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労働者を人とも思わぬ弾圧
大連放火事件

内海辰徳1

一九三七年の終わり頃から,原因不明の火災事件が,大連2埠頭地域を中心に起こっていた.未だ確証をつかんでいなかったが,官憲はこれらを「謀略放火」という名称を付して,騒いでいた.

一九三八年四月午後六時頃,内海3高等課長は,宴会に出席のため料亭湖月の玄関で自動車を降りた時であった. 甘井子4方面の空に,黒煙がもうもうと立ち上がり,市街の上空へ広がってくるのを見た.

その時「満州石油株式会社が火災です」という報告が,彼のところへ届いた.この会社は大連湾の北側甘井子埠頭地区に接続し,化学工場地帯の一番奥まった所にある,重要な工場の一つであった.彼は謀略放火に相違ないと考えるや否や,踵をひるがえして火災現場へ自動車を急がせた.

満石会社へ到着すると,そこには,すでに上島5主任以下高等警察課の幹部も駈けつけていた.課長は彼らに案内されて火災現場へ出た.火災は石油缶の野積から発火し,油の燃える烈火は,石油缶を178次から次へと爆破して空缶を空高く吹き上げ,黒煙は四辺を包んでいる.全く手の施しようのない状況であった.これを見守っていた彼は,埠頭地域のあちらこちらから発火して,自身が火焔に包まれるような恐怖感に襲われた.

彼は上島主任に命じ,甘井子地域一帯はもちろんのこと,大連埠頭地域に非常警戒を実施するよう,大和田6警察部長に連絡をとらせた.中島*上島*はこの措置を終えると,課長の所にきて,大広場7警察署高等係にあっては,すでに会社構内労働者の出入り主禁止して,放火容疑者の捜査を実施していると報告した.これに対して,課長はあくまでも謀略放火の観点から,徹底して捜査するよう指示した.

この会社の社長応接室には,この火災事件に,いずれも同様な関心を持って駈けつけた,大連特務機関長安江8大佐,大連憲兵隊長加藤9中佐,内海高等警察課長等が集まっていた.彼らは会社の責任者から発火当時の状況や,この火災事件によって,約三十万円程の損害を受けたこと,倉庫は余地がないため,やむをえず,野積していること,等の説明を聴いた.そして,石油缶の野積は,今後危険であるから避けなければならぬ,との意見を交換した以外,この火災事件が失火か,単なる放火か,あるいは謀略的のものであるか,等について討論研究することは決してしなかった.というのは,これらの機関は,大連の火災事件について,おのおのの立場から是非自分の機関においてはっきりさせたい,「犯人」を検挙して功績を立てたい,という功名心に燃えていたのである.

そこで,彼らは火災現場で,捜査に従事している各隷下の機関を叱咤督励するために,現場に頑張っているのであって,茶を飲みながら,たわいもない世間話に時を過ごした.彼らは三時間程経ってから,179それぞれ引き上げた.

内海高等課長の措置によって,甘井子区域一帯及び大連埠頭区域に,非常警戒線が張られた.この日の夕刻から深夜に至るまで,交通路の要所要所に張り込んでいる特務や刑事は,閣の中から突然道行く人々を制止して検問した.通行人は自己の来往の目的なり,用向について,尋問を受けた.そして返答がはっきりしなかったり,また躊躇していると,怪しいと睨まれて,警察署に引っ張って行かれ,取り調べを受けた.

火災現場を中心に,この会社の構内にあっては,全部にわたって憲兵隊の特務や警察署の特務や刑事が,あたかも猟犬が獲物に襲いかかるように,当日働いていた三百余名の労働者に向かって襲いかかった.彼らは他をだしぬいて,自分こそ犯人を検挙して,手柄をたて,褒賞にあづかろうと競い,それがためには,誰彼の容赦なく,検問検索を行い,少しでも怪しいと睨んだ者を引っ張って行った.だから警察と憲兵の間では,まるで人間の略奪競争を行っているようなものであった.このようにして,七十余名の労働者が,火災現場近くで働いていたというだけで,また当日早退したという理由,あるいは会社から平常怠け者だとされていることにまつわって,構内の物置小屋に寿司詰め叩き込まれ,虐待され,拷問を受けたのであった.しかしどのような暴力も決して,この火災の真相を明らかにすることはできなかったのみか,一人の平和な中国人民が殺害されるに至った.

