入口に向き,白いマナコが木島をにらんでいるように思えた.額のしわ,長い労働に鍛えてきた,ふしくれた手, 「アッ!お父226にそっくりだ!」 木島は,たじろぎ,思わずギクリとした.だが,すぐ「馬鹿,俺のお父なんかに似ているもんか……俺のお父は……」

そんな事にはおかまいなく,中祖は持って来た藁を老人の上になげかけた. 「エイッやってしまえ!」 木島も思い切って老人の上に藁を投げかけた.

「これでは天井に火がつかん.もっと持ってこお!」 中祖が木島を促して外に出て行った.残った木島は呻く老人の体の上に机,椅子,油壷,手当り次第投げつけた. 「これだけありゃいいだろう・……」 中祖と乗松が運んできた藁を,その上に積み重ねた.

「さあ火葬だ!」 木島がマッチで火をつけた.

「ゴーッ」と音を立て,みるみるうちに炎は天井に伸びて行った.

「ウーム」炎を通して,老人の激しい呻きが伝わってくる.ハチパチ麦藁のはじく音,プーンと油のこげる匂いが,またたく間に狭い室内に拡がって行った.

「もう大丈夫だ出ろ!」 表の西山の声に,木島はあわてて外に飛び出した.目の前の,00油房と黒い看板のかかった大きい建物が,真っ黒い煙をムクムク上げて,あたりを暗くして燃え上がっている.ふり返ると,小河の町からも左に出た一中隊の方からも,一斉に黒い煙があがっている.

「対岸の火事は大きい程面白いというが,全くすごいなあー」 中祖がとんきょうな声をあげた.彼等には,誰の手がどんな苦しみをして作り上げたかその事がわかる筈がなかった.

「この野郎かくれていたんだな!」 西山がいきなり池の中に小銃を二発射ち込んだ.ピシッと227水しぶきが飛び散り,激しい苦悶の渦巻が血を浮かばせた.その中に老人が拳をにぎりしめて,のけぞるように沈んで行った.

「おい集まれ,引き返すぞ!」 高橋曹長の声に,みんな汗をぬぐいながら,集合地点に引きかえした.

小河の町二百軒余りの家はすでに一面火の海になり,炎がメラメラ波のように揺れている.聯隊主力は,既に出発し始めた. 吉満が馬の上から早くせんかっとせき立てている.

「オイ,さっきのあの家で夕べの七人の親子を焼き殺したんだぜ!とてもすごかったぞ『死んでも恨み殺す』と,あの窓からしぼるような声で呪いながらおだぶつして行ったんじゃ……」

装具監視に残っていた森岡が,血の気を失った顔色で窓を指さした.一尺四方の窓口から黄色い煙が盛んにはみ出している.そういえばプーンと人を焼く特有のいやなにおいが鼻をさしてくる.


大隊は聯隊の一番後になって,小河をあわただしく出発し,命令通り南に向かって退却した.聯隊の前を行った二三三聯隊が放火したのだろう.道路の両側の部落という部落は,みな炎と黒埋がうずまいている.火は風を呼ぶというが,強い北風が砂塵をまきあげ,後から煙と一緒に眼を開けられぬ程ふりかかってくる.そのうえ,一面黄色に熟れ切った麦の波が,パチパチゴーと野火のような音を立て,すさまじい勢いで燃えながら追い越して行く.それはちょうど,無数の目に見えない敵が,今にも後から襲いかかってくるように思われて,聯隊長横山も大隊長吉満も,しきりに馬に拍車をかけ,228強行軍を続けた.

「落後したらそれまでだぞ」 隊伍の中に,頬骨とアゴを突き出し,出る汗を拭こうともせず,木島は歯をくいしばりながら歩き続けた.十キロばかり退却すると,本道上を避けて右の細い麦畠の道に入った.激しい砲声と爆撃がだんだん近くなった.

吉満が急に馬を止めた. 「オイ,奴を撃ち殺せ」 吉満が鞭を突き出した右二百メートル.盛んに煙をあげて燃えている部落の端に,水桶を片手に持った二人の老婆が,大きい喚き声をあげながら,先祖代々守り続けてきた自分の家に,杓でしきりに水をふりかけている. 「よし大隊長の前だ.一発で……」 木島は停まった隊列から横に走り出た. 「小隊長殿自分が撃ちます……」 立射で一発ブッ放した.老婆は銃声に見むきもせず一心に水をふりかけている.…… 二発三発,木島があせればあせる程,弾丸はあたらなかった.

「オイ初年兵,見とらんで射撃の練習をやるんじゃ射て!」 二反田が側で中祖と渡辺にいいつけた.パンパンパン続けざまに弾が老婆に集中した.杓が宙に飛び上がり,二人の老婆が続いてそるように水桶とともに横倒しに倒れた.ホッとして銃を下ろした木島の横で,連絡をとる無電の発電器の音が,老婆の呻きのように響いた.


二三二聯隊が雷家河の線で激しい戦闘中だという事が伝わってきた.部隊は再び動き出した.陽が西に傾いた頃,聯隊はやっとの事,雷河の河岸雷家河という町に出た.銃声は既に南の方に遠のき,229百軒余りのこの街もしきりに炎をあげ,燃えつづけていた.

部落はずれの畑の中に,穴のあいた鉄帽や血のついた脱脂綿が散乱し,その横に頭をたたき割られた三十歳位の農民が,右手に鎌をしっかり握りしめ,血に染まって斃れていた.


農民を簡易地雷探知器に双欧 荆門から裏山を越えて双城を通り,細い山道を西南に歩くと車橋舗に出た.ここから東西に山あいの間をぬって,白い五メートル程もある荆宜公路が,長々と続いている.だが上がったり下がったりのダラダラ坂で,下れば山あいの田がチヨツピりとのぞき,上がれば両側が松林になっている.

一三二聯隊は,荆宜公路を育渓河に向かって行くと,この低い谷間に朝霧が一杯に立ちこめていた.

