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刺突
農民を初年兵の訓練に

江先光1(えざき・ひかる)

曹長


乾頭ガイ2(かんとうがい)という村は,この黄竜寺から東北三里[約十一キロ]ばかり離れた小山の中にある小さな村落である.戸数のわりに大きな瓦屋(かわらや)が多いのは,長江3[揚子江]の流れとともに悠久五千年の歴史を誇る豊かさを示しているのだろう.村の中ほどを流れる玉砂利の小川は,水晶のような美しい水をたたえ,村人はこの水を飲み,この水を浴びてよく働き,仲良く助け合って生活していたのだろう.春には桃の花が咲き,菜の花が畑を埋(うず)め,川辺の柳の青い若芽がそよ風に踊るようにゆれていた.夏には梨がなり,秋は黄金色のみかんが夕日に照り輝いていた.だが,どんな豊かな村をも戦争は一瞬にして地獄にする. 一九四0年,日本軍が宜昌4(ぎしよう)を占領してから幸福ないっさいが奪い去られた. 「村を守れ………鬼めに荒らされてたまるかッ!」 村人たちは手に手に鎌を持ち鍬を持って立ち上がった.これは人間として当然のことではないだろうか.こうして村落に侵入し略奪し,強姦して149やろうとした日本兵を後ろからイモ刺しにした.一挺の銃はまた一銃を奪った.二挺の銃は四銃を奪つた.こうして青年張子良(チョウシリョウ)を隊長とする村人たちは遊撃隊を組織した.これを私たちは土匪(どひ)と呼んだ.

日本軍に刃向かう不逞(ふてい)の輩(やから)と罵った.

組織された村は強い.どんな不意を襲っても村には老婆のほか,一人も見つけだすことはできなかった. 「まあ………攻めてこないかぎり放っておけ,そのうちに自然に消滅するよ………」 手をやいた部隊は,そのまま放置して三年が過ぎた.だが太平洋戦争がますます不利になり,ガダルカナル5島が陥ちてからは,日本軍はだんだん動きがとれなくなった.いままで,政府を武力でおどしつけ,無理矢理に供出させていた米も,豚も野菜もそうたやすくは集まらなくなった.そのため,一合の米を手に入れるのには,直接農民に銃剣を突きつけなくては奪れなくなった.あわてた師団長澄田賚四郎6は各部隊に命令した.

「南方を守るためには南方を守れ,南方を守るためにはまず足元を固めろ,この聖戦を遂行するためには,大"みいつ"[天皇の威光]の致すところ,いかなる手段も惜しむな………」

こうして軍は,一方長江7を渡り常徳(じょうとく)攻略の名のもとに,豊かな米,綿,革類,油を略奪しはじめた.

そうする一方で足元を固めはじめたのである.

「よーし………乾頭ガイはいままで入っていないのだ.物があるぞ………」 いままでの遊撃隊を激減する目的が物奪りに変わった.部隊は夜となく昼となく村落を襲った.だが 三ヵ月 にもなるのに,やっと米が三斗と,鶏が十数羽,豚がわずか二,三頭しか奪れなかった.いったい人間はどこに隠れ,品物はどこに隠したというのだろうか?……… まったく見当がつかなかった.それにもかかわらず,150田圃の稲はいつしか刈り取られ,どこかに運ばれてしまい,畑の野菜は今朝肥やしをやったように生き生きとしていた.

「こんなことが婆あばかりでできるもんか,たしかにどこかに隠れているんだッ!」 藤井8少尉は青くなったり赤くなったりして怒った. 「こらッ!なにをぐずぐずしとるんだ,屋根をはがしてろッ,壁を壊してみろッ!!」 だが,あせればあせるほど,鼠一匹も出なかった.

「よーし計略だ.いいか,数人で行ってみろ,少ないと思ったら出てくるかもわからん」 藤井は兵隊 を犠牲にするつもり命令を出した.だがそれも見破られた.兵隊はブツブツ言った. 「やれやれなんてことだ,夜通し歩きまわされてなにもない,中助(ちゅうすけ)[中隊長の蔑称]がつまらんと兵隊まであごだ………」 これを聞くと私はわがことのように責任を感じた.

《よーし,いまこそ師団編成以来の腕前を見せるときだ………》 私と西川9は兵隊をすかしたり,おどしたりして,夜を日についで歩きつづけた.それは十月の末,夜風がひやりとするころだった.部隊の中心部で西川の一隊と出会った.