一週間程経ってから上島主任は,満石の事件について聞き込んだと言って,次のように課長へ報告180した.

「満石の火災事件は憲兵隊で,"犯人"を検挙したそうです.それは四名の中国人が燐寸(マッチ)の小箱を利用して,野積の石油缶に穴をあけ,石油の気化に点火したのだそうです」 そしてこの火災事件を憲兵にしてやられていささか自負心を傷つけられたように感じていた上島は, 「まことに申し訳ありませんでした.しかし拷問はよく事件をでっち上げますからね」と付け加えた.課長はこのような大火になると,原因を究明することはなかなか困難だし,また犯人と称せられる四人の中国人が,満石の後の小山で燐寸(マッチ)による点火を試験したという話に,どうも脈に落ちない点があるように感じられたので,上島の言葉に大きく頷いて言った.

「あやまる必要はないよ.そんなに簡単に片づけられる問題ではない.背後のものを突かなくてはいけない」と.

大連憲兵隊に検挙せられた中国人四名は,放火罪として大連地方法院に送られた.そして拷問によってでっち上げられた筋書き通りに,長期徒刑の判決を受け,獄吏の答の下へ追いやられたのであった.結局,彼らは無実の科を着せられたことが,時日の経過とともに明らかになった.このようにして,中国人民は,日本帝国主義の機械の中で,押し潰され,磨り潰され,廃人にされていったのである.

一九三八年六月頃から九月頃にかけて,大連埠頭第一区域の野積からたびたび火災が起こったが,小火の程度に消し止められた.ある火災跡から,放火に用いたと認められる目薬瓶大の瓶が発見された. 181このようなことが判明してから,内海特殊警察隊副隊長から,隊員に埠頭荷役労働者の間に,このような物品を携帯するものがないかどうか,偵諜するように指示が出されていた. 七月のある日の午前十時頃,課長室へ,上島主任がにこにこ顔で,新しいハンカチ包みを持って入ってきた.課長も笑顔で迎えた. 上島は,早速水上署加藤高等主任から次の報告がありました,といって,ハンカチ包みを机上に置いて,それをひらきながら語った.

「水上署では密偵の聞き込みによって,このハンカチ包みの発火装置を持っていた10という男を逮捕しました.ただちに追究したところ,この男は,吾妻橋11-埠頭引込線の陸橋で,第三,第四埠頭の見通せる所-の裾にある公衆便所の中で,見知らぬ容貌のがっちりした中国人から,このハンカチ包みを手渡され,これをこのまま埠頭の荷物の間に置いてくれるように依頼された.もし火災になったら,この日の夕刻橋の反対側の附近で待っていなさい.あなたに賞金を差し上げましょうといって立ち去った」と.

このハンカチ包みの内容品は,エンボツを混入した白蝋をくりぬいて目薬瓶-瓶の中には硫酸を入れて,絆創膏で二重に蓋をしであった-そして頭部を穴の内部の方にしてはめ込んであった.試験の結果,これを放置する時は,硫酸が絆創膏を腐食し,エンボツと化合する時発火するように仕組んであった.時間は約二時間を要したことがわかった.

課長は,を利用して,その指令者格の男を捜査することがこの際重要な任務だ」と上島にいいつけた. 上島は,「そうです,そこで水上署では,擬火をやって,その指令者らしい男を182おびき出したらといっているんですが,どうでしょうか」と尋ねた.

課長は,「そう簡単に問屋は卸すまいがね,しかしこちらの罠にかかれば,もうけものさ」と即座に答えて,お互いに鬼の薄笑いを交わした.

彼は早速,陳の供述に基づいて火災を起こす計画を決定すると,ただちに旅順12要塞司令部へ交渉して,擬火のための発煙筒をもらい受け,水上署佐藤高等主任に命じて秘密裡にこれを実施させた. 吾妻橋から見通しのきく埠頭倉庫附近に黒煙濠々と火の手を上げた.

