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卑怯者

佐官組の相当数の者が,大なり小なり自殺ということを考えているにもかかわらず,決行した者[いずれも未遂]はわずかに二人だけで,多くの者は今少し形勢を見てからとためらっているのには理由があった. 確かに自分たちはその命令[上司又は法律に基づく]を部下に伝達して,数々の殺人行為を行った. 時には行き過ぎたこともやらせた. もちろんその責任は重大だし,許すことのできない犯罪だと言われても仕方がないし,その自覚は大なり小なりできていた.しかしその責任の一端は国家にも,上司にも,部下にもあるはずだという考えは,まだ捨て切れてはいなかった. とくに当時の国家的雰囲気の中では,そむくことのできない絶対的な命令だったと思っていたからである.

私はすでにもう,ハルピン1「これが暴れたら命がない」と青くなった秘密収容所の存在も,そこで行った残虐な殺害行為も特捜班がやった厳重処分という殺人行為も,拷問による殺害もみんな自供してしまった.それにもかかわらず命への未練を残して「もしかしたら」とためらっていたのである.

私はまだ「泥を吐いたら殺される」という基本的観点に立って,どうにも隠しきれなくなったものだけを自白していた. 共産党は相手がほんとうに理解し,その理解を行動で示すようになるまで,112同じことを何百回でも繰り返すと聞いていたが,私はハルピンで金源2少佐から聞いたと同じ言葉を,もう何百回,いや何千回となく聞かされているのである.それなのに私は依然として,「検察官の知らぬことまで自供する必要はない」と考え続けていた.

肇州3県の犯罪については,すでにハルピンで新聞で見た三十名近い共産党員の死刑執行に立ち合ったこと,ひどい拷問をして取り調べたことを真先に供述して

「もうありません.その他の犯罪は糧穀出荷その他の行政上の犯罪だけであります」

だが検察官は

「そんなことはない.君はまだまだ隠している」と詰め寄るのである. 実は私はこの肇州県で,法律にも命令にもよらない,全く無茶な人殺しをやっていた.人に言えない殺人なのだから,もちろん功績調書にも書いてなかった.これだけは言うまい. これこそ「自殺か死刑」の覚悟ができてからでないと,口に出せないことだと思っていたからである.

一体検察官はどんな事をつかんでいるのかと,その一言一句の言葉の裏から,何かを探り出そうとしていた.

「ではどんな犯罪ですか.ヒントだけでも与えて下さい」

と問う私に憤然として

「君は何んという厚顔無恥な男なんだ.自分でやったことを人に聞くとは何事だ.君はもう真人間になりたくないと言うのか」

113と卓を叩いて攻撃してくるのである. 「命と引き代えの犯罪」を隠すために,私はまたまた一ヵ月近い足踏みをしたのだった.


昭和十六年の六月頃,私は二人の老人を県城南方の谷間で斬首させていた. この老人は貧之な百姓で,徐沢民4軍の討伐のどさくさにまぎれ,兵火から免がれるため畑の中や,谷間に難を避けている農家の留守宅に忍び入り,穀物や家財道具を失敬したこそ泥だった.何しろ七十歳を越えた身寄りのない老人のやったことだから,被害額といっても大したものではなかった. だが当時の留置場は三肇5事件の関係者でいっぱいになっており,警察官はみんな取り調べでてんてこ舞をしていた. 私は

「今はこんなこそ泥の調書を作る暇なんかとてもありません.たとえ調書を作って送検するとしましても,引き取ってはくれますまい.部落民の方では,もう絶対に帰してくれるなと言ってきております」

という日系警察官の報告だけで「じゃあ君の方で適当に始末しなさい」と命じたのだった. 二人目の老人を斬った時,伊藤6警察官の万のきっ先が五寸くらいのところで,ポキッと折れてしまったことが,不吉な思い出として残っていた.

