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女捕虜
乳房を銃剣で突く

新谷幸太郎1(しんたに・こうたろう)

分隊長・伍長


「日本軍の通った後には草木も生えぬ」 これは中国の人々の切実な訴えであった.千名余りの日本軍が一晩泊まると村落の形は,一変してしまう. 道路という道路には,食い散らされた豚の頭や鶏の足,羽が乱雑に散らばり,家屋の入口から庭先にかけて,高梁,粟,小麦粉,被服,さまざまな布切れが,足の踏み場もなく放り出されている.

渤海2(ぽつかい)に近い浜3(ひん)県から東北方へ十数キロ離れた村落に,四三大隊が押し寄せたのは,一九四四年も暮れようとしている,十一月二十二日のどんより曇った夕刻であった.

「本部」と貼り紙がされてある庭先には,水が一面に流され,もう氷がはっている.この庭でいつものように拷問をやったのだろう. 血のついた白の襦袢や黒のズボンのちぎれた布や,かきむしられた黒い髪の毛が,一緒になって凍りつき,風にゆれている.だがもう人影はどこにも177見られなかった.しかし人間を引きずった跡がそれを暗示し,道路を横切り,大きく口を闘いた古井戸のほうへ太いすじを浮き出している. 道路のわきにもあちらこちらに黒い塊りが埃(ほこり)にまみれている. 《ここでもやったな》 私は心の中でつぶやくと,荒々しい呼吸で中隊長室へ駆け出した.昼すぎというのに陰気な空気がただよい,冷たい風が低い屋根から吹きこみ,道端のアンペラ小屋の戸がガタガタ音を立てて,まるで私の後ろから追いかけてくるようだつた.

「あの女,なんて強情な奴なんだ」 中国人の服を着こんだ中隊長大西富雄4は朱塗りの椅子に腰をかけると,吉村5軍曹!6(ソウ)通訳!」と陰険な眼を光らせた. いつになく,落ち着かない大西の肩が,大きく波をうち,野獣のような眼が渇りきっていた. 「ハ,ハイ」 意味ありげに図嚢をバタバタ叩いた吉村は,なにもかも知りつくしているように大きな写真を取り出すと大西の前へ差し出した.

「中隊長殿!あの女はたしかに揚国夫7(ヨウコクフ)の地下工作員にわかりきっているんですが………」とそこまで言ったが,吉村は次の言葉が出ないまま下を向いてしまった. 「とにかくあの女は一すじ縄では………」 吉村はまた口を開いた. 「もう今日で三日も断食をさせてしぼったんですが,そんな組織なんか知らない,と,どうしても口を割らないんです」 「そうなんです.一人の男は拳銃を持っていたんだから,あの女もきっと拳銃を………」と曹通訳はくやしそうに納屋のほうを睨んだ.当番兵がおそるおそるお茶を机の上に置くと,逃げるように部屋の中へ飛び込んでいった.

「中隊長殿,またのびてしまいました」 折れた棍棒をぶら下げて私は大西の前へ突っ立った. 「なにい,またのびたア」 「ハイッ,あの野郎,貴様らこそ銃を捨てろ!って横柄(おうへい)なことを皇軍にぬかしやがるんで………例のとおり木に吊るして………」

178私の声が終わらないうちに大西の怒声が飛んだ. 「馬昆野郎,あいつの口から揚国夫のありかが出なくて,だれの口から出るんだ!」 大西の残忍な唇が歯ぎしりとともにブルブルふるえだした.ほめられることを予想していた私は,首をすくめちぢみあがった. 「ハ,ハイッ,そ,それで水をかけてきましたから,また,動き出すでしょう」と弁解にやっきとなった.

吉村軍曹,あの女をもう一度連れ出せ」 大西は,机をガンガン叩いてわめいた. 「オイ,新谷兵長」 吉村は私に眼くばせすると,納屋に向かって歩き出した.

