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釘うち拷問
残忍極まりない取り調べ

原田左中1(はらだ・さちゅう)

憲兵軍曹


崩れかかった土塀に取り囲まれたここ河北2(かほく)省密雲3(みつうん)県,曹家路4(そうかろ)村は,戸数にして約百五十戸,人口約八百名あまりで,大部分は農家で二,三軒の雑貨屋と一軒の蹄鉄(ていてつ)屋があるだけだ.村の中央を道路がTの字型に走っており,村の南側一帯の広々とした肥えた畑には青い麦が軍靴や馬の蹄(ひづめ)に踏みにじられながらも,その根を大地に深く張っている.小高い坊主山の峰々が遠くからこの村を抱くように見守っている.

土塀の表側の右角に高さ四メートルばかりの望楼があり,その上に小さな日の丸の旗が立っている.

その下に歩哨が二名,鉄帽をかぶり着剣し,飢えた狼が獲物を探し求めるように行ったり来たりしており,軽機が一挺(ちょう)南の山に銃口を向けている.

この村は一九四一年初め『八路軍討伐』のため,関東5軍から派遣されてきた078第二独立守備第七大隊第三中隊,中隊長大尉中山照次6以下約百三十名の一個中隊がいた.私はこの部隊に配属,憲兵となっていた.

一九四二年一月旬のある日の夜,村落の南側にある広場に日本鬼子が約百名ばかりなにかがやがや話しながら並んでいた.私も便衣(べんい)をつけ,棍棒を持ち,列の前に憲補博士元7(はくしげん)とともに並んでいた.

中隊長中山8大尉がビヤ樽のような腹をかかえ,ブルドッグのような顔を真っ赤にして酒臭い息をあたりに漂わせながら,部隊の前に現われ,人斬り包丁で地面をがたがた叩きながら, 「今度の討伐行動は約二週間だ.行動地域は五竜10(ごりゅう)山地区一帯である.八路軍は春節を期し,五竜山地区に結集するものと見られる.中隊はこの八路軍を包囲攻撃し,徹底的に殲滅(せんめつ)するためにいまから行動を開始する.お前らは必ず一人一殺を目標とし,必ずこれを行なうベし」.全員に向かって怒鳴るように命令した.

鬼子たちの眼は不気味に光り,それぞれうなずき合った. 《よし,星を一つふやすために頑張ってやろう………》 《この機会に俺が一番手柄を立ててやろう………》

兵隊たちはそれぞれ心にこう誓った.私も中隊長中山大尉の人殺しの命令を聞いて,全身の血が逆流するのを感じた. 《よし,俺もこの機会に一人でも多く捕え,一人でも多く殺してやる,憲兵の威厳を示すはこのときだ.部隊の兵隊や下士官の鼻っぱしをへし折ってやるぞ………》と,心にこう誓った私は,得意満面だった.

それから数十分後,私は博憲補10と部隊の高橋伍長ほか,兵二名の五名とともに尖兵として曹家路を出発した.空はどんよりと曇り,あたりの山々は真っ黒の布に包まれていた.ときどき,あたりの079空気をつんざくようにはげしい犬の遠吠えが聞こえてくる.私は足音一つ聞き逃すまいと,あたりに気を配りながら歩いた.兵隊もなに一つ言わずに歩いている.

ちょうど小高い山道を登ろうとしたとき,突然前方でがさがさという物音がした.瞬間,ハっとして,私は拳銃を握りしめて立ち止まった.全身に身震いを感じ,脇の下に冷たい汗が流れた.兵隊も立ち止まって銃をかまえた.黒い山鳥が一羽雑木の間から飛び出し,頭の上を飛び去って行った.

「チェッ」 やっと胸の動悸がおさまった. 「畜生ッ,おどかしやがらあ」 兵隊が咳いた.

私は再び黙って歩き出した. 大樹峪11(たいしゅこく)村を通りぬけ二キロも南に進んだと思われるころ,前方百五十メートルくらいのところに人影の動くのに気がついた.私は今度こそは高橋伍長に負けないぞと,手で彼を制して傍の窪地に身を伏せ,じっと様子をうかがった.人影は一つ,こちらに向かって歩いてくる.時計を見るともう十二時を回っていた.