それから四ヵ月たって高梁の丈が充分伸び,騎馬隊の姿をすっぽり隠してしまう頃になって,徐沢民軍騒動もすっかり治まってしまったというのに,県内にはまたまた十二,三騎を一団とする二個ないし三個の武装部隊が出没しはじめていた.はじめは徐沢民軍の残党かとも思っていたのだが,114やがてそれは中国語で馬盗(まあとう)と呼ぶ馬泥棒の一団だということがわかった. かれらは夕方部落を襲って馬を強奪し,早い馬足で伸びた高梁畑の細道を逃げ,遠い街に行って売りとばしていたのである.被害は毎日のように報告されてくるが,何しろ出没自在な上に逃げ足が早いので,ほとほと困り抜いていた.

そんなある日の正午近く,大同7街の住民で協和会の幹部をしている李8という男が突然私の前に表れ

「副県長,今日私は大同の警察署でつかまえた馬盗とバスに乗り合わせたんですが,奴は乗客にこんなことを堂々と話しているんですよ」と言って話してくれたことは,

「俺は馬盗をやって蓄めた五千円の金を畑の中に埋めてある.満洲国になってから刑罰が軽くなったんで,くらってもせいぜい五,六年だろう.一年に千円ずつ貯金したようなもんだ.まじめに働いたって貯金なんか一銭もできゃあしない世の中によ」

と大声で話していたというのである.五千円といえば当時の金としては大金である. 馬十頭は充分買えるだろう. 頭にきた私はさっそく松本9警佐を呼んで「今君の方でっかまえている馬盗は何人いるかね」と聞くと

「えーと,全部で五人ですかな?.いやそのうちの四人は一昨日法院[司法機関の総称]の方に送りましたから,今は一人です」

「その五人,全部引っぱり出してきてくれたまえ」

115私は即座に命令した. 私の緊張した顔にそれと気づいた松本警佐は

「副県長,送検した者までやったら,あなたの方が殺人罪でやられますよ」

と注意したが

「かまわぬ,全員今すぐ準備してくれたまえ!」

ときつい調子で急がせた.法院との交渉が手間取ったので,準備ができたのはすでに五時に近くになってしまった.

どこからどう聞いたのか県公署の門前には見物人の黒山ができていて,トラックを遠巻きにわいわい騒いでいた.青い顔を見せまいと,わざとソフト帽を眼深にかぶった私が,日本刀を片手に姿を現すとみんないっせいに話をやめた. 車上には武装した警察官七,八名に取り囲まれて,五人の農民が後ろ手に縛られ,凄い限をして私の方を睨んでいた.車が法院の門前を通り抜ける時,全職員が並んで見送っていた. それはなんだか証拠でも確認しているかのような素ぶりだった. 私はその中にいるたった一人の日系書記官吉川10氏を見つけたので,軽い会釈をして見せたが,にこりともしないで私の顔を見詰めていた.

「だいぶ怒っているようだね」

運転台に同席している松本警佐にこう話しかけると

「はあ,怒っているどころじゃあありませんよ.卓を叩いてかんかんになっていますよ」という. だが気負っている私は

116「法律の虫奴らが何言ってやがんだ.法院の手ぬるい刑罰くらいで今のこの県の治安が保てるとで思っていやがるのか」

と,全く意にも介せず通り過ぎた. 11警佐の指揮するトラックは城門を出て四キロくらい西南に走り,だらだら坂を降りつくした所で本道を捨て,荷車が二,三回通ったらしい轍の跡をたどって,湿地帯を西に走った.雨期はもうとっくに上がってからからに乾いた湿地には,十一月初旬の夕暮が近づいていて,葦の枯葉に薄ら寒い北風がそよいでいた.その密生した葦の中を二キロも走った時,かなり広く葦を刈り取った広場に出た. ちょうどその真中近くに直径五メートル,深さ六十センチくらいの窪みがあった. その窪みの十メートルくらい西方には,刈り取った葦がうず高く積んであった.

「よし,ここでやろう」

私がどう言うと松本瞥佐はさっそく車を停めて郭警佐に眼くばせした. こんな事には手慣れた郭瞥佐は,五人を葦のくろの後に連れて行って隠した.

