Springe direkt zu Inhalt

15

村落掃討
上級将校の罪行

野間栄作 1(のま えいさく)

少佐


一九四一年十月河北2省涿3(たく)県城に駐屯していた独立歩兵第七九大隊は,晉察冀4(しんさつき)[万里の長城5の南側一帯]辺区作戦』に参加するために房山6(ほうざん)県の西部,張坊7(ちょうぼうちん)に部隊主力の約三百五十名を集結し,拒馬河8河峪(きょばかわかょく)[川の両側が山になっている谷]及び百花山9周辺の八路軍を圧倒することを狙って,その行動を準備したのであった. 当時新任大隊長小野真吾10大佐と中尉の中隊長との間にあって,大尉の副官として功績と人事業務をおもに扱い[副官に指揮・命令権はないが,大隊長が新任のため,代わって命令している],各中隊を勝手気ままに使いまわし,白分の功績のために夢中であったのが私であった.

その夜の二時,寝不足の眼をなでながら張坊鎮を出発,六渡11(ろくと)村の払暁(ふつぎよう)攻撃を計画して行動した. 真っ暗な河峪道を約一時間前進し,乾河12村の東方高地にさしかかったとき,突然大きな火の玉が目いっぱいに映ると,河原をひっくり返すような爆音がして,約四キロの長蛇の列を河原に190へばりつかせた. 私は,とっさに尖兵中隊がやられたと思ったので,あわてて馬からおりて石の陰に身を隠すと,退却しようか,どうしようかと考え,尖兵中隊の報告をいらだちながら待っていた.しばらくして,『尖兵の前方で敵の手榴弾二発炸裂す,信号用と判断す』と報告がきた. 私は,こんな真っ暗な崎地で伏撃されたら大変だと,冷水を浴びた思いで地にはっていたが,信号用とわかったので,ヤレヤレと胸をなで下ろしながら小野大佐に報告した.

小野は「オイ副官,地形は悪いし,敵情は不明なのに,前進して大丈夫かな」とふるえ声であった.私はここだと思って,「暗闇ですからこの地形でも前進できるのです.明るいときでは一個分隊の敵に抑えられます」と思い切った強がりを言った. 小野はしばらくして,自分の大佐の肩章に気がついたらしく,「そのとおりさ,しかし敵情がさっぱりわからないからな」と不安を隠すようにうつろに笑いだした.

十月の朝の五時は払暁であった. 拒馬河の畔(ほとり)の六渡村を東北方から包囲した部隊は,獲物を狙う狼のように包囲闘をしだいに狭めて,五時三十分,山砲の砲撃とともに,四挺の機関銃が村をめがけてめくら射撃をはじめた.しかし村からはなんの反応もない. 危険と思ったので,まず県警備隊[中国人の投降兵で構成されている]の四十名を村に侵入させてから日本軍を進めた.村に敵なしと見た県警備隊は村の中央まで前進し,家屋に押し入ろうとして門先の敷石を踏んだとたん,轟然と炸裂した地雷に打たれ,たちまち一名はのびてしまった.

「地雷だ,注意しろ!!」と叫んでいる間に,別の部隊のほうでも炸裂音が二発,三発と起こった.私はあわてて,「前進待て」山村13中隊に伝えていると,西と南の山頂から急激な射撃を受けて,191ますます混乱してしまった. 山村中隊の一個小隊は村落内で地雷と射撃の挟撃を受けて動きがとれなくなってしまった.私はあわてて,山砲と機関銃で山頂の敵を射撃させて情況を見ることを小野にすすめ,山田14中隊の一小隊をもって西方の山頂を占領させ,それでやっと敵の射撃を防ぎとめた.

私が村に馬を乗り入れて見ると,顔面を地雷で焼かれた県警備隊員が道路の真ん中に倒れて,「熱い,眼が見えない」と大声で泣いていた. また,別の場所では,膝から下をめちゃくちゃにくだかれて倒れている者もあった.だいたいの情況を見てとった私は,小野のところに引き返すと, 「村落内は『空室清野(くうしつせいや)[侵略日本軍に一物も与えないように家屋内を空にし,畑野も清掃しておく村民の抗日戦法の一つ]で,ただあるのは地雷だけですが,あまり強力のものでなく,負傷者四,五名でています.村落の略奪はやめて焼き払うことが上策と思います」と話した. 小野はちょっと首をひねって,「しかし,今晩の宿営地をどこにするか」と言った.私は,「寝るには北方の村が警戒が楽だと思います.地雷を埋めた六渡村は全滅にしましょう」と強硬に主張した. 「遅いか,早いかの問題だ.よし焼いてしまえ」と小野はやっと決心した.