火災の知らせを受けた大連消防署のポンプ自動車は,火災警報をけたたましく吹き鳴らしながら,現場に駈けつけて消化作業を行った.関係者は続々と集まった.擬火は上々とまではゆかなかったが,まずまず成功の方だった.水上署の特務は,その日の夕刻頃,吾妻橋附近の所定の場所に,陳を伴い,労働者風,商人風,街頭小売商人といった各種各様の通行人を装って張り込み,指令者の現れるのを今か今かと待っていた.しかしその人は遂に姿を現さなかった.

人民の目をごまかそうとした所に,大きな誤算があったのである. 陳は大連地方法院で,十年の懲役に処せられ,旅順刑務所で獄吏の虐待と苦役に闘い続けた.そして八・一五の到来とともに,陳は人民の懐に帰っていった.


火災はきまったように土曜日か日曜日に起こった.また,たいていの場合,上述のような方法で放火されていることが,この当時の火災の特徴であった. 内海高等課長としては打つだけの手を打って183いる筈なのに,地下組織は夫としてつかめなかった.それに土曜日の午後や日曜日には魚釣りに出かけて骨休めをしようと考えていると,火災の報告がくるので,彼は不機嫌な日が続いた.そのうえ,火災のあるごとに関東局から火災の状況はどうか,捜査状況はどうか,と問い合わせてくるので,彼は自分の無能力を叱咤されているように感じていた.

また,関東軍では埠頭地区の火災を憂慮し現地の憲警の機関に任しておいてもなかなからちがあかぬというので,関東憲兵隊司令部では強力な捜査機構の編成を考慮しているという噂を洩れ聞いていた.万一そんなことにでもなれば,自分はもちろんのこと,関東州庁の警察の面白丸潰れであると,ますます焦慮を感ぜずにはいられなかった.

陳事件によって,発火装置を埠頭構内に搬入することを知り得た彼は,埠頭構内の労働者に対する警戒を強め,弾圧に弾圧を重ねて,埠頭構内を引っ掻き廻していれば,労働者たちは指令者からこのような冒険を引き受けることは少なくなるであろうし,指令者もまた危険を感じ,埠頭労働者に近づくことは容易であるまい,と考え,威嚇の戦法を用いようと決心した.

当時高等警察課の陣容を強化するため,古強ものの菅井13警部を高等警察課の主任に据えていた.彼は菅井や上島とその方法を協議した.それは埠頭構内の労働者に対する不時の検問検索を繰り返して,彼らの間に放火用薬品の携帯の有無を調査して,容疑者の発見に努め,放火の隙を与えないようにしようというのであった.

一九三八年八月のある土曜日の早朝,内海特殊警察隊副隊長は,隊員の非常召集を行い各隊は184あらかじめ定めた埠頭地域一帯の担当区域において,検問検索を実施するよう命令した.埠頭構内に通ずる出入口には,制服や私服の警察官が五,六名宛控えているし,その附近には,特務が徘徊しつつ,配置についている.微風だにない朝の大気は,埠頭地域一帯を一層重々しい雰囲気に包んでいた.

午前七時を過ぎた頃,埠頭荷役労働者は続々出動してきた.労働者は入口で停止を命ぜられて,一人ひとり帽子から靴の中に至るまで,身体検索を受けた.携帯品をひったくるように取り上げて,内容品を調べ,地上にほうり投げた.昼弁当の餅子は,遠慮会釈なく割って中を見る,という始末であった.

なんという乱暴な,中国人民を人間とも思っていない態度であろう.このような官憲に対する不満や怒りの表情が,日焼けした青銅色の眉宇に表れていた.だが少しでも反抗の気構えを示そうものなら,たちまち官憲のにぎりこぶしは労働者の頭を打ち,蹴飛ばした.

