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19

懐柔(かいじゅう)
捕虜を密偵に仕立てようと画策

大井健太郎1(おおい・けんたろう)

特捜班長・警大佐兼地方保安局属官

一九四三年の札蘭屯2(ジャラン)の春のきざしはいつにもなく遅い.街の南沿いに流れる雅繭3(ヤル)河には薄氷が張り,興安4(こうあん)嶺から吹きおろす風に監禁所の庭の立ち木の小枝はゆれ動いている.私は駅前の近くにある,壁幅一メートルもある石造りの暗い建物の中で,窓越しに外を眺めていた.昨夜搏克図5(はっこと)警察署の特捜班から送ってきた曲子明6(キョクシメイ)をどうしてしめ上げようかと,あれこれ思案にふけっていた.

ガタッと扉が開いて通訳の李樹濃(リヅュノウ)に男が引き立てられてきた.三十には二つ三つと思われ,痩せてはいるが,がっちりした骨組みの曲子明,が,雪焼けした顔に口をキッと結んで,机の前に立った.こいつをかならずものにせねばならないと考えた私は,猫なで声で,「お前,絵を描くそうだが,ひ とつ描いてみろ」と気を引いた.

机の上に置かれている白紙に眼を注いだ曲は,しばらく考えこんでいたが,静かに筆を取って

225スラスラと走らせた.山裾に咲き誇る杏の木に一羽の小烏がとまり,一軒の百姓家の庭先で鶏が餌をつつき,その前の河の緩(ゆる)やかな流れに,船頭が小舟を操(あやつ)っている静かな風景を,ものの十分もたたぬ問に描きあげて筆を置いた.ジッと眺めていた私は,《しろうとにしてはうまい,生粋(きっすい)の労働者に,こんな絵なんか描けるはずがない.たしかに工作員だ.しめた,思う壷にはまった》とほくそ笑んだ私ば,はやる気を押え冷静を装って,「これはどこかね」と尋ねた.

絵に見入ったまましんみりとした口調で山東(さんとう)の故郷だ」 「そうか,なかなかうまいなあ」と言って私は,そばにいた李7にその絵を堕に貼らせた. 曲はまばたきもせず,絵から眼を離さなかった.私は開きに直って大声をあげた. 「お前は去年の暮れ,錦洲8から来た勤労奉公隊の者をそそのかして,副中隊長以下そっくり逃がしただらう」 曲は呆気にとられたような顔をして「そのことなら俺は昨日聞いた」と言った.

「なにッ,それなら奴らはどうして逃げたんだ」 「知らない.飯も腹いっぱい食わせんので,約束が違うと言って,勤奉隊の者が下山したことをあとで聞いた」 「しらばくれるな.ちゃんと証拠は上がっているんだぞ.お前は,『俺たちが伐る材木は軍用に使われるんだ.戦争が進むにつれて,配給だと言って,高梁や包米を腹いっぱい食わせず夜遅くまで働かせ,具合が悪いと言っでも休ませない.こんな馬鹿馬鹿しいことはない.戦争に勝つためだと,無理に割りあてで狩り出されてきたのだ.いったいだれのための戦争だ』とそんなふうに抗日宣伝をやり,逃げろと,そそのかしたのではないか」と責めた.

眼を見張って聞いていた曲は,「俺はそんなことを言った覚えはない.証拠があるなら見せてくれ.226前にもそう言って俺を責めたのは搏克図の警察官だ.『宣伝したろう,サア言え』とさんざん打ち,蹴り,殴りつけたあげく,水まで飲ませて,なにも知らない俺を責めた」と言った. 「なにを,へ理屈言うのか,お前が本当のことを言わないから,苦しめられるのは当たり前だ」と私は言った.眉を逆立てた曲は,「俺は伐採労働者だ.生きるために働いているのだ.虐(いじ)められる理由はない」と答える. 「なにッ,労働者だと,うそもいい加減にしろ,労働者は絵なんか描けるもんか」と机を叩いてがなり立てた.

