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5

取り調べ開始

ちょうど一ヵ月の独房生活,孤独と煙草の欠乏に苦しめられた生活から解放された私は,やっと佐官組の部屋に帰されたが,その部屋は三人しか入れない狭い部屋だった.すでに先着の金子克己1[満軍憲兵少佐]さんと遠間公作2[陸軍歩兵少佐-大隊長]さんの二人が,大きな布団袋を担ぎ込んで待っていた.

「なんだ!3さんがきたのか」

遠間少佐は前にハルピン4でずいぶんと長い間同室したことがあったし,金子少佐はついさっきまで私のすぐ隣りの独房に入っていたので,いずれも気の置けない間柄であった.三人は荷物を解こうともせず,まるで十年もその余も別れていた友人であるかのように,その後の出来事について話し合った. 反動組に残されていた遠間少佐は

「あれからなあ,俺たちの方も監視がとても厳しくなるしさ,ハルピン以来いろんな事を書きとめといた帳簿は全部取り上げられるし,供述書は書かされるし,さんざんな目にあったよ」

と話していたが,途中から急に険しい顔になって

073「おいッ,いよいよ取り調べがはじまるらしいぞ」

と言いたした. 近頃取り調べ官らしい人物がどんどん入り込んできていて,そこここの空地に天幕張って寝ており,毎日証拠書類みたいな物を熱心に調べている.病院からは軽病人がたくさん帰されているが,みんな指導員からはっきりと「取り調べが始まる」と言い渡されたそうだというのである.

今の今まで,いやな独房生活からやっと解放されてやれやれと思っていたのに,それもつかのま,いよいよ最悪の事態がやってきたかと胸が痛くなるのであった.

「まともに白状でもしたら,それこそ死刑は免がれないだろう」と三人ともそう思っていた. しかしその程度はまちまちだった. 遠間少佐は,「俺は戦場以外では人を殺していないから………」という点に望みをかけていた.

その話になると金子憲兵少佐が一番気軽なようだつた.

「俺は憲兵学校の教官ばかりやっていたんで,一回も戦争はやっていないし,一人も検挙した事がないんだから」

ごうなると私が一番しょげねばならなかった.

「島さんは危いよ.秘密警察ちゅうおっかないところにいて,相当ひどいことをやっていたらしいからなあ」

誰に聞いたのか金子少佐は,脅しとも同情ともつかぬことを言ってにやにやしていた.

074ここにほうり込まれて十日目頃だった. 私は朝早く看守に呼び出された. 何事だろうと首をかしげながら廊下の入口に出て見ると,一台の古ぼけたジープが待っていた.運転台には中年の中国人が乗っていて

島村三郎に相違ないか?」と,手帳を見ながら聞いた.私が神妙な顔をしてうなずくと

「入れッ」と後の座席を顎でしゃくった.その態度は中国に来てから一度も経験したことのない冷たさだった. 一瞬私は,どきんとした. 顔からさあっと血の気が引くのが自分でも感じとれた. ジープが監獄の大きな門を通り抜けて,前の広いでこぼこ道に出た時,私は,「もうこれで帰って来ないのかも知れない」と思った.

その時私はふとシベリヤ5で加藤角市6警正三江7省で勤務していた時,私の部下だった人物]が話していた,特務機関長松下8大佐のことを思い出した. 敗戦直後加藤9さんたちはグロデコウ10の留置場で取り調べを受けていた.ある夕方留置場の外で自動車の音がしたかと思うと,突然大きな声で,松下大佐死刑!松下大佐は死刑だ」と,悲痛な叫びがおこった.みんなはっとして息を飲んだ. それは確かに松下大佐の声だった. やがてその声はエンジンの音とともに消えて行った.それっきり松下大佐は帰って来なかったというのである.

