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重病人に電気・鞭の拷問
闘魂

山本和雄1


哈爾浜2南崗3警察署司法主任巡官,千田常二4に伴われた私と通訳黄鐘英5は,昨日,浜江6省警務庁特務科で哈爾浜南崗遼陽街の市立病院に監禁した病人の状態を見に出かけた.

病院外科医長森田7の案内で本館と遼陽街8を隔てた青昧を帯び始めている白樺と泥柳の植え込みのある別館の庭を回り,平家造りの朽ちた階段のある裏口より施療病棟に入り,左に曲がった突き当たりの薄暗い廊下には,顔見知りの趙警士が拳銃を肩にして監視している.その背後の開放された扉には,外科王9氏と書いた名札がかかっていた.

部屋の中は調度品もなく,物置のように冷えびえとする.近くの粗末な鉄の寝台に,古びた汚い布団を着た中年の婦人が寝かされていた.

荒々しく入った私達の物音に,その婦人は断髪の頭を枕から離し,ちょっと見られたが,そのまま152静かに眼を閉じられた.

森田の命で,看護婦は患者の繃帯を解き始めた.腐敗した人間の肉と,血膿の臭いと,強い薬物の臭いがプーンと鼻をつく.臀部,右脚大腿部,左脚膝関節上部三箇所の銃創は淡紅色に腫れ,傷口の附近は黒色に腐敗し,血膿がドクドクと流れ出てくる. 森田は「昨日入院に際し,応急手当をしました時には,傷口には蛆がわいていました」といいながら,荒々しい手つきで手術に取りかかった.

死人のように血の色の失せた蒼白な顔,痩せ細った身体に似ず,頭だけが大きく,関節は太く,老人のように皺の寄った手足,傷と衰弱のため身動き一つできない王氏は,唇をグッと噛み締め,苦痛に耐え,その生々とした瞳は静かに天井の一角に注がれていた.

「この銃創でしかもあの荒手術で声一つあげない,なんて大胆倣慢な女だろう」,軽蔑の眼で見ている私,内心は深い威圧と恐怖を感ぜずにはおられなかった.

患者王氏は,浜江省珠河10県の人で,趙尚志11将軍領導下の抗日連軍第三路軍の,そしてまた,浜江省東部地区農民運動の領導者であり,日満軍警から"白馬の美女"と恐れられていた趙一曼12女史であった.

日本侵略者は,中国本部への侵攻を企図し,抗日連軍と愛国者の弾圧に狂気している時,一九三六年四月,哈爾浜侵略軍司令官中将安藤利吉13と浜江省警務庁長前田良治14,哈爾浜警察庁副庁長吉村秀蔵15は省下各警務機関の情報に基づき,趙尚志将軍領導下の第三路軍に対する徹底的弾圧を陰謀し,日満軍警の連合武装部隊をもって浜江省珠河延寿両県境の螞蟻河16附近において愛国部隊を包囲攻撃し,153愛国烈士の尊い血をもって河の流れを赤く染めた.

戦闘中,趙一曼女史は臀部,右脚に負傷し,附近の農民に助けられ,農家に隠住していたが,珠河県警務科員に探知され,さらに左脚に盲貫銃創を負い,退捕されたのであった.

しかし,そのまま,なんら傷の手当もなさず,留置,監禁,拷問,取り調べを行ってきたが,その口から何一つ聞き出すことができず,重傷と拷問は趙一曼女史の生命を危険におとしいれた.

川本17特務科長はこのまま殺してしまっては,せっかくの手蔓もなくなる,泥を吐かせるまでは生かしておかなくてはと,ひそかに珠河より哈爾浜の病院に監禁したのであった.


十日十日と過ぎ,趙一曼先生の病傷も良い方に向かい,少し食欲も出たとみると,川本特務科長は部下に命じ,懐柔の方法と残酷な拷間の手段をもって,なんとか趙尚志部隊並びに,楊靖宇18朱保中19将軍領導下の東北抗日連軍の秘密を得んと,取り調べを始めた.警佐登楽松20が通訳の周賢彬21を伴って施療病棟にきた頃は,見舞客も途絶えて,静かになったあたりには夕闇が迫っていた.

「おい,今から調べるから誰であろうと絶対に病室に近寄せてはいかんぞ」と命じた登は,バタンと扉を閉めた.そして趙一曼先生の枕下に椅子を引き寄せると「おい気分はどうだ」と早くも怒気を含んだ声で聞いた.