「走不行的打死了」[歩かぬと殺すぞ]

「おい,また切っでいやぁがる」,真ん中が人間一人ようやく通れる程残してあり,両側のたんぼには水が一杯ある.

路上斥候の山本がブツブツ言いながら,曲芸師のようなおどけた恰好で調子をとり,歩きだした.

「ドカン……」 目の前がパッと火の海となり,ものすごい大きな音がした.パタパタと叩きつけられた.尖兵の頭の上にザーッと土砂が降る.ベッタリとした血肉が降ってきた.

木島はジーンとする耳,叩きつけられたような目をおさえ,夢中で土の上に顔をくっつけた.

《敵襲!!》…… だが何も音もしない.下半身吹き飛ばされた山本が,ぶざまな恰好でたんぼの中に230さかとんぼに突っ込んだ.目の前に片足が.目をあけた木島は全身の血が逆流し,手足がブルブルふるえた.

「地雷,地雷だ……」 足をパタバタさせ,慌てた細田中尉の声がわめくと,尖兵中隊はピタッと釘付けにされてしまった. 森岡がおびえた目で足下を気味悪そうに見ている.朝霧は晴れたが,空はうすどんよりくもってむし暑い.

ダダダ……ダダ,香爐山の峯の方から銃声が聞こえてくる.左に入った二三三聯隊は,もう前に出たのだろう,銃声が遠い!

「オイ尖兵は何をしとる」 馬で駈けつけた吉満が,馬の腹をパタパタ蹴りあげて怒鳴りつけた.

細田細田早うせんか.二三三も二三二も,もう前に出とるんがわからんのか.本道を行くわが部隊が遅れて鯉城健児の面白が立つか」

「ハッ……すぐ前進します」

鯉城健児とは封建大名浅野の居城の名をとって,広島の青年を言うのであって,封建的な武士道に結びつけて,負ける事を何よりも恥として敵がい心をあおりつけた.…… それをきいたのだからたまらない. 細田は火のようになって 高橋てすぐ前進だ!」 「ハイ」 命令を受けると 「お前の分隊は路上斥候だ……小隊の五十メートル前を行け」

「何だ,とうとう俺達にお鉢が回るのか」. 森岡がブツブツ言うと,現役の西山上等兵は,「何恐れる事があるもんか,早く行こう……木島中祖何をぐずぐずしとるんじゃ」とせきたてた.

231《くそったれ初年兵が一番先か》 木島は背嚢をゆすり上げ,足に重いなまりをつけたように歩きだした.今まで何気なしに歩いた道も,こうしてよく見ると,何とデコボコが多く,何と石ころが多いのだろう.その度に,《この一歩がどかんとくるのではないか,今度踏み出す足が》と,思うとだらだらと油汗が額と脇の下から流れ出る.

《何て森岡の奴ぶざまに歩くんだろう,奴にふまれて側の俺まで死んでは》 こう思うと,自分の足だけではない,人の足まで何もかも信用できなくなる.

こうした思いで,やっと岡の上までたどりつくと,またはるか向こうに幾つも幾つも窪地が見える.

「あああ」 中祖が思わずため息をついた.その時,後ろから「おい待て」と高橋の声が聞こえた.皆がいっせいにふりかえると,高橋がいつも糧秣や野菜をかつがせている,四名の農民を追い立てながらやってきた.

背中がひわる程重い荷物を負ってあえぎながら登ってくる…… もう四十を過ぎたと思われる額のしわが深く刻み込まれている.

「おいお前らもっている綱を全部出して一列につなぐのだ」 「ハハン」 二反田が,さも納得したように鼻で笑った.こうして四人を縦に一列につなぐと,その縄の端を木島に持たせた.

「おいこいつを先頭に歩かすんだ.逃がさんようにして十メートル位後ろをついて行くんだ」 「ハイ」 木島はホッと救われたという顔をして,乗松から綱を受けとった.

「お,おうやっぱり高橋軍曹殿だ.うまい事を考えられますなあ」 西山が主人の顔色を伺う犬の323ように鼻声を出すと…… 「どうだ簡易地雷探知器だろう,吹きとんでも,いくらでも代わりがあるからなあアハハハハ」と得意そうに低い鼻をびくびくと動かした.

「ドロンドロン」 遠く右を清渓河に向かって行く二三二聯隊の方向で,砲声が風を起こすように聞こえてくる.

「出発だ行けッ」 高橋が様子を見るように目を光らせて命令した. 木島はぐいっと縄を引くと「おい歩け」……と農民の背中を押した.

糧秣と野菜を山ほど背負わされている農民は,玉のような汗をボロボロと流しながら,二,三歩よろよろと歩いた.先頭にいた三十歳位の背の低い農民が,突然くるっと向きをかえると 「おらぁいやだ,俺は歩けねえ」,これに和して,他の三人も次々に叫んだ.やっと動き出したと思った部隊もまた,止まった. 二反田は,大隊長にどなられると大変だと思うと,じっとしておられない.どす黒い顔に,三角の目を吊り上げて, 「こら歩かんか,歩かんか」 銃尾で力一杯背中を殴りつけた.

「ウン」 ぷっ倒れた農民は,背をそらすようにして,二反田を見上げると,じろっとにらみつけた.

「こいつ,歩きやがらんかッ……歩かんと叩き殺すぞ!」 たまりかねた高橋は,日本刀を引き抜き,破鐘を叩くような大声でわめきたてた. 木島は縄を引ったくって,農民を引き起こし,高橋の顔色をじっと見るや,いきなり 「やいお前達歩かなかったら,歩かしてやるぞ」と銃剣を背中から突きつけて,足といわず,ひざといわず,編上靴で力一杯蹴りつけた.農民の足から血がだらだらと流れ出した.

233「早く歩け……」 木島は再び縄をひったくって,ひき起こし,銃剣で背中からぐっと前につきだした.