注-松下大佐は大物なので,もっと上級の幹部の取り調べを受けるため,どこかに移管されるのを誤解したものと思われる

ジープは一キロも走ったかと思うと急に右に折れて,畑の中にある比較的大きな民家の中に入つ075て行った. 「降りなさい」と待ち受けていた人だかりの中から,流暢な日本語が私に命令した.車外に出て見ると三月なかばの凍った大気がことのほか骨身にしみて,膝がガクガク震えて仕方がなかった.

左側の一番奥の部屋に案内された.部屋の中はむっとする熱気が立ち込めていて,入口の近くにある小さなだるまトーブ*ストーブ*が真赤に焼け,その上に置いてある円錐形のやかんのお湯が,ポンポン音を立てて沸き返っていた.正面の硝子窓を背に大きな事務机が三つ,きちんと並んでいたが,誰も座ってはいなかった.

「お座りなさい」

そう言われて指さす方を見ると,ちょうど真中の事務机から一メートルも離れたところに,二年程前金源少佐の事務室で座った腰掛けと同じものが一つ,ぽつんと置いてあった.案内してきた青年はそう言い残すと,さっさとどこかに行ってしまった.

私は神妙な顔をしてしばらく座っていたが,いっこうに誰もやってこない.相変らずやかんのお湯はポンポン音を立てている. そのうちに暖気がだんだん身体にしみ込んできて,どうやら膝の震えもとまったらしい. 私は大きな息を二つばかりして,膝小僧の上にきちんと揃えている手の甲を見た.

「こんなことで立派に日本人らしく振舞えるのかな」と,一ヵ月程前に,「私も日本男児」と大見得をきった自分が,もうどこかに行ってしまっているのが恥ずかしかった.

076「君は何年何月に中中国に侵略してきたのかね」 二十八,九歳の背の高い色白の検察官が,「自分は張儀11という者だ」と名乗ってから,最初に言った言葉はこれであった. 「侵略」という言葉がひどく気になったが

「昭和九年五月二日,大同学院に入学するため渡満しました」

私は「侵略」という言葉に対する抗弁を,「渡満」という言葉にこめてこんなふうに答えたのだが,検察官はただうなずいただけだった.

「じゃ,君の渡満時代の履歴を言ってみたまえ」

十一年の官吏生活の略歴を述べると,検察官はすかさず

「蒙政部の調査課ではどんなことをしたか」

私は若干むかっときた.こんな調子でずるずる答えていたら,それこそ完全に相手のぺースにはまってしまい,にっちもさっちもいかなくなってしまうだろう. 一つここらで立ち止まってやらなくてはと思い

「そんなことなら,先日の供述書にちゃんと書いて出してあるはずです」

と突っぱねた. すると検察官はげらげら笑い出したのである.そして机の上の黒いカバソの中からその供述書を取り出し

「余は今ここに貴国の要請に基づき,在満十一年間の余の業蹟について,書類を以て回答する」という書き出しを読みはじめたのである. 漢字は中国語で,ひらがなは日本語で読むへんてこな読077み方がおかしかったので,うっかり私も笑ってしまった.検察官はつくえをドンと叩き

「その態度はなんだ.それが中国を侵略し,今取り調べを受けている戦犯たる被告の態度か」と中腰になって怒鳴った. 私は驚いて笑いを消したが

「君はもっと誠実にならにゃあいかん.君が中国でやったどんな行為も,みんな侵略行為であり,犯罪行為なんだ.検察官のどんな質問に対しても,素直に答えるべきである」

検察官はそれから約一時間日本帝国主義の侵略期間中,中国人民がどれほど苦しい生活を強いられたかについて,実例を挙げて説明しはじめた.どうやらこの検察官は北支12の出身らしく,引く例はすべて日本軍の部落襲撃に伴う殺りく,略奪,放火であり,身寄りを殺された家族の悲しみと苦痛にみちた生活であった.

「このような重大な犯罪を犯した戦犯が,今どのような態度をとるべきかは言をまたない所である.いっさいを誠実に自白し,自己の犯した罪を悔い改め,真人間に生れ変る以外には君の生きる道はないはずだ」

私はその前で一応は神妙な顔はしていたが心の内では,「それは「北支で日本軍のやったことじゃあないか,俺には関係ないよ,その手に乗せてしゃべらそうたって,そうはいかないよ」と反抗していた.