「オイッ,早く歩け!」 留置場から引き出した女を銃の台尻でなぐりながら,私は吠えた.静かに歩く婦人の足どりが,無性に癪にさわってきた私は,たるんでいる綱を振り上げ,「快走(クウイツオ)[早く歩け]とがなり立てるや,ピシッピシッと女の肩に鞭打ってせき立てた. いくら殴ろうがせき立てようが,女はきまった足どりでゆっくりと歩いていたが,大西の眼の前に来るとピタリと足を止め,向き直ると,無言のまま静かに顔をあげた.コバルト色の服の胸には,もうボタン一つついていない. 細い布で襟を合わせているが,首すじから胸にかけて白い肌が真っ赤になって露出している. 右の頬から首すじにかけて,太い跡が真っ黒く浮き出している.顔はやつれきっているが,澄みきった瞳が,大西をジッと見すえ,少しも動こうとしない.

「なんて眼をしやがるんだ!」 大西は眼の置きどころに困ったのか,屋根の上へ眼をそらして煙草の煙をやげにふかした. 《なんですごい女なんだ》 吉村と顔を見合わせた私は,いつの間にか手榴弾を握りしめて,固くなっていた.しかし,私や大西が眼をそらしたのは,人間らしい恐ろしさや同情というような美しいものではなかった. 大西や私にとっては,ただ動物が人間の前に立った瞬間に179働く本能的ショックにしかすぎなかった. それだけにこの女に口を割らせ,手柄を夢見,その反面この女を手なずけて獣欲の対象にと,ますます狂い出していったのである.

「オイ,八路[中国共産党軍],お前も亭主や子どもがあるんだろう.揚国夫のありかさえ話せば,すぐにでも帰してやるが………なんとか返事をしないか」 大西は体を乗り出し,卑しい笑いを浮かべてつめ寄った. 「オイ,なぜ黙っているんだ!」 あまりにも冷静な女の態度にイライラした私は,棍棒を振り上げた.

新谷,あわてるな!」大西は席をはずすと,女の前に近づいていった. 「なあ,お前が八路の密偵だってことは,もうわかりきっているんだ.それに夕べ,あの男が白状したんだ.お前が揚国夫のことをよく知っているとなア………フフン,どうかなあ」 大西はなにを思ったか,女の後ろへまわると吉村に縄を解かせた. 「さあ言うんだ,揚国夫はどこにいるんだ!」 大西はしつこく女につめ寄った.彼女の瞳がピリッと輝くと同時に,唇がこきざみにふるえたが,瞬間,彼女はもう何事もなかったように冷静に返っていた. 《中隊長にもなれば,なかなかうまいことをやるもんだ………》と私は内心感心したが,女を見てまたがっかりした.五人の銃剣を持った将兵の前で,女はなにも言わずに動こうともしない.

「オイ,揚国夫はどこへ行った」 「畜生,これでも言わないか」 ピシッピシッ,だんだんはげしくなる大西と吉村の声が,夕暮れの迫った家屋の庭を揺るがした. 「知らない,なにも知らない」 女のはげしい言葉が私の胸をかきむしってくる. 「畜生!この死にぞこないが」 麻縄を宙にうならせた私は狂ったように,女の背中めがけてめちゃくちゃに叩きおろした. 「ウーム」 体を左右にくねらせて180いた女は,ヨロヨロと前にのめったが,足をこらえて立ちどまった. 新谷,やきが足らん」 大西の狂った声が,私の耳の中でガンガン鳴り出した. 「コラッ,揚国夫はどこに行った!」 吉村の泥靴が女の腰を蹴り上げた. 「ウーム」,急所を蹴られ,悲痛なうめきとともに女は前に倒れた.

「これでも言わねえか!」 横倒しになった女の髪の毛をつかんだ私は,グイッと力まかせに引っぱった.紫色にはれ上がった顔,あの澄みきった真っ黒い瞳がキリッと私を射た. 一言もしゃべらぬまま女が気を失ってしまうと,大西は「水をぶっかけて,納屋に放り込んでおけ」と言いすてると,いまいましそうに立ち去った.