高橋伍長,ここで警戒していてください」 私はこのときとばかり博をせきたて,黒い姿に近づいていった.しめた,あと十五メートルだ. 「誰かッ,止まれッ」 博が怒鳴りつけた瞬間,黒い姿はクルリと後ろ向きになり,いま来た道をぱっと走りだした. 「クソッ,逃げやがった.追いかけろ」 約二百メートルも追いかけたとき,人影は傍の畑の中に走りこんだ.パンパン. 「止まれヅ,逃げると射ち殺すぞ」 畑の中に追いつめられた黒い姿の男は,す早く自分の手で上衣の物入れをさぐって見て,安堵したのか,もう駆けようとはしなかった.私はハーハーしながら近づき,いきなり棍棒で力いっぱい殴りつけ,右足で蹴りとばした.男は崩れるように横に倒れた.

「この野郎,図太え野郎だ」 腰のあたりを蹴りあげた. 「噯呀(アイヤ) 男は低いうめき声をあげ,そのまま080地面に顔を伏せた.屑は大きく波打っている.

「起(た)てッ」.ビシリ,棍棒は男の肩に飛んだ.男は動こうともしない. 「オイッ,身体検査しろ! 紙切れ一枚でも見逃すなッ」 博は黒い体にのしかかっていった.息をきって銃剣をかまえた兵隊が一人走ってきた. 「おいッ,走ってきた道に紙切れらしいものが落ちていなかったか見てくれ」 兵隊は用心深く足もとを見つめながらもと来た方向に帰って行く. 「起てッ」.まだ起きようともしなかった.

「この野郎,俺をなめてやがる,博! 引き起こせ」 博は襟首を鷲づかみにして引き起こそうとしたが,男はまるで磁石にでも引きつけられたように大地にしっかりと吸いついて,動こうともしなかった. 「畜生!」と私は続けて肩のあたりを殴りつけた.なんだか嘲弄されているように感じ,無性に腹が立った.私は博と一緒に襟首を持ってぐッと力を入れて引きずり起こした.男は立ち上がると,しっかりと両足で大地を踏みしめ,鋭い眼でじっと私を睨(にら)みつけた.年のころ三十歳前後,上下黒の綿衣を着け,丸顔に髭がのび,髪の毛も二,三分のび,純朴そうな農民であった.

「オイッ貴様,なぜ逃げ出したんだ」 私は棍棒で強く胸を突き飛ばし,こう怒鳴りつけた.男はちょっと後ろによろめいたが,グッと右足で大地を踏みしめ,体を支え,「我害怕呀(ウオハイパア)[私は驚いたのです]と落ち着いた声でグッと私を睨み返した.

「なに!お前は八路軍と連絡していたろう」 私は男の肩や腰を続けざまに殴りつけた.

「你是送信的吧(ニイスツオシンデバ)[手紙を持って行ってきただろう] 博はすかさず怒鳴った.男は全身を小刻みにふるわせ,両こぶしを固く握りしめ,歯をかみしめ,私をじっと見つめていた.そして,「我不是(ウオプスウ)081我是好農民(ウオスハオノンミン)[そうではない,私は善良な農民です]吐き出すようにこう言うと顔をそむけた.

いままで多くの中国の農民を逮捕して拷問するとき,いつも決まって聞くのはこの言葉であった.

私はこの言葉を聞くたびに無性に腹が立った.

「中国に好農民が一人でもいるもんか,この馬鹿野郎ッ」 私は男の鳩尾(みぞおち)のあたりを棍棒で突き飛ばした. 「ウウン………」 男は低いうめき声をあげ,グルリと半回転して大地にバッタリ倒れた.このとき,高橋伍長が息を切らして駆けてきた.

原田12兵長,どうしたんだ」 「なあに,この野郎が急に逃げ出したもんだから,ひょっとすると大した代物(しろもの)かもしれんよ………ハハハ………」 二人の不気味な笑いが夜の静けさをつき破って,あたりの山にこだました.

原田兵長,もう部隊も来るだろう.とにかく次の村まで連れて行って,ゆっくり荒療治しようじゃないか」私はうなずいて男の両手を後ろ手に縛りあげ,引きずり起こした. 「歩けッ」 私が後ろから男の背中を棍棒で強く突き飛ばした瞬間,男はよろよろと前にのめりそうになったが,両足でぐいと大地を踏みしめ,体を支えながら,くるっと後ろを振り向き,憤怒のこもった瞳をもって,ぐっと私を睨み返すと,そのまま大地をしっかり踏みしめ,大股に歩き出した.