「よしッ,一人ずつ連れてこい」

私は葦のくろを背に,崖の上に立ってこう言った.背の高い四十がらみの農民が,足枷を葦の切り株にガチャガチャ鳴らせながら,真っ直ぐに私を見つめて歩いてきた. はじめて人を斬る私の顔には血の気がなかった. それが自分でもわかるのである.多くの部下の前で見っともないと,いくら言い聞かせてもどうにもならなかった. 私は農民から眼をそらせて正面の空を見上げた. 夕焼が117近づいて少し黄色を帯びてきた白いうろこ雲が,悠然として南に流れていた.

「うん,これが見えるようなら」

と心に言い聞かせて眼を落すと,私の一メートル横の崖の頭にあの農民が前かがみに座って

「さあどうぞ」

と言わんばかりに首を伸ばして待っていた.私はソフト帽の前を今一度引き下げながら,その横五寸の所に,同じく東向きに立って抜万した. 農民は微動もしない. なんだか位負けがしたように感じた私は,思いっきり刀を首の当りに叩きつけた.グチャッ!というにぶい音とともに農民の身体は,ちょうど蛙が池の中に飛び込むように窪みの中に落ちて行った.

「とうとうやった」と思った時,私は何かしらぐったりとなってしまい,二人目に手を掛ける気力がなくなっていた.窪みの中ではあの農民が,斬り口から真赤な血潮を吹き出しながら,うつ伏せにつんのめっていた. 首は一尺くらい向うに転がっていて,顔を私の方に向けていたが幸い眼を閉じていてくれた.

ポケットから塵紙を出してうっすらついた血糊を拭ぐっていると,二人目の農民がもうやってきて,前の男に折り重ならないようにと,一メートルばかり向うに座って首を伸ばした.しかもこともあろうに,,斬り口からドクドク血を吹いている友の死体を,平然と見降ろしているのである.

「負けた,全く恐ろしい奴らだ」

と弱気になる私の鼻に,あのいやな生臭い血潮の匂いがプーンと衝いてくる.

118「仕方がない.乗りかかった舟だ」

と思いなおして近よった.刀は心の動きをはっきり示した. 今度は頤の先わずかに引っかけたようだつた.

「しまった!」と私は思わず口走った. 農民は前と同じようにグチャッという音を残して,窪みの中に勢よく飛び込んで行った.斬り口から吹き出す血潮が,皮一寸を残してつながっている自分の顔にとびかかっていた. 細身の加賀の行光をかざして見ると,切先五寸の所に丸刈りの短かい毛髪か七,八本,血糊と一緒にくっついていた.なぜか私はぎょっとした.

「水ッ!水はないか」

後ろに控えている警察官をこう言って呼んだ.すると伊藤という例の警尉が水筒の栓を抜きながら,少し前かがみの姿勢で近づいてきた.顔は蒼白である. 私のさし出す刀に水を注ぎながら

「副県長,僕らにもやらせて下さいよ」

と低い声で言った.私はほっとした. やっとの思いで血糊をぬぐった刀を渡すと,さっさと自動車の運転台に引き揚げた. とても立つては見ておれない気がしたからである.


徐沢民軍事件が片付いた後の肇州県の治安はとてもよくなりましたので,その後は何一つ手荒なことはしておりません」

と同じことを操り返えす私に

119「君はまだ白を切っている」

と断固として言い放ち,卓を叩いて詰め寄るのである.その言葉は日がたつにつれてきつくなり,その態度は日とともに自信ありげに見えてくるのである. 私はとうとう

「実は………」と言い出しそうになったが思いとどまった. その日もとうとう頑張り通して帰ってきた. もう一晩だけゆっくり考えて見たかったからである.

この一ヵ月近くは実に苦しかった.取り調べが始まってから一日として苦しくない日はなかったのだが,この一ヵ月はとくに苦しかった. 生と死のぎりぎりの選択とでも言うべきか,私には残念ながら今ここにこの苦しさを表現する言葉を持ち合わせないのである.食欲はまったくなくなってしまい,二人の少佐との雑談に加わる気力さえなくなっていた.