すると曲は唇をふるわせながら,「労働者は絵を措いていげないのか.俺は子どものときから絵が好きだったが,貧乏で自由に描けなかった.日照り続きの不作で一家がどうにもならず,俺は東北9に出稼ぎにやって来た.それからは,きつい仕事のなかでも食いたいものも食わず,働いた金をさいて筆や紙を買って,ときたま絵を描いて,せめてもの楽しみにしてきた.労働者が絵を描いてどうして悪いのか,俺にはわからない」

これは手強い,押され気味だと感じたが,ひるんでは負げだと矢つぎ早に,「小理屈を並べ立てて逃げようとしても逃がさないぞ.お前の手だって,それほど荒れてはいないではないか.お前はニセの労回者だ.共産党のまわし者だ,素直に白状しろ」と言った.

曲は体を前に乗り出し,両手を広げ,差し出してゆすぶりながら,「この手を見てくれ,どこが柔らかいか.俺は子どものときから百姓をしていた.東北に渡ってからは土木仕事の日雇い稼ぎをやり,撫遠10(ぶえん)で魚採りをし,その後,黒河11(こっか)の鉄道工事で働き,伐採は実入りがよいとだまされて去年の秋,綽爾12(チョール)の山に来た.来てみれば約束とはまったく違い,夜遅くまでくたくたになるまで働かされ,227おまけに物の値段はだんだん上がり,絵どころか,飯さえ腹いっぱい食えない.それでも我慢して働きつづけてきた」と言った.

理屈ではとてもかなわないと考えた私は,この野郎,おとなしくしてると増長してツベコベ言って反抗する.一すじ縄ではいかない.それなら拷問で言わせてみせると,息まいた私は,警務司から配られていた電池感電器の木箱を机の中から取り出して,「手を出せ」と怒鳴りつけて,指先に電線をくくりつけた.とたんに指先をピクピクと動かし,曲は手を引いた.その手をひったくってまたひっつけた.こうして頭,顔と,ところかまわずひっつけた. 曲はちょっと驚くだけで大して苦しまないと見てとった私は,「こいつは感度の鈍い奴だ.これでは効き目がない.次は水攻めだ」とそばにいた特高係の清水13に言って,監視の蒙古人武力(ムウリ)に用意させた.

「俺は行かない」と拒む曲を無理矢理に引ったてて行き,総がかりで長腰掛型に作った拷問台にあおむけにして,両手足を縛りつけ,鼻と口から間断なくチョロチョロと水を注いだ.由 は息ができず手足をピクピクふるわせ,頭を振ってもがき苦しんだ. 「どうだ,これでも言わんか」と頭を殴りつけた.水をゲーゲーと吐き出し「アイヤー」と苦痛の叫びをあげ「俺は労働者だ.どうしてこんなに虐めるのか.俺になんの恨みがあるのか」と,とぎれとぎれに訴えた.

「そんな泣きごとをきいているのではない.反日の宣伝をしたことを言えばよいのだ.おい,清水,つづけろ」とヤカンを渡した.注ぐ水をプープーとはね返しつづけたが,息をするたびにゴクッゴクッと飲み入れた.横にして水を吐かせたときは,虫の息だった.こうしてずぶぬれになった綿入れの襟首を引きずって,監房の中にたたき込ん.

228その翌朝,監視の棚町14「奴,飯を食ったか」と尋ねると,「昨日の包米もまだ手をつけない」という答えがかえってきた. 「そうか.あの体つきでは,そのうちにきっと本音を吐くだろう」とうめいた私は,曲を監房から引きずり出させた. 曲は紫色になった居をふるわせながら,落ちくぼんだ眼をすえ,ぐっと私を見つめた. 「どうだ,本当のことを言えば,苦しい目にあわんですむんだ.言わねばまたやるぞ」

「知らんと言ったら知らん」 「そうか,まだ苦しみ方が足らんのだろう.今度は少し温めてやろう」と机の中から太い線香を取り出して火をつけ,手を差しのべて額に突き当てた.その瞬間「アッ」と言って顔を右にそむけたのをそばにいた清水が,「このくらいでなにが熱いか」と両手で首を力いっぱいねじり,正面に向かせた.私は,「アツアツ」と逃げる顔を追いまわして,つづけざまに額と言わず顔一面に当て,めったやたらに焼きまくった.

痛みにたえかねた曲は,「お前は人間じゃない」と叫ぶなり,パッと床を蹴って立ち上がり,私を睨みつけ,こぶしを握りしめた.生意気なまねをする太い野郎だと顔を殴りつけた私は,「もう少しこたえるようにしてやろう.手を出せ」と引っぱり,手首を押え,爪に線香を押しつけた.手をふるわせた曲は力いっぱい引いた.その手をつかみ,たぐり引き寄せた私は,清水に手首を棒で押えさせ,火先を爪に当てた.爪の色はだんだん紫色に変わっていった.