もう夜も更けて冷たい夜風は全身にしみ透った.私は心の中でこの男はきっと八路軍の工作員かもしれない,この男に泥を吐かせたらきっと大きな成果をあげることができる.どのように白状させてやろうか,どんな拷問をかけてやるか………などと考えながら歩いていた.それから二時間も歩いたかと思われるころ,ある村に到着した.村には灯一つ見えず,静かである.村の人々は昼間の082疲れでぐっすりと寝入っている.私たちが村の中ごろまで来たとき,突然かみつくように犬が吠えだした.そして村のあちらこちらではげしい犬の鳴き声が起こった.私はなんだか全身に強い反撃を受けたように感じ,立ち止まって拳銃を握りしめ,あたりを見まわした.大股に前を歩いている中国人は,口元に微笑を浮かべているようにさえ感じられるほど静かに止まった.山上でぼっと赤い火があがった. 「あっ,連絡の合図だ,畜生」 それは私が咳くのと同時だった. 「クソッ」 兵隊が小石を拾って犬に投げつけた.犬はさらにはげしく吠えたてた.私は誰かに追われるように急いで村を通り過ぎ,村からちょっと離れた一軒の農家の前に立ち止まった.

高橋伍長,ここでよく警戒していてくれ」 私はしばらくその家の入口に立って中の様子をうかがっ た.

ドンドンドン,「開門開門(カイメンカイメン)[戸を開けろ] 私は,メチャメチャに戸を叩いた.何の返事もない,ドンドンドン,「開門開門」,前より荒々しく叩いた.しばらくして中から,「誰呀(シュイヤ)[誰か]しわがれた老人らしい声がした. 「快快関門(カイカイカイメン)[早く戸を開けろ]と荒々しく戸を蹴った.

「誰呀」 ふるえを帯びた老婆らしい声がした.しばらくして,一人の老婆がなにか独り言を言いながら出てきて,ガチャガチャ戸を開けにかかった.私は老婆が戸を開けるのも待たずに,扉を蹴とばして中に入った.

「噯呀」 右手に拳銃を持って入ってきた私を見た老婆は,甲高い声でこう叫ぶと,転がるように奥 の部屋に入っていった.

もう東の空も白く明けはじめ,家の中もかすかにすかして見えるようになった.家の中は083がらんとしており,右側に五,六人寝られると思われる温突(オンドル)がある.手をあててみると,まだ暖かい. 「うん」とうなずくと,私はその前右側の竈(かまど)の中をかきまわした.笠のような火が残っていた.竈の向こう側にさらに一室あるらしい.私はこれだけ見届けると,老婆の入った奥の一室に入ろうとした.ふとその一室に眼を向けた瞬間,ギョッとしてその足が止まった.二つの鋭い窪んだ眼玉が,壁穴よりじっとこちらを睨みつけている.私は拳銃の引鉄(ひきがね)に指をかけ,いつでも発射できるようにして,奥の一室に入っていった.

部屋には老婆が一人きりであった.老婆は私の顔と拳銃を見比べながら,じりじりと後ずさりして,壁際にぴったり身をつけた.もう七十を越していると思われ,髪の毛は真っ白くなっていた.体を小刻みにふるわせ,落ちこんだ両眼はなにか訴えるかのように見つめている.

私は部屋の中を見渡した.二,三人寝られると思われる温突の上には,さつきまでこの老婆が寝ていたと思われるボロボロの布団が二枚無造作に置かれており,隅のほうに麻袋に何か入れたものが一つ転がっているほか,なにもなかった. 「よし,ここでやろう」私はこう心で決めると,表に出て,博を連れて再び老婆のいる部屋に入ってきた.

私の頭はいやに興奮していた.どうも連絡員らしい逮捕した男,山上の火,それにこの老婆の態度,さきほどまで誰かが寝ていたと思われる温突の暖かみ,こう考えると表で警戒している高橋伍長の寒そうな顔が浮かんできた.