長蛇の列がウネリ出した.丘を下りると,細道を四人一列に歩かす農民の足が怒りにぶるぶるとふるえ,額から油汗がタラタラと流れる.歩いては止まり,歩いては止まり,顔を見合わせて,足下を今か今かと見ている. 「早く行かんか」 銃剣を握りしめた木島が,後ろから吐きかけるように大声でわめくと,ツカツカと農民に近より,背中からズトンズトンと銃剣をもって前に突き出した.

農民の顔はだんだん青くなる.重い荷物を背負わされたその一足一足は,足の裏を錐で刺されるように,つま先で歩く,その目はキロッと光っている.

「早く」 後ろからまた木島がどなりつけた.

谷を漸く通り抜けたと思うと,急に元気を取り戻したように,森岡が「もうこれで大丈夫だ」と叫んだ.

乗松が「なんだ,たった一発でおどかしやがったんか」 一つ谷を越すと,皆の足は軽くなった.今までびくびくした森岡が急に元気になって,大股で歩き出した.

「おい木島,中隊長がいやにお前の事を心配しとるぞ」

「ふん,そうか.俺はともかく,死んだ中川には随分気まずいだろうよ」 「しかしお前もあれから随分人殺しが平気になったなあ」

234「フフフ……俺ぁ,中隊長のためにやっているんじゃあない.一人でも多く殺す事が日本を救う事だし,戦争を早く終える事じゃあないかと考えとるんだ.……中隊長なんかくそくらえだ」

「シッ」 あまり木島の声が大きくなったので,中祖がこずきながら,西山の方をじろじろッと見た.…… 部隊は丘を越えて,また谷間に向かって下っていた.農民の足がだんだん重くなり,速度がだんだんににぶっていた.

「早く,早く」 森岡が調子にのってわめきたてた.ここもやはり道が切られて,やっと一人が通れる位の幅しかなかった.農民の足が一歩踏んでは止まり,一歩踏んだ.真ん中まで来た時,農民の体がグラッと横に倒れた瞬間「ドカン」真っ黒い土煙,カッと目をいるような光.はじかれた横にバッタリとへばりついたまま,木島は夢中で土にしがみついた.その頭の上に,ザーッと土くれと石が降ってきた.

「ヒャア」 突然中祖が悲鳴をあげた.

中祖大丈夫かッ」 「チエッ驚かしやがる」 中祖がいまいましそうに足をふみつけて立ち上がった.

農民の二人は即死し,一人が負傷して,胸をかかえてうなっている. 「よくも驚ろかしたな」 中祖はそこにあった頭位の石を抱きかかえると「ドシン……」農民の頭めがけて投げつけた.

これを見た森岡は,いきなり「パン」と小銃を一発農民の頭めがけて射ち込んだ.…… ダラダラと噴くように流れる血が溝をつたわった.驚きとその上,連れが殺された姿をまじまじと見ると,他の一人の農民はそこに座り込んで,動こうとはしなかった. 「たて,立たんか……こいつ反抗するな!」 235「ガン……」 二反田が銃尾をもっていきなり頭を殴りつけた.額から血がダラダラと流れる.

「走走,快走」 「立たんか!」 木島が力一杯蹴り飛ばした.

「ウン……」と背を伸ばした農民…… その眼がキラッと光った.

ゴォー,突如爆音が起こった.谷間からのぞく空は小さく,すぐに飛行機は見えなかった.ズシンズシンと腹をゆすぶるような地響きが聞こえる.タ,タ,タ……機上掃射だ…… 育渓河は近いぞ」 長い蛇のうねりが,再び新しい農民を地雷よけにして動き出した.煙突を立てたようにモクモクとしたどす黒い煙が,天をこがすように立ち上り,むし暑い空を覆っている.


国際法もくそもあるものか!

翌々朝,丸子山の空は,どんよりと曇っていた.抗日軍の頑強な抵抗に,二三一聯隊はまる一日半,丸子山の谷間に釘づけにされたまま,散々に叩きのめされた.兵力は半分になり,三中隊も残りは僅か六十名余りになった.だが功名にあせった横山は当陽を何といっても我が聯隊でとるのだ》といきり立ち,鼻の上にズリ落ちる眼鏡を押し上げながら「前へ前へ」と,わめきたてた.

ダダダン……地響きをたてて爆弾が作裂すると,グワングワンと上昇する飛行機の爆音が,銃声をおしつぶした.五機,十機……むくむくと燃え上がる黒煙が空を覆った.前へ前へめちゃくちゃに追いたてられて,部隊は昼前やっとの事,当陽市街の東を流れる沮水河のほとりに出た.長い石河原の向こうに二重楼の城門が硝煙に包まれ,右の小高い丘には抗日軍戦士が,なお頑強に頑張って236いる.昨日は高橋が小隊を,山の片すみに集めて,弾をよけたので,どうやら命は助かったものの,白昼はそういうわけにも行かず,おまけに要領のいい高橋は,大隊長から中隊長代理を命ぜられると,猪のように飛び出した.

「おい中祖気をつけろよ,ここまで来て生命をとばすなよ」 土と煙と汗で真っ黒になった顔をなぜながら,木島が中祖の足をつついた.

「うん,おい見ろ森岡の奴,もうあそこに行ってるぞ!」 見ると森岡はいつもに似ず,土にしがみつくようにして這っていた. 《そう言えば清渓河で三小隊の河口が銀時計と万年筆を取ったと言っとったが》 木島の頭にチラッと十型の金時計が浮かんだ. 木島はまだ生まれて腕時計を持った事がなかった. 「ヨーシ」 息もつかず,前の土万じゅうまですっ飛んだ.その後を中隊長代理の高橋が「そら行けッ」と,軍刀を振りながら飛び出した. 沮水河にかけられた七十メートルもある橋が,ベロベロと燃えていた.

「渡れ,早く渡れ」 ピシッピシッ小銃弾が頭をかすめ,河原の石をはじき上げた.