その翌日,十数名の兵隊の冷たい銃剣が,官舗らしい入口を馬蹄形にとりまいている.兵隊たちは,中公の顔にときどき上目をつかいながら,敷石の上に座らされている二人の中国人の胸元へ,銃剣を向けている. 三十五歳くらいの男は,昨日焼け火箸で口元からあごにかけて焼かれ,それが化膿して,もう口を開くことはむずかしかった.しかし太い足と肩の筋肉が,全身の苦痛をもみ消しているように見えた. 眼はランランと輝き,幾日ぶりかで縄をとかれたこぶしは,石のように固く腰の紐を握りしめている.敷石を一つへだてた柱の陰に,女は座らされ,その前に大西と曹通訳がしきりになにか話している.二人とも夕べのうちに息を取り戻したのだろう,女はかきむしられた髪を後ろで丸く結んでいた. あせたコバルト色の服はボロボロになって綿がとび出しているが,襟だげはいつの間に手入れをしたのか,首のつけ根で行儀よく合わさっていた.

《なんてふてぶてしい奴なんだろう,三回も死にぞこないやがったくせに》 兵隊を押し分けて首を突っ込んだ私は,拷問すればするほど,ますます落ち着きはらっている女と男の姿が,無性に181腹立たしくなった. 一段と高い敷石の上から飛び降りた大西は,ツカツカと女の前ヘ立ちふさがった.

「オイ,夕べ一晩ゆっくり考えたろう.揚国夫はどこへ行った」 女も男もなにも言わなかった. 女も男もまるで言い合わせたように家屋の屋根越しに,雲がきれ,澄みきった青々とした空が広がってゆくのを,感激に満ちた瞳でジッと見つめている.そこには死の恐怖もなにもない.

「蓄生!しらばっくれていやがる」 大西は揚国夫将軍の写真を取り出すと,女の眼の前へ突き出した. 「エエ,この男はどこへ行ったんだ,この男を知っているだろう」 「知らない!」 鋭い声がはね返った. 「なに!知らないって,八路の密偵のくせに,八路のことを知らないことがあるものか!」

大西は曹通訳にがなり立てた.

ピシッ,「この男もだ」,ピシッ,鈍い音をうならして鞭が顔に,ひとしきり食いこんだ. 大西は女と男のまわりを行ったり来たり,口から泡を飛ばして吠えたてた.いくら鞭が飛ぼうが罵倒があびせられようが,女と男はまるで巨石のように動こうともしない. 「チ,蓄生!このあま,どこまでも皇軍に逆らうか」 逆上した大西は,よろめきながら軍刀を鞘から引き抜いた.

冷たい閃光(せんこう)を女の頭の上に振りかぶったまま,大西は男の顔色をうかがっている. 「畜生,言わねえな」 大西は吐き捨てるようにがなりたてると,今度は男の頭の上へ刀を振り上げた.

「オイ,その女の顔をあげさせろ!」 大西は吉村をがなりたてた. 「コラッ,顔をあげるんだ!」 吉村は女の後ろにまわると,女の髪の毛をつかんで,グッと引っ張った.ギラッと不気味な閃光が走った. 四日前に不幸にも捕えられて,同じ苦痛を乗りこえてきた男の首すじに,いま大西が振り上げている刀が振りおろされようとしている.女の顔がグイッと上を向くと,長い髪がサアーと背中182に長くたれた. 瞬間,彼女の視線が,決然としてこぶしを握りしめている男の視線とぴったり合った. と,彼女は軽く眼を閉じていた.

「ざま見やがれ!!」 「白状するんだったら,いまのうちだ」 「コラッ,言わんか!!」 遠巻きになっていた兵隊が横からがなりたてた.静かに眼を開いた女は,「畜生(クイズ)!!」大西を睨むと曹通訳を振り返り,落ち着いた口調でなにか言った.

顔色を変えた大西は,どぎまぎし,あわてて刀を鞘におさめると,「おい!!通訳,なにを言った」と曹をせきたてた. 大西は揚国夫のありかか,拳銃の山でも頭に描いていたのだろう,あわてたなかにもげすっぽい笑いさえ浮かべていた. 「おい早く言え!!」 大西は曹の言葉を待ちわびるようにつめ寄った. 「ハアー,ハイ」 曹は大西のあとの言葉が恐ろしいのか,おどおどとしながら言った.