「出て行け」 博は老婆の右手をつかみ,引きずり出そうとした. 「我不走(ウオプツオ)[私は行かない] 老婆はお前らこそここから出て行けと言わんばかりに,しっかりと温突の隅の柱にしがみついた.084「このくたばりぞこないめ」 私はいきなり老婆の腰のあたりを右足で力いっぱい蹴とばした. 「噯呀ッ」 老婆は悲鳴をあげ体をくねらせ後ろにのけぞった.博は老婆の右手を持って引きずり出そうとしたが,なおも老婆はその手を振りきって必死になって温突の桟にしがみついた. 「このクソ婆あ!」 私は老婆の肩を棍棒で殴りつけた.老婆は肩をくねらせて痛みに耐えかねてばったりと倒れ,大声をあげ,救いを求めた.

私はそこにあった布団の綿をむしり取り,老婆の口の中に無理やりに押し込むと両手を縛りあげた. 「畜生め,手間取らせやがる.博,早く引きずり出せ」 私はこう叫ぶと,逮捕した男を表より家の中に無理やりに引き入れようとした瞬間,博に表へ引きずり出されようとしている老婆の眼と若い農民の視線がぴったり合った.からみ合った眼がものを言っている. 《うん,この婆あも同じ一味か》 私は心に叫ぶと,博に早く表に出すよううながした.

「オイ!貴様,あの婆あを知っているか」

「我不知道[ウオプチドウ](私は知らない) 「なにをうそつき」 私は男のあごを下から棍棒でしゃくりあげた.男はぐっと顔をあげ,私を睨みつけた. 「クソ」 思わず棍棒で男の頭を殴りつけた.男の頭は切れ,血がドクドクとふき出し,二条三条,顔を伝って土間に流れ落ちた.男はギリギリ歯ぎしりをし,全身を大きくふるわせ,縛られた両こぶしを固く握りしめ,怒りと憎しみのこもった両眼をカッと見開き,いまにも飛びついてくるように見られた. 「この野郎,反抗する気かッ」 私は棍棒を握りしめ,目茶苦茶に体じゅう殴りつけた.男は右に左に前や後ろに体を動かし,痛さをこらえていたが,堪えかねてどっと横に倒れた.

085昨夜より曇っていた空模様は,朝になって雪になった.部隊も村に着いたらしい.兵隊の怒鳴る声,農民の罵る声,女の悲鳴,子どもの泣き叫ぶ声,豚や鶏の断末魔の叫びなどが人の駆けまわる足音に入り乱れて聞こえてくる. 《うん部隊もやっておるわい》 私は一人ほくそ笑んだ.

「クソ婆あ,いやに手間取らせやがった………」 独り言を言いながら,博が雪を払いながら入ってきた. 「博,その辺の扉を叩き壊して,二,三本太い釘を見つけてこい」 博は,しばらくガチャガチャなにか壊していたよう行あったが,やがて五寸釘を二本持ってきた.私はその五寸釘を博から受け取ると,男の前でわざとガチャガチャいじりだした.男は蒼白になり,全身を小刻みにふるわせ,固く唇をかみしめ,食い入るようにじっと私の手先を見つめていた.

「オイ貴様,八路軍の工作員だろう」 私はニヤリニヤリ笑いながら,男につめよった.男はじりじりと後ろに少しずつ退(さが)った. 「この野郎ッ」.私は男の太腿(ふともも)に左手で五寸釘を立て,棍棒で思いきり釘の頭を叩いた.はずむような手ごたえがなくなると,釘はプッスリと刺さつた. 「噯呀―」(はらわた)を吐き出すような声だ.男は全身に力を入れると,私の手を頭ではねのけた.痛さをこらえるたびに釘の頭が筋肉とともに動く.血がそのたびににじみ出てくる.男のひきつれたゆがんだ顔.

「フン,痛いか,痛かったら早く白状しろ!」 「畜生………」 私は五寸釘の頭を思しきり動かした.男は体をくねらせ,のたうちまわる. 「これでもか」 続いてもう一本突き立てた. 「強情な奴だ,博,殴れ」 ビュンビュンと打ちおろす博の棍棒は男の肉に食いこんでいった.

《畜生ッ,たかがこんな中国人の一人くらいに》 こう思うと無性に腹が立ち,博から棍棒を奪い取ると,男の体じゅうところ構わず殴りつけた.男はもう動く力もなくなり,体は紫色にはれ上がり,086ところどころの破られた皮膚から真っ赤な血が早くなった脈搏のたびににじみ出てくる.