ダダッと無我夢中で橋を渡ると,窪地を見つけて飛び込んだ.爆撃の跡,ぷんとする血なまぐさい臭い,数日前からひっきりなしに続けた爆撃,死体,死体!数百の死体,足が,首が,手が,・…… 木島はまた走った.柳の木に右手をかけて,半身盾にそっと首を出して,前を見ると,頬をよせた幹に肉片がベットリとかたまっている. 「チエッ」 思わず顔をそむけると,そこへ中祖と乗松が飛んで来た.

237「危ないぞ,伏せろ」 二反田が死体の間に転がりこんだ.その後を,森岡がわき目もふらずに飛び出すと,バッタリ伏せた. 木島は「オヤッ」と思った.

森岡は死んだ女の側ににじりよると,女の手から腕輪をはずして物入れに入れた. 「やったな」 木島が目を見はって踏み出そうとしたとき, 「ドドドカン」 「迫だ,迫撃砲だ」 二反田が大声をあげた.一中隊は百メートル位離れた二十戸ばかりの部落に,背を丸めて,次から次へと飛び込んでいる.

一大隊本部が左の河土堤にへばりつくと, 「三中隊,こら三中隊,あの病院を掃蕩せい」と後からどなりつけてきた. 二反田がのび上がって見ると,白壁の大きな建物が,柳並木の間に立ち並び,真ん中の大きな赤十字の印がよく見える. 「よぉし,あれだな,一分隊行くぞ」 二反田が野良犬のように駈け出した. 木島も《何か獲物があるぞ》とばかり,転がるように駈け出した.


「グワン」 体当たりで入口の扉をぶち壊して,中に飛び込み,泥靴でドタ,ドタと踏みにじりながら,一部屋ずつのぞいて行った. 「おい何もいないじゃないか」 後から中祖が声をかけた.一番奥の部屋まで来た木島は,思いきり戸を開けると,中に飛び込んだ.

「入ってはいけない」 突然女の声に驚いて,ギョッと立ち止まった.見ると真っ白い服装をした若い看護婦が,キリッとした姿で,じっと木島をにらんでいる. 《女じゃないか》 木島は勇気をとり戻すと,銃を構えて,ジロッと見まわした.クレゾールの消毒液,それに交じって血なまぐさい臭いがプンと鼻をつく.

238「何だ何だ」 そこへ口ぐちにしゃべりながら森岡,中祖,乗松が飛び込んできた.

「ここは病院です.ここにいるのは皆,負傷者です」 りんとした声に,皆たじたじとなって二,三歩後ずさりした.

「おい何と言ったんじゃ」 入口に困って顔を見合わした.じっとこちらを見つめている看護婦の腕にまかれた赤十字の腕章…… 後の寝台は八名の負傷兵が…… ある者は寝たまま動く事ができず,ある者は上半身を起こして,ぐっとこちらをにらんでいる.

「おい何か」 高橋が泥靴をふみならしてやってきた. 「中隊長殿いるんですよ,いるんですよ」 助かったように森岡が声をあげた.

「何じゃ」 皆を押しのけるように前に出た高橋は,日本刀を土間について,スッポンのように目玉をつり上げた. 「おいこいつらが昨日反抗しやがったんだ,お前ら何しとるんだ……早く毛布をはぎ取ってしまえ」 その声に勢いを得た木島が,ツカツカと前に走り出すと,銃剣を握りしめ,毛布に突き刺し払いのけた.

「いけません,とってはいけません」 戦士の側にかけよった看護婦は,木島がとった毛布を押さえた.

「ええい,うるさい」 木島は力一杯ふりはなすと,銃を看護婦の胸におしつけて,突きとばした.看護婦はよろよろして側の寝台に横腹をぶつけた.

「鬼子,鬼子,何するんだ」 一斉に我が身を忘れて立ち上がった戦士達の拳が,わなわなとふるえた. 239真っ赤に血のにじんだ胸の繃帯を押さえながら…… 青白い顔が,憎しみのたぎった目が,キラッと光っている.助け起こされた一人の戦士が「お前ら……お前ら鬼だ……鬼だ」と叫んだと思うと,ガバッと血を吐いて,うつぶした.

それを見た看護婦は「アッ」と小さい叫びをあげると,そこに駈けつけ…… 「班長しっかり,班長しっかり」と抱きかかえた.だが班長と呼ばれる戦士は,怒りの拳をわなわなとふるわせ,その日に表す事のできない憎しみをこめつつ,ガクッと前に突っ伏した.食いしばった歯の間からもらす憎しみが,部屋の中に立ち込める.看護婦はまだ二十歳にもならない美しい顔を怒りのために赤くそめ,黒いひとみで一人一人の心臓を射ち抜くかのように見つめている.怒りにみちれば,みちる程その顔はせいさんに輝いた.

そのさまを高橋がジロリと見ると,あたりを見まわして「フ……フ……」と厚い層をペロリとなめた.

「おいこいつら皆殺してしまえ」と言いはなった. 中祖が勢いづいて銃剣を握りしめた.その気配に「アッ!」「イケナイ!」戦士と看護婦が叫んだのは同時だった. 中祖か度胆を抜かれたその瞬間,剣尖を軽く握った.看護婦は押しかくすようにして離した.…… ヨロヨロとして中祖は二,三歩後にさがった.

その時突如看護婦のハッキリとした声が響き渡った.…… 「ここは病院なのです.病院は国際法で侵す事はできないのです」 十六のまなこがらんらんとして輝いている.

この威圧に思わずギクリとした高橋は,それを覆いかくすように,破鐘を叩くような声でわめいた.

240「ナニナニ……国際法もくそもあるもんか……やれ,やるんだ」 「看護婦を外に引っぱり出せ」 西山が狼のように飛びついた.

「イケナイ」はねのける看護婦……

「何をしやがるんだ……アイタ,タ,タ……」 西山が腕にかみつかれた.