私は早速,山村中隊長を呼びつけると,村を焼きはらうことを命じた. 約一時間半かかって放火に使う粟殻や高梁桿の山が五つできたので,西半分の各家の入口,本屋の入口など,火のつきやすいところを選び,高梁桿を束ねた"たいまつ"で一軒ごとに火をつけた. 二軒,三軒と黒い煙は,やがて紅蓮の炎と変わり,十戸,二十戸,と広がっていく. 地獄絵に見る赤鬼のように,真っ赤に顔をほてらせた日本兵が"たいまつ"を振りまわしながら駆けめぐっている. 風上に火を放たれた村は折りから巻き起こった旋風にあおられて,みるみる黒煙におおわれ,火炎と変わり,灰燼(はいじん)192なっていった. 私は山田中隊の警戒部隊に「村が焼かれるのを見ると射ってくるから,よく警戒せよ」と伝えた. 「よく燃えますなあ,これで地雷もなにもみごとに掃除されます」と小野に笑いかけると,彼も「火祭りを見物しながら食事をすませて,あとの仕事の準備をしようか」と笑って言った.私は山村中隊に集結を命じ,山田中隊,山砲隊,機関銃隊には,現在地で警戒をしながら食事をとるように命令した.

六渡 村がまったく焼け落ちたころ,部隊は一部警戒兵力を残置して六渡村の北方約三キロの村落に侵入した. 今度は十分用心しでかかったので「仕掛け手榴弾」による負傷者二名をだしたのみで,扉や櫃(き),机や椅子,天井裏やオンドルまでも打ち壊して,村の破壊を行なった.私が村に入って巡回してみると,「空室清野」で炊事鍋一つない. 居座りをするのに炊事具がないと不便だと考えたので,山村中隊全員を使って探させ,しばらくして鍋を五つ六つ発見し,宿舎配当のときに分配し,居座りの準備もできたので,六渡 村付近の糧秣略奪を計画し,残留の牧田15中隊長あてに『明後日七時までに六渡村に到着するように,搬出人夫三百名を派遣すべし』と打電した.

翌日は,歩兵二個中隊をもって,六渡村を中心とする地区の糧秣略奪を始めた. 各隊は数組に分かれて,畑に刈り残された栗や高梁の穂の切り取りと,刈り取った糧秣を保存してある耕地や山の中の穴倉を探しまわった. 「一物も残さんように徹底的に蒐集せよ」と作戦前から耳にタコができるほど聞かされていた各中隊は,競争で集めたので約二十トンほどの糧秣を集めた.

第三日は張坊鎮から来た三百名の人夫を使って,前日集積した糧秣を袋詰めにさせた. 「コラ,称公(ニイこう)[中国人の蔑称]快々(クワイクワイ)[早く]でやれ」と鞭を持った下士官が怒鳴ってまわる.搬出に狩り出されて193きた農民は,気の進まない顔つきで粟の穂を少しずつ袋の中に詰めている.横で見ていた兵隊が,農氏のところに近寄り,ゴツンとげんこを食わせて,「ヤィ,この野郎,早く詰めないと日が暮れるぞ,こうやるんだ」と怒鳴ると,農民に袋の口を持たせ,両手で抱えた栗の穂を袋の中に押し込み,泥靴で上からグングン踏みつけた.

「どうだ,明白(みんぱい)[わかる]か,両個人(リャンゴレン)[二人]でやるんだ」と,そばで見ていた農民の袖を荒々しく引っぱり,詰めかけの袋のところに突き飛ばすと,「両個人で快々的でやれ」と怒鳴った農民は憎悪に燃える眼で睨みつけながら,しぶしぶと二人で詰め込みに取りかかった.私は「十時までに荷造りを終わってしまえ」と現場を監督してまわった. 監視兵は「快々的」とわめきたて,犬か豚を追いまわすように小突きまわして,四十キロ詰め袋三百個作るために追いたてた. 十時三十分に荷造りを終えたが,まだ二百袋分くらい高梁の残りがあると聞いた私は,「一袋五十キロまで追加しろ」と命じた.