「おい………西川軍曹いるか,捕まえたんだってなあ………」 ロウソクの火を囲んで,入道のようにうごめいているなかから,私は素早く西川を見つけた. 「おおこいつか,ふん………俺のところは,二十五,六の女だ………今度は少しゃあ………ものになりそうだぞ………」 私は得意になっていた. 「そうか………見とれ………いまこいつを吐かしてやるんだ………」 西川はこう言いながら天井から逆さに吊り下げた男の横に立った.

「言えッ!小銃はどこにあるかッ!」 青竹が空を切った.ピュッ,鈍い音,地面から一尺[約三十151センチ]ばかり離れた頭がゆらりとゆれる. 「知らねえ………殺せッ!」 「なにを!そうたやすく殺してなるもんか」 プーッ,骨を叩く音,「知らんと言ったな」ビュッ,皮の裂ける音,ピリピリと電気がかかったように体がゆれると,「ううう………」低いうめきとともに血のような液が吐き出され,鼻をつたって眼に流れこむ. 「こ,殺せと言ったな………」 ビュッ……… 背中からダラダラと血が流れた. 「次はこいつだ」 西川はそこにうずくまっている四十くらいの農民の前にかがみこんだ. 「おい………お前は年寄りだ,言ったら助けてやる.なあ,いいか,お前には子どもも女房もおるだろう………かわいそうと思わんのか,エー,どうだ,言えよ,言わんと天井から吊るし上げるぞ」と猫なで声をした.

「お,おらあ百姓だ!なにも知らねえだ」 スーッと冷たい風が通り過ぎた. 「こらッ,言わねえなッ」 みるみる形相変えた西川が,踊るように青竹を振り下ろした.農民は子どもの名を呼びつづけた.背中は裂け,紫色に切れた肉からみるみる血がふき出し,右に左に大地を這うように体をもむ. 「フフフ………ざまあみろ」 私はせせら笑いながら言った.

「こいつは,子どもがよっぽどかわいいとみえる,ゆっくりしぼったらものになるぞ………まあ待て,次は女だ,西川ッ,こいつは変わった味だぞッ」 なにに驚いたのか野犬がむせぶように吠えだした.

「まったく強情だ」 はれ上がった体を引きずるようにして,三里の道を連れて帰った.それから毎日,おどしたり,すかしたりした.あるときは一人を呼んで,そうっと帰してやると言ったが,だれも針で口を縫ったように開かなかった.それから数日後,眼も鼻もない,紫色に丸くふくれ上がった顔,急に明るみに出たためか,それとも152体じゅうの骨もくだけたのか,ともすれば畦(あぜ)道を踏みはずしそうになる. 「人間ってなかなか死なないものだのう………」 私は一面驚異に眼を見張りながらも,勝ち誇ったようにうそぶいた.雨にぬれた赤土の山を登る.グイと食い込む足跡.三つ,四つ,五つ………先頭を歩いているのは三十五歳くらいの頑丈な男.肩をぐっと怒らして胸を張っているが,赤土に足を滑らすたびに,体を絞るようにして息をする.白い襦袢(じばん)は泥にまみれ,黒い血の斑点がまだらに染まっている.そのあとを三十歳くらいの小柄の精悍そうな,あごにちょっとばかりひげの生えた農民が行く.青い上衣もズボンもボロをまとったように破れている.

三人めはあの四十歳くらいの農民……… 『こいつはなんとかものになるだろう』と考えてだましくどいたが,とうとうなにも言わなかった.それだけに拷問がひどく,後頭部から流れ出た血が黒い塊りになってこびりついていた.その後ろを女がときどき前につんのめるように歩く.鼻すじの通ったうりざね顔も,いまはお多福のようにはれ上がり,ただ眼だけが黒く光っている.白い襦袢に小さく折りこんだ茶色の糸は,もうよほど気をつけないとわからない.こうして異様な行列は裏山に登っていった.裏山は小さな丘になっていて,ところどころに曲がりくねった松がまびいたように残っている.よい木は全部一尺くらいの根元から乱暴に切り取られている.私は松の根元にある穴を見ると,「おい,一人ずつ松に来るんだッ」と命令した.