「ウハ……」 戦士立ちは立ち上がって飛びかからんとしたが,寝台の上から滑り落ちた.身体が動かないのだ.戦士達の手足が憎しみにふるえている. 高橋がまたどら声をはり上げて 二反田なにしとるか,早うひっぱり出さんか」とどなりつけた. 二反田が看護婦に飛びついた.

「アッ」 看護婦は自分の身もかまわず,寝台から落ちた戦士を救い起こそうとしたが,二反田と西山にはがいじめにされてしまったまま,ずるずると外に引っぱり出された.

「エエ,こいつらが中隊長や戦友を殺したんだ……やれ,突け,突き殺せ」 いきりたった高橋が,日本刀を上段に振り上げると,一人の戦士をけさがけに斬りつけた.サッと吹き出した血が白壁に飛びちった.

「エイ……」 木島は銃剣を引っさげて,寝台の上に飛び上がるや,一人の戦士の胸をグサリと突き刺した.

「ウン!」 タラタラと吹き出す血が白布を赤く染めた. 「エイ,ウォー」「ウン」吠える野獣のわめき……

「鬼子,鬼,鬼子打死」…… りんとした声が壁に響き渡った.

241「こいつら突いても突いても仲々死なんぞ」 木島,中祖,乗松等がめちゃくちゃに突きまくった.突いても,突いても,生きているように戦士達の目はカッと開いてにらみつけたままだった.


二反田と西山は,看護婦を外の柳の木の下にずるずるとひきずり出した.部屋の中の異様なさわぎに,看護婦は力一杯反抗した.……

血にまみれた日本刀,銃剣をひっさげた高橋と木島,中祖等が廊下に血の跡を残して外に飛び出した. 「オイ二反田二反田 「こっちだ,こっちだ」 柳の木の下で二反田と西山は,看護婦をねじ伏せていた.看護婦の髪はバラバラに乱れ,頬から血が流れている.血刀をひっ下げた高橋が駈けつけ,「オイこいつを裸にしろ」と,どなりつけた.

皆んながぐるりとまわりを取りかこんだ.その姿を見ただけで,どんな事が行われるかをハッキリと知った.看護婦は何か自らかたまりを口に入れた.…… そして静かに座った.…… 美しい頬からみるみるうちに血の気が引いた.

「何しとるか,早うせんか」 高橋が足をばたばたさせて,吐きかけるようにどなりつけた. 「ハッ」 木島,中祖が,飛びかかろうとしたとたん,看護婦は"ガクリ"と,前にうつ伏した.…… 「アツ死んだ」…… 皆,側からのぞきこんだ.

酒臭い息を「フー」と吐いた高橋は「畜生!くたばりやがったか……」と血刀をもって,グザリッと看護婦の胸を突き刺した.


242人間の血と骨で固められた保塁

兵士が,幾ら死のうが苦しもうが,そんなことにはおかまいないし,「前へ,前へ」と追い立て水昌店という所まで来た.ここから道はしばらく山づたいになっている.後十七里…… ほっと一息いれていると, 「防毒面を置いて,各隊はその監視のために,二名の弱兵を出せ」という命令が出た.

「おいおい,いよいよ宜昌まで走らせるつもりだぜ」

もともと抗日軍が毒ガスを使う時ではなく,こちらがガスを使わん気なら,防毒面等いつの戦闘にも必要のない代物なのだ.だからといって,ガスを使わんわけでない……何よりも宜昌一番のりが一身の功績だ,かかわる大問題の将軍達には,同志討ちはおろか,いざとなれば敵も味方も一緒に毒ガスで殺す位,何とも思っていないのだ.このような将軍連中に魂まで奪われた兵隊達は「上官の命令は朕の命令と思え」という言葉に従って,愚かにも死ぬまで走りつづけた.よろけながら走った.骨と皮になり,頬骨の飛び出した兵隊が,汗と油をながしながら走りつづけた.

木島も中祖も歯を食いしばって走った.ある者は精根尽きて,バタバタと倒れた.それには目もくれず部隊は走りつづけた.

黄店-鴉雀嶺-土門亜-宜昌にあと半里という揚文路まで走りつづけた時,既に十三師団が宜昌を包囲していた.


あちこちに上る黒煙と砲声を聞いて,兵隊はボーとしてその煙を見つめた.パタッと道端に倒れた243まま,目だけうつろに開けて宜昌の空に舞い上がる黒煙を見ている森岡.死んだように前に突き伏し,砲声の度にハッとしては,頭をもち上げようとする渡辺.首すじから背中にかけて白くなる程,塩のふき出している中祖,頬骨がとび出て目玉だけギョロギョロさしている木島,伏せているものの,畠のあぜにかじりついている者,さまざまな形ではいたが…… やっと軍刀を杖に立っていた高橋軍曹が「畜生!十三師団が入ったか,惜しいことをしたなあ!」とつぶやいたが,誰も高橋の顔を不思議そうにドロンと見つめた.

走るだけ走らせそれは何にもならなかった.…… が,皆は一様に喜んだ. 「これで……これで鉄鉢がとばずにすんだ」 兵隊は,鉄帽をかぶる頭をこうよんで,鉄鉢をとばすなよ,とお互いに死ぬまいと注意しあっていた.こうしてほっとしたように,黒い土と汗でどら猫のようにしまになった顔が,互いに見合って溜め息をついた.

しかし,それは束の間だった.日本軍が占領したと仰々しく書きたてたところは,次から次へともぎ取られて行った. 「輸送路が危ない」 「引き返せ」 宜昌を永久に占領せよ」 派遣軍総司令官西尾寿造は,矢つぎ早に命令した.