三百人の農民を十キロ増すためにまた段々畑に追い返した. 「私は足の具合が悪いので,追加は駄目です」とはれあがった足を出す老人に,「うるさい奴だ,全部お前にくれてやるんだぞ.お礼を言って持って行け」と怒鳴りつけて詰めさせた.池谷16主計が「まだ大分没るので寸が,どうしたらよいでしょうか」と当惑しているのを,私は「焼きすてろ」と吐きすてるように怒鳴った. 「焼いてしまうのですか」と池谷は不服そうに言った. 「村民に食わして抗日の力をつけるか」と冷笑すると,池谷は,「ハィ,わかりました」と,また顔を赤らめて固くなった.

私は「部隊の人夫,や馬糧に持てるだけ持たせて,残ったのは焼きはらえ」と言うと,村落内の本部194に引きあげ,小野大佐に「搬出隊」の情況を報告し,明日からの行動について相談した.

翌朝,その村を出発した部隊は,北方に前進して,南窑17(ナンコウ)村から侵略行動を起こした北村18中隊を指揮下に加えて,その後約一週間,西方百花山周辺まで侵略し,糧秣を集めては焼きはらい,家屋は宿舎に利用する以外は手当たりしだいに焼きはらって,ひとまず「糧秣補給」のために駐屯地下庄19(かしょう)村に引きあげて,三日間の休息をした.

下庄村に引きあげた翌日,下庄~張坊鎮間の「封鎖壕」の進捗情況を視るために作業現場に出発した. 「封鎖壕」は,八路軍地区に対し,物資の交流を阻絶するためと八路軍関係者が駐屯地区内に入ることを防止する,平民離間工作のひとつであった.壕の大きさは上幅五メートル,深さ四メートル,底幅三メートルで,この構築は,今度の「侵略作戦」によって八路軍の武力を遠く後退させ,その機会を利用して一挙に遂行したものである.

下庄~張坊鎮間の約十三キロは,岩盤地帯も相当あったために,房山県,涿県,固安20(こあん)県の住民約六万名を使役し,二キロごとに監視望楼[五~八名収容]を築き,壕内を縦射できるように電光形につくった. この種の封鎖壕は,全中国一万二千キロの長さに及び,中国人民の労働力を銃剣のもとに酷使して構築したもので,その労働量のぼう大なことと人民の負担は,言語に絶するものであった.名刹西域寺21の南方約三キロの構築現場に出かけた私は,農民,が固い粘土層を木製円匙(えんぴ)[シャベル]で掘っているのに驚いた. そこで牧田中隊長に「これで壕が掘れるか」と尋ねた. 牧田は半分くらいに減った鉄製円匙を指して,「これで掘り起こして,木の円匙は"土はね"が主です.しかし軟土はこれでも掘れます」と答えた. 「ほかに器具はないのか」と引くと,牧田は苦笑しながら,「農具195は焼いたり,壊したりしたあとは補充品がないのです.いまごろは鉄類が手に入らないようです.いま農民の困難は,家畜が少なくなったために,農耕の畜力と肥料難,それと農具不足の問題です.新民会に城内の鍛冶屋を調べさせましたが,新品を作ることはできません」と答えた.

「作戦もあと十日くらいだ,その間にできあがるか」と聞くと,「だいたいできあがる予定です.壕の作業は,日本軍がガヤガヤ言うより,彼らにまかせるほうがうまくやります.先日も壕が深くなったので,畚(もっこ)で土上げをやるようにさせたのですが,彼らの計画した"二段掘り"のほうが効果的で,また資材もいらないので上策でした.土工作業はたしかにすぐれています」牧田は感心した ように語った.