首を前にかがめ,体をふるわせて歯ぎしりした曲は息をはずませ,早口に鋭い声で「畜生!お前たちは,どうしてこんなに罪のない者をなぶり苦しめるんだ」と言った. 「なにッ,宣伝をしたと言えば助けてやるんだ」 「そんなこと,うそだ,俺はなにも知らん」と曲は口をつぐんだ.

229なんとかものにせねば,とあせった私は,「そう頑張るなら致し方がない.こたえるようにしてやろう」と両手を後ろにねじりまわし,両足もろともがんじがらめに縛りあげ,脇の下に棒を差しこみ拷問台に吊るし上げた. 曲は,みるみるうちに額に脂汗をにじませ,眠をつり上げ,「ウーンウーン」と苦悶した. 「もういい頃合いだ」とそばに行って頭をこづき,「どうだ言わないか」と言った.

曲はさっと顔をあげたかと思うと,ペッとつばを吐きつけた. 「この野郎,どこまで図太いんだ」と殴りつけ,うんと苦しめてやれと放りぱなしておいた.

こうして小半時もたったころ,曲はがっくりと首を前にたれた.せっかくつかんだ大物をこのまま殺してはおしいと,あわてて下ろして組をとき,頭から水をぶつかけた. 「フーッ」と息を吹き返したので「大丈夫だ」と,そのまま引きずって監房に入れた. 曲はすぐ拷問にへこたれると思ったが,思いのほか強情だ.このままつづけるとまいってしまう.うまくやれば大手柄を立てられる.ひとつ手を変えてみようと腹を決め,高梁のうわ汁と岩塩の代わりに漬け葉っぱに少しばかり筋肉(すじにく)を入れてやり,たまには安い一品料理を取って食わせろと棚町に言いつけた.

それから四日たって少し元気づいたのを見た私は,曲を監房から引っぱり出して,なんとかして手なずけようと,ことさらに作った低い声で,「もう虐めないからうまい物を食って苦しまないほうがよいか,それとも強情をはって苦しむほうがよいか,よく考えてみろ.お前が俺の言うことさえ聞けば,待遇もよくしてやるし,仲間の者は処罰しても,お前は言った功績で助けてやる,どうかね」と誘った.呆気にとられて聞いていた曲は静かに口を開いた.

「俺はこんなところでうまい物を食おうなんて思わない.自分で働いて食ったほうが,どれほど230うまいかわからん,早く帰してくれ」 「そうか,ここはふつうの警察の留置場と違うんだぞ.一度入ったら,そうやすやすと帰れると思ったら大違いだ.助かりたかったら,我をはらず,気を落ち着けてよく考えろ」

曲を監房に放りこんだ私は,よしひとつ女を抱かして奴の気をくじいてやろうと,その夜特捜班員の宇煥章15(ウカンショウ)に言いつけて,萬根16大街(ばんこんだいガい)の女郎(じょろう))屋から女を引っぱってこさせた.女は監房を見て青くなってふるえた.泣き顔になって帰してくれと哀願した.私はニタッと笑いながら,「心配することはない.お前を処罰するのではない.気を落ち着けろ.中に入って一緒に寝ればよいのだ」

肩をすくめて眼を大きく見張っておびえている女に,「警察の命令だ,黙って男に寄りそって寝るんだ.なにも話すな.もし話したら厳罰だ.よいか」とおどしつけ,監房に押しこんだ.

それから小一時間たって女を監房から出したが,私の期待は見事にはずれた.おどおどしながら首をうなだれている女に,「あれほど俺が言ったのに,どうして寝なかったか.お前はなぜ言うことをきかんか」と言った.すると女は,「私は言われたとおりやらねば,あとが恐ろしいと思って誘ったところ,あの人は私の体を抱き起こし,私の顔をしみじみ眺め,手をなでながら,故郷はどこか,父母はいるかと尋ねた.私が黙っていると,一緒に寝たと言って帰れと言った」と話した. 「よーし,お前は帰れ,でもここに来たことは誰にも話すんじゃないぞ.ちょっとでも口をすべらせたら承知しないぞ」ときめつけ,おののきふるえる女を帰した.