「じつは,《鬼子!!貴様らは,首を斬ることができても銃殺することはできないだろう》と言っているんで」

「なんだって畜生!!銃殺ができないだろうって,この八路が………」 大西はかんかんになり,刀の鞘をガチャガチャ鳴らしてくやしがった. 《もう弾薬の補給がつかないから,各部隊は極力弾丸の使用を禁止して肉弾,白兵戦をもって敵に当たるべし》師団から何回となく通達されてきていることを,彼女はみんな知りつくしている. 大西はもう刀を抜くことができなくなったのか,じだんだ踏んで「銃!!銃殺だ!!吉村!!吉村!!」とわめき散らした.

こうして,その口から一言も聞きだすことのできないことを知った大西は,畑の中にひき出して殺すように命じた.女の七,八メートル前を三十五歳くらいの男が足を引きずるようにゆっくりと183歩いていく. 女はそのあとを何事もないようにいつもと同じ足どりで,一歩一歩強く歩いている. 三日間も寝ずに,拷問を受けている者とは,まったく考えられないくらい,二人の足どりはサッサッと大地を踏みしめている.

「エィ,もっと早く歩け!!」 私は彼女たちがゆっくり歩けば歩くほど,中国人にばかにされているようでやきもきした. 「エィ,早く歩くんだ!!」 田原がキンキン声でがなり立てた.私があせればあせるほど,女は前よりも,もっともっとゆっくり歩きだした. それは無言の反抗のように思えた. 《うまく殺せなかったら,初年兵の手前どうする.いやそれよりも,中隊長の顔が………もしも逃げられたら………いやそんなことがあるもんか,あんな体で逃げられるもんか》 四回も初年兵を教育してきで兵長になり,来月はもう下士官になろうとしている私だけに……… 《畜生!!初年兵に度胸のよいところを見せてやるためにも》 私はぐっと銃を握りなおした.

前の男は,いつもより今日はやけに足を引きずって,もう十メートル前を歩いていた.そのあとを五メートルくらい離れて女は,静かにゆっくりと歩いている. 一軒の家屋を通りすぎて,畑に面した隣りの家の庭先に出た女の足は,ますますゆっくりとなった.

「畜生!!早く歩くんだ!!」 私は前よりも,もっと荒々しく怒鳴った.男は十五メートルくらい先を歩いていたが,ちょっと立ち止まると静かに後ろを向いた. 女も静かに止まった. 瞬間,彼女と男の視線が電気に触れたようにピリヅと光った. 「この野郎,早く歩け!!」 「死ぬのは恐ろしいか!!」 私と田原のはげしい罵倒が飛ぶと,後ろから兵隊が同じことをくり返してがなりたてた.また,男も女も歩き出していた. 女は,男が引きずっている足をじいっと見守るように見つめながら,前184よりもずっとゆっくり一歩一歩大地を踏みしめている.

庭の真ん中まで来ると,二十メートルくらい先に,隣りの家と家を結んでいる倒れかけた高梁殻の垣根があり,向こうは見えなくなっていた.一メートルくらいの入口だけが開けっ放しにされ,柳の木を通して畑がちらっと見える. 男が垣根まで着くと,女はぴたりと足を止めた. 瞬間,私は片膝をつくと後ろから銃を構え,女を狙った.男はもう垣根を通りすぎようとしている. 「早く歩け!!」

私は銃を構えたまま吠えまくった.女は何事もなかったように,一歩二歩と静かに歩き出した. つつと私が立ち上がった瞬間,鋭い声が空を衝(つ)いた.

「你快吧(ニイクワアイパ)[貴方,早く逃げなさい] 女は全身の力をこめて,男の体を隠すように走り出した. 「畜生,逃がすもんか」 私が垣根を越えたときには,男は三十メートルくらい離れて畑の中を走っていた. 「蓄生!!」 私は夢中になって引鉄(ひきがね)を引いていた. 「おーい,あの女が男を逃がしたぞ」 後ろから兵隊,がバタバタ駆け出し,垣根に銃を突っ込んだ. パンパンパン,ピューンと,後ろから銃声が私の耳をつき,二,三十メートル先を走っている二人の足元に黄色い砂煙がパツッバツッと上がり,銃蝉がプスンプスンと土に刺さる.まるで戦闘が始まったようだつた.

パーン,鈍い炸裂音とともに私は立ち上がった.離れたところから見ている私たちの眼には,黒い影が二つ,折り重なって倒れたように見えた. 銃声がぴたりとやむと,あっちこっちから兵隊がどやどや集まってきた. 倒れているのが女だけだとわかると,田原が私の前を横切ってフウフウ言ながら畑の中に盛られた十数個の丸い墓地に向かって駆け出して行った.