それから何時間たったか,昼近いころ,高橋伍長とともに中隊長中山大尉が酒くさい息を吐きなが らブルドッグのような顔を真っ赤に,右手に人斬り包丁をひっさげて荒々しく入ってきた.ちょどそのとき,私は男の両手を後ろに縛り天井に吊りあげようとしているところであった.私は中隊長が来ると,急に元気づき,得意になって概況を説明した.

中隊長は陰険な顔に不気味な笑いを浮かべながらうなずき,男のほうに目を向けた. 「うん,これはなかなか大物らしい.こいつを叩きのめしたら,いい情報が出るかもしれんぞ.なあに,中国人の一人や二人殺したところでかまうもんか.もっと叩きあげろ,ハハハ………」 ビヤ樽のような腹を抱えて,気味悪く笑った. 《よし,中隊長の前で俺の腕前を見せてやろう》 私は心の中でこう呟くと,餌を見つけた鷹が獲物に飛びかかるように,男に飛びついていき,両手を固く結んだ麻縄に手をかけると,渾身の力をもってぐっと引きあげた.

男は両手をパタパタさせ,ぐるぐると二,三固まわりながら天井に吊るしあげられた.男は顔をゆがめ,歯を噛みしめて痛さをぐっとこらえている.一秒二秒,みるみる男の顔は蒼白となり,脂(あぶら)汗は全身ににじみ出た.その汗は血とまじり,胸から腹を伝わって両足からぼたぼたと土間にしたたり落ちた.両手首の麻縄はぐんぐん肉に食いこんでいった.男は全身の力で体を支えている.

「苦しいか.苦しければ言えッ」 私は男の腰を棍棒で殴りつけた.男の体は左右に大きく揺れ動いた.男はカッと両眼を見開き,《鬼子ッ,もっと殴れ,もっと殴れ,俺は殺されてもなにも言わないぞ》と言わぬばかりに私を睨みつけた.

087「畜生ッ」 今度はどんな苦しめ方をするか?私は五寸釘を持ち出すと,今朝突き立てた真っ赤な肉が口を開きふくれあがっている太腿の穴にぶつりと突き立てた.男の足が宙でばたばたする.そのたびにギシギシと梁(はり)がきしる.

「しぶとい野郎だ!」もう一本突き立てた.血が流れ出す. 「これでもか」 棍棒の先で釘の頭を小突きまわす.男は体じゅうをくねらせ,苦痛をこらえ,吊るされた体がきりきり舞いをする.

中隊長は人斬り包丁を杖にしながら,苦しみもだえる男の姿をニヤリニヤリと満足そうに眺めていたが,「強情な野郎だ」と言うが早いか,怪しげな足どりで近づくと,ぐっと軍刀の鞘(さや)で男のあごを下から上にしゃくりあげた瞬間,男はぐっと顔を横にそむけた.

そのはずみをくった中隊長は軍刀を持ったままひょろひょろと二,三歩前によろめき,男の体にどっと突き当たった.

大尉の肩章が男の血でべっとりと染まった.きゅっと顔をゆがめたと思うと,「この野郎ッ」(わ)れ鐘のような声で怒鳴った次の瞬間,軍刀は鞘ぐるみ男の肩先に唸(うな)りを生じて飛んだ. 「ウウーン………」 男は低いうめき声をあげ,がっくりと首を垂れた.男の肩先は肉が破れ,真っ赤な血がドグッドグッとふき出した.

「うん,こいつ図太い野郎だ.原田兵長,もっと叩きのめせ,打ち殺してもかまわん」 怒鳴るようにこう言うと,中隊長はふるえる足取りで軍刀をガタガタ土間に叩きつけながら表に出て行ってしまった.

それから約三時間後,男は死んだように土間に顔を伏せ,横になっていた.体じゅう紫色に088はれ上がり,幾十条ものどす黒い太い線が走り,頭から肩,腰から両脚(あし)にかけて真っ赤な血が流れ出,その血がべっとりと黒くかたまりついていた.ときどき軽いうめき声をあげ,ピクピクと痙攣を起こしている.