三九師団は,荆門まで引き返した.第二三一聯隊は,地雷の多かった大煙筒集附近から北に向かって右の李家河という村に第一大隊,左の黄家集に第三大隊,二大隊は聯隊予備隊という配置をとった.ちょうど師団全体の体勢から言うと,師団司令部を荆門に置き,そこを中心に,北に第二三二聯隊の大津部隊,東北方にあたる漢水河岸まで,約四十キロの間を,第二三三聯隊の吉川部隊がおり,西方に244あたる左翼を,第一三一聯隊の横山部隊が受け持ったのである.


こうして部隊の体勢が整うやいなや,師団長村上啓作は, 「各隊は一切の措置を講じて,駐屯の体勢を確立せよ!駐屯附近にネズミ一匹も生かすことはならぬ.徹底して無住宅地帯を作り上げよ!」と命令を下した.これに基づいて,各隊はまず陣地構築,兵舎造り,田畠をつぶして軍用道路の構築等々を大々的にやり始めた.

第二三一聯隊は,横山大佐の指揮で,第一,第三大隊の主力をもって,陣地構築を行い,余力を兵舎を作るために,住民を追い出して家を改造し始めた.

予備隊の第二大隊は主力が道路の構築にあたった.


無住地帯

師団命令に基づいて,吉満少佐は各隊の兵力をつれると,今日は第三中隊のいる姑牛嶺の東側の谷の焼打ちを計画した.

ここは,ちょっと高い丘になっている.松林がゴーッと風に鳴ると,涼しい風が吹いてくる.幾重にも重なった小さい丘,伸びた赤松が木肌を見せている.兵隊のどら声と馬のいななきを除いたら,なんと静かな所だろう.山あいのところどころに瓦屋根がキラキラ光っている.暫く眼鏡で前方をのぞきこんでいた小畑中尉が,後を振り向くともったいぶって命令を伝え始めた.

245「エエ!命令!高橋小隊はただいま,右の稜線づたいに,あの窪地に突入!山麓にある十二棟の家屋を焼却すべし!」

小畑は鼻下のチョビ髭をふるわしてわめいた. 「オイオイ,今度の中助[中隊長]は,馬鹿に固そうだな.これじゃ先が思いやられるぞ!」 中祖が小声で木島の肘をつつきながら言った.

小畑は当陽侵攻の時,細田中尉がくたばって,その交代に第三中隊長としてやってきたのだ.さっきから小畑が話を力むごとに,ピクピク動くチョビ髭を見ていた木島は,思わず「フフン」と噴き出した. 小畑の目玉がジロッと光った.

後から小畑!」と破れたバケツのような声がした. 「古満 だっ!」 兵隊は一瞬そう思った.

「オイッ!三中隊は何をしとるんだ!早うせんか!」 《そうら来たツ》 《雷が落ちた》 兵隊が小畑の方を見ると「バッ!」案の定小畑中尉は立ち上がっていた. 高橋小隊!早く前進!」

今度は吉満が引きとめた.のそのそと小高い所に上がるとジロッとあたりを見まわした.そして金鉄でねじり上げたような口を開いた.皆が固ずをのんだ. 「皆んな今度の作戦はよくやった……じゃが戦争はこれで終わったのじゃあない!今からが大事じゃ!」 「我が師団は当分この附近を警備することになる!」 吉満の声が一段と高くなった. 「だから……」 「敵がこの附近の農民を利用できないように徹底して家を焼く必要がある!部隊の近くは建築材料を取るために残しておくが,ここから先は皆焼く!いいかッ!漢水を渡って示したあの武勇を再び発揮せにゃならん!今からやることは即ち戦闘じゃ,そのつもりで徹底してやれッ!しかし今度だけは男を殺さずに皆捕えろ,246これは陣地構築と道路を作るために必要じゃ,解ったか!よし行け!」 吉満が一気にわめき続けた.

すんでに中助[中隊長]に反動とられる所を助かった木島は,一番先に駈け出した. 中祖がその後に続いた.


ここ,李家と姑牛嶺の前面[北]は二,三目前から谷間を覆った黒煙,か絶えない.ここらだけで東西十キロ,南北五キロにわたって「一人の人間も住めなくする」計画の下に,家という家は全部焼き,近くは机,椅子はもちろん,梁材から瓦までも掠奪し,残ったものは全部火をつけて焼いた.緑の山は建築用材に,太いのはトーチカ用に,小さいのは鉄条網の杭に,見る見る山は裸に変わっていった.

山の上も麓も,狩り集められた農民が,炎天の下,鞭と銃剣でこき使われている. 李家河から南へ通ずる谷から山へ一列にならんだこの人々はもう,一鍬振っては息をついでいた.

「おい,少し右,もっと右だ,よし!」 猿のような赤い顔をした一人の将校が手を上げると,がに股で歩きだした.こうして次々に測量し,田も畑も所かまわず幅六メートルの道を作り上げようとするのだった.鍬を振るい,土をになわされる農民,どの顔も皆,紫色に砂ぼこりがおおいかかり,それをまた汗が流れ,はれ上がった鞭のあとで黒くなっていた.

「おい,おい!こやつらちょっと目を離すと,もう怠けていやがる!」 やせている一等兵が頬骨をつきだしてわめいた.

「えいっ畜生!この子供め!さっぱり仕事をしやがらねえ」 獅子鼻をグイッと空に向けて,247福山上等兵が駈け出したと思うと,十五,六歳の少年を突き飛ばした.少年はよこざまにぶっ倒れた.

「小僧!早くやれッ!」 だが少年は,重病犬が起き上がるようにやっと上半身を起こした.だが細い首が今にも折れそうにガクッと前につんのめった.周りで土を煽っていた農民が一斉に手を止めてこれを見た.

「おい,おい!てめえら働かねえか!」 「こや?り……なんてのろのろしてやがるじゃないか」

「これじゃ,いつになったら道路ができ上がるか!」 鞭をふるい,銃剣をふるうその頭の上を,ジリジリと太陽が照りつける.そこへむこうから,ムクムクと砂煙をあげて,「おい,おい!よけろ,よけろ!」とわめきながら,八十人ばかりの農民に松材を担わせた群が「快走!」「早く歩け!」とわめきちらしてやってきた.中には十三歳位の子供が据え口三寸,長さ三間もある丸太を担がせられ,タラタラと油汗を流しながら,一歩一歩とよろめくように歩いている.殴られたのだろう,頬には血がふき出していた.暫く行くと,力のつきた少年がよろよろと倒れた.