「わかったかね」

検察官は話し終ると念を押した.私がだまってうなずくと

078「それじゃあ蒙政部の六ヵ月間にどんなことをやったか?」

と再び聞いた. 今度は私も素直に

「最初の三ヵ月間は蒙古地帯の基礎知識を得るために,パンフレットなどを学習しましたが,すぐ巴林左翼旗13の方に部落実態調査に出かけました」

と答えた. 実際その通りだったし,それ以外のことは何もしていなかったのである.

「じゃあ,コルロス前旗14の半年間は?」

「道路を作ったり,模範農場を作ったり,ペストの予防注射をやったり………」と言いかけると

「供述書に書いてないことを言うんだ」

とわたしの言葉をさえぎってきつい顔をした.その時私はちらっと松花江15の川中島で相当な激戦をやり,二十名近くの損害を与え,その後逮捕した一人を射殺したのを見物したことを思い出したが,私は内務担当の副参事官だったので,関係もしなかったことまでしゃべって,ことを面倒にする必要はないと思ったので

「それ以外のことは何もやっていません」

と答えた. 何回聞かれても同じことを合えた.時に「じゃあ,奈曼旗16(ないまんき)では」アルカルチン17旗では」 などと聞いてきたが,同じ答えをすると,またコルロス前旗に質問が帰ってきた. 途中で検察官は書記に向かって

079「こいつなかなかしぶとい奴らしいね」

と中国語で言っているのが聞えた.もう夕方が近づいていた. 検察官は少しうんざりしたように

「君はこの八年という長い抑留生活を,全く無駄に暮したようだね」

と言って口もとに皮肉な笑いを見せた.私は心の中で,「全くそうだよ.こんな監獄の生活のどこに,有益な生活があるというのかね」と反発していたが神妙な顔をしていた.

「君はちっとも進歩していない.昔の侵略者そのままだ.いいでしょう,今日はこれで帰りなさい」

私が立ち上って一礼すると

「君に一つ宿題を与えておこう.君は盛んによいことばかりしたように言っているが,その君のやった事はほんとによいことだったのだろうか?今夜ゆっくり考えてみたまえ」

気がついてみると私は昼食もしていなかった.もちろん検察官も同じことである. しかし私は腹がいっぱいだった. 帰りのジープの中では,今朝真青になり,膝をガクガクさせられたことなどすっかり忘れてしまい,早く二人に話してやらねばと,今度はじりじりしているのだった.

その翌日は遠間少佐が呼び出された. 午後二時頃に帰ってきて

「うん,今日は履歴を聞かれただけですましてくれたよ」

としゃあしゃあとしていた.よく聞いてみると私とは正反対の方向にある,赤煉瓦の洋館に連れて行かれたのだそうだった. もちろん検察官も違っていた. 遠間少佐はその翌日から続けざまに080三日呼び出された. 二日目頃からだいぶしょげてきて

「弱ったなあ,ちっとも知らんことを認めろと言うんだよ」

と頭を抱えていた. 北支のなんとかいう渡し場の附近で,農民を二人惨殺しているはずだと言うんだそうである.

「そりゃあ,俺の部下の誰かが斥候にでも出ていて,そんなことをやったかも知れんさ.しかしそんな報告は受けたこともないし,認めようもないんだよ」

「君の部下がつかまっているんかい?」

「うん,五,六人いるらしいんだ」

「じゃあその男と対決すりゃあいつぺんですむじゃあないか」

「そこなんだよ.僕もそう言ったよ.しかし,自ら進んで認めない以上,認罪したことにはならんと言うんでねえ」

という遠間少佐はほんとに知らないことらしかった. まだ一回も呼び出されない金子少佐は

「俺はどうやら,供述書だけですんだらしいなあ」

と平然としていた. 遠間少佐が

「そうはいかんぞ!,今にぎゅうぎゅういわされるから」

「いや,俺は大丈夫だ.大体なんにもしてないのに,どうしてぎゅうぎゅういわされるんだい?」

081その金子少佐が呼び出されたのは,それから二,三日後のことだった.

