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本書を世におくるにあたって

本書を世におくるにあたって

中国帰還者連絡会

中国に対する侵略戦争に参加し,戦犯として中国に抑留され,中国人民の寛大政策により帰国した私たちは,幾多の罪行を犯したことへの人道的反省を深め,平和と日中友好に貢献することを241目的として,中国帰還者連絡会を作った. 本書の著者島村1さんも会員の一人である.

私たちはこの目的を達成する一つの手段として体験の記録,創作等を出版する活動を行なっており,昭和三十一年帰国直後『三光』を,その後『侵略』等を出版し,多くの読者から熱烈な支持を受けた. しかしその内容は自己の罪行を通じて侵略戦争の実体を暴露することに終始していた.今後は私たちが帰国当時ジャーナリズムから,「洗脳」という新語をもって半ば冷笑された思想改造の実体を明らかにする考えである.それは戦争中軍隊,官僚という国家機関の一部に組みこまれた人間が,上官[司]の命令に従ってひき起した戦争犯罪に対して責任をとるか,とらないか,その態度を道理に基づいて撰択することであり,ジャーナリズムのいうイデオロギーの問題ではなく人間の良心の問題である.

私たちは,ルバング島2で戦後三十余年,軍の命令に従って行動した小野田3元少尉の帰国当時[昭四九年]の言動に大きな関心をもった. 小野田さんは記者会見の席で「これまで現地人を射殺したり,家畜や穀物を略奪したことについてどう考えますか」という意味の質問に対して「私の行動はすべて軍の命令に従ったものであり,私に責任はない」と言い切った. 思えば昭和二十五年七月,ソ連4から中国へ引き渡され撫順5の戦犯管理所に収容された当時の私たちの考え方が,まさにこの通りであった.

今度ここに発表された島村さんの手記は,自分の罪行を認めるくらいなら死ぬ方がましだと自殺を企て,最も頑強に自己の罪行と責任を否定し続けた人間が,六年の管制期間に中国側指導員の242親身になった忍耐強い援助と生れつき安易な妥協を拒む強い意志に支えられ,何が真理か,本来人間はいかにあるべきかという根本問題と対決し,長い苦しい骨身を削る自己闘争を経て,たとい命令にせよ自分の犯した罪行に対しては自ら責任をとるべきである,という認識に達し,さらに自ら進んで処刑を要求する心境になるまでの悪戦苦闘のドキュメントである.

日本の巣鴨6,フイリッピンのモンテンルパ7,シンガポールのチャンギ8等々の刑場をはじめ南方諸域で処刑されたBC級戦犯は,数えるほどしかいないA級戦犯に比し夥しい数に上る.

最近のベトナムにおけるソンミ9事件[一九六八年]で責任者カレー10中尉はアメリカ本国の法廷で「上官の命令に従い,自己の良心に従わなかった罪」により重労働二十五年の判決を受けた.大泥棒が小泥棒を死刑台に送る,という忌わしい事実は古今東西その例に事欠かない.

しかし中国人民は私たちに「罪を憎んで人を憎まず」という高度の人道主義精神を身を以て示してくれた. 私たちはこの態度に応え道義的責任をもつ. これは単に中国人民だけでなく,日本が第二次大戦における加害者としての道義的責任をとる態度が国際社会に復帰する根本条件であった筈である.このような責任感の欠如が現在東南アジアをはじめ,世界の各地で日本人の行動が批判の対象となっている根源ではなかろうか.

今回の出版が,戦後日本の世相を特徴づける無責任時代という恥ずべき状況に対して,すこしでも反省の作用を果たすことができれば幸いである.

一九七五年六月

 

 

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1 Shimamura Saburô, 副県長 von Baicheng und Zhaozhou (= Sh. Saburô); geb. 1908, Verwaltung Geheimpolizei; im Juni 1956 in Shenyang zu 15 Jahren verurteilt, im Dez. 1959 entlassen; Vorsitzender des Vereins der China-Heimkehrer (Chûren); 1976 gest.

2 Lubang, Kriegsverbrechergefängnis --- lies to the northwest of the northern end of Mindoro in the Philippines ... about 150 kilometers southwest of Manila.
Leutnant Onoda Hirō (小野田 寛郎 Onoda Hirō; * 19. März 1922), früherer japanischer Nachrichtenoffizier, der sich bis 1974 auf der philippinischen Insel Lubang versteckt hielt.
4 Die Sowjetunion
5 Fushun, Stadt in Liaoning, Nordostchina, Bergwerke 炭坑; Ort der späteren Kriegsverbrecherverwahranstalt 戦犯管理所.
6 Sugamo, Kriegsverbrechergefängnis in Tôkyô
7
Montin Lupa, Kriegsverbrechergefängnis auf den Philippinen
8 Changi, Kriegsverbrechergefängnis in Singapur
9 My Lai, Vietnam
10 Leutnant William Calley, (* 8. Juni 1943) war der verantwortliche US-Offizier für das „Massaker von My Lai“