いまから五人の尊い命が一瞬にして,人間の手によって失われようとするのだ.五人は大地に根を下ろしたように歩こうとしない. 「ええいッ,歩かんかッ!!」 福山10上等兵が後ろから突きまくった.その顔に「ガッ」水気もない喉から血の塊りのようなものが飛び出した. 「わあッ!」 不意を食った153福山が真っ青になると,プルプルと手をふるわせながら,軍服の袖で横なぎに拭いとった. 「や,やったなッ,畜生ッ,やりやがったな」 いっせいにまわりを囲んだ. 山田11がげんこを固めると山犬のように飛びかかった.私は思いもよらぬ反抗にろうばいを押し隠しながら,用心深く五人の顔を見た.と,あのはれ上がった目が,口が,不敵にも笑っているではないか. 福山の奴,へまなことをしやがるからとんだもの笑いだ》 私はいったいこの腹いせをどうしてやろうか………と考えた. 「な,なんだ,女はそのままか,裸にしろ,裸に!!」 いつごろ来たのか坂下12見習士官が後ろから怒鳴った.このときとばかり福山は飛び上がると,帯剣をずぶりと上衣に突き刺した.ビリビリと布の裂ける音,ズボンも裂かれた.丸裸……… 白い肌が鞭の跡で紫色にはれ上がり,まるでしま模様になっている.それを横眼で見ると坂下は,ニヤリニヤリしながら補充兵のほうに向いた.

「いまから刺突教育をやる.みなは野戦に来て間がないので生きた人間を突いたことはあるまい.突撃は皇軍の誇りである.いいか,だれか度胸があるか.恐れる奴は日本軍人でないぞ.いいか」

坂下は軍刀の柄(つか)を,どもりながら叩いた.補充兵が五列にならんだ.じろりと見まわした坂下は,後ろで恐れおののいている蔵本13を見つけた. 「やい蔵本!何をブルブルしとるか,お前,その女を突いて模範を示せ!」 「はい,教官殿,私は,私には女房が,私が出征するとき病気で働けなかったのです.どうかほかのことはなんでもやります.これだけは許してやってください」 「なにをッ!!女房だって,のろけるんではない」 福山がいきなり蔵本を突き飛ばした.ひっくり返った蔵本がよろよろと起き上がる.私はじろっと眼を光らすと,重々しく言った. 蔵本,突けんのか,突けんと154言うのか,それでも軍人かッ!」

「見とれ,突かんと言っても突かしてみせる!それ」と古参兵が我さきに寄った. 坂下はあわてて,「こいつ,両手を持って突かせろ」とわめき立てた.このとき蔵本はブルブルと身をふるわせると飛びかかった班長の手をふり払い,「ウワア………」と泣き声ともつかぬ声をあげながら,顔をそむけて別の男に突きかかった.

「ウッ………」 低いうめきとともに胸からダーッと血がほとばしった.やったな.不意をつかれてみな一様にドキッとした.その鼻先へ「鬼めッ」「打死(ダアシ)[打ち殺せ]と五人の口からいっせいに押しつけるような叫びがもれた.血を見て狂った坂下も私も大声をはりあげた. 「突け,突け!」

だが,わめけばわめくほど補充兵は後ずさりをした. 蔵本はそこに座りこんだまま動こうとしない. 「突け,突かんか………」 そのとき女が叫んだ.「中国は偉大だからかならず勝つ!!」 「そうだ!!」四人が答えた. 「鬼め,お前らこそ,この穴に入るべきだ………」 「そうだ」 瞬間,私はヒヤッとした.脇の下からタラタラと冷や汗が流れた.

もう許さんぞ. 「突けッ」 初年兵が突き飛ばされた.ウワッ……… 悲鳴ともわからぬ声が松林をぬった.みるみる体は蜂の巣のように引き裂かれ,真っ赤な血が足をつたって大地にしみこんでいった.それを満足そうに笑いを浮かべながら見ていた坂下は,きゅっと唇をつり上げると,さっと軍刀を引き抜いて女の下腹めがけて突っかかっていった.鮮血はあたりを染めた.松がごうごうと鳴り,枯れ葉が叩くように降ってきた.その女は張子良14隊長の夫人であった.夫の神出鬼没の遊撃に備えて夫人は村落に残り,日本兵の惨行をこまかく調べ,夫に報告していたのだった.そして農民たち155は陰に日なたに夫人を守り,祖国のために闘っていたのだ.私はこうして五人の中国人を無残にも殺害した.しかし村人の闘いはこれによって休むどころか,この村から一物も奪うことはできなかった.はげしい遊撃のひまに,やはり春には菜の花が咲き,六月には田植えが行なわれ,秋にはその収穫が守られていった.日本兵に対する憎しみと闘い,生産の情熱はどんな力でもおしとどめる ,ことはできなかった.

ああ,それから十三年,若者たちの肉体は亡び,白骨となっても,祖国を信じて疑わなかった若者たちのあの魂は,言葉は,奪うことも踏みにじることもできなかった!! 「中国は偉大だからかならず勝利する!!」 「鬼めッ!!」 「お前たちこそ,穴に入るときがかならず来る!!」 その声は全中国のどんな地にもひびき渡っている.