「こら!この野郎!」 歯をむき出して,山川上等兵が右足で少年の腰を蹴った.少年はぺッタリ赤土に顔を伏せた.もう動くこともできないかのようだ.これを見ると人々は,パタパタと足をとめた.

「おい!お前ら何をぐずぐずするか!行かんか!」 ビッと鞭が稔る.農民は汗をしぼりとられるように歩いて行く.

「おい!伐採の長は誰だ!」 そこへ馬に乗った森大尉が砂けむりをあげて飛んできた.帽子を248あみだにかぶった上等兵が「ハッ!今,山におられます」帽子をあみだにかぶった市川一等兵がさもだるくてたまらないというような声を出すと,ジロッとにらんだ森大尉は「何本位切ったか知らんか」とおしつけた. 「はあ!」つかつか出てきた柴山軍曹が,ドングリ目で森を見上げながら,「今の所,山で二百本位です」と答えた.

「そうか大体……聯隊本部だけでさしむき三千本位いるんだ.今日,明日中に伐るように言っておけ!いいか!」言いたいことだけ言うと,聯隊副官森大尉は馬を飛ばして帰っていった.その後を一組五十人,また一組百人と,農民の運搬隊が続いて行く.鞭と銃剣にとり囲まれながら…….


「分隊長どの,今日はどこへ行きますか?」 農民の隊伍を横切ると,木島は後を振り向いて二反田に尋ねた. 「うん!あの家だ!」 二反田がここから余り遠くない二軒家を指さしてそう言った.分隊長以下十五名,いつものように屋根用のヌキ板をとるために出かけて行くところだった. 《昨日は家をこわしている最中,遊撃隊に見つけられ,激しく射ちまくられてやっとこさ中隊まで逃げ帰ったのだったが……今日は大して遠くない》 そう思うと皆はホッとした. 森岡がさも気軽そうに口をきった.

「おい!今から落ち着いて言うんだが,一体?いつまでこんな山の中に住むんかい?」「うん!全く山賊だなあ」 中祖が応じた.

「ウァハハハッ高田郡[広島県の西部]の山猿にゃよく似合わぁ」

249「チェッ!お前の顔の方がよっぽど猿だよ!」

「伺!フフンこれでも広島の真ん中だからなぁ」 森岡が胸を叩いた.

伐られた据口五寸もある松材が,二百本も三百本もずらりと並んでいる.


松林をこえると二反田が 「おいあれだ,この附近はまだ誰も来たことがないようだぜ!ええものがあるかも知らんぞ!」と興味をそそるように言った.

「今日は,あの瓦屋をこわす.乗松,お前は谷村と一緒に後の山で警戒しろ!」 乗松が駈け出した.分隊は二組に分かれてその家に向かった.扉を押したが聞かなかった.

「何だ,鍵をかけていやがる.叩き破れ!」 木島は十字鍬[つるはし]を振り上げて,扉にガンガン打ちこんだ. 「お前裏の方が破り易いぞ!」 渡辺が裏にまわった.扉を打ち砕くと,木島は中に飛び込まんとして,踏み出した足をそのまま止めてハッと息をのんだ. 木島が驚いたのもその筈,誰もいないと思った家の真ん中に,六十歳位とも思われる白いあご髭のある老人が,額に深いしわをよせ,右手に長いキセルを握りしめて,グッとこっちをにらんでいるのだ.

「おい,爺がいる」 うわずった木島の声に「何……まだ残っていたんか」と二反田が西山や中祖を連れて入ってくると,ツカッカと老人の側に近より,むんずと肩先をつかまんとした. 「何するだ!」 大かつ一声!,度胆をぬかれてギクッとした. 二反田は弱味を見せまいと,肩をいからして「何おう,手めえら命が惜しくないのか」とにらみかえしたが,再びとびかかろうとはしなかった.

250その時,「おい,いるぞいるぞ早く行け」とわめきながら,裏口から入った渡辺,森岡,西国らが,老婆,子供,女,六人を銃剣をつきつけて押し出してきた. 二反田はジロリと盗猫のように目を光らし木島,お前はこやつらを全部外に出せ」……と命じ, 中祖,おい森岡,お前等は家をこわすんだ」とあごをしゃくった.

「よし来た」 木島は子供を引っぱり出せば,親もついてくると考えると,五歳位の子供の右手をわしづかみにした.ワッーと泣き出す子供,その瞬間,母らしい女が飛びつくようにして木島の腕をつかむが早いか引き離した.この様子を見ると,二反田は馬面をますますふり立てて,「よしッ!こやつ遊撃隊だな,叩き殺してしまえ!」とほえた.

「フフフ俺あもう二十日ばかり人殺しをせんで腕がよなきしているんだぞ!」 森岡が恐ろしく強そうな事を言って,エイッと前につきだした.銃剣が老婆の胸にブッツリと三寸ばかり刺さった.

「ウウッ……」 老婆が虚空をつかんだ.まさかと思った女は,そこにあった靴を森岡の顔をめがけてぷち投げると「おっ母」と叫んで,老婆を抱きかかえた.みるみるうちに紺ざめた上衣に,血がにじみ出てきた.すっかり白くなった髪,細い首をガックリと落としているが,にらみあげる目が炎のように燃えていた.

「婆ちゃん,婆ちゃん」 子供達が周りを取り囲むと,婆ちゃんのしわの多い,だが働いてゴツゴツした手をにぎりしめて,顔をのぞき込むと,八つ位の女の子が,憎々しげな目で森岡をジーッとにらみつけている.それはほんにハッとした瞬間の出来事であった.突然,三歳位の女の子がワッと火の251ついたように泣き出した.