先生はちょっと登の方に顔を向けられただけであった.「今日はなんとか返答しろ,それとも痛い154自に……山寨はどこだ」と怒鳴る登の方を睨まれた先生は,無言のまま首を横に振られた.これに脅えるように立ち上がった登は「この野郎」と叫びながら,先生の布団を剥ぎ取った. 「おい起きろ」と,周は先生の黒髪をつかんで引き起こそうとした.だが重病人がどうして起きられるだろうか.先生は痛みをグッと耐え,上半身を起こされたがバッタリ倒れられた.これを見た登は真っ赤な顔になり,層を震わせ頬を殴りつけたが「よし少し可愛がってやろう」と二人は先生の右腕をつかみ,指先に鉛筆を挟み締めつけた.

折れるような砕けるような痛み,右腕に力が入り,全身が緊張すると,傷口が裂けるような激しい痛み,唇を噛みしめ,憎しみと怒りに燃える先生の瞳は,二人をじっと脱んでいる.

「これでもか」「強情な女」と怒鳴る声,殴る音,先生の悲痛な重苦しい声が夜の静けさを破って聞こえてくる.監視の董顕勲は,頭から冷水を浴びせられたように戦傑した.宿直室では看護婦韓勇義が拷問がやられるたびごとに,多量な出血と,食欲もなく日ごとに衰弱していく王氏の苦痛な顔を思い浮かべ「生地獄だ」自分の体が鋭い刃物でえぐられるような気持ちになって泣いていた.

王氏はいったい,どこでどうして負傷されたのだろう.永い間手当もせず,身動きすらできない重病人を,なぜ毎日あんな残酷な拷問をするのだろう.それにしでもあのはげしい拷問に,一言も言わない王氏はどんな人であろう. 董顕勲22,韓勇義23も王氏の身の上に思いをはせながら,安否を気づかっていた.

拷問を断念したらしく,登と周が帰って行くのを見た韓勇義は,急いで病室に飛び込んで さん155苦しいでしょう,今手当をしますから我慢してください」といって,ていねいに傷の手当を始めた.

どんな拷問にも苦痛にも耐え,涙一つ見せなかった王氏の眼には,いつしか白い玉が光っていた.手当を終えた韓勇義は,王氏の涙を拭きながら「お名前は」と聞いた. 王氏は微笑しながらです,韓勇義さんいつも御手をわずらわし,申しわけありません.誠心から感謝しております」と,韓勇義の手を堅く握りしめた.

拷間取り調べが幾日も続けられるなかで,この婦人こそ抗日連軍部隊の領導者,趙一曼先生であること,そして,これまでの一切の情況を知った董顕勲は,数日間悩み苦しんだ.

趙一曼先生,それは誰一人知らない者はなかった.日本人の奴が東北を占領し,山も町の工場も村の畑もすべて奪われ,工場や農村からかり出され,飢餓と寒さに苦しみ,殺されて行く同胞.平和な祖国と同胞を救い,日本人の奴等を一人残らずこの中国の土地から叩き出すために,日満軍警どもが一切を上げてのいわゆる「治本治標工作」の迫害弾圧をも恐れず,女の身でありながら多くの愛国者とともに闘うその人.冬は雪深い老爺嶺24山中の掘立小屋で暮らし,春は山岳地帯の谷間や山麓を開墾し,農作物を作り,敵の包囲の中で山に寝,野に伏し,木の根草の葉を食べながら,弾圧に抗し,敵の銃と弾丸を奪い,人民と祖国のため,英雄的闘争を続けておられる人々から,母のように尊敬されていられる趙一曼先生.

董顕勲は,自分の手をじっと見つめた. 「俺の家は貧乏だった.親爺は老辺奪25煙草工場で一生懸命156働いた.しかし暮らしは一つも良くならなかった.親爺は年をとったという理由で馘首になった.俺は食うために公安隊に入った.そして二年後満州国ができ,俺も警察に移管された.五族協和,王道楽土建設を俺達中国人民のためだと信じ,奴等の犬として,四年間民族を裏切り,自分一人のみが生きるために奉仕してきた.そして今,俺は苦しみ悩んでいる.親兄弟を救うために自己を犠牲にして闘い,負傷までして捕らえられた先生から,愛国部隊の秘密を聞き出し,殺害しようとする,この凶悪な陰謀をめぐらりしている奴等に,俺は協力しているのだ.これでよいのか.祖国を奪われようとしている中華民族の一人として,奴等によって殺されようとする先生を,このままにしておいてよいのか?否,俺は先生を救わなければならない,とふるいたつ気持ち.しかし年老いた父はどうなるだろう……」 この考えが彼の頭の中で激しく闘っていた.