昨夜はとうとうまんじりともしなかった.決心したりひるがえしたり,また決心したりのとつおいつばかりしていた. 明け方になってやっと

「この苦しさは自白しないかぎり続くだろう.こんな苦しい思いをして生きているなんて,俺の人生っていったい何だ」

と思い,そうきめつけてやっと自殺の決心がついた.

「なあに,人間はどうせ死ぬんだ.早いか遅いかだけのことじゃあないか」 私は遮二無二「まだ生きていたい」自分に言い聞かせ,自分で自分を死にせき立てていたのである.こう決心したせいか,今日は検察官がこわくなかった. 検察官が口を聞く前に

120「今までいろいろと御手数をおかけして申し訳ありませんでした」と,深々と頭を下げた. そして約一時間にわたってこの七人の殺害を一気に述べた. 今までもそうだったが,犯罪に対する謝罪はしなかった. 「罪には刑罰」 これで帳消しだという考えに立っていたし,特に今日は「一死もって責任をとる.これのみがほんとうのお詑びだ」と考えていたからである.だが検察官は

「うん,今日の君ははじめて大きな進歩を示した.きたない利己主義との闘いは苦しい.しかし今日示した勇気を忘れずに,今後は深刻に自己の罪を分析し,追及し,罪の本質を認識するように努方しなさい」

と言っただけで帰してくれた.


その日の午後だったか,その翌日の午後だったかはっきりしない.看守が

「便所に行く者はないか」

とふれて回った. それから十分もしないうちにまた

「みんな外に出るから新しい着物に着替えなさい」

「そうだ,絶好のチャンスだ」 私はとっさに思った.その思ったとたんに,今までもやもやしていた生への執念がいっぺんに吹き飛んでしまい,なんだか演壇にでも登る順番を待っているかのような気分になった. 看守がドアを開けた時私は「とても頭が痛いので,今日は休ませて下さい」とせがんだ. 看守はきつい眼をして

121「不行(プシン)[いかん]

と一言いっただけで,忙しそうに次の部屋を開けに行ってしまった.二人の少佐が出て行く背中に,「僕は出ないからねえ」と言ったら,金子少佐が変な顔をして振り向いたが,何も言わなかった. みんなを外に出した看守は,すぐ鍵をかけに引き返してきて私を見付けた.

「お前はなぜ出ないんだ.いかんと言ったらいかん」

と,いきなり私の手首をつかんで引きずり出そうとした.私は足を踏ん張って抵抗した. しばらく争ったが,私が頑として動こうとしないのであきらめたのか,鍵をかけて行ってしまった.私は万事うまく運んだと思った.そして枕もとに置いてあった大きな袋を引き寄せ,新しい木綿の手ねぐいを探し出して,それを二つに裂きつなぎ合わせようとしていたら,またドアの鍵が鳴って,今度は二人で入ってきた.私は急いで手ぬぐいを袋の底に押し込んだ.

「所長の命令だ,今日は絶対に休むことはならん」

しかし,今日の私には所長の命令は通用しない.私は怒った顔をむき出しに頑強に抵抗した. だが二人に手首をつかまれたんでは力の入れようもない. そのままずるずると廊下に引きずり出されてしまった. そこで私も気が変わった. 「何も今日でなくたって」と私は半ば抵抗しつつも,長い廊下を引きずられるようにして外に出された.

すでに一千名に近い戦犯が,広い運動場を黒い制服で埋めていた.遅れて出てきた私は,佐官組の一番後ろに座らされた. 正面には急造の舞台が作ってあり「暴露大会」という大きな横書きの看板が,122のしかかるように私たちを見降していた. もうすでに舞台の上には所長以下の軍官や,見たこともない検察官らしい顔がずらりと並んでいた.