「あれッ!俺もか?」

と軽い舌打ちをしながら出て行った.だが夕食がすんでもなかなか帰ってこないのである. 九時の消灯が近くなった頃

「いやあ!やられた,やられた」

と頭を抱えて帰ってきた.人一倍大きな眼が急に落ち込んだ感じである. 冷えきった肉汁を飯にぶつかけ,忙しそうにかき込みながら

「実はなあ,俺も一回討伐をやっていたんだよ.そいつを知っていやがってなあ.相手がどの程度まで知っていやがるんか,そこがさっぱりわからないんで困っているんだよ.へたにしゃべって教えてやる必要もないしな」

「そうか,みんなそれ相応の傷を持っているんだなあ」

と私は思った. そしていくらか安心した.自分だけじゃあないということが,なぜ安心につながるのかについては,深く考えてみようともしなかった.

それから二,三日は誰も呼び出されなかった.私はもう十日以上も呼ばれてないのである. 何も気ずかずにいたのだが,窓の外はもう三月も終りになっていて,日中の柔い陽ざしが春近しを思わせていた. そんな日の朝早く私たちの部屋の鍵がガチャガチャ鳴り出した.三人はぎくっとしドアの方を振り向いた. 背の高いむっつり18というあだ名の看守が顔を出して

082「八九五ッ!」

と低い声で呼んだ.なんだか地獄の底から呼び声がかかったようで,胸がずきんと痛んだ. 今度は大門の傍まで歩かせられ,そこで変なトラックに乗せられた. トラッグには四つの部屋に区切られたベニヤ板の小屋があり,中に入ると外から鍵がかけられた.心細いことこの上なしである. 隣室に誰か入っている気配あるが,しわぶき一つしないのである.

案内されたのは前と同じ部屋だった.今日は検察官の方が先にきていて,私が座るのを待ちかねたかのように

「どうだ.考えてみたか」

と聞いた. 実は何も考えてきてはいなかった.というのは,へたに考えたりしていて自白でもする気になったら,それこそ大変なことになると思ったからである.

「多分あなたは私に,日本の支配階級の野望を達成さすためにやったのだと言わせたいのでしょう.もちろんその一面があったことは否定しません」

「しかしです.少なくとも行政の第一線にあった私たち青年官吏のすべては,そんな考えは少しも持っておりませんでした.今ことこころざしと違い,中国人民の恨みの的となってはおりますが,私たちはほんとうに身を挺して東亜民族の大同団結を図り,軍閥の桎梏から人々を解放し,西洋諸国に劣らない,文化の高い平和な国を,このアジアの地に一つでも多く創りたいと念願していたのです.私たちの中には近い将来,日本の支配階級とも対決する時が来ると考えていた者もたくさん083あります.だから私たちはこの満州の建国に参加したことを,心から光栄と感じていたし,建国そのものを聖業と考えていたのです」

と,昔から考えていたことをそのまま述べた.検察官はまことに不機嫌な顔をして

「十日以上の時間をかけて考えたことがそんなことだったのかね」

と念を押した. 私が大きくうなずいて見せると

「やはり君は何も反省していないし,何も考えたりはしなかったようだ.じゃあ聞くが,そんな立派な目的でやったのに,どうして一千二百万もの中国人民を殺害し,五百億ドルにものぼる人民の財産を略奪したのかね」

「それは私たちの真意を理解しようとしない中国人がいて,人々を煽動して反抗させたからです.日支事変への拡大は,日本の真意でもわれわれ青年の真意でもありませんでした」

と弁解したが,もう話は受け太刀になっていた.