「このくたばりぞこないが!!」 肩を射抜かれた女が畑の畦を握りしめ,起き上がろうとしているのを185見た私は,泥靴で背中を蹴り上げた. 「なんだ,その面は!!」 この女,死に際まで反抗しやがる. 心の中でつぶやいた私は銃を振り上げた.

新谷!!新谷!!」 田原の異様な声が三十メートルも離れた墓地から飛んだ.私は夢中になって畑の中を走り出していた. 「畜生,逃げやがった」 田原は蒼白な顔を突き出すと,深い壕の中を指さした.七,八メートルもある深い壕が,墓地の後ろから畑を横切って,西の村落に通じているようだ. 中へ飛び込んだら上がれそうもないほど,真っすぐに掘ってある. 男がすべり落ちた跡だけが箒(ほうき)ではいたようにはっきりとついていたが,もうその中にはだれもいなかった.

「畜生!!」 歯さしりした私と田原は,堤の上をあっちこっち駆けまわったが,この大きな壕は,縦横に幾本もの交通壕につながって,西も東もわからないようになっていた. 「あの女め,ようも逃がしやがったな!!」とそのとき西の村落で柄付き手榴弾の音が,一発,二発,三発,轟然と,それは人々の希望の信号であったように,鳴りひびいた.

私と田原は,顔を見合わすと逃げるように畑の中を走り,兵隊がざわめいている庭へ駆けつけた.また女を引きずりまわしたのであろう,庭に赤黒い血のしたたりが散っていた. 女の休はどこにも見えないが,藁(わら)山の中からときどき荒い息づかいが洩れてくる.葉山を取り囲んだ十数名の兵隊の前へ,つかつかと飛び出した田原は,兵隊に藁をはがさせた.

「おい,田原,まだ生きているのか!!なんて死に際の悪い奴なんだ」 私は癪にさわるほど,死ぬことを知らないこの女をのぞき見た. 《馬鹿な奴が,あの男を逃がしやがって,白分が殺されるのも知らんで.それよりも揚国夫のいるところさえ言えば………中隊長にかわいがられているものを………》と,186弘の脳樫には野獣のような好奇心がむらむらとひらゐいた. 三年の軍隊生活のなかで十二名も中国人を殺してきたが,女をこうやって眼の前で殺すのは今度が初めてだ. 《満期みやげの話の種には印象に深い殺し方が………》 好色漢らしい眼を田原に向けると,私はニヤリッと笑った.

「おい田原,乳房を突くか」 私は銃に剣を差しこんで言った. 「うん,それはおもしろい」 田原は豚のようにふくれた顔をつき出してうなずいた.ガヤガヤしていた十数名の話し声がやみ,シーンとした空気がただよった. 「コラッ,なにしてるか!!」 「女一匹にそんなにたかりやがって!!」 新谷!!田原!!なにしてるか!!」 大西のダミ声が道路の丘から聞こえた.

「ハーハイ,隊長殿,まだこの女死んでいないんで………」 あわてて言った私の言葉を押しつぶすように,「馬鹿野郎!!」の声が何回となく,グワングワンひびいた.

「蓄生!!なにもかも貴様が八路のことを言わねえから,中公があんなに当たり散らすんだ」と発作的に罵ると,私は銃を逆手に持ちかえ,婦人の体にまたがっていた. 「これでもか!!」 私の手がブルブルふるえた瞬間,ピリッと綿衣が破れる音と一緒にブスッ………. ゴムまりのような感触に剣先ゆれると,白い液体が剣先を伝わって,あせたコバルト色の綿衣の胸に落ちた. 「蓄生!!こっちもだ」 続いて右の乳房から向い液体が上がってきた.