私はひやっとした. ソ連で毎朝やられた吊し上げを思い出したからである. それに今日はあまりにも強引に引きずり出されてきている.多分その予定者の一人になっているからなんだろう. あの上に引きずり上げられて多くの人々から,口角泡をとばして罵倒[批判]されるのはまっぴらだ.

「出てくるのではなかった」と後悔した.今の今まで自殺しようとしていた私が,どうして今吊し上げぐらいにうろたえているのである. まことにおかしな話ではあるが,事実だから仕方もない.

九月半ばの空はからりと晴れ渡り,高い古塔の見えるすぐ近くの山をすかして,三羽の鷹が悠々と舞っていた. 迫りくる吊し上げを予測して,寒々と震えている私をよそに,大自然はなんと悠然と運行していることか.今日の吊し上げも,明日の自殺も,遠くはない死刑も,大自然の運行の中では,花びらが一つ落ちたくらいの小さな出来事でしかないのだろう. そう思った時,恥とか外聞とか日本男児だとか,そんなものが一体なんだというんだ.生きていたいんなら何んとしてでも生きたらいいではないかと,またもや生への執着がむらむらと込み上げてきた.

私は首を振って今一度周囲を見回した.そこには黒い服をまとった戦犯の背中の海があるだけである. 舞台の上からは検察官が顔を並べて見下ろしている. 私はそっと溜息をついた. やがて管理所長の孫中佐が,金色の大きな肩章をピカピカさせながら演壇に登って

「ただ今から暴露大会を開く.まず古海忠之が自己暴露を行う.皆はよく聞いて学習するように」

123と宣言した. 古海さんならよく知っていた.敗戦の頃は「満洲国」の総務庁次長をしており,内地官僚出身ではあったが生えぬきと言ってよいほど長く勤めた人で,文官としては戦犯中で最高の地位にあった人である.少し前かがみの姿勢で演壇に登った古海さんは,ていねいに頭を下げてから,ゆっくりとした態度で原稿を取り出し,ほとんど読むようにして話しはじめた.私は食い入るように古海さんを見つめ,耳に手を当て,一言も聞きもらすまいと聞き入った. 追いつめられている私にとっては,古海さんのほんとうの心境,言葉の裏に潜む決意のほどが知りたかったからである. だが時に自殺を思い,時に生への思いに悩み抜いている私としては,時折りボーッとなって 古海 さんの話から離れ,自分だけの空想を追っていて,はっと我に帰るという場面もたびたびあったので,今ここで古海さんの話を正確に伝えることはできない. ただ全体としての印象は,私たちとは全く別の世界の犯罪だということだった.第一私のような血なまぐさい犯罪ではなかった. 第二には古海さんの犯罪は政策決定とそれの指令という犯罪であり,当時の新聞にも公報にも乗っていたことなので,今さら隠しようもない性質の犯罪だったということだった.

約一時間にわたって古海忠之さんは自己の犯した罪を具体的に暴露した後

「私は今さらのごとく,自ら犯した罪の大きさと深さに愕然としております.私は今ここに,私に人間性を取り戻すチャンスを与えて下され,私の反省を指導して下さった中国人民に対し,心から感謝せずにはおられません.私の過去は全く人面獣心の鬼でありました.中国人民を苦しめ,悲しませ,不幸におとしいれでも,それが日本の利益になり,かつ自らの栄光につながりさえすれば,124てんとして恥じない鬼でありました」

「私は今,天人ともに許すことのできない戦争犯罪人であることに気がつきました.と同時にまた,私の作った法令によって多くの日満の官吏が,いたるところで罪を犯したことにつきましても,重大な責任があることに気がつきました.私はまた一千二百万にのぼる中国人民の尊い生命を奪い,五百億ドルにのぼる損害を与えた滔天の罪に対しましても,のがれることのできない重大犯罪人であることに気がつきました」