一方,床に就いた韓勇義も,趙一曼先生のことを考えていた.

……夏の日が焼けつくように広い大地を照らしているその下で,農民の夫妻が一生懸命畑を耕していた.鋤を引っぱる痩せた夫の肩には,荒縄がグイグイ食いこんでいく.大きく嘆息をして立ち止まり,流れる汗を拭き終わると,よろよろした足どりでまた引っぱり始める.鋤を両手でようやく支えて歩く妻,突然傍らから火がついたように泣き出した子供,母親は飛んで行きたい気持ちにかられたが,しかし今日一杯で耕さねばまた地主の棍榛が……そう思うと,手を休めることもできない.彼女は心を曇らせながらも仕事を続けた.

するといつどこからみえられたのか,先生は走り寄り,子供を静かに抱き上げると,着物の襟を掻157き分け,乳房を子供に含ませられた.牛馬のように奴役され,血も肉も吸いとられた母親の乳は,思うように出ないらしく,栄養失調で子供の頭には腫物ができ,眼さえ開くこともできないでいた.先生は何のためらいもなく,病んでいる子供の眼を静かに舌でなめてやられた.可愛い両手で乳房を押さえ,時々先生の顔に見入り,ニコニコと笑う子供,何も知らないこの子供までがこの苦しみ……

先生の眼には,いつしか涙が光っていた.このことに気付いた夫妻は,先生の前に走り寄り,礼を言った.すやすやと眠っている子供を笑いながら母親に渡し「子供さんを大切に」と言ってたち去られる先生の後ろ姿を,夫妻はいつまでも見送っていた.

この街の噂話を思い浮かべていた彼女は,ふと思いを自分にはせて……そうだ,私は人民から搾った金で建てた,日本人の奴とその手先しか入院も通院もできないここで働いている.この病院の崖下には,生活苦と過労のため幾百人の病人が医者にもかかれず一服の薬も口にすることができず,苦しんでいるではないか.私は今まで何も知らなかった.先生は私に教えられたのだ.真の人間の,そして中華民族としての仕事を…….

こうしていつしか董顕勲と韓勇義の,祖国と中華民族への愛情は,趙一曼先生に堅く結ばれ,趙一曼先生に対する献身的看護となり,誠心からの思慕は敬愛となり,侵略者に対する憤怒は燃えたぎった.今自分達が先生を魔の手から救出しなくて,いったい誰ができるだろう.二人は趙一曼先生の救出を決意した.そして董顕勲の父董廣正26にこの事を打ち明け,三人はひたすら実行の機を待っていた.

六月二十八日の,夕立も晴れた静かな真夜中,三人は「私は身動きすらできない身体,すでに覚悟158しております.今さらあなた達に迷惑をかけることはできません.お気持ちはよく解っております」と嬉し涙にぬれながら断られる先生を抱き,あらかじめ準備した自動車で,南崗文廟27街に走って屠殺場裏で下車,文廟の部落の人々に護られながら,先生を担架にのせて賓県街道を東に脱出されて行った.

翌二十九日午後一時過ぎ,千田常二の指揮する追跡隊に加わった私は,その先頭に立ち,趙家窩堡を過ぎた時,前方高地の畑中の街道を走る趙一曼先生一行と思われる荷馬車を発見,千田常二の命令によって,包囲体形を執った.

董顕勲,董廣正父子は拳銃を堅く握りしめ,馬車から飛び降りようとするのを,趙一曼先生はその手を押さえ「ここで手向かうも無駄です.私にかまわず早く逃げてください」「いや私達は捕らえられ,殺されても,先生だけは再び奴等の手に渡す事はできません,韓勇義先生と一緒に早く」自分の生命の危機をも顧みず,互いに助け合う美しい愛情で結ぼれた四人.

その間に追手は拳銃を突きつけ,二十メートル,十メートルと追ってくる. 董父子に瞳を向けられた先生は,低い力強い愛情のあふれる声で「拳銃を捨てなさい」と,言われた.ハッと放心したように董父子が畑の中に拳銃を投げ出すのを見ると,追手は一斉に襲いかかり,趙一曼先生他三人を縛り上げてしまった.


前川*前田*と川本より「殺しても,いかにしてもよいから,口を割らせろ」と,命を受けた登,吉村の159二人は,松花江28沿岸に近い哈爾浜警察庁司法科留置場より,取り調べ室の冷たい土間に敷物一つ与えず,趙一曼先生を引きずり出した.