「う,うぬら!よくもやったなー」 いつ,椅子から起き上がったのか,老人が眼をつりあげて,キセルを右手に振り上げると,一歩二歩とにじりよった.

「や,やれ!皆叩き殺せ,こやつら遊撃隊だ!」 二反田がわめいた.

西山,渡辺,中祖が手に手に作ったバールや棍棒,十字鍬を振り上げて一斉に打ちかかった. 「ウォ」どんな野獣も吠える事のできないような吠え声,「ドスッー」 それはなんとも言えない肉を叩く音が…….

木島が斧をふり上げると,その所に老人がぬっと立ちふさがった. 「ウオッー」振り下ろした斧…… ……老人の頭がカッと二つに割れ,真っ赤な血がふき出るのを木島は見た.…… その瞬間……何もわからなくなった.


……木島木島,しっかりしろ!」 どこかで遠くで俺をよんでいる.おかしいな,くそッ,体が動かない.う,う,無理矢理手をあげようとすると,木島ッ」.やっと起き上がった. 「あっ」 「おお,木島気がついたか」 中祖がのぞきこんでいる. 中祖ものを言おうとして,初めて頭がジーンとするのに気がついた. 《そう言えば,俺ぁやられたかも知れん》 木島は一心に思い起こそうとした. 二反田,渡辺,西山,皆の顔がのぞいている.

「よし,気がついたら皆んな帰る準備をせい……木島歩けるか」

152「ハアッ大丈夫です」…… 「よし立ってみろ!」 上半身を起こされたが,また,クラクラとした.

「おい,木島 中祖が背中をなぐりつけた.ハッとして目を見張るようにすると…… 《あ,何という血の海だ》 木島,お前をなぐった奴はこやつだぞ,俺が仇を打ってやったんだ」 中祖がほこり顔をして教えた.トウミ[もみを選別する農具]の側に,三十歳位の青年が胸から真っ赤な血を流し,じっと目を見開いたまま,生きているように握りしめた天秤棒が真っ赤に血に染まっていた.

《あの棍棒でなぐったんだな,一体どこから飛び出してきたんだろう?》…… すぐ側を見ると,あの女も,子供も……誰が打ちこんだのか,女の子の背中には十字鍬がブッツリと突き刺したままおいてある.その隣に「あっ……あの老人だ」二つに割れた額を一目見るなり,目先がクラクラとなり,木島は後にそり返った.

どこか遠くで木島木島と呼んでいるようだったが,だんだんと解らなくなった.

 

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1 Yichang, Stadt in Hubei, am Jangtsekiang oberhalb des Drei-Schluchten-Staudamms
2 Hubei, Provinz
3 Sui, Kreis in Hubei
4 Zhejiang, Fluß, heißt heute Qiantang-Fluss.
5 Gunshan, Berg
6 Wuhan, Hauptstadt der Provinz Hubei
7 Bitoushan, Berg
8 Jianshan, Berg
9 Fengdongshan, Berg
10 Xianrenzhai
11 Xugudian (Xujiadian), township im Kreis Fuyu 扶余, Jilin.
12 Yamazaki, Hauptmann
13 Nagoya, Stadt in Aichi
14 Hiroshima, japanische Präfektur und Stadt
15 Nanjing, Hauptstadt und Metropole der Provinz Jiangsu (sowie de jure Hauptstadt der Republik China, obwohl die Stadt außerhalb taiwanischen Territoriums liegt); 13. Dez. 1937 Eroberung von Nanking, Beginn eines sechswöchigen Massakers.
16 Chongqing (Ch'ung-ch'ing, auch Tschungking), Stadt in der Provinz Sichuan, von 1937 bis 1946 Sitz der chinesischen Regierung.
17 Daye, Erzbergwerk 鉄鉱
18 Yangzijiang --- (früher: Jangtsekiang), größter u. wasserreichster Fluss in China
19 Nishio Toshizô, von 1934 bis 1941 General der Kwantung-Armee; nach 1945 in Japan als Kriegsverbrecher verhaftet, aber ohne Anklage wieder freigelassen.
20 Hankou, Hankau, Bezirk von Wuhan
21 Okabe Kazuichirô, Generalleutnant
22 Yingcheng, Kreis in Hubei
23 Tangxianzhen
24 Zaoyang
25 Xiangyang (Traditional Chinese: 襄陽; Simplified Chinese: 襄阳; pinyin: Xiāngyáng) 中国、湖北Hubei省北部にある大都市である襄樊Xiangfanじょうはんしの漢水Hanshui北側に当たる地名である。
26 Yokoyama, Oberst
27 Yoshimitsu, Major, 大隊長
28 Umeno, Hauptmann
29 Nitanda, Gefreiter
30 Nakaso, Rekrut
31 Kishima, Rekrut
32 Watanabe, Rekrut
33 Umeno, Hauptmann
34 Imada, Feldwebel, 情報係
35 Kitamura, Gefreiter, Dolmetscher
36 Kamisaki Tetsujirô, 第三九師団二三三聯隊長
37 Iwata, Oberst, 野砲第三九聯隊長
38 Nakagawa Isaburô, 輜重聯隊
39 Murakami Keisaku, 三九師団長
40 Senda, Stabschef
41 Cilangdian
42 Ôta, Gefreiter
43 Nishijima, Feldwebel
44 Kikuko, jüngere Schwester von Kishima
45 Huangpi, Hubei
46 Huazhong, Zentralchina, umfaßt die Provinzen Henan, Hubei, Hunan und Jiangxi
47 Hekouzhen, Gemeinde
48 Songlin
49 Nishiyama, Gefreiter
50 Jinghan, Bahnlinie (von Beijing nach Wuhan)
51 Yang-gu/jia-sai/se, Ort an der Jinghan-Bahnlinie
52 Ochiai, Rekrut