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幹部と手を握り私腹こやす
漢奸張慕賢1

重原広二2

重原が索倫3守備隊長に着任後間もない,一九三九年十二月のある日,藤永4警察署長と秋山5警護隊長を供につれ,索倫の町を見て歩いた.守備隊長の偉さを住民に見せたい,と思っての計画であった.

旗公署の前の町裏にさしかかったとき索倫公設遊戯場」と看板を掲げた建物が,目についた. 重原は驚いて,「ヤーこれは感心だ.公設の遊戯場があるとは思いもつかぬことであった.どんな遊戯を主にやっていますか」と,藤永警佐に尋ねた.彼はさも恐縮したようすで,「それがとんだ遊戯ですよ」といって,頭を掻きかき口を濁した.

重原はツカツカと建物の中に入ってみた. 藤永と秋山も後に続いて入った.締め切った部屋にはもうもと煙草のけむりが立ちこめ,にんにくと膏の異様な臭いが,鼻をつく.ワイワイ騒いでいた,四,五十人の青白い顔,血走った目は,一瞬なりをひそめて,不意の闖入者に冷やかな視線を投じ,何か193ヒソヒソ語り合っていたが,すぐその存在を忘れたように,元の通り騒ぎ出した.

四十歳余りのここの責任者かと思われる男が,重原の所に飛んできて,何か訳のわからないおせじを並べ立て,椅子を勧めたり,香りの高い茶を持つできたりしたが,彼は横柄にあしらって,ジーッとその場の状況を見廻した.

「フーン賭博場だな」と,すぐみてとった.

「これは本当にとんだ遊戯場だねー,昭和の聖代に公設の賭博場には驚いた.旗公署は,一体どうしてこんな馬鹿げたことを許しているのかね」となじるように藤永にいった.

「私にはくわしい事情はよくわかりません.参事官が一存でやったことですから」と,参事官に対する不満を言外に表し,一応の言い逃れをした後, 「私たちもここでは困っております.喧嘩はやるし,無一文になって盗みをする奴も出ますので」とつけ加えた. 重原は日本軍隊の駐屯地で公然と賭博が行われているようでは,いかに王道楽土の善根だといっても,満人は絶対に信用してくれないだろうし,早速閉鎖するようにしようと,大げさに首を振りながら,そこを出た.

旗公署に立ち寄ったが,江守6参事官は出張して留守中であったので,岩本7副参事官から賭博場開設の経緯について,経営者は張慕賢という男で,関東軍の参謀や中央の日本官吏の信任を受け,さまざまの仕事をやらされていることや,江守参事官が中央の某高官から指示を受けて,開設を許可したこと,賭博場の収入が,旗の大きな財源になっておること,等の説明を受けた.閉鎖のことについては,参事官が帰ったら話しにくるように言いおいて帰った.

194帰る道すがら,秋山警護隊長は,張慕賢は軍や政府の中央と密接に結びついているから,現地では手のつけようがないだろう,奴は参謀は酒三本,課長は女一晩で,どうにでもなるといっているそうで,田舎の守備隊長や官吏はてんで問題にしていないこと等を話した.

重原守備隊長なんか問題にしていないということが,胸にグッときた.たかが満人の分際で,たとえ誰とどのような関係があろうと,怪しからぬ生意気な奴だ. 白阿8線から追い払って,俺の骨のあるところを見せてやろうと決意した.

三,四日後,江守が守備隊にやってきたので,隊長室で賭博場閉鎖のことについて,話し合った.

彼は中央との関係や旗の財政の窮状を訴えて,閉鎖を肯じなかったが,重原はどんな事情があろうと日本の大陸政策の汚辱であり,満人の日本人に対する信頼感をなくして,日本人のいうことをきかなくなってしまうと主張して,断固閉鎖を要求したが,江守は即答せず,暫く考慮さしてくれ,といって帰った.