この手もうまくいかなかった.それでも体も元気になったし,また責めるかと翌朝引っぱり出した. 曲が部屋に入ってくるなり,「どうしてお前は俺の好意を無にするか」と責めた. 曲ははげしい口調231「俺は女なんか欲しくはない.それより外に出してくれ,あんなことでだまされはしない」ときっぱり言いきった.むかっとした私は,「甘やかすと増長しやあがる」と,かなり立て,棚町!」と大声で呼んだ.あわてて飛んできた棚町に,「こいつを引っぱり出して,柔道の稽古台にして思うぞんぶん投げ飛ばせ」と古いつけた.

棚町は,曲の腕をぐっとつかんで廊下に引っぱり出すが早いか,腰にかけて投げつけた.どっと倒れた曲は,ガバッと休を起こし,襟首をつかもうとする棚町の手を鷲づかみにして,くっと押した. 棚町はよたよたと後ろに押された.これを見た私は,後ろにまわって足を払った.虚をつかれて曲の体が倒れると,棚町は馬乗りになって首を締めたうえ,さんざん頭を殴りつけた.

私が「柔道も危ないなあ」と言うと,いきり立った向こう見ずの棚町は,立ち上がってフーフー息をはずまぜながら綿入れの袖に手をかけると,曲はまた逆さに棚町の手をつかんだ. 「この野郎,小癪(こしゃく)なまねをする」と引き起こし,背負いで投げた.歯を食いしばり,こぶしを固めて立ち上がろうとする曲の襟首をつかんで,「貴様はまだ反抗する気か,小癪な」と,柔道のあの手この手でさんざんに投げ飛ばし,とうとう気絶させてしまった.これを見た棚町はあわてて曲の顔に水をぶつかけた.しばらくしてやっと息を吹き返した.

その夜,清水に,「どうしても目鼻がつかない.あいつ,顔はよいし,気は強いし,見どころのある男だ.密偵に仕立ててうまく使えば,きっと大事件の手がかりが得られる.そうすればおたがいに大手柄だ.どうかね」と言った. 清水は,「あせらず,長い間に手なずけて,密偵に使いましょう.そのほうが得策らしいですね」と相槌を打った.

232その翌日,「もう宣伝をしたと言っては責めないから,どうだお前,俺の言うことを聞いて密偵になれ.そうすれば命も助かるし,プラプラして金儲けもできる」ともちかけた.私を見つめていた曲は,「俺は,人をだましたり,うそを言って罪のない者を苦しめるようなことはできない」と答えた.私はなんとかして歓心をかって懐柔しようと考えて,「そうか,俺はちょっと手荒なことをやりすぎた.じつは搏克図の特務の者が,宣伝したのは間違いないと言うものだから,隠していると思って,拷問をしたのだ.そういつまでも根強く反感をもたず,気をしずめて,よーく考えてみるがよい」と言って監房に入れた.それから棚町に言いつけ,一日一回,見張りつきで外の便所に便器を持って行かせたり,散歩をさせたりして,少しずつ監視をゆるめ,遠くのほうで見守らせた.

こうして十日もたつたある日,棚町が私に,「昨日からもう大丈夫だと思って,特捜班の入口で武力に監視させ,を一人で便所にやってみたが,用をすませてさっさと帰ってくるし,向こうから武力に話しかけたりして,だいぶ気がやわらいだようです」と告げた.

その晩,私はそっと曲の監房に忍び寄り,中をうかがった.壁に寄りかかって眼をつぶっていた曲は,静かに眼を開いて,天井の隅を眺めながら,うす笑いをしていた.瞬間なんだかうす気味悪く感じたが,なるほど薬の効き目が出たと思った. 《この分だと大丈夫だ.それではそろそろ清水を使って,本格的に抱き込みに乗り出させよう》と腹を決めた.

翌日,便所に行った曲は帰ってこなかった.私は地図駄(ちだんだ)踏んで騒ぎ立て,管下の特捜班員を狩り集めて,血まなこになって探させた.真っ昼間のできごとで,しかも時間もたっていないのに,荷馬車夫や道行く街の者,街はずれの百姓も誰一人として,そんな者を見受けないと言った.こうして

233いるうち,最近綽爾の山の労働者のサボが目立ってきたという,搏克図の特務股長からの報告を手にして私は,この分では去年の集団逃亡の二の舞いが起こるかもしれない.満洲国がぶつつぶれ,日本は敗戦という流説まで飛び,中国人の抗日感情がだんだんと露骨となってきかけたとの情報はあるし,これも押され気味になった戦局の反映かと,一抹の不安にかられていくのだった.