この頃埠頭への労働者出動数は,二万五千人はくだらなかった.だから出てきた人々は,この関門にひっかかって,長い列を作らされて色々な侮蔑を堪え忍びながら,順番を待たざるを得なかった.もしこの難を避けんとして,列から離れていこうものなら,容疑者とみなされ,警察署へ引っ張っていかれた.この突風的な嵐は,二時間以上の時聞を要した.そのために労働者の荷役作業に影響し,一日の賃金の三分の一を減らさせるという重大な結果をもたらしたのであった.このようにしてこの機関検索は,埠頭荷役労働者に不安と恐怖と物質的損失をもたらしたに過ぎなかった.そしてこのことは一回に止まらなかったのであった.

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一九三八年九月中旬のある休日,午前九時頃,第二埠頭一二0号倉庫の火災現場へ,内海高等警察課長は菅井主任と上島警部を帯同して現れ,火災情況を視察していた.彼は捜査のために,あれこれと指示する必要がなかった.それは平素からの計画に従って,火災発現と同時に警察署において素早く手配されることになっていたからであった.

現場で彼は,大連地方法院検察局の西野14技検察官に出会った.彼は中折帽を振って挨拶をした.近づいてきた検察官は「またやられましたね」といって挨拶に応えた.彼は苦笑するよりほかに返答のしようがなかった.物凄い火焔と騒音は,二人の間に談話を続ける余裕を与えなかった.消防隊の放水は効果がないようであった.たちまち棟梁は崩れ落ち,長さ百五十メートル,幅三十メートルの大倉庫の半分は灰盡に帰した.例によって発火と同時に捜査のため出動した特殊警察隊は,火災の進行中に,当日埠頭構内で働いていた約一万五千人の労働者に対し,各ブロック地域ごとの自由交通を禁じ,また構外への出入りを禁止して,検問検索を実施していた.ことに一二0号倉庫附近で作業をしていた労働者には,厳しい嫌疑の目が向けられ,足止めをさせて,その場で取り調べを受けていた.さらに平素不良労働者と目されている人たちや,発火当時すでに構外へ出ていった人たちに対しては,特務が四方八方へ飛んで,捜索に出ていった.

こうした情況を視察していた内海課長は,焦慮の気持ちを佐藤水上署高等主任にぶっつけて「虱潰しに労働者を追究して容疑者を摘発せよ」と厳命して引き上げた.その頃にはすでに水上警察署の狭い構内には,続々と労働者を逮捕してきていた.結局二百人以上の労働者が容疑者として留め置かれ,186二日ないし十日余の間,満足に食糧も与えられず,笞と水責めの拷問で,さんざん責めさいなまれた.

この大火は,満鉄埠頭倉庫及び約六百万円の保管貨物を灰盡に帰したから,関東軍をはじめ関係者を驚駭させたし,また検察陣を一層狼狽させた.直接の衡に当たっていた高等課長にとっては,一連の放火事件の犯人が検挙されないままになっているのが,頭痛の種であったし,そのうえにまたこの大火事件の債務を背負い込むことは,堪えられない苦痛であった.

ちょうどその時,彼は「本火災は該倉庫の掃除人夫の煙草の火から出たもので,どうも失火らしい」という水上署からの報告を受けていたので,この事件を失火事件として処理することによって植民主義者たちの不安を押さえようと考えた程だった.実際彼は,このために西野技検察宮と論争した. 西野技は「手口からいっても,また自分は火災現場で何か爆破物の音響を聞いた,あれは間違いなく謀略放火だよ」と主張した.

この火災が失火であるか謀略放火であるかは,満鉄にとって大きな問題であった.謀略放火である場合には,倉庫保管物の焼却損失額六百万円の賠償責任を免れるからであった.この論争は,内海の敗北となったものの,満鉄は自由自在に検察官を動かすだけの力を持っていた.そしてこの火災事件のために,約六百名の平和な労働者が逮捕せられ,拷問を受け,そのうち十余名の人々は生涯消えざる傷痕を身体に刻み込まれ,不具者となり,あるいは病死したのであった.


放火事件がたびたび起こるので,頭を悩ましていた大津関東15局総長は-彼は大兵肥満型の体軀,187日本警視庁刑事部長を務めた経歴を有するきれ物であるだけに-この事件の捜査について関心を寄せぬ筈はなかった.