雪は,午後になりますます強く,風さえ加わってきた.粉雪は戸の隙間より吹きこみ,血と泥にまみれた男の体に冷酷に降りかかった.私はますますいらいらしてきた. 《ここで泥を吐かせなきゃあ,中隊長に対して面子が立たない,憲兵の恥だ.たかが中国人の一人くらいにこう手間どっては………》 こう思った私は,傍に突っ立っていた博に,「おい,博,水を持ってきてぶつかけろ」 博は洗面器に水を一杯汲んできて男の顔にぶつかけた.

「ウウン」 男はかすかに唇をふるわせ頭を動かし,一晩で落ちくぼんだ充血した眼を細く開いた. 「オィ,好農民(ハオノンミン) 私が棍棒で男の背中を突き飛ばした瞬間,男はぐっと顔をあげ,両眼を大きく見開き,ぎゅっと唇をかみ,両手をぶるぶるとふるわせ,いまにも飛びつきそうな形相をして私をぐっと睨みつけ,「鬼子快殺死我[クイズクワイシャアスノウオ](鬼め,早くさっさとおれを殺せ)吐き出すようにこう叫んだ.ハッとした私は,思わず一歩後ろにひき退り,拳銃を握りしめた. 「畜生」 私は全身の力をもって男の体じゅう目茶苦茶に殴りつけ,ぐったりとし,温突に腰を下ろした.

男は動く力さえなく,ぐったりと土間に横になっている.肩と背中の肉が飛び出し,黒い血がドクッドクッとふき出し,土間を真っ赤に染めている.もう魂のみが生きているようにみえた.

陽はもうすっかり暮れ,暗いランプの光は部屋の隅に私の影を悪魔のように描き出し,一条のランプの光は男の鼻,頬,額をはっきりした凹凸をもって照らし出した.その底の鋭い光をたたえる089眼が,私の心臓を射るように感じた.全身が凍るような感じに襲われた.私はもう動く力さえなく,温突に腰を下ろし,じっと考えていた.外から吹きこむ雪まじりの冷たい風は刺すように全身にしみ透った.もう時計は午後の六時を過ぎていた.ちょうどそのとき,部隊指揮班の勝又13軍曹が,酒臭い息をあたりに漂わせ,真っ赤な顔をして入ってきた.

原田兵長,中隊長の命令だ.いま取り調べている中国人は取調べの後,殺害してしまうように………とのことだ.それに,部隊は今晩十時にここを出発する………」 「そうですか」と言う私に,「どうかい,いい情報でも出たかい………?」そう言いながら,返事も聞かずに勝又軍曹は出て行ってしまった.

「チェッ」 私はなにかこの言葉が自分を侮辱し,自尊心を傷つけられたように感じて,無性に腹立たしきを感じた. 《クソッ,もうこうなったら取り調べても無駄だ.よし,射ち殺してやろう》 野獣のごとき本性は稲妻のごとく私の脳裡(のうり)にひらめいた.

それから約一時間後,私と博は雪の中を,男を蹴とばし殴りとばしながら,村より百五十メートルくらい離れた南の小高い山と山の間の盆地に着いた.雪はますますはげしく狂うように降っている.村でははげしい犬の吠える声が絶え間なく続いている.男は半裸体で両手を後ろ手に縛られ,全身を小刻みにふるわせ立っている.一秒,二秒,一分,二分,蒼白な顔は少しずつ赤味を帯び,両眼をぐっと見開き,食い入るように南のほうを凝視している.その姿は明るい幸福な将来を連想しているかのようにも思われ,また平和な郷里ややさしい父母兄妹のこと,親しい友のことを想い浮かべているかのように静かだった.そしてその眼は一言も言わなかった自分を誇っているかのように090輝いている.私は男より五メートルくらい離れたところに,右手に拳銃を握って立っていた.

「おい,博,しっかり警戒しろ,逃げたらお前も射ち殺すんだぞ」

「ハイ」 博の声はふるえていた. 《クソッ,たかが中国人一人殺すのにこれでも貴様は皇軍の儀表を誇る憲兵かッ》 誰かに怒鳴りつけられるような気がして,力(りき)んでみたが,ますますふるえは大きくなり,膝頭ががたがたふるえるのを押えることができなかった.男は私の心中を見抜いているのか巨木のように立っている. 「この野郎ッ,くたばりやがれッ」

「ダン」 引鉄を引いた.弾丸は男の肩先を貫き,血しぶきは男の顔を真っ赤に染めた.肉は飛び,真っ赤な血が傷口よりふき出し,胸を伝わって流れ落ち,真っ白い雪を鮮血に染めた. 《しまった》 私は心の中でこう叫ぶと,第二弾目の引鉄に手をかけた.