筆者からの一言〈昭和五十七年八月

昭和三十一年七月に帰国後,やっと手にした酒小売りの免許を守ってガムシャラに働きつづけてきましたが,そろそろ体力の限界を感じ,昨年,長女の婿に店の代表権を譲り,老夫婦で手伝い程度で働いているので,気持ちのうえでも,いくらかの余裕すら感じています.

三十三年,日中友好協会に入会し,当時停滞していた支部の再建にいささかの力をつくし,さらに仲笥たちと力を合わせ,協会会員を主体にした日中貿易会社を設立しましたが,「文革」によって解放,運動も再び低調になりました. 五十七年五月,日中友好協会第三十一回全国大会が長崎17で開かれるのを機に再建に努めた結果,長崎支部と県連の結成を見,県連の理事と長崎支部長に返り咲くことになり,地道な活動に取り組んでいます.

四十七年五月一日開所の民主診療所を私の居住地域に建設するお世話をしました.患者の立場柔に立った民主的医療活動は広範な人たちの支持をうけ,いまではもう一つの診療所の建設と待望の百十床のセンター病院の建設が進められています[いずれも本年中に開院].この十年,地域代初表として理事会に参加していますが,いまはちょうどわが子がたくましく成長するのを見る234思いで,発展,拡大が楽しみの一つになっています.

話が前後しますが,日中友好協会長崎県連が七・七[七月七日]の反省記念行事として映画『侵略』の上映と,「戦争体験を語る集い」をもちました.私はこの催しが中国帰還者連絡会共催のもとで行なわれたことにかぎりない感動と喜びを覚えました.いまや核戦争の危機をはらむ情勢のなかで,この手記が被害者の立場での反核運動とともに,加害者としての侵略戦争の残虐非道性を多くの人たちの心に刻み込み,日中不再戦と,すべての戦争反対の平和運動への糧となってくれることを祈るものです.私はこの春一九八三年に古稀を迎えましたが,戦争体験を語る主人公としての役割をコツコツと,より多くの場所で果たすことが認罪の具体的実践だと自信をもって終生実行します.

大井健太郎

 

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1 Ôi Kentarô, 特捜班長・警大佐兼地方保安局属官
2 Zhalantun (Zhalanzhun)
3 Yajian, Fluß
4 Xing'an --- 1. Gebirgszug . Außer 興安嶺 kommt vor: 小興安嶺 Chinese (Pinyin) Xiao Xing'an Ling or (Wade-Giles romanization) Hsiao Hsing-an Ling, conventional Lesser Khingan Range 2. Hsingan or Xing'an (興安省, Pinyin: Xīng'ān shěng) refers to a former province, which occupied in Western Heilongjiang and part of Northwest Liaoning of the Autonomous Mongol Anto (province) of Hsingan. The name is related to that of the Khingan Mountains. Another name used for this land is Burga, which is also the name used for the east sector of the province, the Burga district. The province was first created as part of Japanese controlled Manchukuo and after the Second Sino-Japanese War the Republic of China government reorganised the area as Hsingan Province, with the capital in Hailar. It is now part of the Inner Mongolia Autonomous Region of the People's Republic of China.
5 Bo Ketu, 警察官
6 Yu Jiming
7 Li
8 Jinzhou, Stadt in der Provinz Liaoning, Verkehrsknotenpunkt
9 Dongbei -- die drei nordöstlichen Provinzen (遼寧省Liaoning・吉林省Jilin・黒竜江省Heilongjiang), d.h. die Mandschurei; auch: Dongsan東三.
10 Fuyuan --- located northeast of Jiamusi, is only 65 kilometers from Khabarovsk, the biggest city in Russia's Far East region. Apart from playing an important role in the opening up of Heilongjiang to Russia, owing to the convergence of the Heilong and Wusuli rivers, Fuyuan is a key port where Heilongjiang Province links up with the Pacific Ocean.
11 Heihe, Fluß und Provinz
12 Chuoer, Waldgebiet in der Inneren Mongolei
13 Shimizu
14 Tanamachi
15 Yu Huanzhang
16 Wangen (Mogen), 大街
17 Nagasaki, japanische Stadt und Präfektur