まだ犯人は挙がらぬかと矢のような催促で,警察を大いに叱咤していたが,いっこうに効き目がないのであわてて,内海のたてた関東州庁に外事課と各警察署に外事特高係を設ける計画を実施して,抗日地下組織を徹底的に破壊するために陣容を整えた.外事課長には中川を当てた.彼は学校を出るとすぐ警察署に勤務し,警察官として鍛え上げてきた男である.だから犯罪捜査に趣味を持っていたし経験も深かった. 内海を関東局司政部行政課長に据えた.それは彼を用いてこの事件に対する関東局の領導作用を一層強化するためであった.

また関東州庁警察部長には日本内務省から中本を引っ張ってきた. 中本は警視庁警察官を務めたことがあり,ずんぐりした身体にいつも剣と捕縄を振り廻しているような素振りを見せる男であった. 中本が着任した時,大津は「情勢上,放火事件鎮圧が緊要であること」を指示して「大いに期待をかけている」と言った.彼は「命を賭けてもやりましょう」と大見得を切って答えた.

中本警察部長は中川外事課長を中心に捜査陣容を新たにして,抗日愛国者の検索に寧日なかったが,中国人民の愛国的放火闘争を消し止めることはできなかった.その後も埠頭倉庫は焼かれた. 大津も事態を極度に心配しないわけにはゆかなかったし,全く「溺れるものは藁をも掴む」ということわざにある通りであった.

内海の献策による「放火事件の端緒を獲得した者には五百円の賞金を与う」との大津賞を釣餌に,188二千名の警察官の目と捕縄を動員して,愛国者の首に向けさせた程,検察陣は慌てふためきかつ猛り狂ったのであった.

一九四0年四月,突然重要報告があるというまえぶれで中本は関東局へ出張してきた.彼は書類鞄を小脇に抱えた肩をいからせながら,こうまんちきな姿態をもって関東局総長室に現れた.そこには大津総長,今井司政部長,内海行政課長が待ち受けていた. 中本は席に着くやいなや 「昨日外事警察課で放火事件の犯人,大連地区責任者を検挙しました.放火団の地下組織はおおよそ判明しました」 と述べると,大津は大きな顔をほころばせながら「そりゃよかった,あっぱれだった」と感激した調子で,話を先へ催促するかのように言葉をさし挟んだ.賞められて得意になった中本は,誇らしげに逮捕の経過を次のように説明した.

「かねて外事警察課の 隨巡捕*巡補* を利用して捜査していたところ,小崗子街に接近した電気遊園内で何事か密談をしているらしい中国人三人を発見した.彼の第六感は街頭連絡に相違ないと直感した.この情況を木陰から監視していると,彼らは離散してそれぞれ異なった方面に向かって帰途についた様子であったので,は誰に追尾すべきか迷った.結局三人の中の領導者らしい風格の男を目標として追尾することに決心した.ところが,追尾の途中この男は追尾せられていることを感づいて逃亡せんとしたので,はただちに大格闘のすえ,ようやく逮捕して外事警察課に連行してきた.一刻も早く関係者を検索せねばと責め立てたが,この男はなかなか頑強で口を割ろうとしなかったが,夜ぴいての取り調べによって,放火団組織の大連地区責任者が趙國文であることが判明した.目下,機を失せず,189関係者を続々と検挙して取り調べ中です」と.

続いて中本は,の供述によれば放火団は上海に領導者がいてその指令を受けて連絡員により,天津大連の組織を領導していたことがわかったのです.それで特務をこれらの地に派遣して,この際彼らをおびき出し,一斉に逮捕しなければ,放火の根絶はできないと思うのです.このことについて是非とも指示を受けたい」と言って報告を終わった.

大津は「ご苦労だった」と大きく頷いて,この放火事件が軍の侵略行動に,大きな打撃を与えていたし,また関東州統治の責任者として,彼の権威は大いに接損せられていたので 「この際後顧の恐れのないように,徹底的に関係者を検挙しなければならぬ.それがためには,天津上海へ特務を派遣してよろしい.これらの地域の捜査については,関東憲兵隊司令部を通じ,現地の憲兵隊の援助と協力を得るように,関東局より連絡しておくから首尾よくやってもらいたい」と指示し,激励した.