「私は今ここに,心から中国人民にお詑び申し上げますとともに,中国人民のいかなる処刑をも喜んでお受けする覚悟であります」

と結んで降壇した.私は心から「偉いッ,さすがだッ,」と思った. 古海さんはすでに,「最高責任者としての自覚に立ち,死刑を覚悟している.また率先して罪を暴露したのは,自ら範を示すことによって,君たちも早く私のように罪を認め,中国人民に謝罪し,一日も早く祖国日本に帰るよう努力しなさい」

と語りかけているのだと理解したからである. 「心静かに処刑を待つ」という心境に違いないと思った時,私は「なんと女々しい俺か!」と穴があったら入りたい思いにかり立てられたのであった

ところが古海さんの自己暴露が終わると,案の定,佐官組から十四,五名の将校が,次々と壇上に呼び出されはじめた.顔ぶれから見てもとうてい私は免れられそうにない. 次の名を呼ぶたびに125ひやひやしていた私だったが,遂に最後まで呼ばれなくてすんだ.

みんなが並び終わると若い兵隊さんの中から,多分旧部下だろうと思われる人々が我さきにと飛げ出して行って,大声を発して暴露しはじめた.はるか後にいる私には,何を言っているのかさっぱりわからないが,光景はまるで狂犬が吠えかかっているようだつた.

とくに印象的だったのは広瀬中佐の態度だった. かれは自分を批判する者が表れるとその人の方に向きなおり,限に満身の力をこめてにらみつけるのである.右から発言があれば右を,左から批判があれば左を,凄い眼をしてにらみつけるのである. 遠い私のところからはただ,怒ったからくり人形が右に向いたり,左に向いたりしているように見えるだけだが,壇上の誰も真似のできない激しい態度だった.一時間も続いた激しい怒号の末に暴露大会が終わった時,広瀬中佐はその場で後手にされ,手錠をはめられ,私たちのそばを通ってどこかに連れて行かれた.私はその青ざめた中佐の横顔を見送りながら,この間まで同室で枕を並べ,日本の将来を語り,独房では隣り合わせでお互に励まし合った広瀬中佐の,その死を決しての大胆にして勇敢な行為に,今度はまた恥ずかしくなったり,感心したりしていたのであった.

注-広瀬中佐は三日して帰ってきた. 手錠は一晩だけだったそうだが,独房を出る時は管理所長がやってきて,「手錠をかけたことは私の誤りだった.深く反省している」と陳謝したそうである. それから二年の後,中佐が不起訴になって帰国する時,所長はわざわざ天津まで見送り,一夜二人だけで夕食を共にし,象牙の箸を贈って再度陳謝したそうである. [これは私が帰国後中佐の家を訪ね,箸をみせてもらいながら聞いた話である.相手が囚人であろうと誰であろうと,戦犯管理所の最高の地位にある中佐がこうして126"過ちは過ち"として素直に認め,礼を尽して自己批判する誠実な態度に好感を持ったのか,広瀬さんはその間,一言も所長の悪口を言わなかったばかりでなく,その箸を大切な記念品として保存している様子であった]

こんな私をほんとうの卑怯者というのだと思う.大会が終わって立ち上がった時,私はもう自殺なんかしないときめていた. 「心静かに処刑を待つ」という,ていのよい言葉に自らをごま化して「生」への未練にしがみついていたのであった.

 

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1 meist ハルピン od.  ハルビン geschrieben: Harbin, Stadt nördlich von Xinjing, Hauptstadt der Provinz Heilongjiang
2 Jin Yuan, Major, Stellvertretender Gefängnisdirektor 副所長, von den Japanern Kin Gen genannt.
3 Zhaozhou, Kreis in Daqing
4 Xu Zemin (徐澤民), 中国共産党第二路軍第十二支隊長
5 die drei Kreise Zhaozhou, Zhaoyuan und Zhaodong
6 Itô Hatsutarô, 巡官 oder 警尉, 警察討伐隊長 von Naimanki
7 Datong, Stadt auf Kreisniveau in der Provinz Shanxi
8 Li, 協和会の幹部 in Datong
9 Matsumoto, 警佐
10 Yoshikawa, 日系書記官
11 Guo, 警佐