昼食時になると,約百名くらいの集団が畑の中に集まって腰を下ろした.赤銅色に陽やけしたしわだらけの老人,蒼白くやせた十四,五歳の少年もいる. 大部分の人が裸足で,血の気の失せた顔に眼玉だけギロギロ光らせていた. やがて,黒い焼餅をかじる者,生葱や塩漬け大根をかじる者,頭を深く両足の間に垂れて食事をせずにいる者もある.誰一人として声高に話す者もなく,ときどき静かな声で話し合い,うなずき合っている.

私は「このごろの人夫は静かだな」とひとり言を言いながら食事をしない農民に,「なんで食事をとらないのか」と尋ねると,「食べる物がない」と言った. 「県公署から壕掘りに来る食糧をもらわないのか」と言うと,「留守の子どもが食べるにも足らない」とソッポを向いた. 私は「食わずに壕が掘れるか」と聞くと,「掘るよりほかに方法がない」と言いながら,たぎりたつ憤怒をつばにこめて,地面にペッと吐きつけた. 私はドキリとしたが,無言で睨みつけた.男は両腕で膝を抱いて,大空196を仰いでいた.

下庄に帰ってきた私は,下庄の隊長林22少尉から,「部開怖が八路地区に進攻してから,反対に八路工作者が占領地区内を安全地帯として潜入したようです.とくに『日本軍警備隊』近くの村落が利用されているようです」という報告を聞いて, 《やりそうな戦法だ.灯台の下(もと)にもぐれば,日本軍の行動は手にとるようにわかる.よし捕えてやろう》と考え, 少尉の報告は八路軍のやりそうな戦法と思います.中隊の兵力も二日休養しましたから,明日五家23(ごか)村の地下組織を打ち壊しましょう」と大隊長に報告した. 小野は無造作に「よし,うまくやれ」と言ったので,私は早速,山村を呼び寄せると,下庄東北方約五キロの五家村の組織破壊の準備を命じた.

翌朝未明,私は歩丘二中隊と機関銃隊及び山砲隊を指揮して,五家村を包囲した. 五家村は西は山を背に,南に長い陽あたりのよい百戸ほどの村落であった.村の西南方に山砲,その横の高地に機関銃,北方の道路の縦射に機関銃,東方に機関銃二挺を配置し,その間隙にそれぞれ小銃,軽機関銃を据えて,一名でも逃げ出すことができないように準備すると,山村中隊を三組に分けて村落の組織破壊を準備した.

山村中尉は部隊の一部を連れ,村の西端の一軒の扉を叩いた. 家人ば何事かとズボンをはき,上衣をかけて扉を開けた.戸口に立った銃剣が胸板を狙一いながら,「外に出ろ」と引っぱり出し,「歩け」と薄闇の中を村落外に連れ出して銃剣で取り巻いた. 「村長の名前は?何歳くらいか?村民の評判はどうか?」と簡単なことを尋ねてから,村長の家に案内を命じた. 何事かわからないが,断われる問題ではないことを知っている村民は,しぶしぶと村長の家に案内した.

197村長も急いで起き出して戸口に顔を出したとたん,銃剣で取り巻かれてしまった. 「何事ですか」と,不審そうに尋ねる村長を伴って,村公署に行き,戸口調査簿を没収した後,「この調査簿によって村民を調査するから,病人でもなんでも三十分後に全員,廟前の広場に集合するように手配しろ」と 村長に命令した.村長は言われるままに,村公署の書記と炊事人と案内者を使って村民に伝えさせた.

山村中尉は,さらに村長を引っぱって村の南端の廟に入った. 不安におびえる村長に,「お前の村に八路軍の工作員が潜入した確報をつかんだのだが,お前は工作員とここの村民でない者を全部報告すれば,工作員を村に入れた責任は許してやる.しかし村長が報告したことが村民に知れると,立場上困るであろうから,のぞき穴から見て前を歩く人が村民でなかったときは,内証でこの将校に知らせよ.ほかの場所でも同様に取り調べておる.もしお前がうそを言ったときは,家族ともども銃殺にするから,よく考えて間違いなく報告しろ」とおどしあげ,安達少尉に白の小旗を渡して,村長の監視を命ずると,廟を出て南の広場に向かった.