今井も内海も全く同意であってここに上海,天津における愛国者かっさらいのファシスト計画を決定したのであった.

この大津の指示に基づいて中本は中川外事警察課長,下地警察部等四名の特務を派遣し,趙の供述に基づいて街頭連絡の方法を逆用して,天津に在住していた紀守先の妻を逮捕した.次いで,妊娠中の彼女を拷問,紀守先の写真を入手,上海で活躍していた紀守先を南京路附近の雑踏下に急襲して,身柄を不法拉致,麻袋に詰め込んで大連へ連行したのであった.このようにして,大連を中心に奉天,天津,上海にわたって百五十名の中国人民が,凶暴あくなき関東州庁警察部によって検挙され,言語190に絶する拷問と虐待を受けたのであった.

そして彼らのうち紀守先,趙國文,秋世剱ら三十九名の愛国者たちは,大連地方法院において死刑,あるいは十年以上の徒刑に処せられたのであった.

一九四二年の秋,内海行政課長は,旅順刑務所長より紀守先等十二名に対する死刑執行相成可然哉の申請書を受け取った.彼は高等警察課長時代,埠頭荷役労働者を理不尽に弾圧した当時を回想して「さんざん手こずらせやがったやつらだ,いよいよやつらも年貢の納め時がきたか」と,係の者につぶやきながら,人間らしい感性の動きも見せず,冷やかにちょうど物品の廃棄処分命令を書くかのように,死刑執行命令書を処理したのであった.

このように,多数の愛国者たちを,帝国主義者の手にゆだねさせた直接の動機となったものは,隨巡補 の行動であった.事実彼は,外事課の特務として,愛国者たちの行動を発見し,趙を逮捕し,放火事件の重大なる端緒を獲得したことによって,大津賞と昇給の恩恵を受けたのであった.

彼は全く自己個人の利益と安全のために,民族の魂を帝国主義の手先に売り渡したのであった.その結果,彼は陰に陽に同輩や人民から爪弾きされて,いたたまれなくなったので,中川外事課長に保護を求めたのであった.しかし彼は,日本帝国主義の没落とともに人間の屑として消え去らねばならなかった.巡補という工具は,日本の憲法では外国人を,官吏に採用することはできないので,関東州にあっては,巡査の補助として初任給二十五円の奴隷賃銀で,中国人の魂を買い,彼らを人民の弾圧に役立てていたのであった.二十五円という金は一家の生計費を賄うには,あまりに少額であった191にもかかわらず,巡補に採用されるためには,他を排して競争せねばならなかった.それは巡補という肩書が,彼らの私利私欲を計る一つの有用な資本であった.だから彼らは,中国人民に対して特権的な階層をなしていた.もしも,彼らのような存在がなかったならば,植民地を維持経営することははなはだしく困難であったであろう.それはいわゆる治安に関する,諸犯罪事件のほとんどは,彼らの手によって,検挙されている事実から見ても,明らかなことである.このような工具こそ,植民地社会のいまいましい存在であった.

 

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1 Utsumi Tatsunori, 高等警察課長
2 Dalian (jap. Dairen), früher Lüda oder Lüta; eine Hafenstadt in Liaoning
3 Utsumi Tatsunori, 高等警察課長
4 Ganjingzi, im Norden der Dalian 大連-Bucht
5 Kamishima, 高等警察主任
6 Kamishima, 高等警察主任
7 Da/Dai-an/guang-chang, Regierungsbezirk
8 Yasue, Oberst
9 Katô, Oberstleutnant, 大連Dalian憲兵隊長
10 Chen
11 Wuqiqiao, Brücke in Dalian
12 Lushun --- Lüshunkou, im Westen auch unter der kolonialen Bezeichnung Port Arthur bekannt, ist ein Stadtbezirk der chinesischen Hafenstadt Dalian am Gelben Meer. Bis 1950 eine eigenständige Stadt.
13 Sugei, Polizeikommissar 警部
14 Nishino, 大連Dalian地方法院検察局
15 Ôtsu, 関東Guandong局総長
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