新谷,今度は俺がやる!!」 田原が横から女の乳房をブスッブスッと突き刺した.女の頭にかけられた藁がはげしくゆれ,女の身体が右に左にくねると,藁をはねのけた. 女の血に染まった顔が,再び突き刺そうとしている私の顔をキリッと睨んだ. 「アッ,畜生!!まだくたばらねえか!!」 「おい貴様ら,なにを見ているんだ,馬鹿野郎!!」 私は手を出そうとしない兵隊をがなりたてた.兵隊は187あわてて銃を構えなおした. 「貴様,なにふるえていやがるんだ!!」 田原はもじもじしている初年兵を引きずり出すと,「貴様,こいつの腹を突くんだ!!」と初年兵を突き飛ばした. 「ハア,ハイ」 年兵のふるえる声が消えると,ガサッと藁の音とともに,女の腹部に銃剣が突き刺さった.

「なんだその腰つきは,腹の中をえぐるんだ!!」 田原の怒声がガンガン吠えまくった. 「ウーム」(かす)かな婦人のうめきが,とぎれたと思うと,また肩が大きくゆれだした.女の腹部から鮮血がほとばしり出て,綿衣に浸みこみ,体じゅうに伝わって,藁を赤く染めていった. 「こん畜生!!まだ死なねえか!!」 発狂した犬のように,私は女の体の上に飛び上がった.

何回となく顔にかけられた藁を払いのけた女は,満身の力をこめて左の手で大地を支えると,体を起こそうとした.ランランとして輝く女の眼が,銃剣を構えた私と田原を睨み殺すように見すえた.

「畜生!!き,貴様はなんだ.最後まで反抗するか.ぶっ放すぞ!!」私と田原はふるえてくる足をこらえ,女の胸元へ力まかせにグイグイと銃を突きつけた.女の口元がかすかに動くと静かに口を開いた. 「私は八路軍だ,殺すなら早く殺せ」 「なにっ,殺せって!!」銃を突きつけていた田原のわめきと同時に,「グワーン」と婦人の胸元で銃弾が炸裂した. 私はもうのぼせ上がり,狂ったように吠えまくると,女のどこといわず銃剣を突き刺していった. 「エイ,これでも死なねえか,畜生,これでもか!!」 体じゅう血を浴びた私は,さらに女の血を求めて襲いかかっていった. 「鬼子!!殺すなら早く殺せ!!たとえお前たちがこの私を殺すことができたとしても,中国人を殺すことはできないのだ!!」と藁束に体をもたせ,こぶしをふるわし,はっきりと言いきった女は,庭先の柳の木に静かに眼をやった.軽くふるえていた女の唇がだんだん固く結ばれていくと,彼女は188やはり何事もなかったように美しく澄みきった黒い睦を静かに閉じていった.

「鬼子!!殺すなら早く殺せ!!たとえお前たちがこの私を殺すことができたとしても,中国人を殺すことはできないのだ!!」

日本軍の前で毅然として叫んだ彼女の言葉が,この村落の土地にしみこみ,畑を伝わり,四方に分かれて全中国に広がっていくようにも思えた.さあーっと風が吹き出し,柳の梢をなでて過ぎ去っていった. そしてその言葉は,彼女が愛している柳の根のように,不屈に生き生きとして,やがて緑したたる楊柳(ようりゅう)の林で,全中国を包んでいく春のさきがけのように………


筆者からの一言〈昭和五十七年八月

昭和三十一年十月帰国,以来,日中友好親善のため努力し,現在に至る. 妻,長女の三人暮らし. 職業,銀行員.

最近の日本の状況,とくに高校社会科教科書に対する文部省の検定で,日本が中国への侵略を「進出」と改ざんしたことは,歴史の事実を転倒するものであり,許すことはできません.私たちが過去に中国を侵略した日本軍国主義の実行者であったことは言うまでもありません.中国から厳重抗議がきたことは当然のことです. さらに,靖国神社参拝問題,防衛力,憲法の見直し等々,政府自民党の右傾化は目に余るものがあります.このような時期に,日本が中国へ侵略した事実を伝える作業の一環を担えればと,あえて私の罪行の一部を紹介することにしました.

新谷幸太郎

 

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1 Shintani Kotarô, Abteilungsführer, 伍長 (Pseudonym)
2 Bohai, Bucht
3 Bang, Kreis in der Nähe der Bohai-Bucht
4 Ônishi Tomio, Kompagnieführer
5 Yoshimura, Feldwebel
6 Cao, Dolmetscher
7 Yang Guofu, 将軍, 地下工作員