広場では日の丸の旗を持った日本兵が一人立っており,村からかりたてられた人々が,数名の日本兵に怒鳴られ,こづかれ,蹴とばされながら,旗のほうに追いたてられている姿が,朝霧の中に浮かんで見える.孫を抱えた老人,子どもの手を取った母親,病人を背負った婦人,腕を組んで眠玉をギロギロさせながら重い足を引きずっていく五十歳前後の男,親を尋ねて泣き叫ぶ子どももある.かみつくような怒声が,これらの人々を追いたてていた.

やがて村民の集合が終わったのを見とどけた山村は,準備しておいた三組の調査隊をして,村落内198の点検を始めた. 家の中はもちらん,納屋や豚小屋までも人間の隠れそうなとこるはくまなく捜索し,水瓶を倒し,櫃の中をかきまわし,天井は破り,珍しいものは略奪した.重病で動けない人を土間に引きずりおろして殴りつけ,動ける者で居残った者は捕えて村の西端の畑の中に集めた. この破壊行動は二時間以上をかけて実施された.

ついで,朝の寒さと不安に三時間余りもさらされていた村民を一列縦隊にして,村長ののぞいている廟の東側を歩かせ,内側にいる安達少尉の白旗が左右に振られたときに前を通った者を,列外に引き出した.

約一時間半後に,検挙者三名と,村落点検のときに捕えた二名とあわせて五名を縛って,下庄に引きめげ,拷問を加えたが,村落内で捕えた二名は「病気で寝ていたが,日本軍が侵入したことを知ったので,ただ恐ろしくて隠れたのだ」と言い,ほかの三名は,「行商のために五家村に来た」と言ぃ,いくら打っても叩いても,それ以上のものはなにも聞き取ることができなかったので,癪にさわって労工吏員として処理するように命じた.

糧秣の補給と整備を終えた部隊は,翌日の午前二時,下庄を出発して第一次の逆コースを取り,房山西北部の山間村落を焼き,略奪して百花山東側に進出した後,反転して十一月七日未明,拒馬河(きょばかわ)上流の十渡25村を北方から侵略攻撃をした.

村落の北方三キロ地点で小勢の八路事の伏撃を受けた部隊は,たちまち混乱状態に陥ったが,多勢を頼んでようやく交戦態勢を整えて,二時間後に八路事が転送したあとの十渡村に侵入,西方の高地を歩兵一小隊と機関銃で確保させて村落に侵入し,天井裏を破り,オンドル床を壊し,瓶の底を199叩き,櫃の中をひっかきまわし,血眼になって兵器や糧秣を探したが,まったくの「空室清野」でめざすものはなにひとつ見つけることはできなかった.


筆者からの一言〈昭和五十七年八月

私は帰国後しばらく郷里の群馬26県立安中高等学交の事務員をしておりましたが,肺結核発病,国立病院に入院八ヵ月,以来,家の本業である農業経営と復帰,のち養鶏を始め,現在に至っています.今年七十四歳,腰痛に悩まされ,「心不全」の症候があり,力仕事から離れブラブラしている状況です. いまにして思うことは,あのような戦争は二度と繰り返してはならない,ということばかりです.

野間栄作・談

 

--------------

 

1 Noma Eisaku (Pseudonym), Major
2 Hebei, Provinz
3 Zhuo, Kreis

4 Jinchaji
5 Changcheng ("Große Mauer"), auch: Kreis
6 Fangshan, Kreis
7 Zhangfang, Gemeinde im Westen von Fangshan
8 Jumahe, Fluß
9 Baihuashan (Bohuashan), Berg
10 Ono Shingo, Oberst
11 Liudu (Ludu), Dorf
12 Ganghe (Qianhe), Dorf
13 Yamamura, Kompagnieführer
14 Yamada, Kompagnieführer
15 Makita, Kompagnieführer

16 Iketani, Rechnungsbeamter 主計
17 Nanyao (Nayao), Dorf
18 Kitamura, Kompagnieführer
19 Xiazhuang, Dorf
20 Guan, Kreis
21 Xiyusi, "Tempel der Westländer"
22 Hayashi, Leutnant
23 Wujia (Wugu), Dorf
24 Adachi, Leutnant
25 Shidu, Dorf
26 Gumma, japanische Präfektur