筆者からの一言〈昭和五十七年八月

もう故人になられたが,わが国中国文学研究の第一人者であった吉川幸次郎15先生は,「日本の文学の熱心な主題は恋愛であるが,中国文学の熱心な主題は政治である」と明快に教えられている.文学の中の政治とは,「創作中の人物が天下国家を論じ,策を天下に問う」ことではない,と私は理解している.政治とは,物事をなす人がそのとき,それを誰のために,どのような考えをもって行なったかを見きわめ,言いかえると,そのような人物が中心をなす創作を指している,と思う.

私たちは撫順管理所で,自分の罪行を認める間において供述書なるものを書いた.

156昭和十九年八月ごろと思います.私が二徒坡16(にとは)陣地を警備しているとき,電話線を切られました.さっそく現場に行き,ちょうど雨降りのあとだったので,足跡をたよりに村に行き,ある家で電話線の切れ端を見つけたので,その家の若者を犯人と思い,捕えて帰り,取り調べたところ,本人が切ったと白状したので殺しました-

この中に一片でも反省があるだろうか.なるほど,形のうえでは,いともていねいに罪を認めたように見えるが,明らかに反抗である.第一に,二徒坡陣地を警備しているとき,と言っているが,いったい誰のためにやっているのか,中国人を弾圧するための侵略拠点である.日本軍は中国に侵入したのである. 二徒坡という所は,まぎれもなく中国の大地である.この認識がないから,日本のどこか,下関17でも警備しているのとまったく同じ感覚でいる,と言えるのではないか.第二に,中国人から見れば,陣地を構え電話をもって連絡し,同胞を殺害する武器とみるならば,千々(ちぢ)に切っても切り足りないはずだ.だから線を切るのは英雄的行為であって,決して罪悪ではない.切られたくなかったら,早々に日本に引きあげ,どのようにでも線を張るがよい.日本にまで押しかけて切りはしない.これが正当な理(ことわり)である.

にもかかわらず,この供述は,わざわざ電話線があったと,切ったものかどうかもわからないまま,しかも本人が取り調べたら切ったと自白したと,どんな拷問をして吐かしたかを隠し,しらじらしくも,だから処罰しても仕方がないと,暗に自己を弁護し,私を処罰するほうが間違っていると,抵抗しているのである.これでは事実を事実と見ていないし,反省もない.反省のないところに更生はない.だから,ここに文学が必要であり,熱心な主題である政治性が157必要なのである.

当局は,このようにして私たちに自己を見つめることを教えてくれた.その時期に書いたのがこの手記である.それが,どのような内容であったか,はっきり記憶していないのは,まだまだ血を吐く思いで認罪していなかったのか,と自ら恥じているが,当時はそれなりに,必死で自己改革に取りくんでいたことは間違いない.

江先光

なお,実名で出してもよいかとのこと,当然,筆者の私はよいが,作中の人物名は太郎が二郎と書かれていようが,読者にはわからないと思う.

本人が自覚しておれば問題ないが,われわれの体験からみて,なかなかそうはいかないと思う.むしろ自分がやったことが他人名で伏せであれば,ホッとして,その行為を反省できるだろうが,はじめから俺のやったことを暴露したとカンカンになっては,反省の余地もないのではないだろうか.その点ご考察ください.

筆者から中国帰還者連絡会への伝言

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Personen & Orte

1 Ezaki Hikaru, geb. 1917, Hauptmann; nach der Heimkehr Verfasser vieler Artikel und Bücher
2 Gan/Qian-tou-gai, Dorf, 12 km vom Huanglongsi entfernt
3 Changjiang (Zhangjiang) = Yangzijiang 揚子江
4 Yichang, Stadt in Hubei, am Jangtsekiang oberhalb des Drei-Schluchten-Staudamms
5 Guadalcanal, Insel --- Battle of Guadalcanal vom 7. August 1942 bis 7. Feb. 1943
6 Sumida Tamashirô, Divisionskommandeur 師団長
7 Changjiang (Zhangjiang) = Yangzijiang 揚子江
8 Fujii, Leutnant
9 Nishikawa, Feldwebel
10 Fukuyama, Gefreiter
11 Yamada
12 Sakamoto, 見習士官
13 Kuramoto
14 Zhang Ziliang, ein chinesischer Junge
15 Yoshikawa Kôjirô, わが国中国文学研究の第一人者
16 Ertupo, Stellung 陣地
17 Shimonoseki, Yamaguchi Präfektur