このことがあってから一週間余り後のことである. 重原は白城9子の大隊本部で,中隊長会議をすまして帰る汽車に乗った.二等車はほとんどがら空きで,重原の外には四,五歳位の男の子を連れた,中年の紳士を気どった夫婦だけであった. 重原は退屈しのぎに座席に横になって,講読雑誌を読んでいると,三十七,八歳と思われる,小太りした細君が重原の傍にやってきて,笑みをたたえ,「隊長さんお退屈でございましょう,おひとついかがでございますか」といって,グラスを差し出した. 195重原は隊長さんと呼ばれて,急に嬉しくなり,慌てて起き直り,「そうですか,いや恐縮です」といって,無遠慮にグラスを受け取り,なみなみと注いでもらった琥珀色のジョニウォーカーを一気に飲み干し,「もうおひとつ」とすすめられるままに,三,四杯たて続けにあおった.

重原の飲みつぶりを見ていた女は,さらに笑顔を作って,男の方を目で指して,「隊長様,主人も退屈しています.お相手さして頂けませんでしょうか」

妻の目くばせを待っていたように,男は座席を立って重原に近寄った.にんにくを一皮剥いだような,艶のある顔を愛想よくちょっと下げて,索倫の守備隊長様ですか,初めてお目にかかります.私は……」といって,ケントの大型の名刺を差し出した.流暢な日本語だ.見ると張慕賢と書いてある.私は瞬間「公設遊戯場」を思い出した. 「こ奴か」と,重原は,彼の横顔をジッと見た.

「いろいろご厄介になります.これまでもなく,ごあいさつに参る筈でございましたが,何しろ手の引けない用事が次々にできましてね,ハルビン10防衛司令官の大迫11閣下のご用がやっと終わったかと思うと,二課の磯谷12参謀殿からお仕事を申しつかり,北京に行って,漸く昨日帰ったような始末でして,つい心ならずも失礼致しておりました.今後どうかよろしくお願い致します」

「サァお近づきにひとつ」と,想像していた張慕賢とはまるで反対に,下僕のような態度で,最大限の敬意をこめてウイスキーを注いでくれた. 重原はますます嬉しくなった.

女は,列車ボーイに机の準備をさせ,缶詰や果物を一杯並べて,盛んに愛想よく接待した. 重原はいい気持ちになって,盃を重ねた. 張は折を見て,「隊長さんは遊戯場のことで何か誤解をなさって196いらっしゃるようでございますが,実は……」というのを,重原はさえぎって,不機嫌らしく,「何にも誤解はしていない筈です.二十世紀の今日,賭博をやらせるということは,国辱ですからね」とこたえた.

「そのことでございます.実はあの仕事は,経済部からぜひやれと命ぜられて始めました次第でございます.山東河北からきている何十万という苦力が,稼いだ金を皆持って帰ったら,満州国の経済上,非常に不利になるでしょう.稼いだ金を吐き出させる,というのが,遊戯場の目的でございます」 張はすこぶる雄弁だ. 重原は圧倒されそうになった.

「そうでしたか.参事官はそのような話をしないものですからね.なる程,白阿線にいる一万余りの苦力が,一人当たり百五十円持って帰っても,二百万円に近い金が満州国から消えることになるのですね.なるほど,そいつは経済上大きな損失だ」 重原は卑屈な笑いを浮かべて,額の汗を拭いた.

「そうでございますとも,その点で軍の方でも経済部でも苦心しておられます.苦力はぜひとも必要であるが,金は一文でも国外に出しては損ですから,出したくないのです」

「隊長さんは私の気持ちはわかってくださると思いますが……私の妻は,日本人です.日本のためになることなら,どんなことでも決していといません」

重原は張慕賢に対して,それまで抱いていた考えはいっぺんにすっ飛んで,反対に彼を非常に頼もしい男だ,この男なら軍の参謀や中央の大官が信頼して使うのも尤もだ,と思うようになった.

さん,実は私はあんたを誤解していました.あんたのような人がいてくれることは,心強い197ことです.今後できるだけ応援しますから,しっかりやってください」

「ありがとうございます.できるだけ働かして頂きます」 二人の話が一段落したと見るや,細君はまだ半分以上残っているウイスキーの瓶を取り上げて, 索倫でお降りになるまでにこれだけどうぞ空けてくださいませ」といって,欽みさしのグラスに注いだ. 重原は今までとはちがった愉快な気持ちで,語り合いながら盃を重ねた.