「今一度聞くが,隣りの家がひどい貧乏暮しをしており,喧嘩ばかりしているからと言ってだよ,いきなり乗り込んでああやれ,こうやれと指図してみたが,言うことを聞かないので,一番反抗する長男を殺したり,次女を強姦[女買いも強姦の一つ]したり,家財を壊したり,持ち去ったりしている男を見て,君はその男を聖業をやっている男と思うかね」

私はだまってうつむいているより仕方がなかった.

検察官は再び私が独房で書いた供述書を取り出した.

084「君はこの中に,行く先々で道路を作ってやったと書いているが,いったい君たちはこの道路をどう利用したというのかね.君たちは糧穀出荷と称して農民の穀物を盛んに略奪した.そのために作ったのがこの道路じゃあないか.君たちはその道路に警備道路という名前をつけていたはずだ.われわれの同志はあの道路を使う日本軍の機動力のおかげで,どれだけ多くの命を失ったことか」

ここまで述べてきた検察官は,もう我慢がならぬというふうに顔を真赤にし,机を叩いて立ち上がった.

「君は教育を盛んにしたと,さもよいことをしたかのように書き立てているが,君たちのやった教育とはいったいどんなことを教えたというのかね.中国の子弟を懐柔し,日本の支配者に柔順な奴隷を作るための偽瞞教育をしていただけの話じゃあないか.農業や畜産の改良でも同じことだ.改良された馬はみんな軍馬として徴発し,中国人民を殺害するために使っていたじゃあないか.農業の改良も君たちの略奪する糧穀を増やすためにやっただけのことではないか」

検察官の顔は怒りに燃え,時折り叩く机は穴でもあきそうな勢いだった.この時通訳官が袖を引いて何やら耳打ちした. 検察官は急に言葉を柔げ

「僕も少し興奮し過ぎたようだ.だが君にしてももっと誠実に考えなければならんことだ.今頃になってまだ東亜民族の大同団結のために侵略しただの,あの侵略が大東亜復興のための聖業だったなどと,抽象的な内容のない美辞麗句を並べ立てているようでは,君はいつまでたっても真人間になることは出来ない.その美辞麗句の名の下にやった具体的な君たちの行為が,どんな具体的な085結果を生んでいたかについて,もっと真面目に考えてみたらどうだろう」

とさとすように言って座った.ちょうどその時ボーイが小さな紙きれを持って入ってきた. 二人は立ってしばらくひそひそ話し合っていたが,やがて書記官を伴ってそそくさと出て行った. 残ったのは通訳官だけである.二人は長い間無言で向き合っていた.

「僕はねえ,ハルピンの省公署に勤めていたんだよ.日本語が出来るので人よりは日本人を理解していたつもりなんだがねえ」

と突然話しかけてきた.私が親愛のこもった眼をその方に向けると

「ところがさ,この僕に対してさえだよ.日本人はいばりくさって犬猫同然のあつかいなんだよ.五族協和だなんでいうことが,実際に行われていたなどと本気で考えていた人がいたとしたら,それこそよほどの世間知らずか,見て見ぬふりをしていた人物だよ」

その時廊下の方から書記官らしい靴音が近づいてきた.通訳官は小さな声で口早に

「君は今大変大事な関門に来ている.こんな基礎的な問題が素直に認められないようだったら,ほんとに前途はないよ」

と注意してくれた.幸い廊下の靴音は書記官のものではなかった. だが通訳官の話はそれっきりで終わった.

その日検察官は遂に帰って来なかった.検察官の話は少しも難しい話ではない. 子供でも理解できる道理にかなった話である. 私はまたそれだけにがっくりきていた. 泥棒にも三分の理と言う086が,私にはその三分の理もなくなってしまったように思われたのである.日本民族を養う領土がなくなったからと言って見ても,他人の領土を盗ってよろしいという理屈にはなりそうにない.

溺れる者の藁でもよい.何か心の寄りどころがないことには,どうやってこれからの厳しい追及に耐えてゆくことが出来ようか. 方法はただ一つ. 「頑固に口をつぐむ」 それしかないだろう.