土間に倒れておられる先生の肩を泥靴で蹴りながら吉村は「オイッ苦労をかけさせやがった」,椅子から立ち上がった登は,それに負けまいと「病人だと思って可愛がってやれば逃げ出しやがって,今度こそ口を割らなきゃ叩き殺すぞ」と,怒声をあげ,早くも部屋には殺気がみなぎった.

先生は黙ったまま静かに登を見つめられた.その眼には,何人といえども動じない,不屈の意志がこもてている.気おくれした登は,やけになって「ヨン電気だ」と怒鳴って,吉村と千田は先生の両手に電線を縛りつけ,登の合図で電流を通した.先生の上半身は震え,全身が硬直した.これを見て,牙をむき出した登は「部隊はどこにいる」と,詰め寄ったが,先生は力強い声で「知らない」,ただ一言いわれただけだった. 「ウンこの野郎」とうなった登は,鞭を振り下ろした. 「ビンッ」先生の肩に鞭は深く食い込み,頸は淡紅色に腫れ上がった.しかし,先生は何も言わなかった.

「知らない奴がどうして逃げ出せるのだ,連絡があったはずだ」と,真っ赤になって怒鳴り散らす千田,続けられる電気と鞭の拷問,いかに気丈夫な先生とはいえ,重傷と永い間の残酷非道の拷問で衰弱しきっている身体には,耐え切れなかった.先生は脳裡に帽児山29北方で今闘争を続けている同志達の姿を思い浮かべておられるようであったが,遂に失神された.


吉村や登がいかに野蛮残虐な方法手段をもってしでも,遂に趙一曼先生を屈服せしめることは160できなかった.先生の口からもれたのは「私の今までの行動は,あんた達日本人の強盗がこの土地にきたからです」「今度の脱出は私が三人に無理に頼んだのです」と,ただそれだけであった.

登はさらに董顕勲,董廣正,韓勇義からも,なんとかして抗日連軍の秘密を得んと,拷問に拷問をもってしたが,三人の答えたのは「あのような重病人が毎日の拷問で苦しんでおられるのを,私は人間として,同じ中国人の一人として,これを見ていることはできなかったのです」と,何一つ得ることができず,遂に取り調べを断念してしまった.

趙一曼先生を殺害し,韓勇義,董顕勲,董廣正先生は投獄され,韓勇義先生は,日本鬼子の権力と銃剣と鞭の下で酷使され,一九四四年の秋,ソ同盟軍の東北解放,日本帝国主義の崩壊の日を待たずして,殺害されていかれたのである.

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1 Yamamoto Kazuo (Pseudonym)
2 meist ハルピン od.  ハルビン geschrieben: Harbin, Stadt nördlich von Xinjing, Hauptstadt der Provinz Heilongjiang
3 Nagang (Nangang), Behördenviertel 官公署街 in Harbin
4 Senda Jôji, 司法主任巡官 in Harbin
5 Huang Zhongying, Dolmetscher
6 Bangjian, Region 地方 und Bahnhof bei Harbin
7 Morita, Arzt in Liaoyangjie, Harbin
8 Liaoyangjie, Stadtviertel in Harbin, Na(n)gang
9 Wang, Ärztin in Liaoyangjie, Harbin
10 Zhuhe, Kreis in Bangjian
11 Zhao Shangzhi, Anführer der 抗日第三路軍
12 Zhao Yiman, = 王(3 )
13 Andô Toshikichi, Generalleutnant
14 Maeda Yoshiharu, 警務庁長 in Bangjian
15 Yoshimura Hidekura, 警察庁副庁長 in Bangjian
16 Mayihe, Fluß
17 Kawamoto, 特務科長
18 Yang Jingyu (1905 - 1940), Chinese Communist commander-in-chief and political commissar of the First Army of the Northeast Anti-Japanese United Army
19  Zhou Baozhong (周保中); 1902-1964, commander of the Northeast Anti-Japanese United Army.
20 Minoru Rakushô, 警佐
21 Zhou Xianbin, Dolmetscher
22 Tadashi Akinori, Aufseher 監視
23 Kan Yûgi, Krankenschwester 看護婦
24 Laoyeling, steiler Gebirgszug, der die Mandschurei unterteilt.
25 Laobianduo, dort eine Zigarettenfabrik
26 Tadashi Hiromasa, Vater von T. Akinori
27 Wenmiao, Stadtviertel in Harbin, Na(n)gang
28 Songhuajiang, Nebenfluß des Heilongjiang (Amur), fließt durch Harbin
29 Maoershan, Berg in Heilongjiang