その後,白阿線の賭博はますます盛んになり,新しく阿爾山13にも同じような遊戯場を開設して,外に慰安のない人々を賭博に誘い,故郷に帰り,肉親と喜び合うために,中国人労働者が身を粉にしてあらゆる苦労に苦労を重ねた,僅かの金までもふんだくって,日本帝国主義の侵略的経営の資金として,これに便乗して,張慕賢は大きく懐を肥やしたのである.


後日,このことを,偽満保安局の科長をしていた島沢14に話したら,「それは貴方がウイスキーと嘘で丸めこまれたのですよ.真相は,王爺廟15の特務機関長泉鉄翁16中佐がやらして金儲けをしていたのです」という.

「しかし,は私に賭博場のことは俺は知らんが,守備隊長が賭博場のような問題に口を出すのはやめた方が良いといいました」といったら,彼は笑いながら, 「俺がやらしているというものですか.白阿線の賭博場も黒河17遜呉18海拉爾19博克図20の賭博場も,皆特務機関が張慕賢に命じてやらしていたの198です.口実はソ連の諜者を引き寄せるのだ等とウマイことを言っていましたがねえ,実は工作費を稼ぐためにやっていたのですよ.こんなことは,その筋ではもう常識になっていたのですが,貴方はまだ知らなかったんですか?」

そう言われてみると,泉の部下の山川21という憲兵曹長は,張と親密に交際していた. 泉は自分は何知らぬ顔をして,小さい連絡は山川にやらしていたのである. 泉がこのような悪辣な手段で金儲けをしたことは,一九四0年八月,彼が日本に帰る時,貨車にぎっしり積み込んだ,大変な荷物からでもうなずかれる.

重原は,張慕賢という男が大変な奴であったことがわかり,彼を知っている多くの人から,種々の話を聞いた.

一九四0年の五月頃,哈爾浜の十八道街大平橋に,三千人以上はゆうに入れる,大きな,いわゆる「公設遊戯場」ができた.これは,張慕賢が,哈爾浜特務機関長柳田元三22少将に命ぜられて開設した,賭博場である.地元や附近の県の人々はもちろん,遠く拝泉23県地方からも,多くの人々が集まり,少ない時でも六,七百人の者が,夜となく昼となく,賭博に耽っていた.賭金は普通の日で二十万円位,多い時には百万円近い金が動いていたので,経営者の張の手もとには,その一割二万円以上が毎日入る訳である.従って,その半分以上の一万円余りが,主人の柳田や憲兵隊長の春日馨24中佐等の懐に転げ込んでくる勘定である.

柳田はハロンアルシャン25の白系ロシヤ人十六家族を始め,偽満国境に近く居住する白系ロシヤ人約四十家族を199哈爾浜に,強制移住をさせる資金と称して,五十万を,哈爾浜の南崗26下に住む約二千戸を,浜江27駅を廻る軍事上の秘密を保持するために,強制移転をさせる資金,と称して,三十万円を公然と受け取った.他に,特務機関や憲兵隊の機密費の多くの部分が,賭博場の収入であった.

春日はまた,張と共謀し,営業方面のことについては,部下の西長彰治28憲兵少佐を協力させて,賭博場の収入の百五十万円で,哈爾浜の馬家溝29の目抜き通りに,日満会館という大きな旅館を建て,直接の経営は旧部下の憲兵少尉,後に偽軍の憲兵少佐になって止めた近藤京蔵30というゴロツキにやらしていた.

建築材料の入手については,憲兵隊だけでは思うようにいかないので,市の経済科の役人を買収して買い集めた.買収された役人たちは,収賄罪で検挙せられたが,春日は検察庁に は中央の使命を帯びて仕事をしているから,彼に関係のある事件は問題にしないようにせよ」と,権力を笠にきて,強要し,遂に事件を探み潰してしまった.

春日は絶えず日満会館に出入りし,時には西長少佐も連れていき,自分の家のように振る舞い,飲み食いしており,旅館の収入は山分けにして私腹を肥やし,長春31では広い土地を張から巻き上げ,張の細君までコッソリと失敬していたのである.