[その頃の私たちの考え方の中には,黙否権*黙秘権*なんていう新語はなかった]では何のために,誰の利益のために口をつぐむのか?何もない. あるのは「命ほしさ」だけである.

そのうちに通訳官も出て行ったので私は一人になってしまった.窓外の畑の中に作られた高梁がらの垣根に,雀がたくさんやってきてわいわい騒いでいた. 時折り何かに驚いて飛び立ちはしたが,またすぐもどってきてちょんちょんはね回っていた.

「雀の奴,のんきでいいなあ!取り調べなんてないだろうしさ.なあ雀君,俺にはもう泥を吐くか,吐かぬかの選択が残っているだけだ.どっちにしたって命はなさそうだがね」

と心の中で話しかけていた.


取り調べが始まってもう三ヵ月が経っていた.時間の経過とともに誰の取り調べも,次第に具体的な内容に入ってきていた. これは多くの証言[主として旧部下の供述書]や証拠[主として中国人民の告訴]の前に,朝(あした)に一城,夕(ゆうべ)に一城と落城してきた私たちの当然の「なれのはて」であった.

この頃になってやっとわかったことだが,私たち一千名近くの戦犯をいっせいに取り調べるということは,087まことに至難な仕事だったのである.

中国の各地から百名近い検察官が乗り込んできており,それと同数の書記官,通訳官,事務官もやってきていた. 撫順監獄の周囲にある大きな建物はみんな取り調べ室,事務室,宿舎などに当てられていた.

検察官一人あたり十人近くの戦犯が,ほとんど同時に取り調べられ始めたのである.ところがわれわれの多くはほとんど十年近くの長い期間,中国のあちこちでいろいろな重大な犯罪に関係していたし,多くの者は「白状すれば罪が重くなる」「検察官の知っていないことは話すまい」「忘れていることは思い出すまい」としているのである.そのような人間をつかまえて,少しも拷問を加えず自白させるということは,なみたいていのことではなかったであろう.

最初のうちは一人が呼び出されると二人が残るというふうだったが,この頃は二人いっぺんに呼び出されたり,時には三人いっぺんに呼び出されることも多くなってきていた.朝食をすますとあっちでもこっちでも,鍵を開ける金属性の音がやかましいほど聞えはじめる. 隣りの部屋の音を自分の部屋と間違えて,ひやりとすることも何度かあった.


奈曼旗(ないまんき)[旗とは蒙古の県のこと]で何をしたか」

私はこの質問を一ヵ月近くも受け続けていた.

「私は内務担当副参事官でしたので,内務行政,文教行政以外のことは何もやっておりません」

088と何回答えても

「君はまだ本当のことを言おうとしてない」

ときつい言葉で追及するのである.そしてその度に

「勇気を出して帝国主義と絶縁し,人民の前にいっさいの罪をさらけ出しなさい.その実際行動がないかぎり,中国人民は君を許すわけにはゆかない」

私は何と言われても言葉を変えなかった.また実際いって嘘を言っているつもりもなかったのである. 元来私には警察権もなかったのだし,手荒なことは何もやっていなかった.長い期間の間には少しぐらい手伝ったことがあったとしても,私の責任でやったことでもないし,そんなことまでしゃべる必要はないと思っていたからである.だから私としても,この検察官の執拗な質問にはほとほと手を焼いていたのであった.

ところが同室の遠間少佐も金子少佐も,大体けりがついたらしく 「それではもう一度,自分のやった事を総括して出しなさい」

と言われ,二,三日前から部屋に残って書いていた.私は羨ましいと同時に心細くも感じていた. もう五月も終りになっていた. 最初ジープに乗せられて青くなってから三ヵ月近くもたっていた. 幾日たってもドアーを開ける鍵の音はいやだったし,検察官の前に立つまでは生きた心地がしなかった.

私は奈曼旗のことで引っかかってしまい,あれから一歩も進んでいないのである. 今日も終日089同じことを追及されたが,私の答えは同じだった. とうとう夕方になってしまった.