男は顔をゆがめ,眉をつり上げ,両足でしっかりと大地を踏みしめ,大きく肩で呼吸している.呼吸するごとに肩の傷口よりドクッドクッと血がふき出した.全身は怒りと憎しみにぶるぶるとふるえ,両眼をぐっと見開き,いまにも飛びかかってくるように感じられた瞬間,私は背筋に水を流されたように感じ,全身をなにかに押えつけられたような衝撃をおぼえ,全身ががたがたふるえだした.

「クソッ,往生しやがれ………」

「ダン」 弾丸が男の心臓を貫いた瞬間,男は「ダダダッ」と二,三歩前にのめるように進み出たかと思うと,ぐっと立ち止まり,しっかりとした口調で………「八路軍万歳(パーロチコンワンソイ)を叫んだ.そして次の瞬間,がっくりと首を垂れ,純白な雪の上にどっと倒れた.ピクピクと痙攣する手足がまた091立ち上がってくるのではないかと,地の底に押し潰されるような圧迫感を全身に感じた. 「クソッ」 頭めがけて引鉄を引いた.反射的に頭がちょっともち上がると動かなくなった.

ふき出す鮮血は,降り積む雪を真っ赤に染めていった.私は,夢中で山を駆けおりた.博があとをついてくる足音にさえおびえながら,村に飛びこんだ.

それから三十分の後,部隊長雪の中を逃げるように村を出発した.私は誰かに追われるような気持ちで歩いていた.ときどきハッとしては立ち止まり,固く拳銃を握りしめ,あたりをじっと見まわした.

左右の山の頂きから,後ろの谷間から,眼の前の道路上から,憎悪と憤怒に燃える男の眼がじっとこちらを睨みつけているようで,深い谷底に自分がそこんでいくような恐ろしさに襲われる.やがて,その眼がだんだん一つの大きな隊伍となり,ぐんぐんこちらに向かってくるように感じられた.


筆者からの一言〈昭和五十七年七月

戦争,それは一部の支配者が準備し,人々の知らないうちに起こされてきました.私の生きてきた過去は,すべて支配者の戦争遂行のために忠実に服従し,それを忠実に実行する人間として育てられてきた,と言っても過言ではありません.したがって,銃を持って中国に侵略し,中国の人々をより多く殺害することこそが『国のため』『親に孝』であり,自己の『立身出世』であると信じておりました.ゆえに,中国で数多くの人々を殺害してきました.

092そして終戦.私は被害者である中国人民の温い心に接し,鬼から人間へと立ちもどることができました.

それから三十数年の月日が流れ去っていきました.そしていま,再び,戦争の危機が迫っております.アメリカとの安保条約の下で,いまや核戦争の脅威がひしひしと感じられます.過去の戦争は防ぐことができなかったのであります.それは,戦争に反対する人の力が弱かったからです.

現在,戦争に反対する反核運動は全世界に幾百,幾千万の人々の巨大な力となって拡大しております.この力こそ戦争を防ぐ最大の武器であります.いまや戦争を知る人の時代から,戦争を知らない若い人たちの世代に移らんとしております.

いまや若人の時代であります.こうした若い世代の人々の反戦反核運動こそが戦争を起こそうとする支配者にとって,もっとも恐るべき力なのであります.私も残り少ない余生を不再戦のために闘い抜きたいと思っております.

原田左中14

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Personen & Orte

1 Harada Sachû, 憲兵軍曹´
2 Hebei, Provinz
3 Miyun, Kreis in Hebei
4 Caojialu (Caogulu), Dorf im Kreis Miyun
5 Guandong, alte Provinz
6 Nakayama Shôji, Hauptmann 大尉, Leiter der 第二独立守備第七大隊第三中隊 der 関東Guandong
7 Norisuke Tsuchimoto
8 Nakashima, 課長
9 Wulong, 山地区
10 Norisuke Tsuchimoto
11 Dashuyu (Daishuyu), Dorf
12 Harada Sachû, 憲兵軍曹
13 Katsumata, Feldwebel
14 Harada Sachû, 憲兵軍曹