張慕賢は,若くして日本に留学し,早稲田大学に学んだ男である.留学中,彼は日本帝国主義から用意周到に漢肝に育てられていた. 東北32に帰った彼は,安東33日本領事館の巡補となって,漢奸の第一歩を200踏み出し,その後関東軍や特務機関に堅く結びつくようになった.そして若くて美しい日本婦人を妾に持った.こうして彼は,完全に日本帝国主義に忠誠を示したのである.

特務機関は,彼に賭博場の経営と,身分擁護の利益を与えることにより,彼を日本帝国主義に金縛りに縛りつけた.彼はもう天皇制の中にのみ,自己の利益を見出す男となったのだ.

漢肝張慕賢は,日本帝国主義の命ずるままに,賭博場で中国人民の金を巻き上げ,阿片で中国人民の心と身体を蝕んでいたのである.

日本特務機関,漢奸張慕賢,賭博阿片による中国人民のはかりしれない災難,この一連の醜い犯罪的な関係こそ,日本帝国主義の正体であり,侵略者の本質である.

 

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1 Zhang Muxian
2 Shigehara Kôji (Pseudonym)
3 Suolun, Stadt
4 Fujinaga, 警察署長
5 Akiyama, 警護隊長
6 Emori, 参事官, eigentlich "Botschaftsrat", (wie Shimamura 2, 2: 蒙古地区の副県長)
7 Iwamoto, 副参事官
8 Baia, Bahnlinie von Baicheng nach A'ershan
9 Baicheng, Stadt in der Provinz Jilin (früher Heilongjiang-Provinz)
10 meist ハルピン od.  ハルビン geschrieben: Harbin, Stadt nördlich von Xinjing, Hauptstadt der Provinz Heilongjiang
11 Ôsako, ハルビン防衛司令官
12 Isotani, Stabsoffizier
13 A'ershan, Innere Mongolei
14 Shimazawa, 満保安局の科長
15 Wangyemiao
16 Izumi Tetsuô, Oberstleutnant, 特務機関長
17 Heihe, Fluß und Provinz
18 Xunwu
19 ökonomische Zentrum der bezirksfreien Stadt Hulun Buir im Autonomen Gebiet Innere Mongolei der Volksrepublik China.
20 Boketu, Innere Mongolei
21 Yamakawa
22 Yanagita Genzô, Generalmajor, 哈爾浜Harbin特務機関長
23 Baiquan, Kreis in Heilong
24 Kasuga Iwao, Oberstleutnant, 憲兵隊長
25 I. Vermutlich Hinggan-A'ershan: 1. Gebirge nahe der mongolischen Grenze 2. Der Hinggan-Bund ist eine administrative Untergliederung auf Bezirksebene im Nordosten des Autonomen Gebiets Innere Mongolei der Volksrepublik China. ... Sein Verwaltungsgebiet grenzt im Norden an die Stadt Hulun Buir, im Westen an den Staat Mongolei und den Xilin-Gol-Bund, im Süden an die Stadt Tongliao und im Osten an die Provinzen Jilin und Heilongjiang.
26 Nagang (Nangang), Behördenviertel 官公署街 in Harbin
27 Bangjian, Region 地方 und Bahnhof bei Harbin
28 Nishinaga Shôji, Major der Kempeitai
29 Majiagou ("Ma Family creek", Carter, James: A Tale of Two Temples: Nation, Region, and Religious Architecture in Harbin, 1928-1998. The South Atlantic Quarterly 99-1 (2000), pp. 97-115), 目抜き通り in Harbin
30 Kondô Keizô, Major der Kempeitai
31 Changchun, Hauptstadt der Provinz Jilin; seit 1932 Hauptstadt der von den Japanern besetzten Mandschurei; zu dieser Zeit hieß die Stadt Hsingking (新京; Pinyin Xīnjīng; jap. Shinkyō).
32 Dongbei -- die drei nordöstlichen Provinzen (遼寧省Liaoning・吉林省Jilin・黒竜江省Heilongjiang), d.h. die Mandschurei; auch: Dongsan東三.
33 Andong, Stadt in der südkoreanischen Provinz Gyeongsangbuk-do. Sie ist mit knapp 185.000 Einwohnern die größte Stadt im nördlichen Teil der Provinz.