突然席を立った検察官は,どこからか大きな書類を三冊持ってきた.そしてその中から三枚綴りの書物(かきもの)を取り出し,大部分を白紙で隠しながら

「どうだ!この書類に見覚えはないか?」

と,私の前に突き出した.私は見当がつかなかった. 首をかしげていると今少し広く見せてくれた. そこには青いインキで歴然と『島村三郎』とタイプしてあるのである.私はほっとして息を飲んだ. それはまぎれもなく私の功績調書第一号だったからである. これには奈曼旗時代に私がやった」とは洗いざらい書いてあり,しかも勲章欲しさに針小棒大にさえ書き立ててある書類なのである

「しまったッ!もう駄目だッ!」と思った時頭がボーッとなり,眼の前が真暗になってしまった.かろうじて腰掛けにしがみついている私に

「罪の事実を認めるということは,刑が重くなるということではない.これがわれわれの刑法である.君はあまりにも頑固に,罪の事実を認めることを怖れている.だから一番まずい方法をとらざるを得なかったのだ」

検察官の落ちついた声が言った.私はもう言葉はなかった.

「いいでしょう.今日は帰って休みなさい」

残念ながら私には,検察官の言葉をかみしめる心のゆとりはなかった.ただあるのは,とうとう090「一城落ちた」という敗北感が,生命の恐怖とこんがらがって,胸を締めつけるのだった.帰りの車の中では,少し落ち着いてきたのか

「いったいどうしてあれが検察官の手に入ったのか」と考えるようになっていた.

「そうだ!恩償局に違いない.だとすると第二の功績調書[三ヵ年に一回出した書類]も手に入れていることだろう.万事は休した」

と思った時,私は無性に腹が立ってきた.

「畜生!恩償局の奴ら,書類も焼かずに逃げやがって!」

実際,敗戦のあの時は,各官庁はいっせいに書類を焼いた.その煙は一週間もその余も,官庁街を閉じ込めて去らなかったほどだったのである.

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1 Kaneko Tatsumi, 元満軍憲兵中佐 1-4 少佐 2-1
2 Enma Kôsaku (eigentlich 遠間公佐久), 陸軍歩兵少佐, 大隊長
3 Shimamura Saburô, 副県長 von Baicheng und Zhaozhou (= Sh. Saburô); geb. 1908, Verwaltung Geheimpolizei; im Juni 1956 in Shenyang zu 15 Jahren verurteilt, im Dez. 1959 entlassen; Vorsitzender des Vereins der China-Heimkehrer (Chûren); 1976 gest
4 meist ハルピン od.  ハルビン geschrieben: Harbin, Stadt nördlich von Xinjing, Hauptstadt der Provinz Heilongjiang
5 Sibirien
6 Katô Kakushi, 警正, in Sanjiang Shimamuras Untergebener
7 Sanjian, frühere Provinz
8 Matsushita, Oberst
9 Katô Kakushi, 警正, in Sanjiang Shimamuras Untergebener
10 Grenzübergangsstelle Grodekowo-Suifenhe, Region Primorje, auch 留置場
11 Zhang Yi, Untersuchungsrichter 検察官
12 Beizhi, kurz für Beizhina
13 巴林左旗 Bairin zuoki (linkes Banner : 旗とは蒙古の県のこと, Bd. 3, S. 87), Banner in Chifeng
14 vermutlich = ゴルロス(郭爾羅斯), vorderes Banner 前旗. --- Qiánguōěrluósī Zìzhìxiàn: 前ゴルロス・モンゴル族(前郭爾羅斯蒙古族)自治県は吉林省松原地級市に属するモンゴル族の自治県。自治県人民政府は前郭鎮にある。
15 Songhuajiang, Nebenfluß des Heilongjiang (Amur), fließt durch Harbin
16 Naimanki, Banner in Tongliao, auch Gebirgszug
17 Arukaruchin (阿魯科爾沁), Banner in Chifeng
18 Muttsuri, Spitzname eines Aufsehers 看守